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『夏色の一日 〜一日の始まり〜 』
アリストラ=XXka4264)&クランクハイト=XIIIka2091)&イグナート=Xka2299)&ギョクヤ=XIVka2357)&ルトレット=XVIka2741)&イーター=XIka4402)&エリザベタ=アルカナka4404


 とある夏の日。
 リゼリオ、とある洋館にて。
 控えめに門扉に刻まれた六芒星。それは『懲罰と救済』を掲げる組織の象徴。
 彼らは決して歴史の表舞台に立つことはない。彼らの舞台は歴史の裏側、社会の影……。故にその六芒星の意味を知るものは少ない。
 珍しく洋館に人が集まっていた。皆、六芒星を抱く者達だ。
「海に行きたいなぁ。青い綺麗な海」
 誰かが言い、「そいつはいいな」とまた誰かがのっかる。
「白い海辺の別荘、素敵ですわ」
「愛しい我が子達と過ごす夏の一時……良い思い出になるわね」
「静かな場所でゆっくりするのもいいね」
 いつの間にか話題は『海辺の別荘でバカンス』に。
 皆の話を笑顔で聞いていた男が立ち上がる。男に集まる皆の視線。
「では俺から恋人たちに素敵な夏の贈り物だ」
「……?」
「俺の別荘に皆を招待しようじゃないか」
 片目を瞑る男。ウィンクは露骨に避けれたり、叩き落とされたり、なかったことにされたり、笑顔で受け流されたり様々な反応をされたが海辺の別荘で休暇を過ごす、というのは概ね歓迎された。
 組織のボスから了承も得る。

 ……というわけでほんの一時、任務を忘れ彼らは夏を楽しむことにしたのだ。

● 朝の風景
 夜明けにはまだ早い時間、外も暗く空には星が瞬いている。
 クランクハイトは酒盛りの名残のあるリビングを片付けてから厨房へと向かう。
 昨夜宴会に巻き込まれできなかった掃除の続きを行うためだ。
 かつてどこぞの貴族が夏の間に使っていたという別荘は管理が行き届いており皆で一斉に大掃除というほどでもなかったのは何よりである。
 棚から埃を落とし、食器棚の硝子窓を拭き、調理台を磨く。そして仕上げの床掃除。
 雑巾がけまで終えぐるっと厨房を見渡した。なんとなく屋敷が持っていた余所余所しさが薄れてくる。
 差し込む薄明り。まだ皆寝ているのだろう、物音はほとんどしない。
 聞こえてくるのは寄せて返す波の音ばかり。海鳥もまだ目覚めの時間ではないらしい。
 街の中心部から不便ではない程度に離れているおかげで朝の支度の音も聞こえてこない。
「……近所迷惑にならずに何よりです」
 昨夜を思い出しクランクハイトは軽く額を押えた。ともかく今はこの静寂を満喫しようとカトラリーを磨き始める。
 ここの持ち主だった貴族は客を招くのが好きだったのだろうか、やたらとその数がある。それを一本ずつ磨いて律儀にテーブルの上に並べていく。長い事使われず曇っていたそれらが磨かれ元の輝きを取り戻していく様は中々の達成感だ。
「煩い方々がいないと仕事も捗るというものです」
 一通り磨き終えたところで満足気に息を吐き、額の汗を拭う真似をする。
 次は食器だ、と棚から取り出していると厨房にもう一人やって来た。
「おはようございます。イーターさん」
「おはよう。  ……寝てないのか?」
 顔を覆う黒い包帯のせいで細かい表情まではわからないがイーターが僅かに眉を顰めたのが伝わる。威圧感のある見た目とは裏腹に面倒見が良いのだ。
「明け方の海というのも素敵ですよ」
 しかしクランクハイトは曖昧に笑って誤魔化す。
 開け放した窓から入り込む風、潮の香りに外を見れば空は夜の群青から次第に透明度を増してきている。
「確かに悪くはないな」
 何か言いたげな視線を寄こしはするがイーターもそれ以上は踏み込むことはせず、昨夜仕込んでおいたパンの生地を取り出した。
「パンまで焼くのですか?」
「焼きたてのほうが美味しいだろう」
 自家製オレンジジャムを持参してきたイーターは別荘滞在初日から厨房の主だ。その手際は見事の一言に尽きる。『パワー』という名には似つかわしくない繊細な仕事だ。
 パイシートを敷いた皿に夏野菜を混ぜた卵液を流し込みトマトで飾りパンと一緒にオーブンに。同時にカボチャを茹でてクリームと混ぜて裏漉し、昨日の夕食の際多めに作っておいたラタトゥイユと生米をグラタン皿に入れチーズを乗せる。
 一通り朝食の準備を終えたイーターは紅茶を煎れトレイにセットした。
「イグナートのところですか? バカンスにまで仕事を持ってきて。熱心なことです」
 そういえば夜通し部屋の灯りがついていた、と酒盛りの喧騒にも負けず一人部屋に篭って書類を片付けていた同僚の姿を思い出す。
「お前もな、クランクハイト……」
 言外に少しは休め、と滲ませるイーター。
「私は貧乏性なんですよ」
 おどけた仕草でクランクハイトは返した。イーターが自分の不摂生を心配しているのは承知している。
 だが実際クランクハイトは睡眠どころか食事すら大して必要としない体なのだ。故に皆が眠っている時間、手持無沙汰に過ごすのも落ち着かず動き回っている。自分としてはそんなに心配してもらうほどのことではないのだが、なんとなくイーターには強く出ることができずにいた。
 二階のイグナートの部屋へ行ったイーターと入れ替わりでエリザベタが厨房にやって来る。何かを、いや誰かを探して入口できょろきょろと中を伺っている彼女にクランクハイトは「おはようございます」と挨拶を送った。
 棚の影でクランクハイトに気付いていなかったエリザベタは一瞬驚いてから声を主を確認しあからさまにほっと胸を撫でおろす。
 誰かお探しですか、とは尋ねない。誰を探していたなかんて聞かなくてもわかるからだ。
「おはよう、愛しい我が子」
 輝く薄鼠色の髪をなびかせゆっくりと厨房に入ってくる姿はとても先程と同じ人物には見えない。
 それにしても、とクランクハイトは苦笑を零した。『女帝』たる彼女にとって組織の者は皆『愛しい我が子』である、という理屈はわかる……わかるのだが、いい大人であるクランクハイトのことも『我が子』扱いは勘弁してもらいたい。
 お湯を沸かしお茶を煎れるとエリザベタもイーターと同じくトレイに乗せて持っていこうとする。ちなみに目的の相手も同じだ。
 クランクハイトは預言者ではないがこれから起こることを当てる自信があった。
「……足元に気を付けてくださいね」
「えぇ、クラン、お気遣いありがとう」
 かくしてクランクハイトの予想通り。彼女の足音が聞こえなくなりしばらくしてから……。
「イーター貴方またっ!」
 屋敷内にエリザベタの絶叫が響き渡る。
「……痴話喧嘩も夫婦喧嘩も、見る側は楽しいんですけどねぇ」
 今のが目覚ましとなり皆起き始めるだろう。クランクハイトは磨き終えた朝食用の食器を並べ始めた。

 ギョクヤの朝は早い。起きたのはイーターとほぼ同時刻。夜も明けきらぬうちだ。
 だがすぐには動くことはできず、しばらくベッドの上でぼんやりして頭にある程度血が回って来るのを待つ。
「ぅ〜……」
 低い唸り声、半分閉じた目。目が暗がりに慣れてくると漸くベッドから起きだし、寝間着から着替え始める。海辺の別荘だからといって浮かれた格好はしない。いつも通りシャツにネクタイを締め、白衣に手袋。
 そして着替えが終わると、自宅から持ってきた愛用のモップを手に取った。……手に取る前にテーブルに躓いたり、壁にぶつかりよろけたりしたが。
 此処までほぼ無意識だ。毎日やっていることを半ば自動的に体が繰り返しているといって良い。よっていつもと違う部屋で起きればあちこちぶつかるのも仕方ない。
 ゴン!!
 盛大な音を立てて扉にぶつけ、赤くなる額。しかしそれを気にもかけずギョクヤは廊下に出てモップをかけ始めた。
「魔導清掃装置……一号行くぞ……」
 まだ存在はしない研究中の魔道清掃装置(リアルブルーでは掃除機と言う)に話しかけているところをみると意識はまだ夢の中なのかもしれない。
 ギョクヤは朝が早いわりに朝に弱い。それはもうかなり。組織内で朝に弱い選手権をやれば殿堂入りできるのではないかと自負するほどに。
 だからこそ朝は誰よりも早く起きる。掃除である程度、頭をはっきりさせるために。
 モップを動かし通るイグナートの部屋の前。扉の隙間から光が漏れている。夜通し仕事をしていたということだ。
「せっかくだ、はねをのばせばいいのにな……」
 内容はともかく口調はふわふわだ。
 右にふらふら、左によろよろ……蛇行しつつも隈なく掃除をしていくのは潔癖症の為せる技だろうか。
 階段手前でカップを乗せたトレイを持ったイーターとすれ違った。ギョクヤの妹分エリザベタをからかって遊んでいる人物だ。自然と道中彼がエリザベタを揶揄っていた光景が浮かぶ。
「ふ……ふふ……弄られて怒る姿も可愛ぃ……なぁ」
 事あるごとにイーターにからかわれては表情をくるくると変えるエリザベタは可愛かった、と口から洩れる締まりのない笑み。
「ギョクヤ……そこ階段だぞ」
 潔癖症のギョクヤを慮り手は出さず指摘だけに留めてくれたイーターに向け「グッジョブ」そんな意味を込めサムズアップを返す。
「ならば、いい」
 多分何に向けての「グッジョブ」かは伝わってはいないだろう。

 自室の椅子の上、イグナートが大きく伸びをすると背骨がボキボキっと音を立てた。長時間書類仕事をし過ぎたらしい。背中がガチガチに硬い。
 そういえば目もぼやけて文字が二重に見える、と軽く目頭を揉み解す。目を閉じても、書類にある数値や文章が浮かんできた。
「少し根を詰めすぎたでしょうか」
 情報屋として各地を飛び回るイグナートはデスクワークを後回しにしてしまいがちだ。なのでまとめて休日をとることができた今回、一気に片付けてしまおうと思っていた。それは休日とは言わないという反論は受け付けない。
「……誰かさんに見られたら、強制的に休養を取らされてしまいそうですが……」
 世話焼きの顔がちらちら瞼の裏に浮かぶ。
「休憩、だ……」
 まさしく今思い浮かべた人物、イーターがノックとともにトレイ片手に部屋に入ってきた。
「有難う」
 紅茶の入ったカップが傍らに置かれる。普通の茶葉になにか混ぜているのだろうか柔らかい香りが湯気とともに立ち上がってきた。
「今日の朝食はなんでしょう?」
「かぼちゃのスープに、夏野菜のキッシュ……」
 なんということもない会話を交わしていると、コンコンと軽やかなノック音が響く。
 新たな客の正体をイーターは知っていた。
「折角の別荘よ。少しやす……」
 柔らかい笑顔とともに扉を開けたエリザベタは部屋の中に大切な幼馴染であるイグナート以外の姿を認め瞳が零れ落ちそうなほどに目を見開く。
「……い、い……」
「おはよう、リザ」
 口をパクパクさせるエリザベタに対してイーターは涼し気な顔だ。
 顔を合わせるたびに自分を揶揄っては遊ぶ、ただでさえ気に食わない相手に朝から出会ってしまった。それだけではない。エリザベタはデスクの上に湯気を立てているカップを見つける。
 仕事を頑張っている幼馴染への労いのお茶……それが先を越されたのだ!! イーターに!!
 エリザベタの頭からは今がまだ皆が寝ている早朝だということが抜け落ちていた。
「イーター、貴方またっ!」
 かくしてエリザベタの絶叫は早朝の別荘に響き渡ったのだ。

 のそり、とアリストラはベッドの上で身を起こした。目覚めたばかりだというのに眉間には皺が寄っている。
 エリザベタの声、それに続く喧騒は眠りの浅いアリストラに覚醒を促すには十分だ。
「……元気な奴らだな……」
 呆れと不機嫌さの混ざった声で吐き捨て、顔にかかる赤い髪を掻き上げた。なんだって若い奴らの無駄な元気に自分が巻き込まれなくてはいけないのか、というところだ。
 しかもカーテンを開けたままの窓から見える空はまだ朝日が昇り始めたばかりとくれば、眉間の皺が一層深くなっても仕方のないことだろう。
 サイドボードに手を伸ばし煙草を掴んだ。咥えた一本に火をつけ一息。薄明りのなか、昇る白い煙。
「ま……起きるか」
 煙草を灰皿に押しつけると、椅子に掛けっぱなしだったシャツを手にとる。
 二度寝するほどの眠気でもない。しかもまだ喧騒は続いている。本当に若者とはなんて無駄に元気なものなのか。
「……言いたくはないがな」
 最近の若者ときたら、そんな有史以前から使われているだろう常套句を口に乗せてから「ん?」と気だるげに首を傾げた。
「そーいや、アイツはそんなでもないか……」
 この騒動の原因の一人であろうイーターは正確なところは不明だが自分と近いはずである。
「ガキ揶揄って遊ぶのもたいがいにしろ……ってな」
 此処にはいない同僚へぼやく。

 うとうとしたかと思えばすぐに目覚めてしまう。枕が変わると眠れない。羊の代わりに波の音を数えてみたが意味はなかった。睡魔の怠慢さには呆れるばかりだ。
 右を向いて、上を向いて、左を向いて、時にはうつ伏せて、ルトレットは夜の間中ずっと寝返りを繰り返す。
 そうしてようやく浅い微睡みが自分を包み込んだのは明け方。しかし今日のルトレットと睡魔の相性は最悪らしい。エリザベタの声に驚いた睡魔はあっという間に逃げ出してしまった。
「……ぅっ  ぐ……」
 頭までブランケットを被ったままもそもそと起き上がり、ベッドの上に座る。不機嫌そうに下がる口角。
「……うるさい……」
 中性的な優し気な顔立ちに似合わない掠れ気味な低い寝起きの声。寝不足でしばしばする目を擦る。声の出どころは自分が宛がわれた部屋の近く、イグナートのところだろうか。
「何時だ、と……」
 瞼が重たい、ついでに頭も重たい。着替えるのも面倒だ。ごくごく控えめな抗議とともにローブだけ寝間着の上に羽織ると部屋から出た。
「あ、れ?……今更……」
 数歩歩いたところで睡魔が戻ってきた。どうせならベッドの上にいるときに戻ってきてくれれば良かったのに、と恨めく思いながら、ルトレットは廊下の手すりに寄りかかる。
 意識をふわりと覆う薄いヴェール。硬いはずの手すりが上等な枕に思える魔法。
 ああ、もういっそ……このまま寝ても……。

 トレイを持つ手がわなわなと震える。
「これは……どういうこと?」
 冷静に、冷静にと自分に言い聞かせるが成功している様子はない。エリザベタの声は怒りで上ずっていた。
「見ての通りだ、が?」
 何か問題でも、と空っぽのトレイをひらりと振る仕草のなんと憎たらしい事か。エリザベタは眦をあげイーターを睨みつけた。
「夜通し仕事をしていたらしいからな。休養は必要だろう」
 エリザベタの視線に悪びれる様子もない。
 わかっている、そうずっと仕事をしているイグナートには休息が必要。だからこそエリザベタも彼のためにお茶を煎れ、甘い菓子も用意したのだ。
 彼に少しでも休んでもらいたい。無理をしないでほしい。そのために早起きだってしたというのに……。そう考えていたらなんだかとても悲しくなってきた。
「何も、貴方が持っていくことないじゃない」
 肩を落としたエリザベタは唇を尖らせる。
「甘いものは頭を使った後には嬉しいだろうな……」
 エリザベタの頭に乗せられた大きな手。
「そう……かしら?」
「俺はそこまで気が回らなかった」
「えぇ、そうよね、甘いものは疲れにいいわよね」
 少しばかり気を良くしたエリザベタが怒鳴ったのは八つ当たりだったかしら、と反省しかけた直後……。
「……っ」
 八つ当たりではなかったことを確信した。イーターの口元に刻まれている自分を揶揄うときに浮かべている意地悪な笑みをみつけたのだ。
 目が合うと耐えきれないとでもいうようにイーターは「クックク」と肩を震わせる。
 わざとだ、絶対わざとやったに違いない。
「撫でないで頂戴!」
 エリザベタがイーターの手を跳ねのけた。
「パワー、少し虐め過ぎですよ」
 エリザベタが続けて怒鳴ろうと深呼吸をしたタイミングで事の次第を見守っていたイグナートが仲裁に入る。
「俺は朝食の準備に戻る。イグナート、仕事もほどほどにしとけ」
 イグナートとエリザベタに手を振り部屋を出ていくイーター。厨房のある一階へと降りる途中、一度イグナートの部屋を振り返った。
 黒い包帯の合間から覗く、鋭さを含んだ双眸をふっと和らげる。
 揶揄われて怒るエリザベタは一生懸命威嚇する子猫のようでとても可愛らしい。
「それを言ったら……」
 これどころの騒ぎじゃないだろうが……。
 すぐに視線を正面に戻すと階段を下りていく。

 紅茶と菓子をテーブルに乗せたエリザベタは無言で部屋の隅に置かれた椅子に着く。
 俯いているせいで表情は見えないが、そこは幼馴染。眉尻を下げてしょんぼりしている顔がイグナートの脳裏に浮かぶ。
 彼女の持ってきた焼き菓子を一口食べてから「リザ」と優しく名を呼んだ。
 第三者がいるときは『エンプレス』と役職名で呼んでいるが二人きりの時は名を呼ぶことにしている。
「お気遣いありがとうございます。美味しいですよ」
 だがエリザベタはトレイを胸に抱き黙り込んだままだ。これは相当拗ねている、と幼馴染の直感が告げた。
 さて、どうしようかと思案していると「……イグに」と小さな声。
「イグに休憩してもらいたかったの……」
 トレイと一緒に膝を抱え込む。妹のように可愛がっている幼馴染の気持ちはとても嬉しい。イグナートは書類を引き出しにしまう。
「では…少しお散歩でも如何ですか?」
 彼女のそばまで行くと手を差し出した。
「お散歩? 是非。イグの誘いなら何だって……」
 顔を上げたエリザベタは大きく瞬きを一つしてから、嬉しそうに微笑んでイグナートの手を取る。
 しょげている姿も可愛いが、やはり幼馴染には笑顔が似合う。

 食堂へと向かう途中アリストラは投げ出された長い脚に行く手を阻まれた。手摺から半ばずり落ちそうになりながらうたた寝しているルトレットだ。時折、手摺を掴みなおしているところをみると夢現といった状態だろうか。
 上半身は手摺に下半身は廊下に。なんとも腰に負担がかかりそうな姿勢だ。
 ふむ、と顎を押えて見下ろす。普段は一つに結ばれた髪によって隠れている項の六芒星が今は全開だ。
 「塔の」と声をかけてみたが反応はない。
「室内で行き倒れるとは、器用な奴だな」
 そんなにいい夢をみてるのか、と冗談交じりに呟いてみたが寝顔はどちらかというとあまり楽しそうではなかった。一体どんな夢をみてるのだろう。
「さてと……」
 部屋に戻すべきか、連れていくべきか。階下から上がって来るのは焼きたてパンの良い香りだ。
 飯を食えば頭も覚醒するだろう、とローブを掴むと問答無用でジャガイモの詰め込まれた麻袋のように肩に担ぎあげた。
「……?」
 流石に目覚めたのかルトレットが身じろぐ。
 暫く状況が把握できていないようだったが、自分がアリストラに担ぎあげられている事実を知ると「……離して下さい」ともぞりと蠢いた。
「……1人で、歩けます」
「抱えられたまま、屋敷一周されたくなけりゃ大人しくしてな」
 赤い髪越しに自分を見る隻眼にルトレットは黙り込む。ルトレットにとってアリストラは少しばかり怖い相手である。
「とりあえず、朝食だ。付き合え」
「食欲……ない……」
 それがルトレット最後の言葉となった。
「……寝る子は育つっていうが、これ以上育ってどうすんだか……」
 すでに自分より背の高い青年にアリストラはやれやれとぼやく。
 そんなアリストラの前をふらりと横切る白衣の人影。ギョクヤである。
 常に自分を律している男にしては珍しく、足取りが覚束いていない。それでも廊下をモップがけしているのは彼らしい。
「アリストラに……ルトレットか……」
 白衣を揺らし振り返ったギョクヤは目の前にいきなり逆さまのルトレットがいるというのに驚いた様子はない。ああ、こいつも半分寝てるのか、とアリストラは思う。
「昨夜は早々に部屋に閉じこもって……心配したぞ。もっと楽しめ……」
 ぽんとルトレットの頭を軽く叩くギョクヤ。ルトレットが知ったらきっと驚くことだろう。
「アリストラ……ルトレットを……」
 言いかけて途中で満足したのか再びモップ掛けを始めたギョクヤは今度はふらふらと柱に向かって突っ込んでいく。
「……どいつもこいつも」
 手間のかかる、とアリストラは容赦なくギョクヤの白衣の襟首を引っ掴んだ。ギョクヤは少年のような見た目をしているが実際のところアリストラと年代が近い。例えばこれがアリストラを含めた組織に属する者全てを恋人だと言う男や、比較的新参の軽薄な中年男だったら見捨てていたかもしれない。だがギョクヤに関してはつい世話を焼いてしまうのだ。
「節制の、お前も食堂だ」
 行くぞ、と軽く引っ張ればモップを掴んだままギョクヤはアリスの後に続く。

 朝日に照らされた波が黄金色に輝く。
 脱いだサンダルを手にエリザベタはリズミカルに浜辺を歩く。指の合間から流れる砂のくすぐったさに笑みを零しイグナートを振り返った。
「とても素敵なところね、イグ」
 引く波を追いかけ、戻す波から逃げる、波と戯れるリザの白いワンピースがイグナートの視界の中でひらひらと踊る。
「はしゃぎすぎて転んだりしないでくださいね」
 揺れるエリザベタの手をイグナートが支える。
「大丈夫よ」
 波を蹴り上げるほっそりとした爪先。飛沫が朝日に反射してエリザベタを彩った。
 波打ち際に二人の足跡が仲良く並んで続く。
「星砂を知っていて?」
「有孔虫の殻のことでしたら」
「……男の人って夢がないのねぇ」
 エリザベタが「ギョクヤ兄様も同じような事を言ったのよ」と唇に人差し指を当て軽く眉を寄せた。
 公の場所ではギョクヤのことを「兄様」と呼ばないようにしているエリザベタだが、今は幼馴染のイグナートと二人きり。素に戻っていた。そしてそれに本人は気づいていないらしい。
「もう少し先の浜辺に行くと星砂があるんですって……」
 そこで黙る。先程まで楽しそうだったはずの表情が曇り、どこか面白くなさそうに唇を尖らせた。
「……昨日イーターが教えてくれたの」
 あぁ、とイグナートが内心納得する。エリザベタはどうにもイーターを前にすると自分のペースを乱されてしまいがちだ。
 折角機嫌が直ってきたというのに。今朝もエリザベタが来ることを見越してお茶を準備してきたであろう彼に向けて「まったく」と零した。ついでに「リザさんの手綱は握っていてくださいね」とわざとらしい溜息を吐くメガネの顔も浮かぶ。多分後で今朝のことについてメガネから一言、二言あるであろう。
「リザ……」
 握った手を軽く引いて、彼女の注意を自分に向けた。
「朝食後に少し寝たいので……一緒にどうですか?」
「えぇ、勿論。 私の部屋はどうかしら? ベッドも大きいし、窓から心地よい潮風が入ってくるのよ」
 ぱっと表情を輝かすエリザベタ。ご機嫌取りはどうやら上手くいったらしい。

 食堂にやってきたアリストラ一行を出迎えたのはそのメガネ……いやクランクハイトだ。笑顔で三人に挨拶を送る。
「おう。騒々しい朝だな」
「騒がせたようですまない」
 ルトレットを肩から降ろすアリストラにイーターが詫びる。
「……おはよう、ございます」
 漸く地に足を着けることができたルトレットがまだ半分眠っているような声で頭を下げる。そのままテーブルに頭をぶつけてしまいそうになるのをアリストラが止めた。
「いつから俺は保父になったんだ?」
 ルトレットを椅子に座らせるとアリストラも席に着く。別荘にいる全員が着席してもなお余る長いテーブルの端を選んだのは朝食の喧騒を避けてのことかもしれない。
「ギョクヤ君は此方ですよ」
 テーブルを通り越してふらふらどこかに行こうとするギョクヤの腕を取ってクランクハイトが席に着かせた。モップは彼の席の後ろに立て掛ける。
「ふえっくしゅ!」
 食堂に響くギョクヤのクシャミ。
「猫の毛をつけて近寄るな」
 近くの紙ナプキンで鼻を押えるギョクヤは猫アレルギーだ。そしてクランクハイトは無類の猫好き。今もイーターの手伝いが終わってから近くにいる猫と戯れて戻ってきたばかりである。
「あの魅惑的なモッフモフを堪能できないとは……」
 なんと不憫な、人生の半分損していますよ、とクランクハイトはわざとらしく天を仰いだ。
 アリストラの前に差し出される新聞と煎れたての珈琲。
「あぁ、済まないな」
 イーターが軽く頷いた。
 欲しい時に欲しいものを差し出せるというのは相手のことをよく観察している結果。それは日常ではこうした気遣いに現れ、戦闘となると此方の動きを的確に読んでくる厄介な相手ともなる。おかげでイーターはアリストラにとって良い訓練相手だ。
「……あまり、食欲が……ありません……」
 アリストラに言ったことと同じことをルトレットがイーターに告げている。
「そうか。だが何か腹に入れとかないと体に悪い」
 スープとリゾットを皿に取り分けイーターは紅茶とともにルトレットの前に置く。
「一口ずつでも良いから食べろ」
 念を押されてルトレットは素直に頷いた。
 まもなく他の者達も食堂へと姿を見せる。
「予定より30分ほど早く起こされたのだが……」
 銀の懐中時計を片手に不機嫌を絵に描いたような表情を浮かべた男。
「おはよう。愛しい恋人たち。朝の珈琲を共に飲めることは至上の喜びだ」
 朝も早いというのに常と変わらない様子で両手を広げる男。
「なぁ、だれか、おいちゃんのジャケット知らな〜い? 夏物の一張羅なんだけど」
 その背後から現れた欠伸を噛み殺し腹を掻く赤毛の男はまだ眠たそうだ。
「なぁに、立ち止まってンだよ」
 後ろがつかえてんだ、と二人の男を蹴り飛ばして登場した青年。
「おやワンコさんの朝の散歩は終わったのですか?」
「誰がワンコだぁっ!」
 吠える青年にクランクハイトが「そういうところがですよ」とイイ笑顔。
「今日買い物行ったら、甘いものが食べたいなぁ〜」
 橙の髪を跳ねさせ少女が軽やかに席に着いた。
「買い物に行くなら買ってきて欲しいものがあるのだが」
「それは俺が承ります」
 真面目そうな青年がイーターに名乗りを上げる。
 最後にイグナートとエリザベタが食堂に姿を現した。
「おはよう」
 エリザベタに気づいたギョクヤはふにゃりと相好を崩した。常からは予想できない無防備な笑顔だ。
「おはよう御座いますギョクヤに……」
 思わず兄へと一歩踏み出しそうになったのをエリザベタはギリギリ堪える。そしてイグナートが皆に挨拶をしている間に深呼吸して気持ちを切り替えた。
「おはよう、愛しい我が子達」
 そしてやり直し。今度は慈愛を湛えた笑みを浮かべ一同を見渡すことに成功。
「朝から高い声はきついぜ……」
 アリストラが新聞から顔を上げ、軽く肩を竦める。
「だってアリス。お邪魔虫がいたのよ」
 誰とは言わないけど、とちらりとエリザベタがイーターへと投げる視線。皆に珈琲や紅茶を出すイーターは「何のことだか」と恍ける。
「仕事は、もう……?」
「仕事も終わりましたし、僕も少しゆっくりしますよ」
 尋ねるギョクヤに答えるイグナート。
 そうして一同揃い、賑やかな朝食が始まった。

 「お散歩してきましたの」嬉しそうに報告しているエリザベタを見つめるギョクヤはパンを齧りつつ表情が緩みっぱなしだ。時折パン屑を零しているのはご愛嬌。
 そのパン屑を人知れず片付けるイーターはエリザベタの前にこっそりとピーチパイの皿を差し出す。
「……イーター?」
 訝し気に首をかしげるエリザベタ。朝の詫びだが、そのことをイーターは口にしない。言葉にすればエリザベタがまた拗ねてしまう可能性もある。
 エリザベタは改めてピーチパイを見る。瑞々しい桃がとても美味しそうだ。そもそもイーターの料理は美味しい。悔しいがそれは認めざるを得ない事実である。
「……ピーチパイに罪はありませんし」
「偉大なる母の慈愛に感謝だ、な」
 冗談めかした口調にエリザベタの双眸が剣呑な光を宿したのを見て、イーターは早々に退散した。
「……あまり可愛い妹を苛めてくれるなよ」
 イーターに釘を刺すギョクヤは苦言を呈すというよりは可笑しそうに肩を震わせている。
 サクリとパイ生地を崩して一口。美味しい、と目を丸くするエリザベタにイーターはわずかに目を細めた。
(それにしても本当に珍しいですね)
 イグナートはつい正面に座るルトレットを見てしまう。高い背を丸く縮こませているのは隣に座る潔癖症のギョクヤに気を使っているのだろう。
 ルトレットは引き籠りと言っていいほどに普段表に姿を現さない。そんな彼が真夏の海辺の別荘に来たのはどういった風の吹き回しだろうか。
 もそもそとラタトゥイユリゾットを食べては先程からあまり量が減らない皿にルトレットはしきりに首を傾げている。
 スプーンに掬う量も少ないというのもあるが、一番の原因はギョクヤとは反対側のルトレットの隣に座るクランクハイトだ。
 先程からクランクハイトがルトレットの隙をついては自分に給仕されたリゾットを彼に皿に移しているのだ。
(あのメガネときたら……)
 何をしてるんですか、と視線に込めれば「シィッ」とクランクハイトが唇に人差し指を充てる。まあ、ルトレットがちゃんと食事を摂るのは良いことだろう、とそこは見逃すことにした。
 イグナートの視線に気づいたのかルトレットが食べるのを止め、前髪の間から伺う。少々不躾でした、と反省したイグナートは穏やかな笑みを浮かべた。
 聖職者として申し分のない穏やかな笑みだ。しかしイグナートにあまり慣れていないルトレットはいきなりの笑みに戸惑ったように視線を泳がす。外に出ることの多いイグナートと引き籠りのルトレット、普段接点がないために緊張しているのだ。
 その緊張を悟られないように紅茶のカップを両手で掴む。
「パワーの料理は美味しいですよね」
「……不味くはない、です」
 少しの沈黙の後、消入りそうな声が返ってきた。消極的肯定だが実際美味しいと思っているのだろう。ルトレットは何やかんや言いつつクランクハイトの分まで完食した。
 クランクハイトは野草を少々摘めば一日の食事は事足りる。だからリゾットはルトレットに任せあとは皆の食事に紛れお茶だけでやり過ごすつもりだった。しかしそうはイーターが卸さない。
「食べているのか?」
「勿論です。ほらリゾットも完食したでしょう」
 得意そうに綺麗になった皿をみせるクランクハイト。
「デスサイズは自分の分をタワーにあげてましたよ」
 そこにイグナートの告げ口。
「なんてことを言うのですか、イグナートさん!」
 声を荒げるクランクハイトの隣で真実を知りひそかに目を瞠るルトレット。
「何も無理に食べろとは言わない」
 と言いつつ、袖の下よろしくイーターはススっとクランクハイトの前に皿を進めた。
「ですから私はもうお腹一杯で……ってこ、これは……」
 差し出された皿にクランクハイトが言葉を失う。
「こんな可愛いの余計に食べられないじゃないですか!!」
 そこにあるのは、可愛い猫型パンだ。
 これを食べるなんてとんでもない! とばかりにクランクハイトは首を振る。
「お前がこれを食べないというのなら……」
 イーターの視線の先にいるのは……
「俺に何か用かな?」
 バチコォンと音がしそうな濃いウィンクを寄こす男……。
「……ぐっ。アレに食べられるというのであれば……」
 この別荘の持ち主であり、今回の旅行の出資者でもある男を『アレ』呼ばわりだ。
「……私が、食べます……っ」
 クランクハイト、猫型パンを前に陥落。
 ルトレットは静かに息を吐いた。
 なんとなく胃が重たいのは二人分食べたからだろうか、ルトレットはゆっくりと胃の辺りを手で押さえる。
 それとも……。
 仕事以外で大勢の人と交わることなどあまりないのでつい周囲に様子に圧倒されてしまう。
 年齢を越えてわいわいとやり合う組織の同僚たち。こうした場はあまり得意ではないが、この空気に憧れる気持ちがないといえば嘘になる。
(でも……)
 この輪に加わっている自分を想像するのは難しい。
「ルト、お腹が痛いのかしら?」
 エリザベタの声にルトレットは我に返る。
「……いいえ」
「そう? 無理はしないでね。それにクランのこと怒ってもいいのよ」
「はい。   無理は、  しません……」
 俯くルトレットの横顔をギョクヤは見つめる。この頃にはだいぶ頭が覚醒していた。
 孤立しがちなこの青年のことは以前から気にはなっていた。だが彼はギョクヤとあからさまに距離を取ろうとしているので、声をかけるタイミングが難しい。
 しかし悩んでいても始まらない。折角隣に座ったのだ。
「念のため薬をやるから飲んでおくと良い」
 集団の中では常識人枠に入るギョクヤは旅行にも愛用のモップだけではなく常備薬も持ってきている。知らない街で知らない医者が処方した薬など精神衛生上あまりよろしくない。
「大丈夫、ですから……」
 だが断られるとしつこく勧めてももいいものかと考えてしまう。相手だって子供ではない。
「飲んでおけ、体調管理も仕事のうちだ」
 此処でアリストラの援護が入った。
「……ぅ」
 ルトレットは小さく唸ってから「では」と頷く。
 席が離れているというのに相変わらず面倒見の良い男だ、とギョクヤは視線で礼を述べた。アリストラが広げている新聞が一度だけ揺れる。

 食事を終え、街に出る者、海に行く者それぞれ三々五々に散っていく。
 最後に残ったのは片付けをしているイーターと新聞を読んでいるアリストラだ。
「今日の予定は?」
「そうだな……騒がしいのが外にいるうちにゆっくり休むさ。どうせ夜もまた同じだろうしな」
 読み終えた新聞を畳んでテーブルの上に置いてアリストラが立ち上がる。
「どこかに行かないのか?」
「休暇ってのは休むもんだろ」
「……だな」
 言っているそばから玄関が騒がしい。
 二人は顔を見合わせる。
 海辺で過ごす休暇はどうやら賑やかな日々になりそうだ。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
アリストラ=XX(ka4264)
クランクハイト=XIII(ka2091)
イグナート=X(ka2299)
ギョクヤ=XIV(ka2357)
ルトレット=XVI(ka2741)
イーター=XI(ka4402)
エリザベタ=III(ka4404)

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
ご依頼ありがとうございました。桐崎です。

海辺の別荘で過ごす夏休みのとある一日の幕開けとなります。
此処から始まる一日が皆さん楽しめるものになっていれば幸いです。

イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。
野生のパーティノベル -
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ファナティックブラッド
2015年10月14日

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