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『深雪の郷でうまれしは。 』
桃李 泉華(ic0104)

 その隠れ郷は永らく、人目に触れぬ場所に密やかに存在していた。
 氷雪に閉ざされた、龍の巣とあだ名される峻険な山の奥深く。そこから更に地下へと潜った、容易には辿り着く事はもちろん、存在すら窺い知れぬと思われる場所こそが、その隠れ郷の在処。
 黎威 雅白(ic0829)と桃李 泉華(ic0104)が生まれ育ったのは、そんな修羅の郷だった。地下深くで人目を忍び、密かに、密かに――息をひそめて暮らして、いた。



 2人が初めて出会ったのは、雅白の成人の折だった。
 もっとも、出会った、というのは正確ではないかもしれない。何となれば、彼らは偶然顔を合わせたわけではなく、長によって定められた許嫁として引き会わせられたのだから。
 隠れ里に現存する、たった2人だけの志体持ち。それが、生まれながらに彼と彼女が居た立場。
 志体持ちが一般人には及びもつかぬ、アヤカシにすら対抗出来る力を持っている事は、その存在の希少さと同様に、世によく知られた事実だ。村に1人も居ない事は不思議でも何でもないし、1人の志体持ちが近隣の複数の村を守って回っている事だって、決して珍しくはない。
 何しろ、志体持ちは一種の突然変異と言っても過言ではなく、一般人からは滅多に生まれなくて。だからこそ、生まれた志体持ちは貴重で――時には異質に見られる事もあるほどに、希少。
 まして、他の郷との交流もろくにないような隠れ里であれば、志体持ちが生まれたことそれ自体が奇跡と言っても過言ではない。それが2人も生まれた上に、なんとも都合の良い事に男女だったのだから、志体持ち同士を許嫁にという長の決定は、ひどくもっともな事だった。
 だから、雅白と泉華の年回りも頃合いであったのは、その観点から見ればさして重要でもない偶然に過ぎなかったのだけれど――
 その日。

「ふぅん‥‥あんたさんがウチの旦那様かいな‥‥」

 雅白の顔をどこか気のない素振りで見て、ポツリと零した泉華の言葉はあたかも他人事めいているように、雅白には感じられた。そう、思ったのが泉華にも伝わったのだろうか、透明な眼差しをふいとそらしてしまったので雅白からは、ただ彼女の横顔が見えるきりだ。
 それに、感じたのは戸惑いと、それからわずかな不満。そんな自分の感情に戸惑いを覚えながらも、きゅ、と唇を引き結んで雅白はじっと泉華の横顔を見つめる。
 その、視線を痛いほどに感じながらも泉華もまた、雅白から眼差しをそらし続けていた。本来なら誰かしらがそれを諌めたり、そこまで行かずともやんわりとたしなめたりするのだろうけれど、この場に居る大人達にはその素振りも見られない。
 ゆえに泉華は思うままに、初めて会った『許嫁』から顔をそらしながらも実は、眼差しの端でしげしげと観察していたのだけれど。これが、自分の旦那様なのかと。
 次期郷長として幼い頃から教育されてきたという、もう1人の志体持ち。同じ志体持ちだからという理由だけで、泉華を娶るようにと決められ頷いた――

「‥‥ふぅ、ん」

 感情の見えぬ声色でそう呟いたきり、ふい、と今度こそ眼差しの端からも雅白の姿を消し、本格的にそっぽを向いてしまった泉華に、雅白も今度こそ隠しようのないため息を吐く。まったく、と心の中だけで毒づいた。

(可愛気ねぇ奴)

 愛想笑いの一つも見せれば可愛気もあるだろうのに、泉華ときたらろくに顔も見せやしない。自己紹介も、そういえばそもそもの挨拶すら交わしていなかったのではないだろうか‥‥?
 初めて会った相手の嫁になれと、言われて面白からぬ想いがあるのかも知れないけれども、それはこちらとて同じことで。言うなれば『被害者』同士でもあるというのに――
 色々な想いが去来して、何とも言えない感情で泉華の横顔をじっと見る。見つめて、そして雅白は今日、何度目かになる溜息を吐いた。

(長の決定だからな)

 多少の気になる事はあれど、雅白が口出しするような事ではない。ならば言わぬが花とばかりに、唇を閉ざした雅白と、そっぽを向いたままの泉華に、爺と婆はやれやれ、と顔を見合わせた。



 こうして始まった雅白と許嫁殿との関係は、予想通りと言うべきか、順調には行かなかった。そして、これまた予想通りと言うべきか、大方の理由は泉華にあって。
 というのも、泉華は見事なまでに口が悪い。それが全員に対しての物なのかと思ったら、どうやら、雅白に対してだけらしい。
 らしい、というのは相変わらず泉華は身体が弱く、祠の外に出ることなどほとんどなかったからだ。雅白はだから、泉華に会いに祠まで行って、彼女の体調が許すごくわずかな時間を、爺と婆の立会いの下で言葉を交わすのみ。
 その、僅かな時間ですらありありと伝わってくる、泉華の口の悪さ。男嫌いだという泉華だから、それが原因なのだろうと思っても、面白くないことには変わりがなくて。
 今日も今日とて会話とも言えない会話を終え、心なしかぐったりとした気持ちで祠を出る雅白である。かろうじて許嫁の義理なのだろうか、入り口辺りまで見送ってくれる泉華に別れを告げて、くるりと祠に背を向けた。
 ――その、帰って行く雅白の背を見送りながら、泉華の胸に浮かぶ想いはいつも同じ。

(可哀想になぁ‥‥)

 自分につんけんされて、帰って行く雅白。けれども彼はいっそ律儀と思えるほどに、次の『面会』の日には彼女の所にやって来るのだ。
 それが、哀れで。――そんな彼が、ただ可哀想で。

(次期長やからてこんな脆弱な奴、嫁にせんならんやなんて、可哀想に‥‥断ったえぇんに)

 心から、そう思う。我がことながら同情せずには居られない理由は、他ならぬ自分自身が自分の事をよく解っているからで。
 ――泉華は生まれつき、身体が弱い。人より遥かに頑強で頑丈な肉体を持つ志体持ちであるにも関わらず、生半な者よりもずっと病弱な身体を持って生まれてきた。
 それはすなわち、志体持ちでなければ生まれ落ちた時に、あるいはもしかしたら生まれる前に儚くなってしまっていたに違いない、ということ。志体持ちだったからこそ、どうにか命を取り留めてこの世に生まれ落ち、何とか生き永らえているに過ぎないのだ、ということ。
 幸か不幸か、泉華は巫女の家系の一人娘で、長じて郷の未来を視るべき存在で。だから彼女は祠の中から滅多に出ることもなく――本来なら郷中が家族のように親密に暮らしているにも関わらず、長の爺と巫女の婆以外は彼女には会えないというくらい大切に、大切に育てられた。
 それもこれもすべては、泉華の病弱さゆえ。病弱で、希少な志体持ちで、未来の巫女で――ただそれだけ。
 だからこそ、泉華は他ならぬ雅白にだけは、冷たく当たらずには居られない。泉華に怒って、愛想をつかして、こんな許嫁はお断りだと言って仕舞えばいいのにと、思わずには居られない。
 そうすれば雅白は新たに、ちゃんと健康な許嫁を得ることが出来るだろう。その方が彼にとって、ずっとずっと良いはずなのだ。
 だから――そう、思いながらつんけんと当たる泉華の心など、もちろん雅白にわかるわけもなかった。



 それは、彼らが許嫁となって1年ほどが過ぎた頃の事である。
 その日の泉華は比較的体調が良くて、これならば外に出ても良かろうと婆が太鼓判を押してくれた。それを幸いに泉華は、郷の外に生える薬草を採取しに雪原へと足を延ばし、あちらこちらと歩き回る。
 この辺りでは、雪は珍しい物ではない。滅多に祠から出ることのない泉華ですら、見るのは初めてではないという程度には雪が深い。
 雪の上を、踏みしめるように歩く。ゆっくりと気を付けて、慎重に、慎重に――

「‥‥ひゃぁッ!?」

 そう、思っている先から思い切り雪に足を取られ、泉華は小さな悲鳴を上げた。そのままあえなくバランスを崩した泉華は、盛大に雪をまき散らし、顔面から柔らかな雪に突っ込んでしまう。
 顔面のみならず、全身に雪の冷たさが広がった。細かな飛沫が襟や袖から入り込んで、思いがけない冷たさにわたわたする。
 そんな、泉華の頭の上から不意に、押し殺したような笑いが降ってきた。

「クク‥‥ッ、何やってんだ?」
「うぅぅぅぅ‥‥‥ほっときぃや! そっちこそこんな所でふらふら、ほんまにヒマなんなぁ」
「――ふぅん?」

 顔を真っ赤にして睨み上げ、悔し紛れにそんな憎まれ口を叩いてみたものの、雪に倒れ込んだままではどうにも様にならない。おまけに相手が、いかにも『わかってるけどな』みたいな顔でクツクツ笑っているものだから、なおさら羞恥が込み上げてくる。
 ゆえに、うぅぅぅぅ‥‥と唸るしかない泉華を見下ろして、雅白はまた笑いを零す。――祠以外で会う泉華は、何とはなしに新鮮だった。
 そもそもは、郷の周辺でアヤカシの目撃情報があった事から、雅白は警戒探索を日課としていて。悲鳴が聞こえたものだから、誰か襲われたのではないかと慌てて駆けつけてみたら、雪の上でもがいている泉華が居たのである。
 苦笑いを零さない方が難しいというものだ。もっともそれは、誰も襲われていなくて良かったという――何より泉華が無事で良かったという、安堵から来る所が大きいのだけれど。
 だからクツクツと喉の奥で笑いながら、雅白はほら、と泉華に手を差し伸べる。その手に、少しじとっと見つめたものの、渋々という体を装い泉華は己の手を重ね。
 立ち上がって雪を払うと、それまで感じていなかった寒さがふいに身に染みた。ぶる、と知らず大きく身を震わせた泉華に、雅白がふと眼差しを空へ向けた。

「そろそろ雪が降りそうだ。郷に帰るか‥‥」
「う‥‥‥あぁぁぁぁッ!?」

 その言葉に珍しく素直に頷こうとした瞬間、全身を貫くような激痛が走り、泉華は悲鳴を上げる。全身が心臓になったかのような錯覚、その根源である痛みは左の太腿から走っていた。
 衝撃が唇を戦慄かせ、痛みが泉華の気力を根こそぎ奪う。一体何が起こったのか、解るはずもないまま痛みに大きく目を見開いた、彼女の細い肢体がぐらりと大きく傾いて。
 最後に視界に映ったのは、刃のような翼を持つアヤカシ。そして――泉華を庇って負ったのだろう、右額に走った傷から血を流している雅白。
 何かを思った気がしたものの、それは言葉にならぬまま泉華の意識は闇へと堕ちる。その、ぐったりと力を失った泉華の胸元が、辛うじて上下しているのを咄嗟に見て取って、雅白は小さく安堵の息を吐いた。
 ぐい、と額から流れる血を乱暴に拭う。何とか泉華を連れて逃げなければと、じりじりとアヤカシの様子を窺い、隙を探って。
 不意に空から舞い落ちてきた、白い雪の最初のひとひらへとアヤカシが意識を向けた、ほんの一瞬。これを逃せば後はないと、まさに火事場のバカ力と言わんばかりに泉華を抱きかかえ、雅白は雪を蹴散らして走り出した。
 必死で。文字通り、命がけで。
 走って、走って、後ろなど気にする余裕もないほどに走り抜いて――何とかアヤカシから逃げ切ったと確信が出来た時、雅白は心から大きな、大きな安堵の息を吐き、泉華を抱きかかえたまま崩れ落ちたのだった――



 泉華が郷を旅立ったのは、それから1年が経った頃のことだった。
 生まれ持った志体も幸いしたのだろうか、左太腿の傷はとっくに癒えて、歩くのに問題はない。旅をするに十分なほど健康になったかはまだ疑わしかったものの、彼女の決心を翻させることは、爺にも婆にも出来はしなかった。
 それもこれも、すべては雅白のせいである。
 ――あれから、雅白が旅に出てしまった事を、泉華は人伝に聞かされた。というのも彼女は郷に戻った後、数週間も床に伏せってしまったからだ。
 別れの挨拶も、なく。――あったのかも知れないけれども、伏せっていた泉華に婆や爺が取り次ぐことはきっとなかっただろうから。
 自分に黙って郷を出て行ってしまった、それが泉華にとっての事実で、すべて。だから泉華も郷を旅立つことにした――居なくなってしまった雅白の後を追うために。
 だって、どうしても伝えたい言葉を、気持ちを伝えなければ、泉華の気が済まない。

(どんな顔するやろ?)

 そう、考えて泉華はくすりと小さな笑みを零す。きっと驚くに違いない。何でここに居るのかと驚いて――それから?
 想像を色々と巡らせれば、自然と頬に笑みが浮かぶ。そうすれば自ずから、山を降りる足取りも軽やかで。

(待っとりや)

 くすくすと楽しげに、いっそ鼻歌でも歌い出しそうな心地で、泉華はまだ見ぬ土地へと想いを馳せる。そこに居るはずの雅白へと、想いを馳せる。
 彼と顔を合わせていた頃はどうしても素直になれず、決して伝えられなかった、けれどもずっと胸の底に大切に仕舞い込まれていた気持ち。それを伝えたらどんな顔になるだろうと、楽しみに泉華は一歩ずつ、山を降りて行くのだった。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名  / 性別 / 年齢 / 職 業 】
 ic0104  / 桃李 泉華 / 女  / 15  / 巫女
 ic0829  / 黎威 雅白 / 男  / 20  / シノビ

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、または初めまして、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。

お許嫁同士のむかしむかしの物語、如何でしたでしょうか。
お嬢様と息子さんの姿を色々と想像しながら、蓮華も雪山に居るような気分で書かせて頂きました。
雪の上を転ばずに歩くのは、本当に難しいですよね……;
雪の日になると、ついおっかなびっくりになってのろのろと歩いてしまいます(そして必ず転ぶ←
そんな戯言を申し上げつつ、もしイメージと違うなどあられましたら、いつでもお気軽にお申し付けくださいませ(土下座

お2人のイメージ通りの、懐かしい痛みを伴うノベルであれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
■イベントシチュエーションノベル■ -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2015年11月30日

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