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『 そして続く夏 』
雪代 誠二郎jb5808)&風羽 千尋ja8222


 久遠ヶ原学園島の一端に、その館はあった。
 四つの塔に四つの寮、そのうちの公正の金を掲げる寮に雪代 誠二郎の自室はある。
 外出から戻った誠二郎はエントランスを抜けホールに入った所で、愛用の中折帽をとり、形の良い眉を僅かに寄せる。
「あ。雪代さん、おかえり」
 団扇を片手に通りかかった風羽 千尋が声をかけた。
「これは一体どういう事なのかな」
 誠二郎の困惑の原因は、むっとする程に籠った熱気であった。
 千尋もうんざりという様子で、盛んに団扇を動かしている。
「あー、エアコンが壊れたんだってさ」
 その瞬間、誠二郎の表情だけはまるで酷寒の地の如く。
「一応修理の人は頼んであるんだけど、今すっごく忙しいらしくて、……って、雪代さん!?」
 千尋の説明が終わらぬうちに、既に誠二郎は帽子を被り直して踵を返していた。
「どこ行くの」
「暑い外から戻って来て暑い部屋に籠る程、酔狂ではないのでね」

 足早に歩き出す誠二郎の背中を呆気に取られて暫し眺めていた千尋だったが、はっと我に返ると急いで追いかけ、回り込む。
「ちょっと、ちょっとだけ待って! 俺も暑くてたまんないから!!」
 そこでふと、暑いと言いつつ白いカラーも眩いばかり、きちんと粋なタイを締め、隙なく三つ揃えを着こなした誠二郎の姿と、自分を見比べる。
「ごめん、二分だけ待ってて!」
 大急ぎで自分の部屋へ駆け戻り、洗濯疲れでよれたTシャツをかなぐり捨て、一応なりとも襟のついた服と探り当てたポロシャツを被る。流石にハーフパンツは替える暇も替えるパンツも無く、諦めて再び飛び出した。
「……二分と二二秒、というところか」
 ホールの掛け時計を見上げてそう言いつつも、誠二郎は待っていてくれた。
「ご、ごめ、ん……!」
 息せき切って追いついた千尋を従え、歩き出す。



 炎天下に汗一つかかず、すらりと伸びた背筋。ステッキを小気味よく動かしながら、誠二郎は足早に歩く。
 並んで歩きながら無言に耐えられず、千尋はどこか異国の香の漂う横顔を見上げて尋ねた。
「ところで、どこへ行くつもりだったの?」
「何処へ行くとも知らずに一緒に行くつもりだったという訳か」
 その通りだ。千尋が鼻白む。
 だが誠二郎は別に問いかけた訳ではない。問いの形をとった独白である。
 ステッキの先が僅かに持ちあがり、行く手を指した。
「そこだ」
 その先には、鮮やかな色彩のブーゲンビリアが零れんばかりに咲いていた。
 低い軒先まで蔦に覆われた店の入口には、大きな車輪のようなハンドルがついたコーヒーミルの模型が置いてある。
「喫茶店……?」
 首を傾げる千尋をよそに、誠二郎は躊躇う素振りも見せず扉に手を掛けた。
 からころからころ。
 扉の隙間から流れ出すのは優しく響くベルの音、涼しい風、そして芳しい香り。
 少し薄暗い店内は静謐そのもの、足音すら少し毛足の長いカーペットに吸い込まれる。
 誠二郎はまるで我が家のように薄暗いカウンターの前を堂々と通り抜け、奥へと歩を進めた。
 千尋は慣れない空気に少し肩をすくめ、只管誠二郎の後を追う。
 そしてテーブル席の区画に足を踏み入れたところで、小さく声を漏らした。
「わ……!」

 店の奥は意外にも明るかった。
 見れば小さな中庭があり、硝子の向こうでは観葉植物の葉が吹き抜けの空から降り注ぐ光をいっぱいに受けて輝いている。
 誠二郎は一番奥の席に、いとも自然に掛けた。
 おずおずと向かいの席に座りながら、千尋は辺りを見回す。
 混み過ぎず、さりとて廃れ過ぎず、程良く距離をとって客達が座を占めていた。
 千尋の眼には、自分以外の全員がとても落ちついて見える。
 如何にも場違いなようで思わず座り直す千尋だったが、ふと視界の端に過ぎったものに気を惹かれた。
 少し離れた席に向かいあって座る上品な老夫婦の奥方の前に、キラキラ光るゼリーポンチのグラスが置かれる。
 まるで宝石箱のように陽光に煌めくそれを、余程熱心に千尋は眺めていたのだろう。
「いつもの。……と、あれと同じものを」
「かしこまりました」
「……えっ?」
 慌てて振り返ると、静かに会釈してウェイトレスが立ち去るところだった。
「え? え?」
「少年も暇だなあ」
 溜息とも諦念ともつかぬ口調で誠二郎がこぼした。
 千尋が見返すと、色素の薄い瞳をまともに覗き込む形になる。
 慌てて千尋は視線を外した。
「だって、あんまりにも暑かったから!」
「まあその点については同意しよう。それにしても困ったことだな」
 そう言って誠二郎は、見るともなくカウンターの方を見ていた。



 店内は豆を挽く音、湯が沸く音までも聞こえる程に静かだった。
 誠二郎はまるでずっと昔から存在するかのようにこの店の空気に馴染む。

 千尋は息を潜めて、目の前に座る男の横顔をそっと見た。
 白い頬を支える長い指が、何かを求めるように時折ピクリと動く。
 柔らかな陽光を受け、思案げに伏せられた睫毛一本一本が見分けられる。
(黙ってれば格好いいのに……)
 千尋は喉の渇きを覚え、テーブルのグラスに手を伸ばした。
 涼しい店内にあって僅かに頬が熱いのは、外を歩いてきた為だけではないだろう。

 先日、何気ない会話の折に「気になる人はいるのか」と尋ねられた。その瞬間、何故か思い浮かんだのは誠二郎の顔だった。
 同じ寮の、かなり年上の先輩。しかも、男性。
 不思議でならないのだが、何度考え直しても「気になる」のはこの人だった。
 何故だろう? 自分でもわからない。それでも相手の事が気にかかる。
 何をしているのか、何を思っているのか。それを知りたいと思う。
 この気持ちが何なのか、千尋にはまだよく分からない。
 ただ、こうして他の誰をも共有できない時間を誠二郎と過ごしていることが、気恥ずかしくも嬉しかった。



 ぴくり。
 また誠二郎の指が動いた。
「雪代さん、煙草。吸いたいんじゃないの」
 千尋はフルーツポンチを口に運びながら、まるでスプーンに語りかけるように呟く。
「君に気を使っているんだよ。未成年者を副流煙に晒す訳にもいくまい」
「と言っても雪代さんが吸わなくても、どうせこの店分煙になってないし」
 事実、中庭からの光を受けて、あちらこちらに紫煙が浮かびあがっては消えていく。
 換気はできているようで燻ぶる程にはならぬとはいえ、匂いや煙が全くなくなる訳もない。
「まあ確かに。少年の方がこの店では異端というところか」
 誠二郎は内ポケットから煙草を取り出した。
 長い指が店の燐寸を器用に擦り、覆った手の陰で咥えた煙草の先が赤く燃える。一息吸い込むと炎はじわりと燃え進み、誠二郎は僅かに顔をそむけ、千尋に掛からぬように煙を脇に吐き、同時にとん、と灰を硝子の灰皿に落とす。
 千尋はその一連の動きを、まるで魔術を見るかのように眺めていた。
「フルーツポンチを喜んでいるうちは、煙草はよしておき給え」
「え?」
 少し口の端を上げてからかわれ、千尋は思わず赤面する。
「べ、別に俺は! ちょっときれいだなって思って見てただけで……っ!」
「そもそもご婦人が上品に召し上がってこそ様になるという代物だ。精々上手に食べると良いよ」
「……雪代さん、もしかして怒ってる?」
 強引にここまでついてきたことを。愉しみの時間を邪魔したことを。
 実際は、テーブルを見つめる千尋の方が少し怒っているようにも見える。本当はどちらかというと、悲しみに近い感情が胸に迫っていたのだが。
 誠二郎はゆるりと煙を吐き、僅かに眉をしかめた。
「怒っても詮無い事だが、不愉快であることは否定しない」
 千尋は膝の上で、ハーフパンツの裾を固く握りしめる。
「この暑い最中に冷房が効かぬとは、言語道断だと少年は思わんのかね?」
「……は?」
 拍子抜けの余り、千尋の声は少し間抜けな響きになった。



 程良く涼んだところで連れ立って外に出る。
 少し傾いたとはいえ、まだまだ夏の陽光は強く地面を照らしていた。
 誠二郎は帽子を被り直し、千尋に向かって手を振った。
「それではね、直ったら連絡を寄越し給え」
 何処へ行くつもりか、どうやらエアコンが直るまで暫く戻る気はないらしい。
 ここでサヨナラ。当分サヨナラ。
 そう思うと千尋は無性に苦しくなった。
「雪代さん!」
 思わず声をかけたものの、訝しげに振り向いた誠二郎に言うべき言葉が見つからない。
「まだ何かあるのかね、少年」
「あの……」
 苦し紛れの言葉が口をついて出る。
「直ったら連絡よこせっていわれても、俺、連絡先知らないんだけど……」
「ああ、然り」
 誠二郎は胸ポケットをまさぐり、小さな手帳を取り出すと何かを書きつけ、千切って寄越した。
「早く直すように急かしておき給えよ」
 そう言いつつ千尋の掌に紙片を押しつけると踵を返し、誠二郎は今度こそ後も見ずにスタスタと歩いて行ってしまった。
「あ、あれ……?」
 千尋はその背中と、掌の中の電話番号を見比べた。
 何を考えているのか、何処へ行くのか。誠二郎の事は相変わらず分からない。
 それでも。
「連絡先、か……」
 小さな紙片を大事に畳んでポケットに入れる。
 何も分からないからこそ、新しく知ったことの価値は計り知れない。
 千尋は足取り軽く帰路に就く。

 手探りの夏は、どうやらまだまだ続くようだ。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb5808 / 雪代 誠二郎  / 男 / 35 / 近視眼的紳士】
【ja8222 / 風羽 千尋 / 男 / 16 / 狼狽える少年】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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「まだ」ということは、まだまだ続くということで。今後次第というところでしょうか。
おふたりの距離感など、大きくイメージを損なっていないようでしたら幸いです。
ご依頼、誠に有難うございました。
野生のパーティノベル -
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エリュシオン
2015年09月24日

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