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『〜名もなき感情はこの胸に〜 』
ファーフナーjb7826



「じーじ? まだ痛むの?」
 ぺち、と額に当たった小さな掌の感覚に、ファーフナーはハッとなって顔を上げた。
 六月。
 これから激しさを増す夏季の光よりも遥かに優しく、されど夏の先触れを感じさせる太陽の光。眩しいそれに照らされ、目の前できょとんと大きな目を開いているのは銀髪の幼女だ。

 ――ヴィオレット。

 その名前に思い至った時、ふいに走った胸の痛みにファーフナーは違和感を覚えた。ひどく居心地が悪いような、いたたまれないような――苦しいような。
(なんだ。これは)
「じーじ? まだ痛い?」
 心配そうに覗き込んでくる幼子は、小さな手でぺたぺたとファーフナーの顔を触る。あまりにも無遠慮な手。むしろ頭痛を感じていたのはおまえのその無遠慮さのせいだろう、と。そんな内心の思いがどこか遠い。だが、その理由が分からない。
 そもそも、自分が――そうだ、自分が痛いと思っていたのは頭であったはず。
 目の前の幼子の天然ぶりに翻弄させられて。しかし仕事であるが故にそれを決して悟られまいと押さえつけ――何故か、件の幼女に真剣な顔で「イタイノイタイノトンデイケ」されてしまったのが、つい先程のはずだ。
 嘆息一つ。それだけで胸奥を締めつける奇妙な感覚を追い払い、ファーフナーは小さなもみじのような手を己の大きな手で遮った。
「治った」
「ほんと!?」
 パッとヴィオレットが顔を輝かせる。次いで「むふー!」と得意げな顔になって胸を張った。褒めてくれ、のポーズに何を思うまでもなく頭を撫でてやる。
 その隠しきった内なる心で、ファーフナーは再度嘆息をついた。
 今は六月。そう――学園の依頼でフードパークに来たのだ。長距離を一瞬で飛ぶ異能持ちのヴィオレットが、どの程度脅威なのかを探る為に。
 その情報は、他の生徒達と共に恐らくほとんど探りきったといえるだろう。種子島への影響も探りを入れることが出来た。依頼は完了したと言えるだろう。
 ならば、そろそろ、このどうしようもなく天然で爆弾のような幼子を誰かに託し、離れるべきだと――そう思うのだが、何故か件の幼女が離れてくれなかった。
(……どうしてこうなった)
 肩の上によじよじとよじ登られてファーフナーは遠い目になる。
 正直、子供に好かれるというのは想定外だった。なにせこの人相だ。遠巻きに見られ、腫れものに触るかのように扱われるのには慣れていたが、今という現実はどうだ。無論、恐怖を抱かれぬよう立ち振る舞った結果でもあるだろう。せっせと餌付けしていた成果でもあるだろう――だが!

「じーじ、あっちにね、あまいシェイクがあったの!」

 無遠慮に頭の上にまでよじ登り、あまつさえ肩車の位置にちゃっかり居すわられたり、

「あとねー、あとね、おっきなアップルパイもあったのですよ!」

 髪の毛を手綱のごとくしっかと握られるなど、いったい誰が想像出来ようか。しかもフライドポテトを食べて油でテカテカの手で!
「…………。……。手を拭け」
「あいっ」
 ぴ、と濡れティッシュを渡すと、幼女が素直にせっせと手を拭き始める。その間に、テカテカな掌でベタベタと触られていた自身の顔をファーフナーは丁寧に拭った。
(これも仕事だ)
 子供が「遠足は還るまでが遠足だ」と言うのとは少し違うが、仕事に従事する者もまた、家に帰宅するまでは職務の関連として扱われる。ならば、幼女を次に引き渡すまでは全ての言動が仕事に繋がるだろう。
(いずれにしろ、情報の収集はすでに終えている。あとは適当に子守をすればいいだけの話だ)
 そう、適当に――

 きゅっきゅきゅっきゅ

 ……適当に……

 ごしごしごしごし

「……何を、している?」
「んとねー。じーじ、顔ごしごししてたから、あたしも拭いてあげるのですよ!」
 油でテカテカの手を拭いたあとの濡れティッシュで。
「……そうか」
 とてつもなく余計な世話だったが、子供のしたことに目くじら立てるような大人げない性格はしていない。そもそも、こういった部類のことは全て「子守」という仕事の範疇で――

 ごしごしごしごし はぁ〜 きゅっきゅっきゅ

「……そこまで拭かんでいい」
「あい」
 悟りを開きそうなレベルの無表情で肩に載っている幼女の前に手をかざす。何故か見事に顔面を捕らえてしまったが、むしろ喜ばれて困った。
(どうしてこうなった)
 無害な学園関係者(プラス餌付け)の装いが完璧だったとしても、ここまで懐かせる気は全くなかったのだ。物怖じしないのは、幼いとはいえヴィオレットの本性が悪魔であるが故か。
「じーじ、じーじ、あっちのアップルパイも食べに行こう!」
 ――いや、単に幼女の性格な気がしてきた。なんというか――第六感で、ひしひしと。
「アップルパイを食べたら、次に向かうのか」
「バニラのシェイクとポテトのお代わりを要求するのです!」
 ひとりで食え、と、言えたらどれほど楽だったろう。だが接待は仕事だ。仕事ならば、完遂しなくてはならない。
(仕方あるまい……)
 頭痛の種はさっさと終わらすに限る。嘆息交じりに立ち上がり、ヴィオレットを肩車したまま件のシェイクとアップルパイを手にすると両手が塞がってしまった。
「ポテトは――」
 自分で持てと、言う前に肩に乗っていた重みが消えた。ついで、後頭部をすっぽり包んでいた暑苦しいぬくもりも。
「…………」
 気まぐれに、またどこかへ転移したのだろう。
 そう、ホッとしていいはずが、唐突に温もりを失った後頭部が妙に寒い気がした。解放されて喜ぶべきはずなのに、この奇妙な感覚は何だろう。人を振り回すだけ振り回しておいて、挨拶無く去ったことへの怒りはそもそも感じない。どうでもいい――はずだ。それも、今のこれも。
「……」
 鼻を鳴らす。いや、鳴らしたはずが、何故か嘆息のようになった。約束をすっぽかされたような奇妙な感覚だ。
(いや、これでいい)
 役目も終り、完全に仕事は終わった。あとのことは些事だ。有限の時間を束縛されすぎなかったのだから、むしろ喜ばしい。首筋が寒いのは、唐突に温もりが消えたせいだ。先程まで暑苦しくひっつかれていたから。ただ、それだけのことだ。
(それだけの――)

「じーじっ」

 突然目の前に消えた幼女が現れた。驚いた。だがその驚きも強靭な胆力でねじ伏せる。
「……なんだ」
「んふふー。じゃ、じゃーん!」
 何故か満面笑顔で後ろ手に持っていたものを差し出された。近くにある皿に盛られたのとは違う、しゅー、と音をたてるほどにあつあつ出来立てのフライドポテト。
「出来立てなのですよ! むふー!」
 ……より美味しそうなポテトを求めて調理場に飛んで行っていたらしい。なんだろうか、この脱力は。
「……そうか」
 限りなく悟りを拓けそうな菩薩顔なファーフナーに、ヴィオレットはいそいそとポテトを摘まむ。
「はい、あーん♪」

 いや、ちょっと待て。

「一番最初のをあげるのです!」
 放置し損ねたシェイクとアップルパイを両手に持ったまま、腕にちゃっかり着席しやがった幼女の差し出すポテト(熱々)にファーフナーは寄り目になった。どういう状況だ。そして何故そのドヤ顔だ。周りを見ると「あらあら」と微笑ましそうにこっちを見ている者や、「やぁ、仲がいいねぇ」と見守っている老夫婦の羨ましそうな顔やらが。
(これも――仕事だ)
 観念した。口をあけた。突っ込まれた。熱い。
「じーじ。おいし? おいし?」
 正直熱くてそれどころではないが男は我慢だ。無言で頷くファーフナーに、ヴィオレットは満面の笑顔で頬ずりしてきた。
「じーじ大好き!」

 何故か、胸が痛かった。





 今にして思う。あの時の大切さを。
 進む時計の針は決して止められない。戻すこともまた、出来ない。
 進み続ける針と共に、世界もまた進み続け、変わり続ける。

 不変なるものは何もなく、
 永遠なるものは、一つとして無い。

 それが事象である限り、時と空間の支配からは逃れえず、畢竟、万物は有限の檻の中で絶えず変化し続ける。
 永遠に続くものなど無かったのだ。安らぎも、温もりも。

 痛い、と。

 感じる己の心を今は自覚している。同時に痛感する。遅すぎた、と。

 人を信じれば裏切られる。
 信じた思いの深さがそのまま傷になる。呼吸を止め心の像を引き裂く程に。その怖れが厚い殻となった。それが殻であることすら自覚できぬほどに深く深く心に根を下ろして。

 何故、殻を破らなかった。

 外から叩かれていたのに。

 何故、怖れなど抱いた。

 そんなもの、心一つでどうにかなったのに。

 停滞は死だ。己の心を殺し、嘘をつき続け、けれどそうして時を食んでいるうちに、得難きものを失う。
 そして思い知るのだ。失ってはならなかったものが、何であったかに。

(変わらねば)

 不変なものなど、何もないのだから。

(克服せねば)

 己の弱さを。

 誰もが弱い。弱さは当たり前のものだ。その弱さといかに向き合い、いかに克服するか。人生とは――生きるということは、畢竟、弱き己を抱えて見果てぬ荒野を進むことに相違ないのだから。
 例えその一歩が、どれほど勇気のいるものであっても。
 そこに至るまでに、どれほどの後悔があっても。
 いや、むしろ、なればこそ――

(ヴィオレット)

 痛みを伴う名前を心の中で呟く。呪文のように。己の弱さを知覚せしめた存在の一つを。

(叶うなら――)





 ふと誰かの熱を感じて、ファーフナーは瞬きした。一瞬ぐらついた体を友に支えられたのだ。

<じーじ>

 目の前のヴィオレットの<声>が頭に響く。
(ここは)
 一瞬、場所の認識が揺らいだ。ここは――そう、種子島。
 今は八月。灼熱の夏。
 そして、忌まわしき出来事の――
 把握した。一瞬、脳裏を過ったのはかつての日々だ。在りし日の――きっとずっと続くのだろうと、何の確証もないままにうっかりと信じてしまった、そんな日々だ。
 ――もう、あの日は戻らない。
 脊椎を損傷したヴィオレットは、体を動かすことができない。無遠慮にべたべた触ってきた手はピクリとも動かず、満面に讃えられた笑顔は失われた。幼い子供が動かすことが出来るのは、今はもう僅かに瞼と眼球だけ。喋る事すら出来なくなったが故に、意思疎通の力だけが<声>を伝える手段。
 絶望を。
 痛みを。
 悲しみを。
 ファーフナーは共感しえない。己で味わっているわけではないから。勝手にそれを分かるなどとは言えない。けれど、そんな中で、何故、この娘は――

<じーじ。どこか痛い?>

 そんな風に、問いかけてくるのか。
 痛かったのは己だろうに。家畜のように首輪に繋がれ、獣に切り裂かれ、骨を折られ、腹を弾けさせられて。なのに、何故、そんな風にこちらを案ずるのか。

「……痛くない」

 そう、自分は痛くない。
 痛かったのは、自分では無い。

<じーじ>

 最早そこだけしか自由にならない瞳が自分を映す。石造のように無表情な――いや、表情というものを失っている自分を。
 映して、<声>が告げた。

<じーじ、いつも、痛そうな魂(かお)してるの>

 息が止まった。ほんの一瞬。瞬き一つ分にも満たない時間だけ。

<じーじ、待っててね>

 真っ直ぐに見える幼子の<本心(ことば)>故に。


<動けるようになったら、また、オマジナイしてあげるのですよ。だから――>



 ――いつか、きっと、笑ってね






 種子島を去る悪魔メイド達を見送って、ファーフナーは佇んでいた。こちらを案じる友の視線を感じながら。
 ただ黙って、佇む。
 時は戻らない。
 失ったものは還らない。
 だが、新たに構築することは出来るかもしれない。少なくとも、学園の教師も、強力な悪魔も可能性を否定しなかった。どれほどの時とどれほどの胆力を必要とするかは誰にも分からないが。
 未来は、閉ざされてはいない。
 ならば――


 ファーフナーは佇む。
 その相貌に今までは宿しえなかったものを秘めて。
 それらは決して他に語るべくもない意思。一つの決意。一つの願い。

(望むのなら――叶うのなら、いつか――)

 青い空と海を渡る風がファーフナーの髪を撫でる。



 世界の時が、また一つ動き出そうとしていた。







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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb7826 / ファーフナー / 男 / 52才 / 大好きなじーじ 】
【NPC / ヴィオレット / 女 / 4才 / 悪魔メイド(?)】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご発注ありがとうございました。執筆担当の九三壱八です。
ヒトとヒトが出会う時、時は進み、物語は生まれ続ける。そんな物語の、語られなかった一場面を描かせていただきました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
全ての物語は未だ終わらず、それらは全て、定まらぬ未来の中に。

貴方の行く先に、常に優しい光が訪れますように。
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エリュシオン
2015年09月24日

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