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『 リブロ&リコルド 』
イアル・ミラール7523)&SHIZUKU(NPCA004)


 古書独特の匂いが鼻孔をくすぐる。
 ここ、神田の古本屋街には、一日出来は回りきれぬほどの古書店が密集していた。昔ながらの平屋の店もあれば、近代的なビル作りの店まで様々で、本が好きであれば一日いても退屈することはないだろう。
「これはもう持ってるし、これは図書館で読んだけど自分で持ちたいほどじゃないなぁ」
 朝から古書店を巡っているSHIZUKUは何件目かに入った本屋でお目当ての物を探している。もちろん彼女の目当てのものといえば、オカルト関連の本だ。数十年前のオカルト関連本は今とはまた違った解釈がされていたり、かと思えば今も変わらない記述もあり、面白いのだ。
 故に時折こうして古書店街を回るSHIZUKUであったが、今日はなぜだか少し違っていた。
「……これ」
 導かれるように手を伸ばしたのは羊皮紙の本。長い時間を過ごしてきたであろう風格を感じるそれに惹かれてたまらないのだ。中身はどうやらオカルト関連ではないようなのだが、SHIZUKUは気がつけばその本を買い求めていた。


 神聖都学園の怪奇探検クラブの部室で買い求めた本を読み始めたはずだった。それなのに、それなのに――。
「いたたたたたたたっ……っ……助けて、助けてっ……」
「落ち着いてくださいというのも無理でしょうが、混乱せずに痛みを逃がすようになさいませ。大丈夫です、古来より女性の体は出産の痛みに耐えられるようにできているのですよ」
 目を開ければ豪奢な部屋の天蓋付きのベッドにいた。周りには年かさの女性や若い女性が何人かいて、ベッドの上のSHIZUKUを見守るように取り囲んでいる。
 それはともかく、腰のあたりから下腹部にかけてを襲うこの痛み!
(な、しゅ、出産って何なのよー!?)
 老女の言葉にそう問いたくもあるが、とてもじゃないがまともに頭が働かない。痛みが、痛みが続く恐怖がSHIZUKUの思考を埋め尽くそうとしている。
「まだいきんではいけません!」
(そ、そんなこと言われても……力が入っちゃって)
「女王様、ゆっくり、ゆっくり呼吸なさってください!」
(今、なんて……じょ、女王様っ……!?)
 自分に対する呼称にすら驚いていられない。ちっとも収まらない痛みが、今まで体験したことないほどの痛みが襲ってきているのだ。
 どれくらいこの痛みと対しているのかわからない。最初の頃は痛みに波もあって、時折痛みが引く瞬間もあったのだが、いつの頃からか痛みは続くようになっていた。苦しさと恐怖から呼吸すらうまくできなくなり、瞳に涙が浮かぶ。この痛みから逃れられるのなら、腹を切り裂いて赤子を取り出してくれてもいい――魔が差したのか、そんなことすら思いこそする。
「母になろうとしている方が弱気になってはなりません! 頭が見えてまいりましたよ、もう少しです!」
 SHIZUKUとしてはいきなり出産という未知の状況に置かれて、パニックにならないほうがおかしいというものだった。けれどもSHIZUKUの身体――正確に言えば女王の身体だが――は命を生み出すことに全力を注いでいる。本能的にすべてをこの行為に注いでいるのだ。
 時間の感覚もなく、また永遠につづくとも思える痛みに耐えるしかなく、意識を手放してしまえたらどんなに楽だろうと思う。反面、この小さな命を生み出せるのだという使命感が意識を繋ぎ止めていることに気がつく。
 やがて――ずるり、何かを排出した感覚。痛みはやや残っているものの、身体から抜けていく力。そして、産声。

「時期女王様のご誕生です!」

 その声に今までの痛みも忘れ、SHIZUKUは疲労感の中で満面の笑みを浮かべていた。


 SHIZUKUはどうやら小国の女王という立場のようだった。そして先ほど産み落とした娘は世継ぎの姫となるらしい。産後の処置を受けたSHIZUKUは、ベッドの隣ですやすや眠る娘の顔を見ていた。流れるのは優しい時間。こみ上げてくる愛しさ。何をおいてもこの子を守りたい、そう思うこれが母性本能なのだろうか?
 だが残酷にも、この優しい時間は長くは続かなかった。部屋の外が騒がしくなったのが、王宮の最奥にいるSHIZUKUにもわかった。扉の外で入室を求める声がする。
「入りなさい」
 女王然として答えたSHIZUKUにもたらされたのは、最悪の報。この大陸の国々を征服して回っている悪の王国が攻めてきたというのだ。いつかはこの国も狙われるかもしれない、そう考えて準備はしていたが、それがこのタイミングだなんて……!
 はっきり言って、これまで多数の国を併呑してきた王国の軍事力にこの小国が敵うはずはない。けれどもSHIZUKUは女王として、そして母として守らなければならないものがあった。
「この子を連れて隠し通路から逃げて」
「でも……」
 渋るメイドに娘を託すと、それまで眠っていた赤子が火がついたように泣き出した。SHIZUKUはこれが最期と赤子を抱きしめる。
「離れていても私たちは母と娘。どんなことにらなろうとも、私はあなたのことを愛しているから」
 生まれたばかりの赤子に言葉がわかるとは思えない。けれども彼女は泣き止み、真っ直ぐな瞳でSHIZUKUを見つめた。
 名残惜しくないわけがない。けれども心を奮い立たせるようにして、心の痛みを無理矢理抑えこんで娘を託したメイドたちを逃がした。
 女王を探せ――敵兵の声が聞こえる。本来ならば出産直後の身体は絶対安静だ。悪露もまだ止まっていない。疲労に満ちた身体に鞭を打ち、SHIZUKUは部屋を出る。夜着の上に儀礼用のマントを羽織ったのは目立つため。逃げる娘達に目が向かないよう、囮になるため。裸足のまま、石造りの床を駆ける。驚くほどに身体がだるく、言うことを聞かない。スピードももちろん出ない。捕えられるのも、時間の問題だった。


「美しい女王よ、私の妻となれ」
「……嫌よ」
「滅び行く小国の女王に価値を見出してやったのだ。それを無下にするということがどういうことなのか、わかっているのか?」
 敵兵に捕えられたSHIZUKUは、悪の王国の王の前に引き出されていた。いつ命を奪われてもおかしくない、そんな状況でも思うのは娘のことばかりだ。どんなに傷めつけられようと、辱められようとも、娘に恥じるようなことはしたくない、そればかりが心を占める。
「そうか、ここまでしても頷かぬか。それならば永遠に苦しむがいい!」
 後ろ手に縛られたままバルコニーに立たされたSHIZUKUを、この国の国民たちの無数の瞳が捉えていた。背後に立った呪術師らしき者が呪文のようなものを唱えると、足先から感覚がなくなっていく。
(……なに!?)
 SHIZUKUの身体は徐々に侵食され、石と化してゆく。
(そんな……)
 このまま全身石と化して見せしめとしてさらされるのか――それだったらいっそのこと、殺された方がいい。けれどもSHIZUKUは唇を引き結んで一言も漏らさない。心のなかでは、徐々に石化していく恐怖がうずを巻いているというのに。
 石像と化したSHIZUKUは、支配の象徴として悪の王国の広場に飾られることとなった。


「……この本の中だわ」
 SHIZUKUを訪ねて部室を訪れたイアル・ミラールが発見したのは一冊の本。イアルの見立てによればそれは『魔本』と呼ばれるたぐいのもので、通常の本屋では手に入るはずのないものだ。だが稀に、普通の古書店に紛れ込んでいることもある。今回はそれをSHIZUKUが購入し、中に吸い込まれてしまったのだろう。普通の古本屋にあったものならばメンテナンスされているはずがないから、本の中の均衡は崩れているはずだ。
(でも彼女を助けるためには、わたしも中に入るしかないわ)
 イアルにどんな役が割り振られるかはわからない。それでも彼女が本に閉じ込められたSHIZUKUを助けるのを躊躇うことはなかった。


「とうとう決行の日が来ました。心の準備はいいですね?」
 本の中、イアルは成人した女性の役になっていた。レジスタンスの旗印として、悪の王国を崩壊させることを使命とする、滅ぼされた国の王女――そう、小国の女王だったSHIZUKUが産み落としたあの王女がイアルの役だ。本の中では20年の歳月が過ぎ去っていた。
 悪の王国の被害に遭い、悪の王国を憎む人々の親切を受けて育った王女は自らレジスタンスの旗印となることを願った。そして、綿密な計画の末に悪の王国へと攻め入る。
 まともにぶつかっても勝ち目がないことはわかっていた。だから秘密裏に、トリッキーな計画で城内に入る。無理矢理悪の王国に支配されて、それに納得していない人々も多く、彼らの手引でイアルは王と対峙することができていた。
 年老い、そして慢心した王は兵士たちにイアルの排除を命じる。だが王の命令を聞く兵士たちはすでにレジスタンスの仲間が抑えていた。誰も、王を助けにはこない。
「自らの行いを悔いなさい。これは、あなたが苦しめてきたすべての人々の総意です!」
 剣を構え、イアルは王との距離を詰める。慌てふためくだけしかできない王との決着は一瞬だった。広がる血だまりに、こんな男のために沢山の人々が苦しめられたのかと思うと、深い溜息が漏れる。
「王女様! 広場へ!」
 仲間に頷き、イアルは広場へと出た。それは彼女が王を倒した証。悪政を敷いていた王がいなくなったことに人々は喜び、イアルを称える。そんな中、彼女がまっすぐに目指したのは、広場に飾られた苔むした石像。育ててくれた元メイドが、涙しながら石像を見上げている。
「お母様……」
 イアルは自らブラシを手に、優しく苔を洗い落としていく。やがて現れた石像は美しさを取り戻していた。イアルはそっと呪文を唱え、石像の石化を解く――。


「それでね、私の娘だったイアルちゃんが石像になった母親の私を助けてくれたんだ」
 明るく語るのはSHIZUKU。部室に戻ってきた彼女は魔本の効力によって体験した出来事をすべて夢だと思っている。
「でも夢でも出産を体験するんだなんてびっくりだったよ。イアルちゃんが娘だったのはもっとびっくりだったけど!」
「そうね。でも夢でよかったわね」
「うん……凄くリアルな夢だった」
 メンテナンスされていない魔本なので多少の心配はあったが、どうやら後遺症などもなさそうだ。夢で見てきたことを明るく語るSHIZUKUに相槌を打ちながら、イアルはそっと安堵の息をついた。



■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【7523/イアル・ミラール様/女性/20歳/裸足の王女】



■         ライター通信          ■

 またのご依頼ありがとうございました。
 とても嬉しく思います。
 今回はいつものテイストとは違って本の中のお話がメインということで、新鮮な気分で書かせていただきました。
 もちろん、今回もまた、楽しく書かせていただきました。
 少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
 この度は書かせていただき、ありがとうございました。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
みゆ クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年11月30日

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