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『狂者の遺産 』
伊武木・リョウ8411)&黒蝙蝠・スザク(7919)


「悪いねえ。嫁入り前の女の子に、こんな格好させちゃって」
『気にしないわ。お医者さんに身体を見せるようなもの』
 培養液槽の中で、少女がスピーカー越しに応える。
『……あたしに力をくれたのは、伊武木先生だものね』
「医者とは違うよ。俺は、君を実験台にしただけさ」
 黒蝙蝠スザク。
 かつて伊武木リョウの開発した新薬に適合し、人外の力を得た少女である。
 あの頃スザクは、まだ十歳にも満たぬ幼子であった。
 行き場のない憎悪の念を、小さな身体いっぱいに溜め込み、くすぶらせていた。
 そんな少女だったからこそ、常人の肉体には猛毒にしかならない新薬に耐え、人外の能力を獲得したのである。
『伊武木先生に会うのも、久しぶりね……』
「頼ってくれて嬉しいよ。ずいぶんと手ひどく、やられたもんだな? 応急処置的な治療は受けているようだが」
 スザクの肉体を調べてみたところ、数時間前まで致命傷に近い深手を負っていた事がわかった。
 傷そのものは治っていた。何者かが、スザクの体内細胞を無理矢理に活性化させ、傷を塞いだようだ。
「傷は塞がっても、ダメージは溜まっている……身体のあっちこっちにガタが来てるよ。今までずいぶんと、無茶な仕事ばかりやらされてきたんだな」
 優秀な戦闘員・破壊工作員として、便利に使われていたのだろう。虚無の境界にも、ドゥームズ・カルトにも。
「いい機会だ、その身体を徹底的に修理しておこう。しばらくは治療液の中で、ゆっくり休むといい」
『……訊かないの? 何が、あったのか……』
 スザクが言った。
『あたしと一緒にいた廃棄物のバケモノや……あの子の、事も』
「何が起こったのか、大体の流れは知っている」
 もう1つの培養液槽に、ちらりと視線を投げながら、伊武木は応えた。
 某県の山中に建てられた、とある製薬会社の研究施設。その一室である。
 2つの培養液槽が並んでおり、その片方にスザクは閉じ込められていた。
『先生、あの子を……助けて、くれるのよね?』
「出来るだけの事はする。助かるかどうかは、本人次第さ」
 もう1つの培養液槽。その中に、未熟児の人体標本にも似た弱々しい生き物が浮かんでいる。
 かの実験体A01、によく似た少年。
 肌は培養液に溶け込んでしまいそうなほど白く、海藻の如く揺らめく髪もまた老人のように白い。
 目を閉じた、その表情は、安らかな死に顔のようでもある。
 この培養液に浸すのがあと1分でも遅ければ実際、命尽きていたところであろう。
 その白く弱々しい肉体は今、最低限の生命活動を、辛うじて維持している。が、長くは保たない。
 このまま放置しておけば、1日か2日で死に至る。寿命を迎えたホムンクルスと同じく、培養液の中で腐ってゆく事になる。
 それを、スザクに告げるべきなのか。自分が医者であれば告げているであろうか、と伊武木は思った。
『先生、お願い……』
 培養液ではなく治療薬で満たされた槽内に、スザクは涙を漂わせた。
『あたしの身体……使える所、使ってくれていいから……』
「本当は知っているんだろう。君の肉体のどの部分も、この子に移植する事は出来ない」
 伊武木は言った。
「この子に適合する血と肉と臓器を持った人間は、この世でただ1人……まあ、今はそんな事を言っても仕方がない。とにかく君は休みたまえ。一眠りして目が覚める、少なくともそれまでは、この子を保たせて見せる」
『先生……お願い……』
 スザクの声が、弱々しくなってゆく。
『その子を……助けて……』
 彼女が身を浸している治療薬には、睡眠薬成分も含まれている。
 そうでもしなけば、この少女は眠ってはくれないだろう。


「俺は結局、あんたの尻拭いをさせられてる……と。そういう事でいいのかな? 父さん」
 この場にいない相手に語りかけながら、伊武木は培養液槽を見上げた。
 中にいるのは実験体A01、の比較的ましな複製品に過ぎない。これが誕生した頃には、父はもうこの世にいなかった。
 だが、あの男の研究が残したものの1つである事に違いはない。
「尻拭いと言うか、遺品整理と言うか……とにかく、あんたが死んでもう随分と経つのにな。俺はまだ当分あんたに付き合わされなきゃならないらしい。勘弁してくれよ、まったく」
 酒でも飲みたい気分だった。
 目の前で培養液に浸されているのは、酒肴代わりにしては味気ない、少年の貧弱な細身である。
 隣の槽内にいる美少女ならともかく、と思わなくもないまま伊武木は思案した。
 この少年は、もう長くはない。あと1日か2日で生命活動が停止し、その後は培養液の中で腐り果ててゆく運命である。
 このまま何も手を加えなければ、の話だ。
 実存の神などと呼ばれ有り難がられていた、脆弱な生き物。この白く細い肉体に適合する血肉と臓器を持った人間は、世に1人しかいない。
 成長した実験体A01……あの緑眼の青年である。
 彼がここにいて、うまい具合に意識でも失ってくれていれば、自分は移植手術を行っていただろうか。医師ではない伊武木でも、この研究施設の設備を使えば、出来ない事ではない。
 幸か不幸か、あの青年はここにいない。となれば、出来る事は何か。
 この少年を安楽死させ、腐り始める前に埋葬してやる事か。
 父の遺品とも言える、白い脆弱なる肉体を、伊武木はじっと観察した。
 この少年を、この少年のまま生かし続ける手段はない。
 見たところ5歳前後の、この弱々しい肉体を、6歳、8歳、10歳と普通に成長させてゆく事は、もはや出来ないのだ。
 この少年のままでは、だ。
「違うものに、作り変える……しかない、か」
 呟きながら伊武木は、自分が笑っている事に気付いた。
「おいおい、今何を言った? 俺。人間を、違うものに作り変える? いやまあ人間じゃあないんだが」
 神として扱われていた少年に、伊武木は暗い笑顔を向けていた。
「あんたがやってた事と、丸っきり同じじゃないか。なあ父さん」
 神の肉体を収めた培養液槽に、軽く片手を触れる。
 伊達に『実存の神』などと呼ばれていたわけではない。この少年、確かに凄まじい能力を秘めている。
 いわゆる超能力だけを見れば、成長したA01をも上回るかも知れない。
 能力の器たる肉体の方が、寿命を迎えつつあるのだ。
 脆弱な器を、いくらか強固なものに作り変える。研究者であれば当然の発想だ。
 よろり、と伊武木は歩き出した。酒を飲んだわけでもないのに、足元が覚束ない。
 そして、酒を飲まずにはいられない。
 素面で出来そうな作業ではなかった。
「俺は……」
 この場にいない父親に語りかけようとして、伊武木は口をつぐんだ。
 俺は、あんたと同じ。
 わざわざ口に出して呟く事でもなかった。
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年09月24日

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