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『夏の終わり 』
綺月 緋影(ic1073)&蒔司(ib3233)

 うんざりするほどの蝉の大合唱がピタリと止んだ。
 夕暮れに染まり始めた空は俄かに曇り、遠雷の低い唸り声が聞こえる。
 取り込んだ洗濯物を抱え緋影は鼻を鳴らす。風に乗って運ばれてくる湿った土の匂い。
「一雨来そうだなぁ……」
 言っているそばから鼻の頭を大粒の雨が叩く。
「呑気にしてる場合じゃなかったぜ……」
 下駄を脱ぎ捨て、縁側から部屋に飛び込むのと盥をひっくり返したような雨が降り始めたのはほぼ同時だった。
 雨に煙る庭を眺めながら少し前に夕食の買い物へと行った蒔司は大丈夫だろうか、と考える。尤も優秀なシノビだった彼のこと、天気を読むことなど朝飯前で傘を持っていっているだろうが。
 緑で溢れる小さな庭はちょっとした池のようになっている。これは道もぬかるんで大変なことになっているだろう。
「帰ってきたら、足を洗えるようにしといてやるか……」
 盥を取りに土間へと向かう途中、玄関前で緋影は足を止めた。
 仲良く並んでいる二本の傘。一本は緋影の、もう一本は……。
「……なんで今日に限って」
 屋根を打つ雨音は一向に静まる気配はない。
「仕方ねーなぁ……」
 わざとらしい大袈裟な溜息を吐く口元には笑みが浮かんでいる。
 一回りは年上である蒔司には何かと世話を焼かれることが多い。たまには逆も悪くない。
 それに堂々と彼を迎えに行ける理由にもなる。本当は一刻だって離れていたくないのだ。
 緋影は着物の裾を絡げ手拭と一緒に帯に挟み、少し考えてから蒔司の傘だけを持った。決して小さくない男二人に一つの傘は狭い。
 でも構わない。寄り添う口実になる。
「同じ雨に濡れるのも悪かねーし」
 緋影は傘を広げ雨の中へと繰り出した。

 鮎は塩焼きで蓼酢、枝豆は茹でて潰して豆腐にしようか……。
 蒔司が夕立に遭ったのはあれこれ夕食の献立を考えつつ家路を急ぐ途中だった。
「ちくっと邪魔させてもらうき」
 慌てて大木の影に入り、つるりと丸くなった道祖神の横に並ぶ。
「ワシとした事が天気を読み違えるとはのぅ……」
 漏れる苦笑。それが微笑へと変わる。自分も今の生活に馴染んできたのか、と。月明りすら届かない闇に生きるのではなく、愛する人と共に暮らすこの生活に……。
「何ぞ美味いもんでも食わしちゃろうと思うたはええが……」
 愛しい人の事を考えていたからだろうか。雨音にその人の声が混じったような気がして蒔司の耳がひくりと揺れた。
「さては帰りが遅いとすねでもしたがか……」
 冗談めかして視線を上げれば、雨の帳の向こうに人影が見える。
「蒔司ーー!!」
 そして今度こそはっきりと声が聞こえた。嬉しそうに振られる雨傘。まさしく今しがた心に浮かべていた彼だ。
「ほがに傘を振ったら濡れようが!」
 だが蒔司の小言は耳に届いていないのか、満面の笑みで緋影が傘を手に雨の中を駆け寄ってきた。

 雨を跳ね上がらせ緋影は蒔司のいる大木の影へと潜り込む。
「いきなり降って来たなぁ」
「迎えに来てくれて助かったぜよ」
「だろ、もっと感謝してくれてもいーんだぜ。とりあえず頭こっちに寄こせ」
 畳んだ傘を蒔司に押し付けた緋影は鼻歌交じりに手拭を帯から引っこ抜いた。
「おんしは気の回る佳い男じゃ」
 素直に身を屈める蒔司にほんの少し空気が動く。
 目の前で揺れる濡れた蒔司の髪。
 ふわり、と緋影の鼻を擽る蒔司の匂い。
「拭いて、やっか……ら」
 緋影の喉の奥、言葉がつっかえる。
 何時もより強く感じられるのは、湿度のせいか、濡れているせいか。
 黒髪から零れ落ちた雫が首筋から胸元へ、褐色の肌の上をするりと伝っていく。
 ゴクリ。耳の中でやたら大きく響く唾を飲む音。
 そのうち一滴、蒔司の髪から手拭を持ったまま動かない緋影の手に落ちる。
 一気に跳ね上がる体温。

 ザァァァァ…………

 雨の音だけが緋影の耳を打つ。外の音は聞こえない。雨の中、世界には二人だけ。
 頬の傍で感じる、蒔司の体温、汗交じりの匂いと濡れた肌。
 じくりと胎の中で熱が蠢く。
「ん? どうした?」
 耳の近くで問う声。
 濡れた髪から覗く赤い目。
 新しい雫が米神から頬へと伝う……。
 手が伸びた、彼に触れたい、と。だが寸前で止める。
「……ったく、折角の色男が濡れ鼠になって台無しじゃねーか」
 乱暴に手拭を被せると容赦なく髪を掻き回し「後は自分でやれよ」と手を離した。
「折角じゃ、雨宿りでもしていくかのぅ?」
 西の空が少しずつだが明るくなってきている。暫く此処にいれば、雨足も弱まるだろう。
「いや、早く帰ろーぜ」
「傘は一本じゃき、このままじゃと二人そろって濡れ鼠になろうが」
 蒔司のしごくまっとうな言葉に、緋影は「んー……」と頬を引っ掻いた。
「……我慢できそうにねーから」
「何がじゃ?」
 不思議そうに首を傾げる蒔司に緋影は「察してくれ」と視線を逸らす。
 できれば常に一緒にいたい、もう少しはっきり言えば触れていたい。自分だけのものだと腕の中に閉じ込めてしまいたい。その瞳に映るのが自分だけならいいのに……思い始めればきりがないほどに彼に対する欲は深い。
 だが流石にそれを外で実行しては問題だともわかっている。だからこう取り返しのつかない一歩を踏み出す前に帰りたいというのに……。
「腹でも減ったかの?」
「ちげーって」
 察してくれた気配はない。視線一つで相手の動きを読む凄腕の癖に、思わせぶりなことを口にしては人のことを揶揄って遊ぶ癖に、こういうところは天然かと緋影は頭を左右に振った。
「嫁が色っぽくて」
 覗き込む視線から顔をそむけても耳が彼の方を向いてしまうのはいかんともしがたい。
「は……?」
 少しの間の後、「クックク……」と低い笑い声。
「素直に感謝しとる傍から……。おんしときたら……」
「しかたねーだろ」
 頬を膨らまし雨の中へと出ていく緋影に蒔司が開いた傘を差し出した。

 一つ傘の下、しばらく歩いているうちに小雨になり、とうとう雨が止む。一転、土砂降りが嘘のような静寂。
 雲の切れ間から差し込む黄金色の陽射しに蒔司は目を細める。愛しい人の双眸と同じ色だ。
 傘はもう必要はない。だが少しだけ畳むのが惜しい。小さな屋根の下、二人だけというのは存外悪くなかった。
「止んだなー」
 するりと傘を抜け出した緋影の背中を見つめ、触れ合った感触を記憶に留めるように蒔司は肩に手を置く。
「おんしの目と同じ色じゃ」
 傘を畳み、空から伸びる光の柱を蒔司は指さす。
「同じなら俺の目をみてればいーだろ?」
 蒔司の視界を遮るように緋影が覗き込んできた。
「ならそうするかのぅ」
 ずいっと顔を寄せれば緋影が鼻白んだ。……が、引いたら負けだとでも思ったのか踏みとどまる。
 互いの体で知らない箇所はないような仲だというのに、時として見せる初々しさがとても可愛らしい。
 遠くで鳴き始めるヒグラシ。暫くの間二人にらめっこのように見つめあっていた。
「そーいやこの鳴き声は昼間聞かないよなぁ……」
 蝉を探すように緋影が周囲を見渡す。
 薄明時、気温が下がったとき……蒔司の頭に過るヒグラシの鳴く条件。自然の変化に敏感なのはシノビとして重要なことだ。ヒグラシだけではない、雲の形、風の吹く方角様々なことを蒔司は知っている。
 だが……。
 雨露に濡れ重たそうに頭をもたげている稲穂を揺らし風が吹き抜ける。
「良い風だな〜」
 風に向かって胸を反らす緋影。彼の言う通り涼やかな良い風だ。
 それを知識として利用するのと、感じるのとではこうも違う。風の匂いも、夕暮れの光も、蝉の声も……鮮やかに自分の中に染み込み、積み重なっていく。
 そっと緋影の横顔を盗み見た。
「もう赤蜻蛉が飛んでいるぜ」
 近所の子供に教えてもらった、と緋影が稲穂にとまる赤蜻蛉に向けた指をくるくる回す。
 己の中にある想いを自覚して以来蒔司は何度も自身に問いかけた。
 彼はまだ若く、己は四十に近い。しかも互いに男。そんな自分が彼を縛り付けていいのだろうか、と。それらしい素振りに気付いても冗談めかしてはぐらかしたこともある。
「な、どーだ!」
 赤蜻蛉を指先に乗せ、得意そうに緋影が笑う。
 だが彼はまっすぐな想いは変わることはなかった。だから自分も決意することができたのだ。彼の手を取ることを。
 緋影の指から蜻蛉が再び空へと。
「今年も夏が終わるのぅ……」
 茜色の空をすぃっと飛ぶ赤蜻蛉を蒔司は振り仰ぐ。
「早く寒くなンねーかなぁ……」
「何じゃ、おんし夏が嫌いだったのか?」
「え……いや……暑いだろ」
「ワシはおんしと一緒に縁側で水を張った盥に足を突っ込んで涼むのも嫌いじゃなかったが」
「それは俺も嫌じゃねーよ。でもさ、暑いと……ほら……なぁ……蒔司に……くっつけなぃ……」
 次第に小さくなる語尾。
「暑い、暑い言うときながら散々ワシにひっついとったんは誰だっ……むぐっ」
「わぁあー!!」
 叫んだ緋影が蒔司の口を思いっきり押えた。自分でやっておきながら恥ずかしがるとは不思議なものだ。
 口を押える掌を擽るように舐めると後ろを向かれた。
 風が再び吹き抜ける。
「ついこの前まで夏だと思っていたのになぁ……」
 風に揺れる赤い髪。
 そう季節が移り変わっていくことを自分に教えてくれたのは彼だ。彼がいなかったら世界はただ自分を通り抜けていくものだったであろう。
「巡る季節におんしと共にある……それがワシの幸せじゃ……」
 こん、と肩をぶつけられた。
 彼のすべてが愛しく思う……。
 甘えてくれることも、自分に対する欲も、信頼も、向けられる瞳も……すべてが嬉しく、尊く……そして愛しい。
 彼の想いに、その愛に自分は魂の一片すら余さずに応えたい……。
 その想いを込めて赤い髪に唇を寄せる。

 夕食後、縁側で杯を交わした。空に昇るのは秋の星だ。人工の星空を眺めて以来、こうして二人で星を見ることが多くなった。最近では少し星の名前もわかる。
 それから夜を共にする。汗ばんだ肌に互いの匂いはますます強く、混ざり合った熱が流れ出し室内に篭る。境界線は曖昧に溶け合い、そして気をやるように二人眠りについた。
「……ん、ぁ?」
 うっすらと開いた瞳に広がるのは障子を通した薄明り。小鳥の鳴く声。朝のまだ早い時間。
 体に残る心地の良い気だるさ。緋影はのそりと腕を上げ目を擦った。霞んだ視界に映る小さな赤い花に自分の唇を重ねる。
 手を伸ばさなくともわかる、布団の中には二人分の熱。
 まだ隣で眠る人を起こさないように静かに寝返りを打った。
 柔らかな光が降り注ぐ寝顔を見下ろす。
 身を置いてきた環境のせいか蒔司は元来眠りが浅い。特に人の気配に敏い。
 だというのに……。
「蒔司……」
 小さく名を呼んでも、起きる気配のない蒔司に笑む。
「俺は……」
 お前に何を与えることができている? 心の中で問う。
 蒔司は父であり兄であり、そして嫁でもある大事な人だ。
 緋影は己の心臓の上に握った手を置く。かつて自分は空っぽだった。自分の一族に謂れのない罪を被せ壊滅へとおいやった貴族へのやり場のない復讐心を抱えつつも、それをなしたところで何になるという諦観に囚われ、いつどこでも死んでも構いやしないと思っていた。
 自分の生に意味を見出すどころか、それを考えることすら煩わしく、ただ刹那的に生きて、いや在っただけだ。
 そんな中、出会った蒔司は灯火だった。
 彼に照らされ自分が空っぽであることを、自分を満たしてくれる何かに飢えていることを緋影は初めて自覚したのだ。
 そして自分の中にぽかりと空いた穴を埋めてくれたのも彼である。
「お前がいるから俺がいる……」
 蒔司が緋影を産みそして育んでくれたといって良い。彼こそが自分の命そのものだ。
 彼の褐色の肌に刻まれた傷をそっと撫でた。
 ある夜、全てが知りたい、と蒔司の体にある傷すべてに触れたことがある。蒔司は「おんしはまっこと変りもんじゃき」と笑っていたが、自分の知らない傷が一つあるのも許せない程に緋影は彼に執着している。
 彼を失いたくはない、彼が欲しい……初めて得た執着、そして独占欲。それを隠すこともせず、時に子供のように甘え、時に男の欲もぶつける自分を蒔司は受け止めてくれる。
 蒔司は自分を満たしてくれる、じゃあ自分は……。
「……」
 伏せる視線。蒔司が身じろぐ気配がした。
「おぅ、おは……」
 どうした、と問うように掌が頬を包み、硬い指先が目尻を擽る。
「……寝顔を堪能してやったぜ」
 自分を覗き込む赤い目が先程まで考えていたこと全て見抜いてそうで誤魔化すように得意気に笑った。
「ワシの寝顔なんぞ見て面白いがか?」
 さて朝飯でも、と腕をついて起き上がろうとする蒔司の首に咄嗟に腕を回し、多少強引に引き寄せた。
 ドサリ、と音を立てて顔の横に彼が腕をつく。目の前に落ちてきた前髪を顎を上げ軽く食んだ。
「なんじゃ、甘えたか?」
「まだ、いーじゃん」
 こつんとぶつける額。
 彼の赤い瞳に映るのは自分だけ。それに満足して緋影は目元を和らげる。
「緋影……」
 低い掠れた声が吐息だけで自分の名を呼ぶ。
「まき……っ」
 彼を呼び終える前に塞がれる唇。
 頭を抱えられ下唇に軽く立てられる歯、応える角度を変えて噛み合うような深い口づけを交わす。
 響くのは互いの呼気を交換する音ばかり。触れ合う熱に彼も同じ気持ちなのだと緋影は知る。
 それだけで緋影の心は満たされていく。
 ふいに蝉が鳴き始めた。
「……は、ふっ」
 解放された唇から零れる熱を孕んだ吐息。
「味噌汁の具は何がええがか?」
「……焼き茄子と油揚げ」
 子供をあやすようにぽん、と頭に手を置いてから蒔司は部屋を出ていく。
 間もなく土間から包丁の音が聞こえてきた。
「……今度は一緒に朝風呂も悪くないなぁ」
 まだ温もりの残る布団にくるまったままその音に耳を澄ませる。
 彼と共に暮らしている……。
 ふふふ、と自然と笑みが零れた。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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綺月 緋影(ic1073)
蒔司(ib3233)

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございました。桐崎です。

夏の終わりの一日のお話しいかがだったでしょうか?
お二人が幸せそうに仲良くしている雰囲気が伝われば何よりです。

イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。
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舵天照 -DTS-
2015年10月22日

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