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『わたしの、なまえ。 』
千獣3087

 年経た大きな木の枝の上に。
 軽く腰かけてぼんやりしていると、ふんわりとそよぐ風が頬を撫でてくる。
 さわさわと枝葉が風に騒ぐ音が聴こえる。
 風の、緑の、土の……森の匂いがする。
 虫とか鳥の声もする。……今はとても多い季節でもある。
 陽の光が差し込んでくる。
 その合間、枝葉の陰も落ちている。
 いつもの風景。
 私にとって、ぼんやりしていられる……落ち着ける場所。

 郊外の森の中。

 ……ふと、数年前の夏に言われたことを思い出した。
 思い出したから何だ、ってわけでもない。

 ただ、ぼんやりつらつらと色々なことを考えている中、思い出したそのことが、少し頭に引っかかった。
 引っかかったから、なんとなく、そのまま『引っかかったこと』について考えてみる。

 なまえ。
 わたしの、なまえ……のこと。

 ……名前、について、考えてみる。





 千の獣で、千獣。
 それが、私の名前。





 ……もう、ずぅっと前のこと。
 私にその名を付けたあのひとは、困っていた……のだと、思う。

 私を、『何』と呼べばいいのか。

 あのひとは、どこからか私の居たその森に逃げ込んで、落ちのびてきたひとみたいで。
 なんだか、すごく、ぼろぼろな姿をした人だった。
 ……でもそれでも、私よりずっと、『人間』の姿はしていて。

 そんなひとが、あのときの私と、遭って。
 びっくりした貌をして。
 私も、力尽くで退けなきゃならない相手かとも一旦焦って、構えたけど、そのひとは私と戦う気とか、害する気とか、全然なくて、だから、そうはならなくて済んで。
 なんだか、とにかく、お互いで、びっくりしてたんだろうなって気がする。

 そのうちに、あのひとも、私が、『人間』、の形をしたいきものだと、気が付いたみたいで。

 だから、私のことを呼ぼうとして。
 でも、呼べなくて。
 なんだか、どうしたらいいのかわからなくなっているような感じだった。

 ばったり遭ってしまって、無視することもできなくて、あのひとだけじゃなくて私も、お互いでどうしたらいいかわからない感じで、目も離せなくて。
 動けなくて。

 ……お互いに、動くことすら、ためらってしまった感じで。
 そのとき、私も何か、困っていた……のかもしれない。
 あんまり自覚はないけれど。

 今考えてみると、たぶん、そうだった気はする。

 そのときの私は、『人間』の部分が少ないぐらいだったし、人間の言葉も知らなかった。
 ……そんな私を前に、あのひとは口を開けては閉じてをくりかえしていて、たぶん、何度か、何かを言おうとしていて、結局、言えなくて、最後には口を真一文字に引き結んで、暫く唸っていた。





 その末に、ポツリと落とされた言葉が、『せんじゅ』。





 そう口に出して――呼んでから、そのひとは、言い訳するみたいに、何か、いろんなことを言っていて……たぶん、なんで私のことをそう呼んだのかの説明をしていて。……結局、自分が見た『そのまま』なんだがとか、幾分名前らしくしようと音を詰めてみたとか、音に当てる字の意味についても、色々。恐る恐る。
 私がその話を理解しているのか、そもそも聞いているのか――聞こえているのかすらあのひとはよくわからなかったのかもしれないのに、たくさん、根気強く私に話して聞かせようとしてくれていた。

 ……そんな中で。
『千』の『獣』で『千獣――せんじゅ』だ、って、言われたのが。
 身の内に響くみたいにして、耳に残った気がして。

 私は、なぜか、『せんじゅ』と言うその呼び方を自分の中でくりかえしてみていた、ような気がする。
 その言葉で、呼ばれたのは私だった。……そうはわかった。でもそのときは『千』も『獣』も言葉の意味すら全然わからなかったから、どうしてそう呼ばれたのかも勿論わからない。でも、わからないけどすごく気になることだったから――なんでこんなに気になっているのかをわかりたくて、わかろうとして、自分の中で、噛み砕いて考えてみようとしていたのかもしれない。

 きっとたぶん、このひとが、考えて考えて考えた末にひねり出した、私の呼び方だったと思うから。
 そうやって、たくさんたくさん、私のことを考えてくれたんだ、って。
 このひとのその気持ちの方が、たぶん、言葉より先に私の中に届いていた……んだと思う。

 だから、そんな風に私のことをたくさん考えてくれるのは、なんでだろうって思って。
 ……呼ばれたことで、これまで感じたことのない「何か」が自分の中にぽつりと生まれた気がして。

 これは、いったい、何なんだろうって。
 私もたくさん、考えた。





 それまでの私は、糧を得ることと糧にされないことだけが全てで、ある意味それは私の中の獣も一緒で、だから私と獣の意識の区別はあまりなかった、ように思う。

 でも。
 そのとき、そのひとから、せんじゅ、と呼ばれるようになって。
 私だけを呼ぶ言葉で、私だけが呼ばれて、初めて、『私』、ができたんじゃないか、と思う。
 ……だから、名前とか、呼称とか、よくわからないけど、私は千獣、なのだと思う。

 ただ、あのひとは……暫く経って、私が「私は千獣」だってちゃんと自覚するようになった頃から、なぜかちょっと、悪いことをしたなって思っていそうな、すまなそうな貌をしてくるようにもなって。
 あれは確か、私が、獣の部分をある程度抑え込んだ姿――人間の部分が殆どな姿を見せたとき。それとか、このひとの話す言葉をヒントに、なんとか、人間の言葉を使って話そうとしたとき。……女の子だったのかって、少しびっくりしたみたいに言われもした。

 なんだかよくわからなかった。
 ただ、宥めるみたいに、謝るみたいにして、そっと頭を撫でられた。





 あのとき、あのひとは――ちょっと後悔、してたのかなって今ならなんとなく思う。
 千獣じゃ、あんまりそのままな名前だって、なんだかよくなさそうな感じで数年前の夏にも言われたし。
 ……だから、あのときの「あれ」は、そういうことだったのかな、って。

 ただ、私にしてみれば、千獣は千獣だとしか、思わないのだけれど。
 私は千獣、だとしか。

 ……自分が『そう』なんだと自覚できることが、むしろ、嬉しかったのかもしれないくらい。
 これまで感じたことのない、自分だけの『何か』をもらえた気がしたから。
 少なくとも、よくないことだったり、謝られるようなことだとは、全然思わなかった。

 でも。

 それでも、ちょっとだけ。
 もしも、あのときの、あのひとが。





 今の私に『そのまま』の名前をつけるとしたら、何て付けるんだろう。





 ……そんなことを、考えてみなくも、ない。

【了】
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聖獣界ソーン
2015年08月06日

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