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『 いつか もしかしたら 』
エル・クローク3570


【White】

 カランと入店を告げるベルが鳴って、エル・クロークはドアの方を振り返った。
「いらっしゃい。今日は何を…」
 と言い掛けた言葉を飲み込む。入ってきたのは若い男だった。柔らかなウェーブを描く黒い髪とその細身のシルエットに心当たりがなくて、クロークはしばし記憶を手繰るような仕草をしてから言った。
「ああ、初めての方だね」
 押し寄せる黄昏に家路を急ぐ人々。それを横目に客のなかったレトロアンティーク風な店内は緩やかな時間を刻んでいる。
 商品棚に並ぶポプリや香水瓶の数の多さにでも目を奪われていたのか、彼がようやくカウンターの向こう側にいたクロークを振り返った。照明のせいではあるまい、整った顔と紫の瞳に暗い翳を落としながら彼は不慣れな調子で言った。
「最近、寝付きが悪くて…」
 ぎこちなく苦笑を浮かべる目の下にはなるほど、うっすらクマが出来ていた。あまり眠れていないのだろう。
「それなら…」
 クロークはカウンターから出ると商品棚から人差し指ほどの小さな細工瓶を1つ取り、カウンターの上に置いた。
「これなんかどうかな? 寝室に置くだけですぐに眠れると思うよ」
「ありがとう、試してみるよ」
 彼はそう言って瓶を取るとお代を支払って店を出ていった。
 ただ、それだけだった。

 2日後。
 再び彼はクロークの店に訪れた。目の下にクマを作って。
「相変わらず眠れていないようだね」
「一昨日はよく眠れたんだけど」
「それはよかった。なら、今日は多めに持って行くかい?」
 小瓶は1回使い切りの少量だった。初めての客に大量に渡す事ははばかられる。分量を間違えて数日目が覚めないなんて事になったら目もあてられないからだ。とはいえ…彼の目の下のクマは一昨日よりも心なしか濃くなっている気がする。
 怪訝に首を傾げながらクロークは商品棚の前に立った。
「今夜の分だけ頂いて帰るよ」
 彼が言う。
 クロークは頷いて同じものを1つ取ると手渡した。彼はそれを受け取って帰っていった。何とはなく、彼の出て行った扉をクロークはカウンターに頬杖をつきながらしばらくの間見つめていた。

 更に2日後。
 三度彼は訪れた。目の下のクマを更に濃くして。
「今日も、同じものが欲しいんだけど」
 彼はそう言っていつもクロークが取る商品棚の辺りを見やった。
「ああ、ごめん。今、切らしていてね。すぐに調香するから待っててくれるかな?」
「わかった」
 彼はそうして手持ち無沙汰に商品棚を眺め始める。それほど多くの時間はかからないが退屈だろう。
「待ちついでと言ってはなんだが、心を落ち着けるハーブティーがあるんだ。よかったらどうかな?」
「じゃぁ、貰おうかな」
 クロークの提案に頷いて彼は外套を脱ぐとそれを傍らの椅子に置いて、カウンター席の端に座った。クロークは手早くハーブティーを煎れて彼に出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
 彼はハーブティーの香りを楽しんで一口啜る。
「変わった味だけど、ホッとする味だな」
 そんな感想を漏らしながら立ち上る湯気を見つめる彼に、カウンターのこちら側で香水を調合しながらクロークが話しかけた。
「聞いてもいいかな? 眠れない理由」
 そんな問いに彼は一瞬左上の方を見て、それからクロークの方を向いて応えた。
「…仕事のストレス、かな」
 明らかな嘘。言いたくないのか、それとも。クロークはしばし考えて深く追求するのをやめた。時間が必要なこともある。
 やがて。
 彼はハーブティーを飲み干し、穏やかな顔をして商品を手に取ると満足げに店を出ていった。
 カップを片づけながらクロークがそれに気付く。外套のポケットからこぼれ落ちたのだろう椅子の上に彼の忘れ物が残っていた。
 懐中時計とは何の縁か。
 クロークは閉じられた扉を振り返りそっと時計を手の中に包み込んだ。


 ……


 数日後、彼はまた来るだろう。これは確信だ。

 どうしても眠れないならあの扉を開けばいい――。





【Black】

「何故だ、何故彼女を殺した!?」
 “彼”は親友の胸倉を掴み怒号を浴びせかけた。その憤激に親友は…否、親友だった“男”はそっと手を置いて淡々と無機質な声音で問い返した。
「何故? お前は本当にそれが知りたいのか?」
「どういう意味だ?」
 彼は奥歯をぎりぎりと噛みしめながら、殺しそうな程の視線で男を突き刺した。それでも男は動じた風もない。
「俺がどんな答えを返そうとも、今のお前は信じたいものしか信じられないのだろう?」
 それが真理だと言わんばかりに。諦念に満ちた目をして。彼はそれでも男の目をまっすぐに見据えて言った。
「……」
 激しい憤りと憎悪の念に苛まれながら、しかしどこかで男の言う事を諾としている自分がいて、彼は続ける言葉を口惜しげに嚥下した。謝って欲しい訳じゃない。言い訳なんか聞きたくない。わかっているのだ。聞いてしまったら自分は男を赦さなければならなくなる。たぶん。
「お前はどうしたい? 俺に何を求める?」
 赦したくない。赦さない。赦せない。絶対に。でなければ自分がどうにかなりそうだった。壊れそうだった。耐えられない。この現実に。だから。
「彼女の仇を討つ」
 絞り出すような声。自身に覚悟を促すように放たれた言葉。自分は彼女を殺した男を一生赦さない。
 だから彼は強く吐き捨てる。
「絶対にお前を赦さない! 俺は彼女の仇を討つ!!」
 頭に血が上り沈め方もわからなくて、ただ気が狂いそうだった。いや、もう狂っている。激情だけが彼を支配していた。
「そうか」
 男は少しだけ穏やかそうに微笑んで、彼に短刀を握らせると、それから両手を広げてこう言った。
「なら、討て」
 その言葉に促されるままに怒りは激発する。いや、怒りだけではなかったか。
「うわぁぁぁぁぁああああああ!!」
 怒りと憎しみと哀しみと悔しさと悲しみと苦しみと、さまざまな感情が入り交じり、悲鳴にも似た絶叫をあげて彼は感情に流されるまま男の胸に短刀を突き刺した。
 刹那。我に返る。
 滲み出す赤い血と肉を裂くその感触に震えるように手を離した。
 怒りは急速に冷えていく。仇を討ったからといって喜びが到来するわけでもない。彼女はもう2度と帰ってこないのだから。こんな事をしても何の意味もない。楽にはなれないのだ。
 残ったのは仇を討った自己満足とやらと、親友を殺した事実と、埋めようのない虚しさだけだった。
 ならば罰を受けているのはまるで自分の方ではないか。
「贖罪のつもりか、何故…?」
「いいんだ、これで。彼女の最期を看取れなかったお前にしてやれる事なんてこれくらいしかないからな」
 親友はそう言って笑う。全部忘れろ、と笑う。それは祈りにも似ているような気がした。何故、そんなことを祈る?

 だけど。

「なぁ、お前が望んだ事は、本当にこんな事か?」
 唐突に、親友が尋ねた。
「え?」
 頽れる親友。その向こうに立っていたのは…。
「――!!」
 もう2度と会えないと思っていた彼女が微笑んでいた。彼は彼女の前に膝をついた。ただ彼女の名を嗚咽混じりに呼びながら。
「すまない、君を守れなかった」
 彼女は首を横に振る。
「いいの」
 変わらずに優しく澄んだ声。
「よくない!!」
 彼は頭を振る。
「貴方は何も悪くない」
 彼女は彼の柔らかい栗色の髪を優しく撫でた。
「ごめん…」
 彼はうなだれるばかりで。
「私の方こそごめんなさい。弱すぎて、貴方を信じてあげられなかった」
 彼女の声が届かないのか。
「君を守れなかった…」
 彼はただ悔恨の言葉を繰り返す。
 それでも彼女は諦めずに彼に言葉をかけた。
「貴方の笑顔が好きだった。愛してる」
 その言葉に彼はようやく顔をあげる。
「一つだけお願いを聞いてくれるかしら?」
 彼女の笑みに笑みを返して彼は頷いた。
「何だい?」
 彼女の言うことなら何だって聞いてやる。何だって叶えてみせる。
「私の分まで生きて」
 彼女は彼の碧色の瞳をのぞき込むようにして言った。
「……」
 それはあまりにも残酷で、あまりにも……。
 彼の頬に涙が伝う。
「笑って、泣いて、怒って、誰かを愛して、私の分まで幸せになってね」


 ……


『だけど今は、ゆっくり眠るといい。次に目覚めるその時のために』
 クロークはリクライニングチェアの上で眠る“男”の耳元に優しく語りかけていた。栗色の伸びた前髪の奥で流した涙がゆっくりと男の頬を伝い落ちる。
 その前で“彼”は、これ以上ないほどに目を見開いて立っていた。明かりと言えばランプだけの暗い部屋で黒髪を更に漆黒に染めながら、その紫色の瞳にクロークと親友の姿を映して。
 最初は隣のシートに座っていた彼だったが、香の効果が切れたのだろう途中から腰を浮かせ、堪えきれなくなって立ち上がったのだ。勿論、それはそうなるようにクロークがし向けていたわけだが。
 半ばパニック状態であろう彼を無視して、夢の中を惑う男の誘導を続けていたクロークが、ようやくそこで顔をあげた。
「何を驚いている?」
 揶揄を含んだような物言い。
「断っておくけど、依頼人はあなたじゃない」
「え…」
 呆気にとられている彼にクロークは答え合わせでもするように続けた。
「あなたは僕が用意した香を彼に使っていたのだろう?」
 リクライニングチェアで眠る男にクロークは目配せしてみせる。彼はハッとしたように視線をそらせた。
「だから、あなたの目の下のクマは一向に消える気配がなかった」
 やれやれとでもいう風にクロークは腕を組む。いたずらした子供を叱るような顔つきで。
「…すみません」
 申し訳なさそうに彼が俯く。反省しているのだろう。元々深く咎めるつもりもなかったクロークは、それで相好を崩した。彼女を亡くして眠れなくなってしまった親友を何とかしてやりたくて、やった事なのだろう。だから。
「もう、いいよ。よくはないけど、今回は目をつぶる」
「すみません。ありがとうございます」
「依頼人は、そんなあなたを助けたいと願った相手だから」
「え?」
 意味深にそれだけ言って、クロークは話題を変えた。
「それより、あなたはこれからどうするの?」
「旅に…出ようと思います」
 彼はリクライニングチェアに眠る親友の顔を見下ろして言った。親友の仇討ちは果たされたのだ。自分は死んだ。少なくとも親友の中ではそういう事になっている。だから、そう決めて、最初から消えるつもりでいたのだろう。
「そう」
 クロークも男に視線を落とした。
 とはいえ、彼の筋書きから少し外れてしまったこの男が次に目を覚ました時、男は仇を討った事を後悔するのではないか、と思う。その証拠に、彼は彼女と再会する前からとっくに後悔していたではないか。本当は事情を知りたかったに違いない。本当は言い訳してほしかったに違いない。本当は…なんて、ここから先はクロークの預かり知らぬところの話か。彼らの好きにすればいい。アフターケアまで引き受けた覚えはないのだから。もちろん、男に彼の事を聞かれたら嘘を吐く道理もないのだが。
「お世話になりました」
 深々と頭を下げて部屋を出ていこうとする彼に、ふとクロークが思い出したように声をかけた。
「ああ、そうだ。懐中時計、大事にしてやってよ」
 怪訝に首を傾げて、それから彼は笑顔で大きく頷いた。
「もちろんです」





【gray】

「彼はどうしたんだろう? あなたは何か知ってる?」
 クロークは彼の忘れ物の懐中時計に声をかけた。懐中時計はただ時を刻んでいるだけだ。人の言葉を解さない。けれど懐中時計が持っている記憶。大事にされてきたのだろう主への思いは、言葉とは別の形でクロークに語りかけてきた。
 だからクロークは懐中時計にそっと目を閉じ耳を傾けた。

 ――3人の子供?

 父親の懐中時計をこっそり持ち出した黒い巻き毛の少年と、それから栗色の髪の少年と、赤毛の少女が遊んでいた。遊んでいるのは、たわいもないお姫様とナイトごっこだ。
『我は姫をお守りする騎士となります』
 膝をつき誓った忠誠。それは遊びの中のただの台詞に過ぎなかったが、紛れもなくそれは少年達の本心だったのだろう。
 彼女を一生守るんだ。
 そして彼らは成長した。
『お願いがあるの。私を殺して』
 思い詰めた顔で彼女は黒髪の彼に懇願した。小さな過ちが彼女を追いつめていた。
『何か方法があるはずだ!』
『もう、ダメなの』
 彼女は髪を振り乱すように首を横に振って泣き崩れた。
 ボタンを掛け違えるような些細な行き違いで幼なじみの婚約者にかけてしまった呪い。信じられなくて死んでしまえと願ってしまった弱い心。それを断ち切る唯一の手段。
『あいつには、何て言えばいいんだ?』
 何か呪いを解く方法があるはずだ。それを探そうと、彼は必死に彼女を奮い立たせた。説得を試みた。試みようとした。けれど彼女はもう手遅れなのだと首を横に振るだけだった。
『私は遠くに行った、と伝えて。彼を愛しているの。だから私の分まで生きて…彼には、笑って、泣いて、怒って、誰かを愛して、私の分まで幸せになって欲しいから』
『そんな事は、自分で伝えろよ!』
 彼の叱咤に彼女は哀しく笑った。
 そうして彼女は彼の手を借りず自ら命を絶った。止めようとした彼の手に彼女の首を切った短刀を残して。
 その時、間の悪い事に幼なじみであり彼女の婚約者であり彼の親友だった男が帰宅した。予定よりも1日早く。
『――!!』
『どういう事だ!!』
 親友の激昂。
『!? 何故、ここに…』
 彼の動揺。
『どういう事かと聞いている!!』
 親友の憤激に咄嗟に彼の口をついたのは。
『…俺が殺した』
 という言葉だった。殺したも同然だった。止められなかったのだから。彼女を守れなかったのだから。
『俺は絶対にお前を赦さない』
 繰り言は彼と親友を追いつめる。
『絶対に赦さない』

 ――ああ、そうか。

 クロークは懐中時計を開いてみた。時計は正確に時を刻んでいる。
「彼を助けて欲しいんだね」
 店の扉が開いた。
 忘れ物をしたと言って彼が慌てて戻ってきたのだ。
 亡父の形見なんだと言う彼に、クロークは懐中時計を返した。


 数日後、彼はまた来るだろう。そう確信して。



 ……



 いつかもしかしたら、彼と親友の話の続きを“彼女”から聞けるだろうか――





 ■END■
PCシチュエーションノベル(シングル) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2015年11月25日

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