『めぐる夏の日 』

百目鬼　揺籠（jb8361）＆秋野＝桜蓮・紫苑（jb8416）

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　遠く近く蝉しぐれ。咽る草原の香り。
　どこか褪せた色の陽の光を浴びて、顎を伝う汗を拭うことなく、青年と少女は丘を登る。
　時折、生ぬるい風が吹いては足元の草を揺らした。

　季節は巡る。時は流れる。
　流れ流れ、移ろい変わり、それでも。
　土の下に眠る『者』は、変わることなく眠りつづける。ずっと、そこに居る。
　
「はー。……まさか、こうして盆時期に『墓参り』たぁねえ」

　百目鬼　揺籠は金の双眸を微かに細め、自嘲した。
　それから傍らを歩く秋野＝桜蓮・紫苑の視線に気づき、『なんでもねぇやい』と口の端を歪める。
　紫苑の腕には、色とりどりの花が抱かれていた。



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　揺籠の母が亡くなったのは、幾つもの時代を遡った先のこと。
　どんな顔をしていた？
　声は？
　触れる、手の温度は？――……
　全てが、今は遠く。覚えているような気もしたし、それは思い出の中で脚色されているのかもしれなかった。
　揺籠自身が、長く長く生きてきた。
　ただ、母を喪ったあの日の、あの時の、心にぽっかりと穴が開いた感覚だけは今も消えずに生々しく残っている。
　『人』だった最後の記憶を辿り、揺籠は進む。
「この辺ですかねぇ……」
　遠い遠い昔に作った墓碑は、今は無い。
　丘の周辺は住宅街となっており、蝉しぐれに車の音が混じる。
　それでも『此処だ』と判ったのは、地形に大きな変化が無かったから。
　母という人が愛した場所は見晴らしがよく、その思いだけは多くの人間も共有したということだろうか。
「……全く可哀想な人ですよ」
　揺籠は片膝をついて、紫苑から受け取った花を手向ける。
　仏花ではなく、美しい季節の花を。四季の息吹を感じられるものを。淡く優しい香りが届くように。
（愛した男は戻って来ず、産んだガキのせいで周囲にきみ悪がられ……）
　久遠ヶ原風に分けるのであれば『天使』という種族の父と、彼に魅入られた人間の女性たる母の、甘い話など揺籠は知らない。
　母は父を待ち、揺籠の左半身に浮かぶ百眼の紋様が良くない噂を立てた。はっきりしているのは、それだけだ。
「かわいそう？」
「だぁれにも、助けてもらえなかった。助けてやれなかった……」
　紫苑の問いに、揺籠がかぶりを振る。
　母一人、助けてやれなかった……罪悪感は胸の辺りに重く留まったまま。
　彼女が晩年を迎える頃には、揺籠にも状況が朧げにわかり始めていたというのに……せめて、その心を救ってあげられていたら。
　何もできなかったと悔いる気持ちは、幾百の時を重ねても褪せることはない。



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　百目鬼の兄さん。せっかくの休みだってのに、どこ行くんでさ？
　――面白いところじゃねぇですよ、墓参りだ
　墓参り？　だれのでさ？　だれが死んじまったんで？
　――とうの昔におっ死んだ母親で。……面白くもなんともない、暑い場所でさ
　おかーさん……？
　――……紫苑サンも、一緒に来ますか？

　その時の揺籠は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
　いつだってそうだ。紫苑へ昔の話をしてくれる時、揺籠はどこか泣きそうな顔をしている。
　そんな時、彼女は彼を、放ってはおけない。
　鬼に生まれてわずか七年の紫苑が、百倍もの歳月を生きてきた揺籠に何ができるかなんてわからなくても。
「百目鬼の兄さんは、しかたないでさ。俺が付いて行ってあげやすぜ！！」
「素直に遠出がしたいと言ったらどうでぇ」
　紫苑が胸を張れば、ペチリと頭をはたかれた。
　何ができるかわからないが、少なくとも憎まれ口を叩く程度には元気づけてやれる。


　旅館を出て、久遠ヶ原島を出て、電車に乗って、乗り継いで。降りて歩いて、歩いて。
「百目鬼の兄さん、こっちのお花がきれいでさ！！　おすすめでさ！」
「墓へ手向けるのに、そんな花があるかい。……まあ、気にする人でもねぇか……」
「おやつは買わないんで？」
「どこぞのガキが電車の中で食っちまったからなぁ……！　花で充分ですよ。こういうのは、気持ちが一番」
「花火！　あっちに花火がありやすぜ！！」
「…………」
　ちょっとした遠出を満喫する紫苑と共にいると、揺籠には暗い表情をする暇もない。させる暇を与えず、少女は青年の手を引っ張る。
　青年の沈む気持ちの先に、少女の笑顔があった。青年は、少しだけ持ち直す。その繰り返し。

　住宅街を抜けて丘を登り始めた頃には、紫苑もさすがに騒ぎ疲れた。
　今まで気に留めていなかった蝉の鳴き声に、ぶわっと包み込まれて言葉を失う。
　足を止めれば、それに気づかぬ揺籠に離され、慌てて追いかける。
　丘のてっぺんの向こう側に、雲を浮かべた空が見えた。
（あそこだ……）
　揺籠へ告げたことは無いが、紫苑はその場所を知っていた。

　――全く可哀想な人ですよ

　その言葉が悲しく響く理由も。
「でも、優しい人だったんですねぇ」
「……へ？」
　隣にしゃがみ込み、見よう見まねで手を合わせる紫苑へ、揺籠が驚いて顔を上げる。
「終ぞ兄さんから悪い言葉を聞いたことがないや。大好きなんですねぃ」
「…………」
　紫苑の言葉に、含みは無い。
　無邪気に笑う少女へ、青年は返す言葉を考えて――諦めたようだった。
「……全然来てやんなくて、すみませんぜ」
　たった一人の息子だってのに。
　そう続ける揺籠の横顔は、やはり泣きそうだと紫苑は思った。



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　夏の夕暮れに、送り火が咲く。
　下へ向けると草が焼けてしまうから、宙でくるくると花火を咲かせる。
「兄さん、百目鬼の兄さん！　見てくだせぇ、でっかいひまわり！！」
　両手に二本ずつ持った花火を縦横に振り回し、紫苑がはしゃぐ。
「彩りが足りねぇですぜ、紫苑サン。そら、足してやりやしょう」
「！！？　は、花火をヒトに向けたらだめですぜ！！！？」
「ふっ。冗談ですよ、ガキじゃあるめぇし」
　鼻で笑い、揺籠は虹色に変化する火の先をヒョイと変えた。

　花火セットの最後は、小さな打ち上げ花火。
　一番星が片隅に輝く空で、慎ましく弾けた。
（……届きましたかねぇ）
　夏の匂い。花火の煙。祈る思い。
　『天の国』なんて信じやしないけど、土の下で眠る母へ、伝わったであろうか。
　来るのが、あまりにも遅くなってしまったけれど……既に、居ないかもしれないけれど……
　思い残しのない生涯だったとは思わない彼女へ、今更でも良い、何か返すことが出来たろうか。
　ぬるい夜風を頬に受け、揺籠は目を伏せた。



●
「背負いましょうか？」
「歩けまさ」
　来た道を帰る、ただそれだけなのに、疲れて眠くて眠くて眠い。
　馴染みの宿まで、もうすぐだ。それも、気のゆるみに拍車をかける。
　下手をすると眠ったまま電信柱にぶつかりそうな紫苑を、揺籠は面白おかしく見守った。
（なんだってンですかねぇ）
　少女を見下ろし、青年は不思議な気持ちになる。
　今日は随分と、この妹分に助けられた。きっと、ひとりでは墓参りなんてできなかった……辿りつけなかっただろう。
　胸を締める罪悪感はあまりに重く、向かい合うことさえ息苦しい。それでもいつかは越えねばと、それもまた重圧となった。
「……紫苑サン、今日は…………」
　左手をするりと伸ばし、揺籠は少女の頭を撫でた。
　――ありがとうございます
「たっくさん歩いたから、よく眠れますねぇ？」
　照れくささが邪魔をして、感謝の言葉をためらった。
「……兄さん」
　急に触れられた温度に驚いて、紫苑が顔を上げ――……
「ぽんぺですかぃ」
「……どういう意味でさ」
　脈絡のない切り返しに、揺籠は半眼となる。
「なんだか、しょんもりした顔して……　……元気なら、それでいいでさ！」
「ガキがそういうの気にしねぇでいいんですぜ」
「百目鬼の兄さんがしょぼくれてる時は、まよわないように手を引っぱるのが俺の役目でさ！！」
「……しょぼくれ、ねぇ…………」
　再び元気を取り戻し、紫苑はずんずん進んでゆく。
　その背を眺め、揺籠は頬をかいた。
　見通されている、と認めたくなかった。
　かけがえのない存在、妹分だという自覚以外の喩えは上手く思いつかない。
　……だったら
　年の割に聡い一面を見せる彼女に、今は手を引かれてやるとしようか。

「百目鬼の兄さん、そろそろアイスが食べたいでさ！」
「こんな時間に食べると腹こわしやすぜ。これだからガキは」
「わかいってのは、むげんの可能性でさ！！」



●
（どうか……　やすらかに）
　助けられなかったことを忘れない。
　助けたかったことを忘れない。

　長い長い、一日の終わり。
　恐らく揺籠は初めて、安らいだ気持ちで祈りをささげた。
　耳の奥では、今もまだあの蝉が鳴いていた。
　夏が来るたびに、何度でも思い出すだろう。
　あの風の温度、草の匂いを。母の眠る場所を、隣にいる少女と訪れたことを。
　一番星が位置を変え、二人をそっと見守っている。




【めぐる夏の日　了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 jb8361 ／　百目鬼　揺籠　／　男　／　２５歳 　／　鬼道忍軍　】
【 jb8416 ／秋野＝桜蓮・紫苑／　女　／　 ７歳 　／ナイトウォーカー】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼、ありがとうございました。
静と動の入り混じるお墓参り、お届けいたします。
お楽しみいただけましたら幸いです。

ＷＴツインノベル

佐嶋　ちよみ

エリュシオン

2015年10月07日