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『〜胸臆の霧と幽き灯〜 』
ファーフナーjb7826)&花見月 レギja9841


 飲みに行かないか、と誘われて、花見月 レギは微笑って快諾した。
 9月。
 風はゆるやかに灼熱の衣を脱ぎはじめ、眩しいばかりの日差しはその色を落ち着いた秋のそれに変えていく。夏の盛りにはそのあまりの暑さに辟易していたファーフナーも、このところの気候に体調を取り戻しつつあるらしい。誘いをかけてきた相手の顔色を確かめて、レギは安堵したように微笑みを深くする。
「体調は、良くなった、かな?」
 その声に、ファーフナーは軽く片眉を上げると、僅かに苦笑めいたものを浮かべた。
「『俺は』な」
 珍しく含みありげな風を察して、レギは小首を傾げる。秘密の多い相手ではあるが、そうと分かるほどに含みのある言い方をされることはあまりない。何か余程に言いたいことがあるのだろうと、穏やかな笑みで見つめながらふんわりと思った。
 その様子にファーフナーは内心で嘆息をつく。
(……自覚は、無い……か)
 自身が今、どんな風なのか――レギには分からないのだろう。無論、見知らぬ同士であれば気付かないかもしれない。だが少なくない時を共有してきた身としては、些か見過ごせないものがあった。
(何か、胸臆に抱えているだろうに)
 それが何であるか――ファーフナーにはおおよその予測がついていた。だが、おそらくレギ本人は気づきもしないだろう。自分自身のことであっても。
 いや――自分のことだからこそ、尚更に。
(人の事にはあれほど目敏いのだがな)
 世話が焼ける奴だ、と。苦笑を伴った感情を抱きながら、以前見つけた酒場へとレギを連れ出す。
「……珍しく、遠出だ、ね。この辺りは、よく来るのか、な?」
 久遠ヶ原の敷地は広い。
 学校を出て広がる街は、マンモス学園を擁する為か、その広大な敷地内に多種多様な店を有している。学園関係者も多い為、品や店によっては供給がおいつかない市場もあるだろう。
 その中で、酒場は比較的需要と供給のバランスがとれていた。
 日本酒をメインで扱う所もあれば、洋酒をメインにした所、厳選された銘柄をじっくりと味わう店もあれば、とにかく大量に飲みたいという客を見越した立ち席のみの店もある。ファーフナーが選んだのは、いつもよりも少し足を伸ばした先にある、落ち着いた風情の酒場だった。
 古い煉瓦が落ち着いた雰囲気と共に温もりをあたえてくれる店は、以前、とある仕事の帰りに見つけた隠れ家的な店だった。
「歓楽街からは外れるが……前に寄ったが、なかなか良いものを揃えていたからな」
 ファーフナーの声に、レギはふんわりとした笑みのまま興味深げに周囲を見渡した。川辺に植わった柳の木が、さわさわと揺れている。気分転換にもなるよう、少し遠出となる店を選んだのは正しかったようだ。
「雨が降れば、より風情が増す。……あまりおおっぴらに広めたい店ではないが、な」
 例えば何かに疲れた時に、緩やかな時の中でその疲労を癒すような。
 そんなしっとりとした時を過ごすのに最適な店だ。酒を飲んで騒ぐ輩は、到底連れて行けない。
 言葉に含まれた意味を察して、レギはくすりと微笑った。
「俺は、合格?」
 問うと、当たり前のことを何故聞くのかと言わんばかりの目で振り向かれた。眼差しがあうことに、安堵を憶えながら微笑う。
「楽しみだ、な」
 穏やかな微笑みに、ファーフナーは僅かに苦笑した。





 店はほどほどに混んでいた。
 壁に並ぶ年代物の酒樽のせいだろう、店内にいるだけで馥郁とした香りが鼻腔をくすぐる。ゆったりとした時を楽しむ人々の会話が、穏やかな潮騒のようにそこここから流れていた。無理に耳を澄ませば会話内容も聞き取れるだろうが、そんな野暮なことをする輩はいない。
 古めかしくも頑丈なテーブルの一つにつき、ファーフナーはレギの分も含めて注文を告げた。店内を柔らかく照らす洋燈の明かりは、外の苛烈な日差しに比べると驚くほど暗い。テーブルの上、耐熱グラスの中にある蜜蝋が、ちろちろと可愛らしい火を揺らしていた。
「……うん。なんだか、落ち着く感じ、だね」
 どこかほっとした顔で周囲を見るレギに、ファーフナーは口の端に僅かな笑みを刻む。お宝をそっと褒められたような、そんな気持ちだ。
「ここでは、ほとんどの者が他人だ。隣を気にする者もいない。だが、誰かがそこにいることは、知覚されている」
 室内を照らす暖かな光のせいか、それともどこか人の温もりが伝わる店の雰囲気のせいか、互いを互いと認識しあわない空間にあって、この場所では不思議と孤独感は薄い。誰かは知らないけれど、居るということだけは知ってもらっているような――そんな気配だ。
「うん。……そうだね」
 分かるよ、とレギは頷いた。
 自分が此処に居ることを、店全体が知ってくれているような感覚だった。
 無論、そこに確かな相手がいるわけではない。周りにいる人も、名も知らぬ人だ。自分を見てくれているわけでもない。
 なのに、この、穏やかに包まれているような気配は何だろう。
「こういう所で呑むのも、悪くはないと思ってな」
 ファーフナーの声に、どこかぼんやりと周囲を見渡していたレギは小さく頷いた。酒を持ってきた店員と目があって、微笑まれて微笑み返す。
「良い所だね」
 ファーフナーは無言でグラスを軽く掲げる。笑ってそのグラスにグラスをあわせ、口に含むとふわりと口腔に深い味が広がった。
「今日は驕りだ。……種子島では、世話になったからな」
 避暑の時のことだと気付いて、レギは微笑む。――その笑みが、ほんの僅か、苦笑めいた形に傾いだ。
「……色んなことが、あったね」
「……」
 言葉に込められたものに、ファーフナーは眼差しを伏せる。

 色んなことが。

 嗚呼――本当に、色んな事があった。
 見つめる先で、グラスの中の氷がカランと音をたてて琥珀色の液体に沈む。物思いに沈んだのは、どれぐらいの時間だったのか。見ればレギもまた、何かを思う目でグラスを見つめている。
「……何か、気がかりなことでもあるのか?」
 相手の瞳の奥に揺れる影に、ファーフナーはそっと言葉を紡いだ。一度瞬きして、レギは淡く苦笑する。
「最近、不思議な敵と対峙することが、増えてね」
 眼差しで促され、訥々と言葉を紡ぐ。
「種子島でも……見たよ。実際には『それ』そのものでは、無いけれど……。別の依頼でも、不思議な敵と対峙した。幻覚……かな。それとも、過去視、かな。あまり……うん、あまり、いい気持ちではなかった」
 抽象的な言葉は、内容の詳細を伝えたくないというよりも、レギ自身がその感覚や状況を上手く説明できないためだった。
 対峙した敵は、どちらも自身の内面にあるトラウマを強く引き出す者。
 けれどそれが『トラウマ』だと―― 一般にそう呼ばれるものなのだと、レギは把握していない。まるで、はっきりと出ている答えの前で、目隠しされて彷徨っているかのように。
「何が見えたか……聞いても……いいか?」
 踏み込まなければ、理解は出来ない。
 僅かな逡巡の後、そう悟り口を開いたファーフナーへと、レギは見たものを語る。

 自身を『育てた』女性の姿。

 いや――それを『育てた』といっていいのか、真実のところはわからない。
 虐待があったわけではない。
 酷いことはされなかったし、衣食住にも不自由は無かった。
 何もなかったと言っていい。本当に――そう、『何一つ』無かった。

 年長者から年少者へと与えられるべき、全てのものが。

 酒が舌の滑りを良くしてくれたのか、それともこの場所の雰囲気故か。ぽつぽつと語るレギの話を聞きながら、ファーフナーは内心で顔を顰めていた。
 常に穏やかな笑みを浮かべる相手が、自身に関わる物事の何もかもを受け入れてしまう性質なのを知っている。寛容ともとれるそれが、自己の希薄さからもきていることにファーフナーは気付いていた。
 感情が無いわけではない。
 だが、『熱』がうすい。
 それは『己』という名の『熱』だ。『魂』と言い換えてもいい。
 意思が無いわけではない。だがその意思によって行動するための熱があまりにも乏しいからこそ、風をうけてたなびくベールのように、ふんわりと笑って受け入れてしまうのだ。――目の前にある現実を。何もかも。
(……その原因が……)
 思考やその在り方に、常にまとわりつく常人とは違う奇妙な影。微笑みの中の翳りにも似たもの。
「あの光景を……見たということは、何か意味があるんじゃないかな……けれど」
 呟くように告げ、レギは眼差しを伏せる。
 『けれど』――彼は分からないのだ。
 己が見たものが、幼少期に思想を歪ませ、己を拗らせた原因だということに。
 だが、
「……それが、気になったわけか」
「そう」
 頷くレギの中に、ファーフナーは確かな変化の兆しを見た。
 それは僅かなものかもしれない。だが、レギは確かに『気づいた』のだ。自分の在り方や思想に潜む病理のような『何か』に。それは違和感のような不確かなものではあったが、それでも確かに何かがおかしいと――
「……」
 ファーフナーは口を開きかけ、噤む。
 それはこうだ、と、一足飛びにこちらが思ったことを突き付ける事は簡単だ。だが、それは決して解決にはならないと判断した。
 自分自身で気づかなくてはならない。己の中にあるものに。無理やりにこじ開けるのではなく、ゆっくりでも少しずつ、無意識に固く閉じてしまった心を開くよう誘導しなくてはならない。
(俺とは違う)
 手遅れでは無い。
 全てを知覚し、自身で閉ざした自分とは違うのだから。
「……花見月、その幻を……見るのは――『辛い』ことなのだろう?」
 言葉にするのは迷った。だが、閉ざしたままでは何も変わらない。――変えられない。
 ファーフナーの慎重な声に、レギは口の中で言葉を繰り返し、僅かに視線を揺らす。
「そう……なのかな。気分はあまり良くない……けれど」
 戸惑い。
 逡巡。
 ――けれど答えは『否』ではない。
 理解はしていないが、知覚はしている。それが自分にとって嫌なものなのだと。――悲しいものなのだと。
 ただそれが哀しみや寂しさといった感情と結びついていないだけで。
「……そうか。ならばそれを、無理に思い出せと、言うつもりはない。考えろ、とも」
 それを強いるつもりは、無い。
 言葉にして突き付けずとも、それが魂の傷であることを理解しているから。
「……ただ、かわりにといってはなんだが、少し別の事を思い出してはみないか」
「別の事……?」
 首を傾げるレギに、ファーフナーは静かに告げる。
「学園でおまえが過ごしている時に、傍にいた者のことだ」
 レギが小さく目を瞠る。
 誰かの姿を思い出しているのだろう。いなかったはずはない。
 廊下を渡る時、教室、何気ない日常の中にいる、自分以外の『誰か』。
 ファーフナーの脳裏にもまた、一瞬、小さな影が走った。それはレギの脳裏の中にいる者とは違う、ファーフナーだけのもの。ちょこまかと飛んできては、まとわりついていた幼い子供。

 ――じーじ!

 未だかつて、誰もそんな風に自分を呼んだことなどない――無遠慮で騒々しい幼女。
 今は自分の中に潜むそれに目を向けている時ではないと、小さく頭を振って追い出す。
「望むと望まざるとに関わらず、何時の間にか傍にいたり」
 なのに言葉を紡ぐと意識の片隅に居座って手を振ってくる。相変わらず遠慮の無い幼子。
 ――ヴィオレット。
 もう一度頭を振り、追い出して言葉を続ける。
「目があって、笑ってきたり――声をかけてくる者が」
 呼びかけられる声。
 あう眼差し。
 太陽のような笑顔。
 裏表のない好意。
 確かにそこにいる『自分以外の誰か』。
 そして、その相手の中にいる、『この世界に確かに存在する自分』。
「……お前の中にも、きっと、いるだろう。おまえの傍に」
 生き物は、個では決して生きられない。
 生命活動を続けていれば『生きて』いることになるのか。ファーフナーとしても明言は出来ない。ならば己は生きていると言えるのかと、自問すれば答えを出せないのだから。
 けれど――
「『おまえ』は『此処に居る』。今であれば、目の前にいる俺がそれを証明している。お前が俺がここに居ることをお前の存在で証明しているように。――今はまだ分からなくてもかまわないが……それを忘れないことだ」
 軽く目を瞠っていたレギが、ファーフナーを見つめたままゆっくりと瞬きする。
 言葉がゆるゆると沁みこんできたのか、目を細めるようにして微笑った。
「……うん。よく、覚えておく、よ」
 特別なことを言われたわけではない。だが、耳に残る言葉があった。

 お前はここに居る。

 言葉だけでは浸透しなかっただろう。けれど根拠がある。

 俺がそれを証明している。

 何故だろう。その言葉には熱があった。痛みがあった。一瞬、合わない眼差しの女性の姿がはっきりと見えるように――幻のように目があったかのように。
 それは『存在の肯定』――決して幼い頃の自分には与えられなかったもの。
 ここに居るのだと。
 いてもいいのだと。
 己以外の者が――世界が――認めてくれなかった幼い子供にとっては、およそ初めてと言ってもいいほど『明言された肯定』だ。
「ニア君は……すごい、ね」
「凄くは無いだろう」
 無表情の中に困惑を潜めているファーフナーに、レギは微笑った。少しばかり今までと違う笑みのような気がした。
 伝わったのだろうかとファーフナーは思う。
 伝わったのならば、いい。すぐに変わらなくてもかまわない。
(俺は……)
 脳裏の奥に幻の幼女。自分をべたべたと触る小さな紅葉のような手。

 ――じーじ。頭痛い?

 ああ、痛いとも。
 言ってやれば、どう答えるだろうか。いや、きっと、また得意の効きもしないオマジナイをするに決まっている。一生懸命な顔で。一生懸命な声で。
(俺は、失ったが……花見月、お前はまだ、失ってはいない)
 奪われた幼い笑顔に、失ってから初めてほだされていたことを知った。己の殻をもっと早く破っていれば、もしかすれば何かを手に入れられたかもしれないのに。
 その悔恨が口を開かせる。
 己のようにはなってほしくないから。
「『何か』に裏切られるのを恐れ続けていては、失ってから後悔する……期待や、信頼や、そういったものであっても」
 目に見えないものであっても。
 ――何よりも己にとって恐ろしいものであっても。
「俺は……失った。……お前は、失うな。いや――」
 今はまだ、自覚は無くとも。
「取り戻せ」
 まずは、己と言う名の無二の存在を。
 己の中にある、失えないものを失う前に。
「……うん」
 一度、二度、瞬きをしてからレギは頷いた。
 そうして、ふと穏やかな笑みを浮かべる。その脳裏に、ファーフナーが浮かべているであろう幼子の姿を思い出して。
「……ニア君も、だよ」
「……?」
「取り戻す。……そうだよ、ね?」
 失ってしまったもの。
 小さな幼い子供。
 けれど命が尽きたわけではない。
 例えその体が動かなくなっても。心は確かにそこにあった。
 レギは見ていた。その眼差しで――唯一己の意思で動かせる目で、一生懸命ファーフナーを見ていた幼女の姿を。
「きっと、取り戻せる、よ」
 あきらめない限り。彼女自身が、決してあきらめない瞳をしていたのだから。
 一瞬、虚をつかれた顔をしたファーフナーに、レギは笑みを深める。
 胸の奥に小さな熱。
 少しだけ分けてもらった、魂の温度。
「取り戻しに行こう。いつか、必ず。今はまだ、私も、うまく言葉には出来ないけれど」
 思い出す顔がある。
 思い出せない顔のかわりに。
 だから、



「一歩ずつ……進んで行こうと思う。その先に、もしかしたら、答えがあるかもしれないから」




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb7826 / ファーフナー / 男 / 52才 / 霧の中の先導者 】
【ja9841 / 花見月 レギ / 男 / 29才 / 霧の中の迷い児 】
【NPC / ヴィオレット / 女 / 4才 / 霧の中の篝火 】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ご発注ありがとうございました。執筆担当の九三壱八です。
 言葉を返してくれる誰か。眼差しを返してくれる誰か。己を知覚し、認め、肯定してくれる誰か。
 得られなかったもの、失われたものを抱えた人々の、過ぎし時の中にあった物語の一片と、心の中の霧を描かせていただきました。
 闇を照らす灯はいつも心の中に。

 少しでもお心に添えば幸いです。



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エリュシオン
2015年11月04日

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