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『Decameron/葡萄の館の夏夜にて 』
彩華・水色ka3703)&アクアレギアka0459)&小坂井 暁ka4069

 いつ、誰が「そうしよう」と言い出したのかは覚えていない。
 なんとなく、顔を合わした三人。誰からともなく、語り始めた。

 それは、この葡萄の館という『わけあり』の場所に、『わけあり』の者が向かうことになった時の話。
 わけありに『目覚めた』時の、物語。



●彩華・水色(ka3703)――真っ赤な血に魅入られたる狂人

 エルフは、その美しさから『商品』として狙われることがある。
 水色は人間とエルフの混血ながらも、エルフとしての血を濃く継いだために、その『ありふれた一例』の一つとなってしまった。
 それは幼少期。外で一人で遊んでいる時。背後からいきなり頭に被せられたズタ袋、かけられた魔法に落ちる意識――

 目が覚めたら、暗かった。

「ここは、……どこ?」
 身を起こしたら鎖の音が聞こえた。
 手首足首、それから首に、重い枷と鉄の鎖。
 驚愕のまま見渡せば、鉄格子が水色を取り囲んでいて。
 それは、牢獄。
「な、に、これ……」
「人買いに攫われたのよ、私達」
 呆然とした呟きに答えた声。水色が振り返れば、彼と同じように鎖で繋がれた女が座り込んでいた。
「僕達、どうなるの」
 その問いに、女は何も答えなかった。

「これからどうなるの」――その答えを、水色は身を以て知ることとなる。

 水色は人間として、否、生物として扱われなかった。
 食事は粗末なものを最低限。風呂は鉄格子の向こう側から適当に浴びせられる冷水。
 狭く、窓もなく、湿っぽく寒い暗闇の中で、じっと蹲る他に一日の過ごし方はない。
 それは生かすための最低限の場所だった。
 幼い水色は、最初の内こそ「助けて」「ここから出して」と泣いたり震えたりしていたが――やがてそんな反応すらも消え去った。
 肌からは血の気が失せ、痩せ細り、やつれきって、目に光はなく。もう何も喋らない。死体となんら変わりが無い。

(おなか、すいた)

 夢か現かも分からない意識状態。
 ぼーっと、霞んだ視界に映ったのは、水色と同じようにやつれきった女。
 彼女の手には――何か、鋭利な。食事用の、ロクに洗われもしていないフォークが一つ。暗闇できらりと光ったそれ。もう楽になりたいと正気を失った女の目。白い喉に突き立てられる。呻き声。倒れる音。
 水色は倒れた女へ這いずった。倒れた彼女はまだ息があるけれど、もうほとんど死んでいる。赤い、暗闇の中の、流れる、血。虚ろな彼女と目が合った。

(おなか、すいた)

 なんの躊躇もなく。水色の唇は、白い喉へ、赤い喉へ、傷口へ、吸い寄せられていた。
 甘いにおいがした。

(おなか、すいた)

 噛み付いた。食い破った。温かい――温かい。

(あまい、おいしい)

 邪魔なフォークを引き抜く。口の中でびゅるりと噴き出したそれを舌全体で受け止めて、一滴残らず、啜り飲んだ。

(おいしい、おいしい)

 冷えて硬くなっていく女の身体を支えて、水色は甘美なるそれを無我夢中になって飲み続けた。先程までは死んでいた目が今は爛々として、ふぅふぅ呼吸もおざなりに。
「ふ、は」
 どれだけ時間が経っただろうか。
 顔を上げた水色の口の周りは酷い色に汚れきっていた。それを丁寧に指でこそぎ、舐め上げて、唇には恍惚の笑み。
 ぞくぞくとした。得も言われぬ多幸感。食事を摂れた安堵感と満腹感。
 目の前には冷え切った死体一つ。彼女から命を吸い取った感覚、それが恍惚。
 蕩けそうなほど、生を感じた。

 吸血症(ヴァンバリズム)、血液愛好(ヘマトフィリア)。

 それは、水色の中の狂気が開花した瞬間。
 白い喉から引っこ抜いたフォークを拾い上げる。そこにこびりついた血も丁寧に丁寧に丁寧に舐りしゃぶって、けらけらと笑い続ける。
 その牙はケダモノのように長く尖り、白目は黒めに、白い肌も青白く。
 握り締めたフォーク。笑いながら、向かったのは、……。



●アクアレギア(ka0459)――双眸眼差しに愛憎感じたる狂人

 故郷では、誰も彼もが嫌悪の眼で彼を見た。
 アクアレギアはドワーフである。なのに、鍛えても厚くならない体に弱い力、戦士としての素養は皆無。そんな彼を、故郷の者達は嘲笑った。「異端だ」と。
 何処に行っても、何をしていても、アクアレギアは嘲笑と侮辱の瞳に晒された。
 ジロジロ、ちらちら、隠れていても、走って逃げても、やめてと叫んでも。

 くすくす。けらけら。
 あいつを見ろよ。
 変な奴。
 キモチワルイ。
 異端だ。
 異端だ。
 あっちに行け。
 異端が逃げたぞ。やっぱりあいつは身体も心も腰抜けだ。

 物心ついた頃から、アクアレギアにとって他人とはそういうモノだった。
 物心ついた頃から、アクアレギアにとって視線とはそういうモノだった。
 何にも悪いことをしてないのに悪人のように扱われ、徹底的に嫌われて。
 笑われ、謗られ、嫌われ続け、愛されず――けれど例外が、たった一人。

 血の繋がった、実の母親。

 女手一つでアクアレギアを育ててくれた母親は、泣きじゃくる息子を優しく抱きしめ、「大丈夫だよ」と繰り返した。
「皆が俺をジロジロ見るんだ。隠れても、逃げても。それで、俺のことを馬鹿にして、笑うんだ。いつまでも」
 なんで、なんで。なりたくなってこうなった訳じゃないのに。涙をポロポロ零す、幼いアクアレギア。
「目が、怖い……皆の目が、あっちこっちにあって、怖いよ……」
「よしよし」
 大丈夫。母親は、くしゃくしゃと息子の頭を撫でる。
「たとえあなたがどんな子でも、私はあなたを愛しているわ」
 温かい腕。アクアレギアは泣き濡れた顔をそこに埋める。そうしている間は、誰かに見られていなくって、安心することができた。母親は病でほとんど視力を失っており、その目蓋は常に閉ざされていたけれど。

 ――ある日。

「ただいま」
 家に帰って、そう言っても、返事がやってこなかった。
 どうしたんだろう? 母親は出かけているんだろうか。そう思って、家の中に入ると。

 倒れていた。
 母親が、死んでいた。

「母さん、」
 呆然と。膝を突く。赤い、色――その中に、白い。なんだろう、これ?
 震える手で、アクアレギアはそれを拾い上げた。
 真ん丸い、少し柔らかい、けれど弾力のある、それ。
『目が合った』。

 心臓が止まるような感覚。

 生まれて初めて見た、母親の眼差し。
 生まれて初めて受け取った、嫌悪以外の視線。
 生まれて初めて。アクアレギアを真っ直ぐ見てくれた目。

「母さん」
 呟いた。握り潰した。ぶちゅ。心臓が早鐘のよう、止まらない。
 大嫌いで欲しかったそれは、なんて綺麗で脆いんだろう?
 心が満ちた感覚と、ポッカリ空いた感覚と。
 目。目。目、だった。
 欲しい。欲しくなった。もっともっと。
 なんて心を満たしてくれるんだろうか。
 なんて綺麗なんだろうか。
 あんなにも嫌いな筈だったのに。
「愛されたい、愛したい」。それは彼の奥底にあったどうしようもない欲求――満たしたくても満たされなかった感情と、目とが複雑に結びついた結果。

 眼球性愛(オキュロフィリア)。

 おかしい自分をおかしいと自覚しながらも、アクアレギアを捕らえた『視線』から逃れることはできなかった。
 深淵から見つめてくる狂気の眼差しを、彼はじっと覗き込んでいたのだ。



●小坂井 暁(ka4069)――欠損に理想を見出したる狂人

 暁は幼い頃から違和感を抱いていた。
 自分の姿を見ても、家族を見ても、他人を見ても、何かが違うと感じていた。
 その『何か』が何かは良く分からなかったけれど――成長すると共に、その違和感は増していった。
 相変わらず違和感の正体は分からなくて。誰かに相談しても、解決することはなくて。
 本人すらも分からないことを、他の者が知ってる訳ないじゃないか――大抵はそう言われ。やがて暁は問いかけることもしなくなった。
 自分はきっと、おかしいのだ。暁は思った。

 そんなある日のこと。

 リアルブルー人の相棒から、とある本を見せてもらった。リアルブルーの本だと相棒は言った。リアルブルーの美術品を収めたものだった。
 最初はあまり興味もなくページをめくった。
 そこで、暁は運命的な出会いを果たす。

 ミロのヴィーナス。

 白い体、ふくよかな体、両腕のない女神像。
(……美しい)
 目が、離せなくなった。
(なんて、美しいんだ)
 瞬きすらも忘れる衝撃だった。ただただ、その両腕のない女神に魅了された。
 心の奥から湧き上がる感動、興奮、どくんどくんと心臓が鳴る。
(なぜこんなにも、美しいんだろう――)
 心の奥底、なにか、なにかが分かりそうな気がして、
 おい、どうした? そんなにそれが気に入ったのか。肩を叩いて相棒が笑う。それにようやっと暁は我に返った――我を忘れるほど魅入っていたことに気付いた。
「あ、ああ、そうだな、綺麗な彫刻だと思うよ」
 笑いながら、口をついたのは当たり障りのない感想。本当の感情は、相棒には隠していた。己が抱いた本当の感情が『異常』だからだと自覚していたからだ。
 笑顔の裏では、興奮冷めやらぬ。
 まるで初恋のよう。目蓋に焼き付いて離れない女神。両腕のない女神。
 何か激しい感情が心の底から噴き出していた。
 暁は確信する。

(あれこそが、理想だ)

 そうだ――やっと『違和感』の正体が分かった。
 皆、皆、『多すぎる』んだ。
 人間、腕と足、それぞれ二本ずつもあるなんて。何故だ? 何故そんなにも無駄にあるんだ?
 無い方が美しい。間違いなく美しい。それはあの女神が証明している。
 何事も完璧すぎると良くないという。それはきっとつまらない。何か欠けている方が絶対に美しい。世界はそういう風に出来ているんだ。きっときっと、そうなのだ。
(絶対に、そうだ)
 画集のページを捲る。首と腕のない有翼の女神像、頭も腕もない蹲った女神像、腕のない像、足のない像――どれもこれも美しく、暁を魅了してやまなかった。
 そしてより「欠けている方が美しい」という暁の感情を確信させたのは、五体満足の像を見た時に、そっと己の指で彼らの手足を隠し「欠けているようにした」時だ。
(やっぱり、やっぱり、そうだ)
 目を見開く。欠けている方が、段違いに美しかった。『多すぎる』よりも、うんと綺麗だった。

 肉体欠損嗜好(アポテムノフィリア)。

 その性癖をハッキリと自覚したのは、後に強敵との戦闘で敗れて左腕を失った時であるが、それはまた別のお話。
 兎角、その出来事を境に暁は「四肢の一部が欠けている異性が好み」と公言するようになり、敵に対しても「手足一本置いてけ!」と異常な言動をするようになったのである。
 本人は脳内で補完し、常識的であれとしているが――その心の奥底は、異常と狂気そのものであった。
 彼は肉体の不完全性という美に取り憑かれたのである。







 話し終えても、窓の外は未だに夜だった。
 血液愛好の男はいやに鉄臭く赤い液体が注がれたグラスを片手に。
 眼球性愛の少年はフードを被り伸ばした前髪で目を隠し。
 欠損嗜好の男は欠けた彫像の画集をパラパラと見ていた。

 各人の話に、各人が何か言ったりすることはなかった。
 ましてや「おかしい」という感想も出てこなかった。
 なぜなら、ここにいる三人――否、この館にいるものは、皆、どこかしらおかしいからだ。

 無言のまま、アクアレギアが欠伸をする。そろそろ寝ようか、暁は画集を閉じて立ち上がった。もうこんな時間。水色は赤いそれを美味そうに最後の一滴まで飲み干して、恍惚とした表情だった。今夜はよく眠れそうだ。
 誰からともなく、三人は各々の部屋へと向かう。
 照明も落とされ、その部屋は真っ暗くなった。



『了』



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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2015年08月24日

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