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『鐘の音の鳴る 』
アリサ・シルヴァンティエ3826)&アレクセイ・シュヴェルニク(3828)



 彼女は年上の女性(ひと)だが、世間ずれしていないせいか、幼げすら感じさせる柔らかな人でもあった。
 アレクセイが初めて会った時はとても優しく、柔らかに笑う人だと、そんな風に思っていたものだ。
 視線が彼女を追うようになったのはいつ頃からだったろう。多分、初めて会ってから少し経過したくらいの頃。怪我の治療にあたっていた彼女を見かけたのが契機だった気がする。何しろ美人で気立てが良い治療師が居る訳で、教会併設の診療所は荒っぽい冒険者や警邏の兵士たちがちょっとした怪我でもひっきりなしに顔を出していて大盛況だ。普段はそこをてきぱきと駆けまわる黒髪のその女性が、その日、凛と声をたてたのを、何しろアレクセイは良く覚えていた。
 ――命はひとつしかないんですよ。
 叱り飛ばす口調はむしろ静かですらあったが、それ故に大の男達を黙らせる程度に迫力があった。
 それからというものアレクセイは、教会や、診療所や、時には街中を歩く黒髪の姿を気付けば目で、追うようになっていた。



 客間に通されたアレクセイは、常とは違う空気を感じて、いつものようにアリサを目で追った。が、不意にその視線が彼の方へと向けられ、視線がぱちりとぶつかる。先に視線を逸らしたのはアリサの方だ。勢いよくそっぽを向くような所作で、だが彼女の、ハーフエルフの血筋を示す先のとがった耳が微かに赤い。つられてアレクセイまで気恥ずかしさを感じて目線を逸らす。
 さっきからそんな応酬の、繰り返しだった。
「…あの、アレクセイさん、今日は…今日も、ですね。ありがとうございます、いつも」
「いえ、仕事ですから…」
 気になさらず、と返すのも本日実は4度目である。互いに沈黙を埋める為に繰り返している会話だ。そうしてまた、室内には沈黙が落ちる。酷く気詰まりな空気の中、アリサは何やら俯いて思案に耽っているようでもあった。彼女の感情をよく見せてくれる尖った耳の先っぽが、アリサと一緒に項垂れているのが少しおかしい。他のエルフ種ともアレクセイは会ったことがあるが、こうも感情に対して素直な動きを見せる耳も珍しい。その辺りも、いかにも嘘が下手で世慣れていないアリサらしく、好ましいとアレクセイなどはそう思うのだが。
「あの、」
 また沈黙が落ち、居た堪れなくなって口を開く。先からその繰り返しだ。アリサは何かもしかすると、言いにくい用事でもあっただろうか、最初の内はアレクセイもそう考えていたのだが、気恥ずかしげに頬を染めている様子を見ていると、つられて自分まで気恥ずかしくなってくる。
「…あの。アレクセイさん、次はいつ、いらっしゃるんでしたっけ」
 何度目かの沈黙の後で、アリサがそう尋ねる。これは初めてのパターンだった。アレクセイは不意打ちを受けた顔で、しかしすぐに気を取り直し、仕事の予定を脳裏に浮かべた。
「あ…そう、ですね。ええと。二週間ほど先になるかと」
「二週間、ですか」
「二週間、ですね」
 アリサの耳が項垂れたので、彼女がどうやら落ち込んだらしいことが知れた。もしかして――と脳裏を過った考えに、アレクセイも一緒になって目線を落とす。もしかして。
(二週間逢えない)
 そのことを、彼女が寂しがってくれているのなら。
 ――否。そんな都合の良い話はあるまい、とアレクセイは首を横に振る。が、それ以外に眼前のアリサの挙動の説明がつかない。そんな風に考え始めると思考はぐるぐると堂々巡りで、もしかして、という期待と、いやだけど、という冷静さが彼の中で争い始めていた。また場には沈黙が落ちる。かちかちと、暖炉の上に置かれた置時計が時を刻む音だけがやけに大きく響いていた。
 どれだけそうしていたものか――実際の所、さして長い時間では無かった筈だが。
「あの」
「あの」
 今度は、二人、同時だった。顔を上げて目線が絡み、仄かにアリサの目元が赤いことに、今更アレクセイは気付いた。そして多分、自分も同じような顔をしているんだろうな、ということも。何となしに、分かった。
 視線が絡んだまま――また、沈黙が落ちる。
 今度は沈黙を破ったのは、二人のどちらでも無かった。鐘の音だ。教会が時刻を告げるその音に、はっと我に返ってアレクセイは窓の外を見遣った。
「そうでした、次の仕事があるんでした」
 後ろ髪を引かれる想いで、彼は鞄を手に取り今度こそ立ち上がる。アリサも一緒に立ち上がり、部屋を出ようとするアレクセイの半歩後ろについてきた。それ自体は珍しいことでもない。律儀な彼女は、いつも出入り口まで彼を見送ってくれる。が、その日の所作は違った。
 部屋を出ようとするアレクセイの服の裾を遠慮がちにそっと掴んだのだ。
 足を止めて振り返ったアレクセイの視線に初めて自分の所作に気付いた様子でアリサはぱっと手を放してしまったが、耳まで真っ赤に染まったその様子から、何かを勘違いすることも、否定することも、出来る程にはアレクセイは鈍感では無かった。振り返り様に、後ずさろうとした彼女の手を取る。咄嗟の反応ではあったが、自分の行動にアレクセイ自身も驚いていた。そのまま、アリサの手首をつかんだ格好で、また沈黙が落ちる。今度は本当に、耳が痛い程の沈黙だった。ただ先程までの困惑混じりのそれとは、違った。アレクセイはじっと、アリサを見つめる。恥ずかしそうに目線を伏せていたアリサが、囚われた手に困惑した様子で目線をおずおずと上げるのを、待った。
 俯き加減のアリサの髪が、さらりと揺れて顔を隠す。その耳だけは饒舌に雄弁に。彼女の心を物語る。
 待った。
 やがて、アリサの伏せられていた顔が窺うように上がる。目元に僅かに朱の差して、黒い瞳が濡れたようにアレクセイを見上げていた。
「…変ですね。いつでも会えるのに」
 ゆるりと、そのアリサの口元に、恥ずかしげな笑みが浮かぶ。思い切ったように告げる言葉は独白めいても聞こえたが、きっとずっと胸に秘めていた言葉だと知れた。
「何だかアレクセイさんとお別れするのが、すごく寂しくなってしまって」
 きゅ、とアレクセイはアリサの手首を握る掌を意識した。そこに伝わる熱が同じものだと、確信をしながら。
「あの、」
 今度は沈黙を埋めるためのものではなく、何か決意を込めて告げる為の、一言だった。アリサの言葉に、アレクセイは微笑んで、手首を握っていた手をするりと、彼女の掌へ滑らせた。指を絡める。一度軽く、息を吸って、
「…それは僕の方から」
 空いた手の方、言葉を口にしかけたアリサの唇に人差し指を当てる。声は囁く様に低くなった。まるで声がどこかに漏れてしまうのが、勿体ない、とでもいうように。

 だから、その言葉は二人だけのものだ。

 囁いた言葉にアリサは目を瞠り、黒目を一瞬潤ませてから、アレクセイの胸の中に飛び込んできた。その背に腕を回し、豊かな黒髪を指先にくぐらせる。その彼の耳元で、微笑むアリサが、矢張り互いにしか聞こえぬように囁いた。
「…私も」
 同じ気持ちです、と。それだけ呟く様に。それで十分で、それだけで全てだった。ごく自然と視線が絡み、それから引き寄せられるように、互いの言葉を封じるように、唇が、触れあった。

 遠く、遠くで、鐘の音が鳴り響いていた。
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2015年11月10日

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