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『花言葉 』
エル・クローク3570

 かちり。

「ねえ、知ってる? 紅茶の香りには気持ちを安らげる効果があるそうよ」
 彼は頬を掻いて「知らなかった」と言った。嘘を吐くときの癖だと私は知っている。それでも私に合わせてくれたことが嬉しくて、それを追求する気は起こらない。
 彼の無邪気な笑顔が嬉しくて、私はポプリを一つ手に取った。

 ここは香り屋。路地裏にある隠れた名店。
 紅茶やお菓子も扱っているけれど、あくまでメインは「香り」の販売なのだそうだ。さしずめ喫茶店ならぬ、喫香店とでも言おうか。
「今日のおすすめ――お気に召すといいんだけど」
 店主のクロークさんは薄く笑って、白い煙を吐く香炉をテーブルの上に置いた。

 ――たちまち広がる甘い香り。柔らかい香りが鼻腔をくすぐって、何とも言えない幸福感に包まれる。
 白煙の向こう、彼が穏やかな表情を浮かべるのが目に入った。「確かにこれは素晴らしい」と言った。
「そうでしょう? たまたま見つけたお店なの」
 正確には友達から教えてもらったのだが、特に意味のない見栄を張ってみる。それに彼は路地裏なんて通らないだろうから、自分で見つけることはきっと出来なかっただろう。
 このお店が少しでも役に立てればいいと私は思った。
 彼は笑って、「しかし何だ。鼻からというのは、少々悪い薬の作法のようにも感じてしまうね」と言った。

 かちり。

 そんな意地の悪いことを言いながらも、なんだかんだ彼はこのお店が気に入ったようである。
 男一人ではばつが悪いから、などと言って私を誘ってくれることが増えた。確かに香水やポプリを男が物色しているのはイメージにそぐわないかもしれない。
 店主のクロークさんなどは「それは気にするようなことなのかい?」と言っていたが、そこは微妙な男心というやつなのだろう。
 私はどうとも思わないが、口実が出来るのはありがたい。嬉々として彼の買い物に付き合った。

 この店の品揃えはちょっとどうかと思うくらい凄まじい。
 そこらの露天でも見かけるようなメジャーなハーブから、名前も得体も知れないような代物の香りまである。ただ一つ共通しているのは、どれを選んでもハズレがないということだ。
 あれこれ目移りするが、彼は特に花の香りを色々と試していた。ラベンダーやローズマリーといった定番から、名前も知らない花まで揃えてある。とはいえ彼は色んな花を知っていたから、単に私が浅学なだけだろう。
 しかし花言葉まで持ち出してきた時には、流石の私も彼のことをロマンティストだと思った。

 かちり。

 ある日、彼はクロークさんに「贈り物をしたい」と切り出した。
「それは男性に? それとも女性に?」
 クロークさんはそんなとぼけたことを言った。彼も苦笑して「いや、男同士でこの類はないだろう」と返した。
 どうやら贈る香りは既に決めてあったらしく、どういう形がプレゼント向きかを相談していたらしい。
「それなら香水をお勧めするよ。幸い、腕のいい職人が拵えた瓶が手に入ったところなんだ」
 そうか、と彼は頷くと、指定した花を香水として注文した。

 かちり。

 程なくして香水は出来上がった。
 趣味のいい透明なガラス瓶に、透き通ったブルーの香水が満たされている。それだけで値打ちの美術品のような代物だった。
「包装はどうしようか?」
 色紙を取り出したクロークさんに、彼は「いや、結構」と断った。そしてその香水を、私に手渡した。
「ええ?」
 困惑する私に、彼は頬を掻きながら微笑んだ。「いつもありがとう。感謝の気持ちだ」

 かちり。

 花の名前は、オダマキというらしかった。

 かちり。

 後で知ったことだが、その花言葉は、

 かちり。

 私はその後、彼にプレゼントを返す。
 スノードロップという花のお香を返す。
 その花言葉は、

 かちり。

「――ねえ、今日はこのくらいにしておきなさい」



 ランプの灯りしかない仄暗い部屋。様々な香りが渦巻いて、なんとも蠱惑的な雰囲気を醸し出している。
 中央に設えられたリクライニングチェアに、エル・クロークは悠然と腰掛けていた。
 そしてその対面には、虚ろな瞳でぼそぼそと何事かを呟いている女の姿。
 かつては『表』の――そして今は『こちら側』の常連である。

「……ああ、もう、お終いなの?」
 女の声は幽鬼じみている。どれほどの情念を夢幻の中で燃やしたのか、クロークには推し量れなかった。
「駄目だよ。これ以上は危険だから」
 過度の夢想は身体に不調を来す。特に彼女は中毒者じみた執念を見せるから、引き際が肝心である。

 彼女のために調合するのはオダマキの香だ。彼女がここに通う理由となった因縁の香り。
 どうということはない。振られた女が愛憎を逆転させたという、よくある話だ。

 二股を掛けられたと彼女は言う。私を棄てて別の女に乗り換えたとわめき立てる。
 けれどクロークにしてみれば、初めから相手にされていなかったように見えていた。
 彼女の知らぬところで、その男性はおそらく『恋人』であろう女性と何度も店を訪れていた。彼女よりずっと親密そうで、同時に彼女を疎んじていることも理解した。

 だからオダマキだったのだ。
 その花言葉は、『愚か』なのだから。
 ――いらない皮肉を寄越すから。
 クロークはそう嘆息せずにはいられない。

「……また来るわ。例のもの、用意しておいてね」
 女は陰鬱な声でそう言うと、返事も待たずに店を出て行った。瞳だけが爛々と輝き、後ろ暗い感情で満たされているのは明らかだった。
「例のもの、ねえ」
 クロークは椅子に座り直す。
 意趣返しのつもりなのだろうか。『こちら側』に通うようになってから、彼女はいつも同じ香水を所望する。

 スノードロップ。
 花言葉は、『貴方の死を望む』。

「やれやれ」
 なんて回りくどくて、不毛な情熱だろう。

 外はもう日が落ちている。街はそろそろ寝静まろうとしている。
 店を閉めるには十分な時間だと確認すると、クロークは休息を取ることにした。
 人間模様などお構いなし。時計はただひたすら、かちりかちりと時を刻み続ける。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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聖獣界ソーン
2016年01月12日

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