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『あなたに勧める香ならば 』
エル・クローク3570

 最近、よく顔を見せる客人が一人居る。

 取り敢えず僕が見る限りは女性。声が澄んでいるのが、喋る言葉を少し聴いただけでもよくわかる。ならばどういう人物か。生業については何とも計り難い。…声を使う生業である可能性が高いか。だが、声を使う生業としての代表格、吟遊詩人と言った風来坊な体でもない。だからと言ってもう一つの代表格、歌姫と言うにも特有の貫禄めいた安定感に乏しい気もする。どちらと考えるのもいまいちしっくり来ない。
 こんにちはぁ、と声を掛けつつ恐る恐る店の扉を開けてひょっこりと顔を出して来たのがまず最初。路地裏にある小さな店、それもレトロアンティーク風の内装をした…と言えば聞こえはいいけれど、要するに「古色」と言う敷居がまずある店舗でもあるから、一人では少々入り難かった…とでも言う事なのかもしれない。
 そんな彼女をいらっしゃい、初めての方だね、といつも通りの笑顔で迎えて――そんな僕を見て、お店の方ですかって何やら恐縮しつつも彼女は仄かに顔を赤らめて。その時点で僕を見てどう思ったか察しは付いたけど、何か余計な事を言うような無粋はしない。訊かれた通りにそうだよと肯定して、ただ自分が店主だと名乗るだけ。名前は、エル・クローク。名乗ったついでに、エルではなくクロークで呼んで欲しいとも予め伝えておく。僕にとって、これだけは譲れない事だから。
 その日は、彼女は店内の様子を見て、わあ、と感嘆の声を上げていて。きっと、そこで初めて店内の様子に気が付いたんだろうね。それ程大きい訳じゃない商品棚に犇めいている、香りに関する様々な物が興味深かったのかもしれない。御香や香水だけじゃなく、使う道具も――そうでない物でも。香りに関する物なら…節操無く色々置いてあるから。女の子の目には楽しいのかもしれない。目移りもしたのかも。

 …だからまぁ、特にの目的があって店に来た訳じゃないんだとはすぐにわかったよ。
 彼女はその日は、僕が提案したささやかなティータイムだけを楽しんで店を出た。紅茶だって「香り」に関わる販売品目の一つとして僕は店に置いている。…まぁ、だからこそ喫茶スペース兼のカウンターなんかも作ってあるんだけどね。申し訳程度のものだけど。その旨もティータイムの雑談がてら話したよ。

 つまり、そんな来店の仕方ではあったけど。
 彼女はただの冷やかしではなく、きちんとした客人ではあったんだよ。初めから。



 今日は彼女は商品棚の一角を見ている。こないだのように紅茶の一杯と茶菓子だけと言うのもどうか…と思ったのかもしれない。そのくらい、店にも一定の気を遣おうとする気持ちの良いお客様みたいで。取り敢えず、香水瓶や香炉等の「香りを楽しむ為の道具」が置いてある辺りに今日の興味は向いているらしい。可愛い形だとか色々思う事もあるだろう。何となく手に取って見たがってる様子もあった。
 気になる物があったら直に手に取って見ても構わないよと伝えて、僕も僕で棚の戸を開ける為に彼女の傍らに回る。じゃあこれを…見せて貰っていいですか、と、香炉の脇に置いてあったオイルストーンを控え目に示された。…アロマオイルを垂らして広がる香りを楽しむ為のもので、安価な物から高価な物まである。
 彼女が興味を示したのは、魔法石…に近い効能のある鉱石で作られた小さなオイルストーンだった。と言っても単体で然程の魔法的な力がある代物じゃない。見ているだけで優しい気持ちになれる癒しの石。魔法と言っても、垂らしたアロマオイルの香りの効能が、幾分増幅される…程度の力があるだけの物。
 ストーン自体の細工も丁寧で、なかなか品がいい代物。…これに目を付けた時点で、なかなか趣味は悪くないと思う。…まぁ、僕の趣味に合わない物は元々置いていないと言えばその通りなんだけど。
 棚から取り出し、彼女にそのオイルストーンを手渡すと――丁寧に受け取って、吸い込まれるみたいにしてじっと見て。暫くそうしていたかと思うと、これ、頂けますかと心を決めたように言って来て。
 出したから買わなきゃいけないって訳じゃないんだよ、とも悪戯っぽく軽口を叩いてもみたけれど、彼女は否定するみたいにゆっくりと頭を振って。
 ああ、本当にこれが必要なんだなとその様子を見て僕も理解した。
 一期一会の巡り合わせと言うものもある。
 多分、このオイルストーンは彼女の元に行く事になっていたって事なんだろう。

 包む前に、試してみるかい? とも申し出てみる。『表』であってもそのくらいのサービスはして然るべき。この店にはアロマオイルの方も様々な種類が置いてある。
 そして、彼女が試す事を選んだアロマオイルは、僕にとっては何となく予想通り…だった物でもあって。

 でも、そうなると。
 彼女はどうやら、『裏』のお客様にもなるのかもしれないな、と思う。



 今度は調香を、頼まれた。
 先日、オイルストーンを試用した際のアロマオイル――とある香草から抽出した有り触れた物ではあるのだが、元々彼女自身が持っていた物と、ここで試した物とでは同じ物の筈なのにどうも何かが違っていたらしい。そして、店にあった物の方が――いい、と。彼女はそう訴えた上で、同じ物を――ううん、ただ同じ物じゃなくて。
 もっと優しい香りが欲しいんです、と言って来て。
 曰く、自分の持っている物より、この店の物の方が、理想の香りに近い気がしたから。
 調香師さんになら、そういった事も頼めるんじゃないかと思って。

 そんな彼女のたどたどしい要望に、僕は応える事をする。
 では、こちらに――と、僕は、彼女を奥の部屋へと招じ入れた。



 ここは『裏』の仕事の為の部屋。
 入った時点で、わ、と彼女が軽く驚く。初めにこの店に来た時と似た反応――部屋の内装に驚いたのかもしれない。室内には様々な香りの瓶が詰まった棚と、中央にぽつんとリクライニングチェアがあるだけなんだから。灯りはと言えば仄かな光を放つランプだけ。
 そして、そのランプを点けた僕は今、一つ香炉を持っている。
 彼女の視線が、少し不安そうに揺れている。…まぁ、店表とは随分雰囲気が違う部屋だからね。

「え…っと、クローク、さん?」
「御所望は、先日のアロマオイルよりももっと優しい香り。そうなると、あなたにも直接確かめて貰う必要があるからね」
 だから、こっちに来て貰ったんだよ。
「そう…なんですか」
「座ってくれるかな?」
 ここに。
 リクライニングチェア。
「あ…は、はい」
「緊張しなくていいよ。ちょっとしたアロマセラピーみたいなものだから」
 そこに座って、僕の言葉に耳を傾けるだけでいい。そう、深呼吸して――…

 …――うん。あなたは何か、焦っている事があるんじゃないかな。本当は出来る筈の、しなければならない事が、出来ていない。どうにも上手く行かなくて、困っている。そうだな…あなたはとても澄んだ綺麗な声をしているから、そこに関わる事かな。
 例えば、歌とかね。
 ッ…そんなの…わかっちゃうものなんですか。
 同じ物なのに違った風に感じる。…あなたが選んだあのアロマオイルはね、香りを聞く当人の状態で、感じ方がかなり変わってくるものなんだよ。…勿論、同じ原料でも産地が違うとか、モノとしての違いも少しは影響するけどね。でもそれだけだったら、きっとあなたが思う程の違いには感じない。
 あのストーンを使った上で、もっと優しい香りが欲しいとなると。あなたは今、本当は。精神的に相当にきつい状態なんじゃないのかな。
 でも、それを表に出さないでいる。
 ッ…それは。
 あなたの強さと優しさがそうさせないのかな。誰かの為にと頑張って。
 頑…張る…。…私…。
 あなたは、本当はどうしたいんだろう。
 …え…?
 上手く行かない事を、何とかして上手くやりたいのか。それとも、上手く行かない事を全部投げ出して逃げてしまいたいのか。それとも他に何か選択肢を見出したいのか。あなたは本当は、どうしたいのかな。
 どう望もうと、あなたの自由だよ。あなたの為に、あなたのしたいようにすればいい。
 例えば、今この場で。一時の夢の中で良ければ、あなたの望む事を、僕が手助けしてあげられる。
 …夢…?
 そう。…僕はね。一時の夢や幻の中でだけだけど、あなたみたいな人の――心の奥にある障害を解消する事や、願望を満たす事が出来るんだよ。
 あなたの心の中の望みが、夢幻の中ででも満たせれば。きっとあなたの求める香りが手に入る。
 …私…は…。



 僕が室内で燻らせた特殊な香の中。
 彼女は「上手く行かない事を上手くやれている自分」を夢の中で見る事を選択した。

 曰く、彼女は歌姫の卵で、幼い頃から歌が上手く、見出されてそういった訓練を受けても来たのだそう。ただ、ある頃から不意に歌えなくなった。とは言え、声が出ない訳では無い。どうしてそうなったのか理由はわからなかった。だからこそ、どうしたら元に戻るかもわからなくて――再び歌えるようになるまで仕方無いと周囲も温かく見守ってくれていたのだけれど、彼女としてはそうされる事自体が申し訳無くて――身の置き場に困っていた頃に当の有り触れたアロマを偶然知って。
 それを試したら、久し振りにほっと気が弛んで。リラックス出来て。
 以後、香りに関するものに何かと興味が向いていたのだそう。…それで、外からは何の店かわからなかったけれど、とにかくいい香りのする僕の店、の事も前から気になっていたらしい。
 しかも、そこで自分の物と同じ――否、それより自分の好みに合うアロマを見付けてしまって。
 どうしても欲しくなって。ううん、欲しいだけじゃなくて、それ以上もあるかも、と望んでしまいさえして。
 今に至る、と言う事になる。

 夢から覚めた彼女は、少しぼうっとした後に、漫然と僕を見て。そのまま少し間を置いてから、不意に僕に目の焦点を合わせたかと思うと――すぅ、と思い切り息を吸って。
 試すように、喉を振るわせて。
 ほんの短い間だけれど、母音歌唱での歌声を響かせた。
 その事を自覚出来た時点で、彼女は何処か呆然としていて。
 え、嘘、と上擦った声で呟いていた。

 …何と言うかまぁ、それは僕の方が言いたい事なのだけれど。

 何故なら今、僕の香の効果で彼女が見ただろう夢は、幼い頃のではない、「今の」自分が朗々と歌っている姿だっただろうから。
 そしてどうやら――その夢から覚めたところで、その夢をなぞるようにして歌ってみたら本当に歌えた、と言う事らしい。
 上擦った呟きは、湧き上がる喜びの声でもあって。

 まぁ、そんな事もあるのかな。と僕は小さく肩を竦めるくらいしか出来ない。…確かに、望んだ夢が夢だし、夢の中で自分が歌っていたのなら、それで自分が歌う感覚は掴めた事になるのかもしれないけれど。
 嘘から出た真と言うか何と言うか。
 ひとまず客人の満足が得られたのなら、それで重畳ではあるのだけれど。



 まだ何処か夢現でふわふわした雰囲気の彼女は、店表に出て来ても何やら落ち着かない様子で居て。
 そこで僕は、彼女が求めた当のアロマオイル――まぁ、モノとしては前に試したのと同じ物なんだけどね――を、用意したストーンに垂らして彼女に差し出した。彼女は驚いたような顔で、叫んでしまうのを止めようとするみたいに口元を両手で押さえている。

「これ…これです…! 本当に、前のより優しい香りがして…本当にこれ、同じアロマオイルですか」
「そうだよ。全く同じ物」

 あなたへのお薦めは、今の、これ。

「…はい…!」

 彼女は嬉しそうに頷いて、改めてそのアロマオイルの小瓶を一つ購入。有難う御座います! と元気なお礼を残しつつ、店を後にする。…多分、あなたが家に持っているって言う物と全く同じアロマオイルだと思うけど、とも確かに伝えたけど、それでも彼女は購入した。
 余程、嬉しかったらしい。
 またのお越しをと声を掛けたら、はい! と嬉しそうに思い切り頷いてくれて。
 本当に、気持ちの良い反応をしてくれた。

 夢や幻の中での事でも、叶えたい願望の種類は、人によって本当に様々で。
 後の反応も、本当に様々。

 次に来る客人は、果たしてどんな人物だろう?

【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
深海残月 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2015年11月30日

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