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『タッカー家の天使 』
フェイト・−8636)&ダグラス・タッカー(8677)&スフィア・−(8694)


 ドゥームズ・カルトの本部施設は廃墟と化し、月明かりを浴びている。
 結果として本拠地の破壊には成功し、組織の主だった者たちも、あらかたは死んでくれた。
 生き残っているのは自称・大幹部が1名と、末端の戦闘員が1名、死にかけた少年が1名。
 組織としては、もはや終わったも同然である。
 ドゥームズ・カルト撃滅の任務は、成功したと言っていいだろう。
 フェイトは、そう思う事にした。
 すぐ近くで、無言のまま佇んでいる男が、どう思っているのかは不明だ。
 探偵と呼ばれる男。フェイトの、日本における上司である。
 先程までは、フェイトの肩を借りて、ようやく立っている状態であった。
 まずは、病院へ行くべきか。それともIO2日本支部へ帰還し、医療班の世話になるべきか。
 ぼんやりと考えながら、フェイトは振り向いた。
 大型自動車が1台、いつの間にかそこに止まっている。
 ワゴン車……いや、装甲車と言っても良いか。
 防弾仕様の分厚い車体に、見覚えのあるエンブレムが描かれている。
 疲れたような溜め息が出てしまうのを、フェイトは止められなかった。
 装甲ワゴンの扉が開き、運転者が軽やかに降り立つ。
 小麦色の肌をした、欧米人の青年。すらりとした長身に、仕立ての良いスーツが嫌味なほど似合っている。絵に描いたような金持ちだ。
 黒い瞳が、眼鏡の奥で、油断ならない眼光を孕んでいる。
 ふっ……と一癖ありそうな微笑を浮かべながら、その青年は言った。
「遅くなりまして申し訳ありません。VTOL機か何かで飛んで来ようか、とも思ったのですがね……手頃な着陸場所が、見つかりそうにありませんでしたので」
「狭い国で悪かったな」
「お忘れなく。国土面積は、我が大英帝国の方が下なのですよ」
「はるばる大英帝国から、今回は何をしに来たのかな。この御曹司は」
「新商品をご紹介させていただこうと思いましてね」
 ダグラス・タッカー。
 IO2ヨーロッパのエージェントにして、タッカー商会の若社長。つまり二足の草鞋を履いているわけで、お坊っちゃまが金持ちの道楽でIO2エージェントをやっている、などと陰口をきかれているのではないかとフェイトは思っている。
 思いながら、言った。
「もしかして……例の、強化スーツ?」
「そう、実は改良型が完成いたしまして……よく、おわかりですね? フェイトさん。テレパスの類をお使いになった、わけでもなさそうですが」
「ひょっとしたら、あれがまた必要になるんじゃないかって気がしてるんだ」
 言いつつフェイトは、広大な廃墟と化した本部施設を、ちらりと見渡した。
 この破壊をもたらした、巨大な怪物。
 あれと戦うには、強力な装備が必要だ。
「これはまた……ドゥームズ・カルトを潰すために日本支部の精鋭が動いている、とは聞いていましたが」
 同じく廃墟を見渡しながら、ダグラスが感心している。
「ずいぶんと派手になさったものですねえ」
「これは、俺たちがやったんじゃないよ」
 他人が信じるはずのない話を、フェイトはしてみた。
「まあ嘘みたいな話なんだけど……馬鹿でかいムカデが、出て来てさ」
「ほう、それは私も見てみたかった」
 言いつつ、ダグラスが軽く片手を掲げ、人差し指を立てる。
 スーツの袖口から1匹のムカデが現れ、ダグラスの手を這い登り、人差し指に絡み付く。
「ムカデの毒というものはね、スズメバチやサソリと比べて軽く見られがちですが、なかなかどうして侮れないものなんですよ」
「そうかも知れないけどダグ、あんまりそういう事しない方がいいぞ」
 フェイトは言った。
「あんた最近、テレビにも出てるだろ。女性ファンとか多いんだぞ。虫と仲良しなんてのが知られたら」
「そんな事よりフェイトさん。新しい強化スーツを貴方に試していただきたいところですが……そのお身体では、無理のようですね」
「まあ……な」
 息をつきながらフェイトはつい、瓦礫の上に座り込んでしまった。もう立ち上がれない、と思った。
 気力も体力も、限界である。
「ドゥームズ・カルトを潰す……その任務は、達成した。だけど、あんな組織の2つ3つよりもずっと厄介な化け物を……くそっ、仕留められなかった……」
 フェイトの念動力をもってしても、かすり傷ひとつ負わずに悠然と去って行った、列車のような大百足。
 あれを、どうあっても絶命させる必要があるか否かはともかく、放置はしておけない。
「治療のための人材を、連れては来たのですがね……」
「治療、って俺を?」
 本部施設に殴り込む直前、応急処置的な治療をフェイトに施してくれた少女がいる。おかげで、この戦いを乗り切る事は出来た。
 ダグラス・タッカーの伝手をもってすれば、彼女をここへ連れて来る事が、もしかしたら不可能ではないかも知れない。
 フェイトはそう思ったが、
「私の患者は、その人ね……ふふん。見るからに景気の悪い顔をしているわ」
 そんな言葉と共に装甲ワゴンから降りて来たのは、フェイトの知らぬ1人の女性であった。
 ダグに似ている。フェイトはまず、そう思った。
 インド人との混血である若社長とは異なり、純然たる白色人種である。
 フェイトを観察する青い瞳は、しかしダグと同じく一癖ありそうな眼光を孕んでいた。
 しなやかな細身に黒いワンピースを着用し、その上から、ロングコートのようでもある医療用白衣をまとっている。理系の装いが似合う肢体を、艶やかな金髪がサラリと撫でる。
 年齢は若い。フェイトやダグよりもいくらか下、もしかすると未成年かも知れない。
 フェイトは、訊いてみた。
「貴女は……IO2の、関係者の方ですか?」
「エージェントネーム・スフィア。治療のエキスパートよ」
「エキスパート……ですか」
 言ったのは、ダグである。
 スフィア、と名乗った娘が間髪入れず、彼を睨んで言葉を返した。
「何か文句でもあるの? いいからまず、そのムカデをしまいなさい」
「私の友達なのですよ。このムカデも、そちらのフェイトさんもね」
 眼鏡越しの眼差しが、ちらりとフェイトに向けられる。
「彼は私にとって、だけでなくIO2という組織にとっても、かけがえのない人材です。くれぐれも……お医者さん遊びの人形のように扱うのは、やめて下さいよ」
「彼を玩具のように扱っているのはダグ、貴方の方ではなくて?」
 スフィアが言った。
「わけのわからない強化服の開発に、商会のお金を注ぎ込んで! なおかつその実験台に、こちらのフェイトさんを使おうとしているのでしょう?」
 青い瞳が、フェイトの方を向く。
「貴方の事は聞いているわ、フェイトさん。ダグと仲良くしてくれる、数少ない人。親族として、お礼を言わなければいけないわね」
「いえ……ダグラス社長には、良くしていただいてますから」
「何という他人行儀な事を言うのですか、フェイトさんは」
 ダグが、悲しそうな声を発した。
 スフィアが手を伸ばし、ダグの顔から眼鏡を奪い取った。
「日本人の礼儀正しさも、度が過ぎれば罪というものですよフェイトさん。私と貴方、もう随分と長い付き合いになると思いませんか? 私の方は、貴方と打ち解けたつもりでいるのですよ」
「ムカデに話しかけるな。それは俺じゃない」
「うっ……度が進んでいるわね。ダグ、また少し目が悪くなったのではなくて?」
 スフィアが、奪った眼鏡をかけながら美貌をしかめる。
「私が、治療してあげましょうか?」
「そんな恐ろしい事はして下さらなくて結構ですから、眼鏡を返して下さい」
「彼女はあっちだ」
 自分に話しかけてきたダグを、フェイトは無理矢理、スフィアの方に振り向かせた。


 ダグラス・タッカーの、従妹であるという。
 19歳。現役大学生でありながらIO2の委託職員、しかもエージェントネームまで取得している自称・治療のエキスパート。
 そんな彼女にフェイトは今、ダグの言った通り、お医者さん遊びの人形のように扱われようとしているのか。
「あ、あの……一体、何を……?」
「大人しくなさい。医者の前の患者とは即ち、まな板の上の鯉……日本の諺でしょう?」
「そんな諺、ありませんよ……」
 医者、とスフィアは言った。大学生の身分で、すでに医師免許を取得しているという。
 装甲ワゴン内部。簡易寝台に横たえられたままフェイトは今、患者あるいは俎上の鯉として扱われていた。
 うつ伏せのフェイトの背中に、綺麗な片手をかざしたまま、スフィアは首を傾げている。
「貴方……いえ、そんな……まさか……」
「お、俺の身体が何か」
 フェイトは言った。
「変な事があるなら遠慮なく言って下さい。自分で言うのもあれですけど俺……確かに、普通じゃないんで」
「フェイトさん、貴方……もしかして1度、死んだ事がある?」
 死ぬような目に遭った事なら、何度もある。それは別に、自慢げに語るような事ではなかった。
「ごめんなさい。私、本当に変な事を訊いているわね……何と言うのかしら。貴方の身体は1度、生命力の源のようなものを失っている……その直後に、誰か他の人の生命力を移植されている。そうとしか思えないのよ。生命力という言い方が適切なのかどうか、わからないけれど」
「……魂、ですかね」
 魂を失った事ならある。その直後、フェイトに新しい魂を移植してくれた少女がいる。
「凄いな。そんな事、わかっちゃうんだ」
「スピリチュアルな分野も、それなりに勉強したから」
 背中に柔らかな光が降り注いでいるのを、フェイトは感じた。
 スフィアのかざした右手。美しく繊細な五指が、掌が、微かに……だが確かに、光を発している。
「気……ですか?」
「言っておくけれど、ゲームみたいに怪我を治したりは出来ないわよ。新陳代射を高めて回復を早める……私の気で出来るのは、せいぜいその程度」
 淡い気の輝きをまとう繊手が、フェイトの背中をそっと撫でる。
「貴方の身体……その魂? を移植してくれた誰かと、まだ繋がっているわね。生命力を流し込んで無理矢理に治療を行った、そんな形跡が感じられるわ」
「そ……そんな事まで、わかっちゃうのか」
「まあ1度や2度ならともかく。そんな無理矢理な治療では、本当には回復しないわ。貴方の肉体……ボロボロだもの。今まで、随分と酷使してきたようね? 日本人は身体が壊れるまで働く民族だとは聞いているけれど」
 言葉と共にスフィアの指が、鍼の如く背中に突き刺さってくる。
 フェイトは、そう感じた。
「疲労が、沈澱して凝り固まっている……まずは、それを解きほぐすところから始めましょう」
 スフィアの繊細かつ鋭利な指先が、気の光の帯びたまま、フェイトの背中と脇腹の中間あたりを穿つ。そして掻き回す。
 表記不可能な悲鳴を、フェイトは発していた。


 装甲ワゴンの中から、面白い悲鳴が聞こえてくる。
「やられているようだな、フェイトの奴……」
 フェイトの上司が言った。探偵と呼ばれる伝説のエージェントらしいが、ダグに言わせれば、探偵と言うよりは暗殺者だ。
「ああ見えて彼女、腕はまあ確かです。貴方も治療してもらってはどうですか」
 この男が負傷を隠しているのは、見ればわかる。
「フェイトさんに負けず劣らず、忙しく働いていたのでしょう。おかげでIO2ジャパンも……かなり、風通しが良くなったようですね」
 IO2日本支部の幹部・重役が、何人も行方不明になっている。
 探偵と言うよりは殺し屋である、この男が、密かに動いた結果だ。
「日本支部の腐敗は、うんざりするほど根深い……」
 彼は言った。
「あらかた片付けはしたがな。とてつもなく腐った根がまだ何本か、どこかを通って……恐らくは虚無の境界と繋がっている」
 言いつつ、サングラス越しにダグを見やる。微かに、笑ったようだ。
「これほど腐りきったIO2ジャパンを、アメリカ本部や欧州各支部はどう扱うのかな」
「貴方やフェイトさんら現場のエージェントに咎めが及ぶ事はないでしょう。ドゥームズ・カルト壊滅は、貴方たちの功績なのですからね」
 IO2アメリカ本部もしくは英国支部から監査官が派遣され、日本支部を指導する。体制の見直しや人員整理を行う。そんな話も、ダグの耳には入って来る。
「ですがアメリカ本部の方々に、あまり偉そうな事を言う資格はありません。IO2ヨーロッパも、清廉潔白には程遠い有り様です。おかげで私どもタッカー商会が、いろいろと融通を効かせる事が出来るわけですが……まあ要するに、腐敗しているという点においては、どこも似たり寄ったりというわけです」
「我々には関わりのない話だな」
 フェイトの上司が言った。
 フェイトでも同じ事を言うだろう、とダグは思った。
「上層部がどうであれ、俺たちはただ現場で仕事をするだけだ」
「私は思うのですがね……いっそ貴方が、IO2ジャパンの統帥権を握ってしまってはどうです」
「悪い冗談だ」
 探偵と呼ばれる男が、背を向けた。
「フェイトに伝えてくれ。我々に咎めが及ぶ事はない、と言っても貴様は別だ……ペナルティを覚悟しておけ、とな」
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東京怪談
2015年09月30日

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