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『乙女の宴あれやこれ 』
巫 聖羅ja3916

 ――それは、禁じられた恋。
「だからこそ、燃えるってもんだろう?」
 ――全てに背徳し、冒涜する、愛。
「火遊びは、ここまでだ」
 ――それでも、それでも。

 とても、幸せな時間でした。


「……脱、稿……」
 巫 聖羅(ja3916)は万感の思いを込めて、ペンを置いた。
 というか精根尽き果てていた。漫画的表現で言うなら真っ白に燃え尽きていた。
 部屋には無残に転がる栄養ドリンクの空き瓶の山。いつ、何本飲んだかは既に記憶の彼方。
 窓の外、空は既に明るみ、鳥の鳴き声が爽やかに早朝を彩っている。おかしいな、この光景何度目だっけ? さて問題、最後に起床してから何時間経ったでしょう?

 ――ともあれ終わった。戦いは終わったのだ。
 下手な天魔との戦闘よりも、いや結構な大物との立ち回りよりもキツい戦いであった。そして達成感は何倍も上で、満足感から全国のメリーさんが全速力で馳せ参じ、

「……駄目、駄目よ『小田切サファイア』。寝落ちはマジ勘弁……まだ入稿作業が……」
 聖羅は最後の気力を振り絞り、完成した画像データを指定されたサーバーにアップする。朦朧とした意識が、確かに『入稿しました』の文字を確認した。
 そこで記憶が途切れた。


 巫聖羅は同人作家である。PN(なまえ)は小田切サファイア。
 普段は撃退士として暮らしている、というかそっちが本業である。同人(しゅみ)は秘すもの、そしてその時の仮面(ペルソナ)がサファイアという訳だ。

 小田切サファイアの勇名は、一部界隈に於いては伝説として崇められている。
 かつての同人誌即売会において、風のように現れた謎のサークル。それは『薄い本』と呼ぶのも憚られるような大長編をひっさげ(B5判・300ページ)、会場の夢見る乙女達の心を鷲掴みにした。そして瞬く間に『完売しました』の書き置きを残し、そうしてとうとう戻ってくることはなかった。

 ――今この時までは。

 長い雌伏の時を終え、聖羅の創作意欲はにわかに再燃した。そして小田切サファイアの名義を久しぶりに取り出し、即売会にサークル参加を申し込んだのが数ヶ月前のこと。
 一部界隈に衝撃が走った。ネットでは『伝説の再来』とまことしやかに囁かれた。流れの速い同人世界において、ここまでの評判は異例のことである。
 そうして小田切サファイアの乙女回路はフル稼働。ブランクを感じさせない鮮やかな筆捌きで、これまた『薄い本』とは呼びがたい続編(A4判・150ページ)を描き上げた。
 あとは、当日を待つのみである。


 ……え、そんないかにも偉業っぽいなら隠す必要あるのかって? そんな疑問を抱いた貴方は、どうぞピュアなままでいてください。

 小田切サファイアのメインジャンルは『ルシフェル×レミエル』である。
 よーするにナマモノである。乙女の腐海(アジール)に於いて、より取扱に慎重を期さねばならぬジャンルである。
 しかも撃退士(ほんぎょう)としては『敵の親玉クラス』×『味方の雲上人』という業(あい)の深さ。

 ……バレたら色々立ち行かなくなることは、火を見るよりも明らかであった。



 温かな拍手の音と共に、即売会は幕を開けた。
 そして地響きと共に、乙女達は己の欲望(あい)を抱えて疾走する。それはまるで獲物を追い立てる肉食獣の群れを連想させた。ほら、ライオンって狩りをするのは雌じゃない?
『走らないでくださーい! 走らないでー! 走るなつってんだろーがー!』
 スタッフの大声も含めて、会場直後の風物詩。ただ実際、本当に危ないので良いオタクの皆さんは真似しないように。
 押さない、駆けない、死なない。これ即売会の『おかし』です。

 聖羅――いや、サファイアは懐かしさに目を細めた。この光景を見るのは何年ぶりだろう。
 壁に配置されたので景色に若干の差異はあるものの、この活力と熱気は何も変わらない。
 そして数分と経たず、自身の机の前には長蛇の列が完成された。

「新刊ください!」「十冊……えっ、二限!? そんなあ!」「ちくわ大明神」「応援してます!」「もう一歩詰めてくださーい!」「頑張ってください!」「誰だ今の」「押さないでくださーい!」「スケブお願いしますこのキャラを」「続きずっと待ってました!」「次も待ってます!」

「ありがとうございまーす!」
 頒布は苛烈を極めた。サファイアと手伝いに駆り出された同士(うりこ)達はてんてこ舞いである。
 飢えた獣のようにギラついた乙女達の欲望(あい)は留まるところを知らない。壁際に山と積まれた段ボールがみるみるうちに無くなっていく様は、ある種壮観であった。
 飛び交うラブコール、行き交うお金、満たされる笑顔、時折混じる不埒者はご愛敬。

 傍から見れば狂気の沙汰。当事者にすれば驚喜の沙汰。
 芋洗いじみた会場は、確かな充足感を野獣(おとめ)達にもたらしていく。これこそが同人誌即売会。業(あい)深き者たちの狂乱の宴。

 そうして、開場してからたったの二時間弱で、『新刊完売しました』の札が立てられたのであった。



 新刊が完売したことにより、あれほど群がっていた買い手は見る影もなくなっていた。ちらほらこちらを伺う視線があるが、一様に『完売』の札を見て肩を落として去って行く。これもまた即売会の掟。弱肉強食、というか早い者勝ち。
「お疲れー。じゃ、ちょっと買い物行ってくるわ」
 このペースなら誰かが留守番していれば大丈夫だろうと、手伝いの友人達は会場に出かけていった。

 サファイアはパイプ椅子に深く腰掛けて、ふうと深く息を吐いた。
 心地よい疲労感と満足感。お腹(主に締切のストレスと大量のカフェインで胃)を痛めてまで出した我が子(しんかん)は、無事巣立っていった。その充足感と会場の熱気が、心と体に染み渡っていく。
 脱稿直後は『二度とやるものか』と嘆くのに、この感覚の前には『次また頑張ろう』と思い直してしまう。因果な性だ。さながらジャンキー、これが同人屋。

 ――とはいえ。
 サファイアは自身のスペースに目をやる。すっかり寂しくなった長机の上には、まだ一種類だけ頒布物が残っていた。
 予想はしていたが、やはりみんな正直である。

「え? マジありえなくない?」
 遠巻きに聞こえたそんなぼやきに、サファイアはふうと息を吐いた。
 気を取り直すために、自分用に取っておいたノベルティのアロマ瓶を眺める。ルシフェルとレミエルをイメージして調合したアロマとバスセットだ。ものがものだけに、先着二百名が限界であった。正真正銘のプレミア品として伝説に残るであろう。

 ――もう一冊の新刊。それは、主流から大いに外れたマイナーカップリングの短編だった。
 乙女の世界はこのような冷酷な一面も併せ持つ。
 自身が至高とするカップリング以外は邪道、いや邪教。
 そも王道である『ルシ×レミ』ですら、『レミ×ルシ』派とは基本的に相容れない。異教徒同士、冷戦を続ける運命が定められている。レミ攻からしてみれば、サファイアはさながら邪教の頭だ。

 そんな修羅の乙女道であるから、存在すら認知されていないマニアックなカップリングなど何をか況んやである。
 例えるなら修験道、あるいは砂漠。草一本も生えぬ不毛の大地で、溜めた雨露で飢えと渇きを凌ぐに等しい。そして不届き者から石を投げつけられる危険性と常に隣り合わせである。
 それが、マイナーな可能性を見いだしてしまった者へ与えられた試練であった。今日もどこかで選ばれた勇者(おとめ)達は、孤独な戦いを続けているのだ。




 サファイアはのんびりと会場を眺めていた。閉会まであと二時間と少し。撤収を始めるサークルもチラホラ窺える。
 どうしようか考える。『伝説の再来』である新刊を売り切った以上、サファイアがここに残る需要はもうない。
 それでも、久しぶりの会場の空気を楽しんでいたかった。
 そしてもう一人の我が子を、不遇を託ったまま見捨てるのは忍びなかった。

「そろそろ移動しない? 打ち上げしようってお誘い来てるんだけど」
 買い物を済ませてホクホク顔の友人がそう言ったのは、閉会三十分前のことであった。

 ――結局、マイナーカップリングは宿命からは逃れられなかったらしい。
 サファイアは諦めるようにふうと息を吐くと、友達に向き直った。
「――ええ、そうね。そういうことなら……」
 その時である。

「あ、あ、あ……!?」
 ふと、机越しにそんな声が聞こえた。
 振り返ると、唯一残っている頒布物を手にして固まっている乙女が一人。
「ま、まさか、こんなところで……」
「……よ、よければご覧ください」
 サファイアは夢幻でも見ているような心地で、そう口にする。
 乙女はこくこくと頷くと、ぱらぱらと中身をめくる。

 ――そして、
「一冊ください。まさか、『出会える』とは思っていませんでした」
 乙女は、万感の思いを込めて、我が子を抱きしめた。
「私も――『出会える』だなんて」
 サファイアもまた、万感の思いを込めて言う。そして握手を求めた。

「「マイナーばんざーい!」」
 こうして海よりも深い腐女子(おとめ)の契りが交わされる。
 その神々しさに、異教徒であるはずの周囲の乙女達も、思わず涙を拭ったという。


 かくして、小田切サファイアの久しぶりの即売会は終わりを告げた。
 めでたし、めでたし。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja3916/巫 聖羅/女/18/ダアト】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 この度はご発注ありがとうございました。

 複雑な腐女子(おとめ)心を再現できていれば良いのですが……。
 ほとんど伝聞での知識を活用したので、多少の勘違いというか齟齬というかは笑って許して頂ければ幸いです。

 それでは、聖羅さんの同人道が悔いの無いものでありますように。
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エリュシオン
2016年01月25日

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