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『 Innocent 』
ジャミール・ライル(ic0451)


 昔、ジャミールは夏が好きだった。
 冬はひび割れた手足に血が滲んでとても痛いし、疲れ切っていても震えて眠れない程に身体が冷えるから。
 けれどジャミールは冬が好きだった。
 夏はそこらじゅうから嫌な匂いが立ち込めるし、やっと手に入れた食べ物や水がすぐに腐ってしまうから。

 彼は自分が生まれた所が『ヒンミンガイ』ということは知っていた。
 もっとも、知っていたからといって、お腹の足しにもならないのだけれど。

 ジャミールは父親の顔を知らない。
 母親は、彼が物心ついた頃にはとうに寝起きを共にすることはなくなっていた。
 コブツキジャ、ショウバイアガッタリナンダヨ。
 そんな呪文のような言葉を、幼い彼は良く耳にしていた。
 代わりに一緒にいたのは、同じ年頃の男の子たち。
 みんな小さくて、骨が浮き出る程に痩せていて、目ばっかりぎらぎらさせていて、すばしっこかった。
 だから露天からうまく食べ物を掠め取ってきたりして、生き延びられる。
 女の子はほとんどいなかった。
 女の子と、すばしっこくない子供は、いつの間にか消えている。
 年上の子供が『奴隷商人がさらってくんだ』と教えてくれた。でも奴隷っていうのが何なのかは、その子もよく知らなかった。

 いつもジャミール達は、地面に敷いた汚い布の上で眠っていた。
 ボロ小屋から追い出されなければ屋根があるけど、そうでないときは路地裏で。
 屋根がない日は、雨が降ってくると目が覚める。
 みんな文句を言いながら起き上がるけれど、偶に起き上がらないやつもいる。
 大抵そいつは死んでいる。でも珍しいことじゃない。
 彼らの周りでは子供だけじゃなく、大人だって転がってる。
 運が良ければそいつの服とか持ち物とか、偶にはお金なんかが手に入るけれど、大抵はとっくに全部取られた後だ。
 そこでみんなすぐに気付く。
 じゃあ取られる前に、取っちゃえばいいんだ。
 最初は、倒れてまだ呻いている奴から。
 それもうっかりしていると他の子供や大人に負けてしまう。
 だから、取るために自分が倒すようになった。

 なんだかぐにゃりとした感触だけ我慢して、相手が掴みかかる手をうまく避けて。
 もう子供ではなくなったジャミールは、かっぱらいができなくなった代わりに、こうして食べ物を手に入れるようになっていた。



 ある夏の日のことだった。
 その頃ジャミールの背丈は、もう大人と変わらないぐらいになっていた。
 いつもの通り、ふらふらと歩いているちょっと身なりのいい男を見つけて、静かに後をついて行く。
 そろそろズボンも小さくなっていたし、あの服を売りとばせば今日のご飯と着替えが手に入るだろう。そんなことを考えながら。
 いつもの通りに仕留めようとしたのだが、男は酷く酔っぱらっていた。
 運悪く汚物を浴びたジャミールは急いで事を済ませ、悪態をつきながら川へ走った。
 本当は川は嫌いだ。色んなゴミが流れて来るし、濡れた身体は気持ち悪いし、うっかり水を飲んでしまうとお腹を壊して酷い目に遭う。
 それでも今日ばかりは仕方がない。
 そうして身体を洗って、川岸で濡れた服を絞っていたジャミールは、自分をじっと見つめている男に気付いた。

 何が起きたのかよく分からなかった。
 覚えているのは近付いてきた男の猫なで声と、今まで感じたことのない奇妙な感覚。
 男は別れ際に、かなりのお金をくれた。
 気がつけばジャミールは、子供の頃は来てはいけないといわれていた、母親や街のお姐さん達がいる辺りまで歩き続けていた。
 母親の前でその話をすると、みんなが一斉に笑った。そしてひとりのお姐さんが、川で洗った後のジャミールは名前の通りに綺麗だと言った。綺麗だから客が取れると。
 ジャミールは身体を洗ったから綺麗になるのかと思ったが、どうやらそういう意味ではないようだ。

 こうしてジャミールは、相手の命を奪わずにご飯を買うお金を手に入れる方法を知ったのだ。

 ご飯を買うお金だけではない。
 ジャミールは少しずつ、いい物を身につけるようになっていた。
 相手は男のこともあったし、女のこともあった。
 言うことを聞いていれば、服や、帯や、ときには装身具などももらえるようになった。
 そしてそれを身につけているうちに、もっといい物をくれる相手が現れる。
 あるとき出会った金持ちが、酔っぱらったついでにジャミールの手をとって踊りだした。
 少し前までは必要だった体さばきは、その金持ちによると『優雅な身のこなし』というやつになった。
 物好きな男はジャミールを踊りの一座に連れて行った。

 それ以来、ジャミールはヒンミンガイに戻っていない。
 踊りが仕事になってからは、盗まなくても殺さなくても、あるいは誰かの寝床に入らなくても、ご飯が食べられるようになったからだ。
 運が良ければ流し目一つで、いい物が食べられる生活。
 けれど自由はなかった。
 疲れているときにも踊らなくてはいけないし、お腹が空いていなくても呼ばれたら行かなくてはならない。
 欲しい時に欲しい物だけ手に入れていた頃とは違う毎日に、次第にジャミールは飽きていく。



 あるとき、開拓者という存在を知った。
 世界の危機だとか色々難しい話もあったが、とにかくジャミールは開拓者になった。

 話に聞いていた以上に、開拓者には自由があった。
 働きたいときにだけ働けばいいし、偶には遊んでいたりしてもお金がもらえる。
 ぼんやりしていても襲ってきたりしない仲間がいて、眠るだけのために身体をくっつけあったりすることもある。
 それはとても心地の良い日々。
 ジャミールは『幸せ』を知ったのだった。
 そしてずっとこのままでいられたら、と思った。

 穏やかで、明るくて、優しい日々。
 けれど世界はやっぱり、それだけでできている訳ではなかった。
 ジャミールは一緒に笑っている仲間達が、それぞれに深い事情を抱えていることを知った。
 自分の中には強い理想も、世界を変えたいと願う程の何かも見つからなかった。
 あるのはただ、ふわふわと憂いのない日々を送りたいという漠然とした願いだけだ。


 空を見上げる。
 秋が近い空は、何処までも高く澄み渡る。
 ゆらりと伸ばした両手は何も掴めない。
 ジャミールの瞳は空を映して、哀しい程に澄んでいた。

 大きな鳥が飛んで行く。鳥には鳥の目的がある。
 ジャミールは鳥にはなれない。
 それと同じように、自分は本当の意味での開拓者にはなれないのだろう。
 乾いた寂しさと、目の前が開けるような不思議な感覚が心にあった。


 誰かが名前を呼んでいるのに気づいて、ジャミールはふわりと微笑む。
 何事もなかったようにそちらへ向かっていった。
 自分を取り巻く全てをあるがままに受け止め、濁ることなく尚も空を見上げる無垢なる魂。
 泥の中から茎を伸ばし、花開く蓮のように。
 荒波に立ち向かう強さとは違っても、その花の輝きは疑いようがないだろう。

 彼が何処へ行くのか、それは彼自身もまだ知らない。
 ただもう少しの間だけ、この穏やかな日々を仲間と共にと願うだけだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ic0451 / ジャミール・ライル / 男 / 24 / 無垢なるジプシー】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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世界に平和が訪れても、それぞれの人生は続いて行く。
そんなことを思いながら執筆致しました。
『ジャミール』には美しい、良い、という意味があるそうなので、少しそれを絡めて。
お気に召しましたら幸いです。
ご依頼、誠にありがとうございました。
野生のパーティノベル -
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舵天照 -DTS-
2015年10月01日

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