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『やさしい時間を、あなたと。 』
ユリアン・クレティエka1664)&エステル・クレティエka3783


 空の青は少し前までよりも遠く薄く、彼方まで広がっているように感じられる、秋間近。つまりは夏の終わり頃に、白くたなびく雲を眺めながらユリアン(ka1664)は妹を待っていた。
「お待たせ、兄様」
 そこに現れた妹は、コバルトブルーの薄手のケープを纏って軽やかに走ってきた。時折涼しい風が吹く頃でもあるから冷え防止なのだろう。夏にはまだ早い気がするが、合わせを留めるブローチは小麦をモチーフにしたデザインだ。
「待っていないよ、今来た所」
 恋人のような事を言いながら、もたれ掛かっていた商店の壁から身を起こす。妹であるエステル・クレティエ(ka3783)が息を整えるのを待って、歩き出した。
「兄様、今年は収穫祭一緒に行ってくれるでしょう?」
 少し小走りに隣に近付いて歩きながら、エステルは兄を見上げる。兄の歩幅は、去年に比べれば広くなっただろうか。自分が小走りにならなければ付いていけないほどには。
「去年は、たまたま帰ってた義兄様にお願いしたけど…」
「んー…。そうだな。今年は、帰れると思う」
「良かった」
 凛とした兄の横顔は、どこか遠くを見つめているようでもある。去年までは、その背に追いつくことさえも出来なかった。今は…どうだろう。少なくとも兄が見ている風景の世界に、自分も足を踏み入れる事は出来たけれども。
 そのまま大通りを曲がって、2人の足は第三街区へと進んでいく。中に足を踏み入れて周囲を軽く見渡しながら、ユリアンが口を開いた。
「あぁ…一応、冬よりは良くなってるな」
 まだ復興途中の街並みに少しほっとしたような表情だ。勿論自分だって安堵している。もしもここが無くなっていたら…。そう思うと、今ここに居る幸せを噛み締めることも出来た。
 兄と来るのは、それこそ冬以来…のような気がする。
「ねぇ、兄様…」
 自然と持っていた本を胸元で抱きしめながら、まだ周囲の建物を眺めている兄へとエステルは声を掛けた。
「ここにも、色んな仕事をしている人たちがいるのよね。…働くって…大変ね」
 妹の言葉に、ユリアンは振り返る。ベルトの留め金から垂れた零れるような滴型の飾りが揺れて、一瞬周囲の光を受け放つ。
「そうだな、大変だよ。多くの人達が毎日一生懸命働いているから、こうして復興出来て来ているんだと思う」
「そうね」
 兄の真摯な表情に、自分の思いはそれ以上口に出せなかった。
『本当…大変よね。準備が。…強化とか…色々』
『あ〜、本当、大変だよなー。強化とか色々』
 とか言う会話を少しは期待したりもしたのだが。
 いや、そんな少しばかり軽い会話は今でなくても良いだろう。ここに来て万感の思いを感じるのは自分もなのだから。
 一瞬地面に目を落として、そして顔を上げた。
 そこは、よく知った親しみ慣れた一軒の雑貨屋だった。
 

「小母さんこんにちはー」
 躊躇なくユリアンがその扉を開いて中に入って行く。
 その店は少しだけ広めの店内に、品の良い品揃えと整頓された陳列でお客様をお迎えする、贈り物に最適な品物を取り扱った雑貨屋だった。時期によっては店内店外揃って煌びやかな飾り付けで覆われたりもするが、今は特別なイベントがある時期でもない。店の玄関口の周囲に広がる花鉢や、窓の脇に添えるように立っている樹木も、いつもと変わらぬ風情でそこにあった。
「あら、久しぶりね」
「お久しぶりです。あいつ居ますか?」
 花鉢に見とれていたエステルが少し遅れて店内に入ると、兄の口からそんな言葉が発されていた。
「居るわよ。ちょっと待ってて。…エステルちゃん、こんにちは」
「…は、はいっ…こんにちはっ」
 思わず声が上ずったのは、兄の不意打ちをまともに食らっていたからだ。そのまま扉口に佇んでいると、店の女主人は笑顔だけ残して奥へと入って行った。
「あのっ…あ、あ…」
 呼び止めようとするでもない声は、女主人には聞こえなかったらしい。だが兄には聞こえていたようで、ユリアンは振り返って近付いてきた。
「そんな所じゃ挨拶も出来ないだろ?」
「そう、だけど…」
「いらっしゃい。エステルちゃんに、ユリアン」
 兄と押し問答している暇も無かった。すぐに奥から出てきた男性は、笑顔を向けてそう挨拶する。
「こっ…こんにちは…」
「あぁ」
 軽く頷いた兄は、男性へと近寄り軽く右手を振った。
「どうだ? 最近の調子は」
「まあまあかな。一時よりは良くなったよ。また、贈り物が出来る余裕が出来たってことかな」
「それは良いことだよな。あ、エシィの髪飾り見繕ってやってよ。誕生日が近いから包んで」
「…!」
 黙って2人の会話を少し離れたところで聞いていたエステルの体が、びくっと揺れる。
「俺で良いのか?」
「あぁ。ちょっと用事があるんだ。小一時間で戻るから頼んだ。あ、予算はこれくらいで」
「えっ…兄様待…っ」
 じゃ、と軽く手を挙げ風のように去って行った兄を、エステルは呆然と見送った。待ってと手を伸ばす間もないくらい、あっと言う間だった。
「…」
 ど…どうしよう。店内に2人きりにされた事は、ない。振り返ることも出来ず強張った体のまま、落ち着け落ち着けと内心念じた。
「ユリアンは、いつも風みたいだな」
 笑い声を滲ませた声が、いつも通りの声が背中から聞こえてくる。
 この雑貨屋は、母親の代からの馴染みらしい。その縁で幼い頃から兄妹揃って連れられ通ったものだった。ここには明るい小母さんと、少し尻の下に敷かれているっぽい小父さんと、そしてユリアンと同い年の息子と、エステルより少し年下の娘が居た。幼馴染で皆仲良くやってきていたけれど、いつからだろうか。兄と同い年のこの人の事を、少し特別なように思い始めたのは。
「本当…風みたいで、困っちゃう」
 最初は憧れだったのだと思う。年上で面倒見の良いお兄さん。自分の我が儘にも付き合ってくれたし、色んな話もしてくれた。店で取り扱っているアクセサリーについても丁寧に教えてくれて、こっそりお得意様用の高価な宝石を見せてくれたこともあった。教えてくれる事が嬉しくて、話すことが楽しくて、ユリアンがまだ家に居た頃はよく一緒にこの店を訪れていたけれども、一人で行く勇気が出ず会うのは久しぶりだった。
 何とか気持ちを落ち着かせて振り返ると、彼はよく知った笑顔を向けたまま、何がいいかなぁ、と話しかけてくる。
「えぇと…そう、ね…」
 どこか遠慮がちな笑みを浮かべる人だった。努力家で、でもそれを表に見せない人で、少し控えめな人。人柄が透けて見えるようなその笑顔が、エステルは昔から好きだった。
「どう、しよう…。素敵なものが、たくさんあるから…」
「俺のお勧めは、こっちの髪留めなんだけど…ほら。五輪の花が咲いていて」
「うん。綺麗ね」
「エステルちゃんには…もう少し落ち着いた色合いのほうがいいのかな」
 軽く髪留めを髪に当てられ、心臓が激しく音を立てる。気付かれないだろうか。この思い、気付かれていないだろうか?
「そう? 私はこっちも好きよ」
「一輪のほうがいいかもしれないな…」
 言いながらも彼はやや小さめの髪飾りを手に取った。黒塗りの中に星がちりばめられ、その星空の中にひっそりと咲く薄紅色の花が一輪。そんな構図だった。
「少し…大人っぽいかなぁ…」
 呟きながら髪に当てている。ユリアンからの依頼とは言え、自分のために、自分に似合うものを、選んでくれている。それは他に例えようもない幸せだったけれども、満喫できるような状況ではなかった。余りにどきどきし過ぎて。
「そ、そう…?」
「いや…そんな事ないよ。エステルちゃんも、大人っぽく、じゃなくて…成長して来てるから」
 何かに遠慮したかのように言い直した彼が、他の髪飾も手にとって悩んでいる風なのを見る。悩んでくれているのはとっても嬉しい。けれども一体何に引っかかったのかが気になる。
「あの…お兄、ちゃん」
「うん? あ。気に入ったの何か他にあった?」
「それで、いいわ。…ううん。それがいいわ」
 2番目に彼が手にした髪飾を指差すと、彼は手馴れた手つきでくるくると包み上げた。仕上げに小さなリボンをきゅっと巻いてくれる。そして、いつもの笑みを向けてくれた。
「それじゃあ、これはユリアンから…」
 言いかけた彼が、ふと気付いたようにエステルの胸元へと視線を落とす。
「…あれ。その本は…」
「あ!」
 指摘されて、慌ててエステルは胸元に抱きかかえていた本を両手で差し出した。
「ごめんなさい。借りたままの本を返しに来たの。この本、とっても面白かったわ。挿絵も穏やかな色合いで、本当に素敵な本だと思ったの。それで、つい何度も読んじゃって、返すのが遅くなってしまって」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ」
 本当に嬉しそうに笑ってくれたので、思わずエステルは本を胸元に引き寄せ、そのまま落としそうになった。それを、おっと、と片手で掴んだ彼の腕が、エステルの肩に触れる。
「…!」
 声を出すのは堪えることが出来た。だが彼はエステルの異変には気付かなかったらしい。本を手に取ると軽く表裏眺めて目の前の台に置いた。
「あぁ、そうだ。続きがあるんだ。読む?」
「…いいの?」
「勿論だよ。取ってくる」
 そのまま奥へと入って行った彼を見送り、エステルは大きく息を吐いた。
「はぁ…。もう…どうしよう…」
 心臓の鼓動が速すぎて辛い。もっと話がしたいのに。話を聞きたいのに。どうしてきちんとお話出来ないのだろう。
 でも…。
「お待たせ。はい、これ」
 そう待つでもなく戻ってきた彼が差し出した本を受け取り、そして彼を見上げた。
 家を出て、兄のように外の世界に自分も旅立ったら…。
 
 今以上に。会えなくなるんだわ…。
 

「父さん…」
 店の前で晴れ渡った空を見上げていると、その空に埴輪を被った父の姿が薄っすらと白く浮かび上がるようだった。
「父さんの教えてくれた言葉の意味の全てを知るのは、まだ遠そうだよ…」
「何、独り言言ってるの?」
 不意に扉が開いて、エステルが顔を出した。その手には本と、小さな包みを持っている。
「小母さんが、これ持って帰りなさい、って」
「あぁ、名物焼き菓子? これ、美味しいんだよなぁ」
 包みを受け取り一瞬中を確認した。贈り物用のリボンが掛けられた包みとお菓子用の包みとを確認し、しっかりと鞄に仕舞い込む。
「お兄ちゃんに挨拶は?」
 そのまま歩き出したユリアンにエステルが声を掛けたが、ユリアンは笑って首を振った。
「いや、あいつに挨拶はいいよ。さっきしたし」
「えー…」
 妹が、自分と同い年の幼馴染に特別な思いを抱いていることは、何となく感じていた。親は双方の意思さえあればと乗り気だし、自分も応援はしてやりたいと思って今回はわざと2人きりにしたのだが。
 まぁ、この様子だと特に進展は無かったのだろう。あいつ朴念仁だしなぁ…と心の中で呟いて、ユリアンはエステルへと振り返った。
「あいつも、跡継ぎとしてしっかりして来たよな」
 本当はハンターを目指したい気持ちもあるらしいが、それは妹には言わないでおく。
「お兄ちゃんは、元々ちゃんとしっかりした人だもの」
 何であいつには全幅の信頼を置いているんだ? と思わないでもないが、それも言わないでおく。
「エシィは最近…仕事、どうなんだ?」
「んー…色々と、大変だなって分かったわ。強化とか」
「強化かぁ…」
「兄様はどうなの?」
「俺? ん…助手したり足が穴だらけになったり色々」
「ふぅん…足が穴だらけになったり色々なんだぁ…って、納得しないから。穴だらけってどういう事?!」
 思っていた以上の勢いで詰め寄られて、慌ててユリアンは首を大きく振る。
「大したことないよ。全然。俺なんてそんな大したこと無いから」
 首をぶんぶん振りながら歩き去っていく兄を追いかけつつ、ふと気付いて店のほうへとエステルは振り返った。
 兄と同じ道を選び、このまま進んでいったなら。
 この幸せな場所と自分の想いも、置いて行ってしまうのだろうか。
「…置いてなんて…行かないから」
「エステル?」
 少し離れた場所から呼ばれて、エステルはそちらへと足を向ける。
 そしてしっかりとした足取りで、歩き始めた。


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【登場人物一覧】

ka1664/ユリアン/男/17歳/一陣の風
ka3783/エステル・クレティエ/女/15歳/星降る夜に差し伸べる手
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2015年09月07日

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