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『常世常夜にいのりは遠く 』
小詩 いのりaa1420

 例えば望まれて生まれた生命があったとして
 例えば望まれず生まれた生命があったとして
 我らが衆生の尊きお方から齎されるいのりのさいわいに、貴賎は存在し得るだろうか

『あったかもしれないいつかの話』

「あんたなんて産まなきゃよかった」
 部屋の隅に転がるようにして捨て置かれたものがある。疲れ切った顔の女が苦り切った声を投げかけてやれば時折動いているため、生きてはいる様子であった。
 さてもこの世は不思議と不条理に満ち満ちている。先達が語った「小さきものはみなうつくし」という世の常も、万人には当てはまらぬ様子だ。あゝ哀しき哉、彼れらはその文言すら知らぬのだ。
「早く死ねばいいのに」
 己で殺める気概すら、彼の女にはないのだろう。ただただ濁りきった目で、部屋の隅に転がる物体を眺めるのだ。部屋に散乱する発泡酒の空き缶が、饐えた臭気を発して尚の事空気を澱ませている。
「……」
 その物体に名はない。いや、「名はない」と言うと語弊があろう。
 その物体は名を「赤子」といった。もしくは「幼子」、あるいは「子供」と呼ばれるものだ。ヒトと呼ばれるモノの、産まれてしばらくもたたない未熟な個体である。識別名はない。出生届と呼ばれるものを、その物体の産み主は提出しなかったのである。よってその物体は、「年端もいかぬ女児」であるという情報以外、一切を持たぬからっぽなものとなったのだ。
 その物体――仮に、女児としよう、ともかくその女児であるが、とにもかくにも、生きているのか死んでいるのかわからぬ様相をしているのである。
 浅黒い肌は生来のものだろう。しかし幼い子供にあるまじき血色の悪さをして、まるでセルロイドでできた精巧な人形のようだ。栄養状態が悪いためか、ぱさぱさとまとまりのない髪の毛は老人のようなまだら色をしている。今は閉じられている瞼の下には、沼色をした暗い瞳が隠されている。乾いた唇に色はなく、潤いのない頬は粉を吹いていっそ死相すら見て取れそうなほど。
 それでも、女児は生きていた。ろくすっぽ食べ物を与えられず、愛情を与えられず、自由を与えられず、およそ生き物が生き物として生きるために必要なものの殆どを持たず、それでもしぶとく生きていた。
「……ぁ」
 女児の活動時間は、己以外の動くものがなくなった深夜である。
 小さく、本当に小さく声を出して、女児はゆっくりと身を起こした。ぐだぐだと女児にわからぬ言の葉を吐き出していた彼の女は、机の上につっぷして寝息を立てている。普段ならもう一人、野蛮としか言い表しようのない男が居るのだが、どこかで泊まり込んでいるのかこの日は姿を見せなかった。
「……ぅ、ぁ……」
 小さく、小さく、声を出す。そうしないと痛い目にあわされるのを知っている。
 もっとずっと脆かった頃には何か言葉らしきものを発していた気もするが、女児にその頃の記憶はないので断言もできない。それに、言葉というものを発する明確な方法を、女児は知らないのである。
 音を立てないよう、そろりそろりと起き上がる。小さな声を発しても、彼の女はピクリとも反応しなかった。それをしっかと確認して、女児はひときわ饐えた臭いのする台所へと忍び込む。
 そうしてしばらく台所を漁ったのち、また生きているのか死んでいるのかわからない眠りの淵へと身を落とすのである。

「おい、起きろ」
「――――かはっ」
 突如、腹部に猛烈な衝撃を感じて、女児は意識を覚醒させた。
 警鐘を鳴らす本能に従って目を開けば、途端に視界へ飛び込んでくる嫌に不機嫌な男の顔。いつにも増して不明瞭な目をしているのは酔っているためだろう。女児は「酒臭い」という言葉を知らないが、知っていれば咄嗟にその単語を叫んだであろう程度には、その男から酒の臭いが噴き出している。
「なぁ、お前、誰に断って生きてるんだ、ああ?」
 伸びっぱなしの髪の毛をひっつかんで、その男は女児の顔を上向かせる。かなり無茶な体勢を強制的に取らされているため、女児の表情は生理的な苦痛に歪みきっていた。
「なんだ、堕胎猶予期限ってぇのは、よぉ? ガキの命なんざ、親の一存でなんとでもなるもんだろうが、ああ? そうだろう?」
 支離滅裂なことを女児に吐き出すその男は、どこも見ていない目で世を恨む。女児は何も答えない。口を開けば尚痛いことを知っているし、答える言葉を知らないのだ。
「お前がいるせいでアイツはなかなか抱かせてくれねぇし、俺ぁ溜まってるんだよ、なぁ。どうしてくれるんだ、えぇ? 何もかもお前のせいだぞ!」
 骨と皮ばかりの体を這う熱の正体を女児は知らない。「たちやしねぇ」と吐き捨てられた言葉も、脱がされぬままに放置された下着の意味も、狂気に沈んだ男の目に残った理性のような何かの存在も、女児は知覚していなかった。ただただ与えられる気持ちの悪いものを、淀んだ瞳で眺めているのみである。
「――チッ、なんとか言えや、気色悪ィ」
 そうしてその男は、女児の薄い体に理由のない暴力を振るう。己の身のうちに巣食うどどめ色をした欲望の吐き出し口にすらならない欠陥品など、その男には壊れようが何しようが関係がないのである。
 女児をモノとしか見ていない男は容赦がない。
 痣ができようが、口から血を流そうが、倒れ伏したままくったりと動かなくなろうが、どうでもいいのである。容赦のない暴力を受けた後、女児は何度か意識が暗い場所に沈んだまま「戻って」こられなくなりかけたことがある。あのままでいるとどうなるのか、女児は知らない。

 今日もまた、女児は深く昏い深淵の淵へと沈んでいく。いつもよりずぅっと深い場所に沈んでいる気がして、女児は言いようのない不安と、ほんの少しの安堵を感じていた。
 ああ、これで、これで、もう――……。
『――おや? ……ふむ、これはこれは。また妙な場所に出てしまったものです』
 ふと。深淵の淵に、誰かが立ったような気がした。
『さて、名も知らぬお嬢様。あなたはこのまま、生きていたいですか?』
 何も見えない深淵にあって、女児は唐突に、この問い掛けは己に向けられたものであると知覚した。
 そうして、初めての経験に戸惑う。
『ああ、質問の意味がわからないのですね。……そうですねぇ。お嬢様は、そのまま、その昏く何もない場所に、ずぅっとひとりで居たいですか?』
 声の主は、何やら勝手に納得して話を進めている。女児は戸惑いながらも、「この場所には居たくない」という気持ちを込めて小さく首を横に振った。
『結構、結構。今はそれだけで十分です』
 満足そうな声音。不思議と、女児には声の主が「微笑んで頷いている」のがわかった。
『――さぁ、目を開けて。あなたの目に、世界はどのように映っているのでしょうね』
 不思議な声の主に促されるように、女児はゆっくりと、深淵から身を引き上げる。
 そうしてゆっくりと目を開いた女児の視界に飛び込んできたのは、己の首に手をかけて厭らしく笑う男の顔で。
「――――――――」
 この日初めて、女児は声にならない悲鳴をあげた。

「……ああ、流石に、この事態は予想していませんでしたねぇ」
 床に、壁に、天井に、おびただしく飛び散っている赤黒く生臭い欠片達を見遣って、老執事はひとつため息をついて一切の汚れも見当たらない燕尾服から袖を引き抜いた。
「それほどまでに、お嬢様の持つ闇は根深かったのですね。聡い子だ、誰も恨まないように、自分の感情に蓋をしていたのですか。それが、わたくしと契約してしまったことで箍が外れた」
 もはや原型もわからぬほどに細切れになった肉片を避けながら、老執事は血だまりの中に倒れ伏す女児を抱え上げ、今しがた脱いだ服で包み込む。か細く息をする幼子の頬に血の気はない。見開かれたままの瞳は、何も写さずただ虚空を見つめてはらはらと透明な雫を滴らせていた。
「ああ、聡いお子だ。自分が何をしてしまったのか、わかっているのですね。本当に、聡い子。それでも、わたくしは己の選択を、間違いだとは思えないのです」
 はら、はらとこぼれゆく雫を拭うため、老執事は手にはめられた白手袋を取り払う。生身で触れた女児の肌は、それでも、ぬくみを持ってやわらかい。
「だから、これはわたくしのエゴであり、我儘であり、罪なのですよ。――忘れてしまいなさい、何もかも。次に目を開けた時、それが、お嬢様がうまれて初めて、この世界を見る時です」
 そっと、何も写さない瞳を閉ざす。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
 そうして、誰にも知られることなく、名もなき女児はこの世からいなくなったのだ。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa1420 / 小詩 いのり / 女性 / 16歳 / アイアンパンク / 攻撃適性】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 どうもでっす!
 この度はご指名ありがとうございました! 楽しんでいただければ幸いです。
 書いていて胃が痛くなったのは久しぶりかもしれません。ええ、はい、たのしかったです、いろいろな意味で。なんだか各方面からお叱りを受けそうな気がします。なので先に謝っておくことにしますね。
 趣味に走ってしまって申し訳ございませんでした!!
 それではまた、いつかの機会に。
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2016年01月27日

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