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『〜生まれし心緒は新たなる世界と共に〜 』
ファーフナーjb7826



 一歩踏み入れた瞬間、その異様さを知覚した。
 広大な空間。高い天井。
 うっすらと霧が地面を這い、視界は入口付近ですら良好とは言えない。
 進む毎に霧は深まるだろう――誰もがそう、理解していた。
(この先に――)
 脳裏に不意に浮かんだ言葉は、あまりにも自然すぎて走り出すと同時に何処かへと消えた。
 種子島に開かれた天界ゲート――その一角。
 進む先に居る天使二柱のうち、ファーフナーにとって用があるのは一柱だった。

 天使ファウルネス。

 直に会ったわけではない。会話を交わしたわけでもない。
 だが名を思い浮かべた瞬間、一瞬だけカッと眼窩が焼けるような熱を帯びた。同時に、冷静たれ、と、頭のどこかでもう一人の自分が冷ややかに告げる。
 瞬時にして脳内を巡った感情は、何と名づけるのが正しいのだろうか。
 怒り?
 悔恨?
 あえてつけるならばそのあたりだろうか。だが、何かそぐわない奇妙な感覚がある。
 天使の名前と共に浮かんだのは、幼い子供の顔だ。
 くるくると表情の変る幼女。無遠慮で、ふてぶてしく、好奇心が強く、よく笑う――

 じーじ、と。

 そんな風に自分を呼ぶ相手をあの幼女以外に知らない。
 暑苦しいほど高い体温と、ぺたぺた触ってくる小さな掌も。
 ふと、口元にほろ苦い笑みが浮かんでいるのを自覚した。
 自身の中に確かな感情があるのを、いっそ不思議な気持ちで知覚する。
(いつから――こうなった?)
 ふ、と零れる笑みは僅かに自嘲が混じる。
 冷ややかに、世界を己から切り離して――否、世界から切り離された自分をそうと自覚して過ごしていた『自分』は、いつ、どこへ行ってしまったのだろうか。

 ――分かっている。
 自身のそれが『諦め』であったことは。

 ――知っている。
 自身の切り離した世界が、実際には己の意識下のものでしかなかったことも。

(……俺は)
 
「決して人外の血を引いていることを知られてはならない」

 かつて母が遺した言葉。
 戯れに母との間に子をもうけた父は悪魔だった。今のようにはぐれ悪魔や堕天使が大勢人界に来ているのとはまるで違う時代――早くに母を病で亡くしたファーフナーに、世界は非情だった。
 何を信じれば良かったというのだろう。あの全てが偽りで塗り固められたような世界で。
 後ろ盾のない子供は、そのまま後ろ盾のない大人へと育つしかなかった。
 経験を積み、力を蓄え、様々な任務を果たした。
 信を得られるだけの功績は遺したはずだった。それがどんな社会であれ、懸命に生き、与えられた仕事を全うし続けたのならば、その業績は認められてしかるべきだろう。
 例え、半分悪魔の血を引いていたとしても。――そして、その血をひた隠しにしていたとしても。

 嘘はいつかバレる。
 秘密は必ず暴かれる。

 分かっていて、それでも隠し続けていた。作り物である己と作り物によって作られた世界に自己が不安定になろうとも。懸命だったのだ。思い返せば、いじらしい程に。

 それが、一瞬で崩壊した。

 隠していた悪魔の血を知った瞬間、全ての者が掌を返した。今まで居た場所からも、かつて居た場所からも、追放され、拒絶された。

 世界は、己を許容しない。

 理解した。
 痛感した。
 完全なる拒絶がそこにあったのだ。

 まざと突き付けられた現実に、あの時、心臓が引き裂かれたような痛みを覚えた。
 あれを絶望というのなら、そうなのだろう。
 悲しみというのなら、そうなのだろう。
 怒りが、憎しみが、咆哮となって放たれるのなら、その声は天にも轟いたことだろう。苦しみが、悲しみが、この目から溢れたなら、一晩で一生分を流しつくしたことだろう。
 隠していたのは、共に在ろうとする心があったからだ。
 他者を害する気持ちは無かった。人が脳裏に描くような悪魔じみた真似をするつもりもなかった。
 異端であるが故の処世術。世界に踏み寄ろうとしていたのだ。あるいは、寄り添おうと――そう、あの当時の、まだ若く懸命であった頃の自分は。

 その応えが、拒絶であり、排除だった。

 呪って、呪って、呪って、呪った。
 何故、という怨嗟は慟哭のそれだった。
 だが時置かずして諦めた。これは世の真理なのだろう、と。

 世界は異端を認めない。

 悪魔の血を引く自分は受け入れられない。

 どれほどこの血を呪ったことだろう。
 悪魔などという存在が無ければ、自分は決してこうではなかったのに。
 どれほど生まれたことを憎んだだろう。
 生れ落ちさえしなければ、こんな思いを抱くことは無かったのに。
 努力は実を結ばない。
 願いは決して叶わない。
 どれほど配慮し、どれほど苦慮し、どれほど心を配ったとしても、自分が『自分』であるただそれだけで迫害されるのだ。
 心が摩耗し、疲弊し、硬い鎧のように凝り固まった。
 そうして世界から拒否された自分を、そうと自覚して生きてきたのだ。諦念と、虚無を胸に抱いて。

 ――じーじ。

 幼い声が耳に残っている。
 裏表なく、真っ直ぐに向けられる笑顔と共に。
 幼女――ヴィオレットとは、撃退士になってから出会った。
 天魔と闘うことで世界に許容される場所――人間社会の中にある、ある種の異端が集まる場所。
 人でありながら人を超えた力を持つ者――それが撃退士と呼ばれる者だった。
 アウルをもち、覚醒とその実戦訓練を積んだ者達の中には、自身と同じ天魔の血を引く者もいた。遠い祖先にその血をもつ者も。そして――現在の天界や魔界のやり方についていけず、はぐれ、堕天してくる天魔そのものも。
 生きる場所。
 だがそれでも、撃退士という役割を演じているだけという、そんな感覚しかもてなかった。撃退士だからといって、他者に共感や仲間意識を即座に抱けるはずもない。

 生きるための手段。
 生活するためだけの場所。

 だって、そうだろう。
 異なる者を排除しようとする人間への憎しみが、社会への憎悪が、どうしてそう簡単に消えるというのだ。魂に染みついた拒絶の痛みは癒えることなく今もこの身にある。
 どれ程依頼を受け、果たし、感謝を捧げられようと――「誰かの為」と思うことは無かった。
 胸の中にある思いは一つだ――こんな力などなければ、と。

 幼女と出会ったのは、依頼の中だった。

 幼女は悪魔だった。最悪だった。この世で最も憎むべき存在の一つだった。無論、表には出さなかったが。
 仕事を果たす為に会い、仕事を果たして去る。
 それをただ繰り返していた。いつものことだった。
 いつものことでなかったのは、最初からずっと、幼女が異様に人懐っこかったことだろうか。
 笑った顔、きょとんとした顔、しょんぼりした顔、驚いた顔。
 目の前で表情を変え、飛びついてくる小さな熱源は、今まで対応したことのない新生物だった。なんだこれは、と何度思ったことだろう。何時の間にか振り回され、気が付けばちゃっかり脳裏にまで居座られていた。
 じーじ、と。家族のように呼ばれる。当たり前のことのように。真っ直ぐな眼差しで。
 硬く閉ざした扉の向こうで、ぴょこぴょこ跳ねてるその生き物に、閉ざした扉の中で、かつて拒絶され膝を抱えて蹲っていた自分が顔を上げていた。
 触れればきっと、暖かかったろう。
 手を伸ばせばきっと、喜んで飛び込んできてくれただろう。
 けれど扉は開かなかった。長い時によって厚みを増した扉は、あまりにも重く、硬かったのだ。

 その幼女が、傷つけられた。

 いや、傷つけられたなんて生易しいものでは無い。
 わずか五つにも満たない小さな子供が、血塗れになって転がっているのを見た時、自身の中の何かが激しく反応した。虐待――それも、悪辣かつ残虐な。
 加虐者たるファウルネスの名は、一度で覚えた。激しい怒りと後悔と共に。
 復讐を――きっとヴィオレットは望まないだろう。
 絶望と苦痛の果てに己の体が動かなくなってもなお、他者の痛みを案じていたあの幼女なら。
 だから今、こうしてゲートを駆けているのは、彼女の復讐の為ではない。
 この行動の原理を、彼女の名に当て嵌めたりはしない。

 ただ、己が許せない。

 そう、自分が――ファーフナーと名乗るこの自分が、こうしたいのだ。
 許せないのだ。
 生かしておけないのだ。

 あの男を殺せと、倒せと、これ以上息をさせておくなと、怒号をあげているのだ。
 自己満足だ。果たしたところで、決して褒められる行為では無いだろう。
 けれど我慢がならない。――辛いのだ。じっとしていられない程に。
(これは、仕事では無い)
 報酬を得る為に行うことでは無い。
 今までの理念とは真逆のものだと自覚している。
 では、誰かの為か、と言われれば、無論、違う。

 自分の為だ。

 自分の意思で行う選択であり、行動であり、振るう力だ。
(……託してくれたな)
 おそらく自分と同じか――家族としてそれ以上の思いを抱いているだろう悪魔達。
 激しい怒りと殺意を胸に、けれど自分達に天使討伐の機会を譲り、託してくれた悪魔。
 信頼がそこにあった。
 そしてこちらをたててくれる配慮が。
 睥睨されることも拒絶されることもなく、まっとうな相手として見てくれている存在。
 ありえないような現実だった。
 だが、実際に今という現実として、此処にある。
(……感謝、というのは、こういう時に抱くべきなのだろうな)
 託してくれた。その恩がこの胸に灯のようにある。

 世界は、いつこのように変わったのだろうか。
 それとも、自分が知らなかっただけなのだろうか。

 そうだろうとも思えるし、そうではないだろうとも思える。
 どちらでもいい。どちらにせよ、現実は変わらない。
 今、こうして自分が抱いている気持ちも。
(ヴィオレット)
 濃い霧の中をただ進む。
 徐々に濃密になる気配。増える敵数。
 討つべき敵に、もうすぐ会える予感がした。魔具を持つ手に力が入る。
(お前は、何も知らなくていい)
 誰が何を思い、何を果たそうとしているのかなど。
 知らなくていい――知ってほしくてやっているわけでは無い。
(ただ)
 思い浮かべるのは弾けるような笑顔。
 頬袋に食べ物を詰めるようにせっせとご飯を食べていた姿。
 ――ちょこまかと動く小動物のような。

 元気になれ。
 幸せであれ。
 いつかまた――笑ってくれ。

 あの時と同じように。
 痛みも苦しみも、何処かへと置いて。

 ファーフナーは鋭く前を見据える。
 激しくなる戦闘の向こう側――悪趣味なオブジェに立つ、悍ましく下劣な精神構造をした天使。
 討つべき、敵。
 冷徹な殺意を胸に踏み出す。

 その胸に、確かたる思いを抱いて。





 戦いの終わりは、ひどく空虚なものを胸に忍び込ませた。
 それは激しい感情が消失した後の、ぽっかりと空いた空虚さとも言えるかもしれない。感覚は曖昧で、こうだと言える確かなものもないが……少なくとも、達成感や満足感とはかけ離れたものだった。
 己の掌を見下ろす。
 一矢報いた。
 だがやはり、やり遂げたという気持ちは無い。
 何をしたところで、結局のところ、それが自己満足でしかないことを知っているからだ。
 ヴィオレットの体は、動かない。その現実は変わらない。
(……俺は、遅すぎた)
 向かい合うことも。
 踏み出すことも。
(遅すぎたんだ……)
 空を振り仰ぐ。
 あまりにも広く、高く、澄み切った空を。
 動かない体を抱え、悪魔は幼女を主の牙城へと連れて行った。
 もう会えないかもしれない。身動きもとれない幼子が、今までと同じ立場でいるとも思えない。
 ファーフナーは拳を握る。
 時は戻らず、現実は覆らない。
 もし――
 そう、もし、また会えたなら……

(会えたなら――)

 ファーフナーは静かに視線を空から外す。
 希望を胸に抱くようなことは今までしなかった。信じても願っても裏切られるばかりだと知っていたから。
 けれど――そう、賭けをしよう。
 もし、誰かが――どの悪魔でもいい――ヴィオレットのことを、あの子供のこれからについてこちらに零してくれるなら。
 ファーフナーはゆっくりと歩き出す。
 少しだけいつもと違って見える世界へ。

 ――じーじ。

 いつか聞いた声が脳裏に蘇る。




 ――いつか、きっと、笑ってね





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb7826 / ファーフナー / 男 / 52才 / 新たなる世界へ 】
【jz0371 / ヴィオレット / 女 / 4才 / いつか一緒に  】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご発注ありがとうございました。執筆担当の九三壱八です。
生まれ、育ち、今という時に至るまでの、重ねた時と思いは人それぞれに。歩いてきた道程と、駆け抜けた時の語られなかった一場面を描かさせていただきました。少しでもお心に添えば幸いです。

貴方の行く先に、いつも暖かな世界が広がっていますように。
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エリュシオン
2015年11月30日

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