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『新しい日を、いつか迎えに 』
辰川 幸輔ja0318)&朽木颯哉ja0046


 昔の人は、十二月を『春待月』と呼んだのだそうだ。
 旧暦では、年を越えれば新春。正月、それから寒い寒い冬が明けるのを待ちわびる響き。
 テレビで紹介していたか辞書で見かけたか忘れてしまったが、言葉の柔らかさが今も印象に残っている。
「春、ねェ……」
 朽木颯哉はリビングのカレンダーを眺め、春待ちも残り24時間を切ったのだと感慨にふけった。
(どんな春が来るのやら)
 夜には、家族ぐるみの約束がある。右手薬指のリングに唇を落とし、颯哉は柄にもない大掃除へと踵を返した。




 コタツに入ってみかんを剥きながら、辰川 幸輔はバラエティ番組に笑い声をあげていた。
「ったく、しょうもねえなあ、……なあ、…………?」
 先ほどまで、一緒になって笑っていた一人娘の反応が無い。
「……おい?」
 幸輔の膝の上に座っていた娘は、父の胸に頭を預けて寝入ってしまっていた。なんとも可愛らしい寝顔である。
 大掃除を終え、緊張の糸が切れて疲れが出たのだろう。
 この辺り、まだまだ子供……と微笑ましく思うと同時に、颯哉たち父子との約束を思い出す。
 四人で除夜の鐘を鳴らしに行こうと話していたのだ。
「起こすのもかわいそうだしなあ」
 父一人、娘一人。幸輔は、娘に対し極端に甘い。
「このままじゃ風邪ひいちまう。今日はゆっくりしておきな」
 幸輔は、ぽふぽふと娘の頭を撫でてから、そっとコタツから抜け出て小さな体を抱き上げる。
 颯哉と会うのは久しぶりだし、家族そろって四人というのも楽しみにしていた。
 颯哉との関係には心の整理がついていないものの、彼が大切な存在であることに変わりない。
「ま、仕方ないか」
 娘を寝室に寝かしつけ、一人で行く旨を颯哉へ連絡した。

 夜道を歩くことなんて珍しくないのに、大晦日というのはどうして特別に感じるのだろう。
 幸輔は闇夜に浮かぶ白い息を見上げて、その先に輝く星空に心を奪われる。
 雪が降るかどうか、ギリギリの冷え込みが耳に痛い。ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んで、幸輔は身震いをした。
 遠くの寺では、既に除夜の鐘つきが始まっている。鈍い音が心地よく響き続いている。
 朽木家の面々と過ごす賑やかな時間を想像しながら、待ち合わせ場所へと急いだ。


「……よ」
「え……」
 果たしてそこには、ロングコート姿の颯哉一人が立っていた。




 幸輔があまりに予想通りの表情を返すものだから、颯哉は苦笑いを零す。
「俺一人じゃ嫌だってか?」
「えっ。いや、あの、そういうわけじゃ! す、すみません!」
「じょーうだんだよ、悪い、からかった。息子が、四人じゃないと嫌だってゴネてな。ま、そういうこった」
 拗ねるふりをして見せれば、幸輔はたちまちうろたえる。颯哉は肩を揺らし、気にするなと手で払った。
 ――一人で行ってきなよ
 実を明かせば、颯哉の気持ちを察している息子の気遣いである。と話せるわけもなく適当に誤魔化した。
 大人二人に子供一人じゃ、嫌がるといっても通じるはずだ。
「でも、俺は嬉しいよ、辰」
 寺社に向かって並び歩きはじめながら、颯哉は言葉を落とす。
「除夜の鐘を鳴らすなんて、何時ぶりだったかなァ。小難しいことはナシにして、のんびり行こうや」
「……そう、ですね」
 ようやく、幸輔の身体から緊張が抜けていくのを感じ取る。
(二人きりになる、ってのは考えちゃいなかったみたいだな。……そりゃそうか)

 颯哉が、幸輔へ想いを寄せていること。
 幸輔は、それを手余ししていること。
 だからといって、簡単に切れる縁ではないこと。

 答えは急がなくていい。そう言ったのは颯哉だ。
 だから、いつまでも待つつもりだ。
 幸輔が颯哉へ振り向いてくれたなら、それは確かに嬉しい。
 けれど、彼の価値観も知っている。否定や強要をするつもりはない。
(……だめだ)
 とはいっても、どうしても緩む口元を隠すように、颯哉は煙草の煙を深く吸い込んだ。
『娘が寝ちまったんで、俺ひとりで行きます』
 その連絡が、どれほど颯哉の心を動かしたか、きっと幸輔は知らない。
 大事な大事な、命より大事な娘を家において、颯哉との約束を優先する――……?
 娘が、それだけ手のかからない年頃になったのだとも言える、けれど。
(浮かれるだろうがよ)
 自覚が無いなら、それでもかまわない。無意識のうちに、自分を優先してくれたと思えばなおのこと嬉しい。
 浮かれた父を見かねての息子の発言を思い出せば、頭が上がらないというものだ。
「機嫌良いですね、颯哉さん」
「おう。夜更けに歩くなんざ珍しくもねェが……年越しの夜はガキの時分に戻ったような気にならねェか」
「ははは。俺もそれ、思ってました。不思議ですよね」
「でかいガキだなあ、お互い」




 痺れるような寒さも、人混みに入れば気にならなくなってきた。
 子供たちが居たなら賑やかだったろう順番待ちも、二人きりでは気まずい空気になりやしないかと心配していた幸輔だったが、颯哉の飄々とした態度が全てを流してくれていた。
(甘えちまってるなあ)
 笑いを返す一方で、幸輔はそんなことを考える。
 自分は、颯哉に甘えっぱなしだ。何も返せていない。
「煩悩を祓う除夜の鐘ねぇ。一〇八で足りるかっつの」
「どれだけまみれてるんですか、颯哉さん」
 颯哉の物言いに、幸輔が思わず笑いを誘われる。鐘の音が響く度、どこかの誰かの煩悩が一つ、祓われているのだろうか。まさか。
「俺に限ったことじゃねェよ、人間てぇのは欲まみれだろうが」
「まあ、そうですけどね」
 他愛のない会話。居心地の良さ。……今日くらいは、良いだろうか。思い悩み暗い顔を見せるより、こうして互いに笑っていられる方が。
 今日だけ。今日だけは。
 最後の言い訳を一つ残して、幸輔は気持ちを切り替えた。


 自分たちの番が来て、鐘つき堂へ上る。
(煩悩、か……。俺の心の靄も祓ってくれねえかな)
 祓った先に何が見えて来るのか想像はつかない。
 それでも、現状の先延ばしよりは誠実なんじゃないか、とも思う。
(はは…… 情けねえ)
 この期に及んで神頼みとは。
 苦笑して、それから幸輔はありったけの力で鐘を衝いた。
 間近で響く鐘の音が、胸の奥まで反響していた。
 



 子供たちが居たなら、その足で二年参りも良かっただろう。
 大人二人きりでは、なんとなく気が引ける。
 それでも幸輔が『帰る』と言い出さないのは、どんな心境の変化か。
(俺としちゃあ嬉しいが――……)
 喜んで良いものなのか。期待しても良いのか。
(辰だぞ、ンなつもりがあるわけ……)
 何処へ行くとは無しに二人で周辺を散策しながら、淡い思いを颯哉はかき消す。
 待つ、と決めたのだ。きちんとした言葉を幸輔が選べるまで。
「そういや、この近くに眺めの良い場所があるんだ。歩いて行ける、散歩ついでに覗いてみねェか」
「へえ……、知りませんでした。良いですね」
 そのうち、親子で行ってみればいいさ。そう付け足せば、幸輔は深く考えていないのか二つ返事で頷いた。
「あ。颯哉さん、待ってください」
「おう?」
 先ほどからキョロキョロしていたかと思うと、幸輔はおもむろに走り出した。どういうことだろう。
 その背が遠のき、程なくして戻ってくる。いやに嬉しそうな表情だ。
「自販機、探してたんですよ。冷え込むから。颯哉さんは缶コーヒー、甘いのが良いんですよね」
「……」
「颯哉さん?」
「あーーーーーー、なんでもねェ。ありがとよ」
 こいつは。
 本当に。
 自覚というものが。 
 体格だけで言えば自分よりも大きな年上の男を、可愛いだなんて思ってしまうのはこういうところだどうしてくれる。
(切欠はなんだったか)
 感情の意味が変わった記憶を手繰ろうにも、遠すぎる。
 缶コーヒーで手のひらを温めながら、颯哉は思考を放棄した。




 小高い場所に位置する公園。日中の子供たちの遊ぶ声が染みついていそうな、古ぼけたそこは、夜には人の気配はなくひっそりとしている。
 気持ち程度に設置された街灯は心もとなく、それゆえに眼下に広がる夜景は際立って美しい。
「こいつはすげぇ」
「だろう」
 言葉を失い魅入る幸輔の横顔に、颯哉は目を細めた。
「っと、雪。……寒いと思った」
 除夜の鐘の音が、うんと遠く響く中、白いものがチラチラと降り始める。
「あー……。今年も終わりか。あっという間だったな」
「この歳になると、ほんと早いですね。……違うか」
「うん?」
「新しい年が始まったんですよ、颯哉さん。えー…… 本年もよろしくお願いします?」
「疑問形かよ! よろしくな」
 他愛のないやりとりが心地いい。
 意識するなという方が無理な話で、微かに火照る頬は雪が冷やしてくれる。
(隣に、辰が居る)
 今は、それだけでいい。




 闇を押し上げ、新しい朝がやってくる。
 長い長い迷いを振り払うかのような光明が夜を割る。
「……綺麗ですね」
「初日の出ってのは、どうしたって神聖に感じるから不思議だよな」
 額に掛かる黒髪をかき上げ、颯哉は同意する。時折視線を感じていたものの、今はその赤い瞳は昇り始めた太陽に向けられていた。
 整った横顔を見るとはなしに見つめ、それから幸輔は視線を外す。
(……また年が明けた。……次はちゃんと、伝えられるだろうか。俺の気持ちを)
 時の流れの早さのせいにして、延ばし延ばしにしてしまっている『答え』。
 幸輔自身、思うように言葉に出来ず悩んでいる。
 本当に、それが自分の心なのか。選択することによって颯哉を傷付けてしまう恐れに左右されていないか。
 どんな答えでも颯哉はきっと受け止めてくれるだろうと、漠然とした信頼がある。だからこそ簡単には切り出せない。
(来年は……どうしているんだろう)
 こうやって二人で日の出を眺めることは、最後になるだろうか。それとも、何事もなかったかのように過ごしているだろうか。
「辰」
 柔らかな声音で呼ばれ、幸輔は驚いて顔を上げる。
 颯哉が困ったように笑っていた。きっと、自分の考えを見抜いている。
「腹ァ減ったな。軽く何か食っていくか」
「……いいですね」
 彼もまた、何かの感情を噛み殺すような表情で。
 手を伸ばすでない、言葉を重ねるでもない。共に在る時間を大切にして、そうして待ってくれている。
(いつか――…… 次は)
 恩のあるこの人へ、友であり大切な存在のこの人へ、自分の真っ直ぐな気持ちを伝えられるだろうか。
 『今』を選び取れなくて、ずるい方向へ逃げ込んで、幸輔は颯哉の提案に頷きを返した。


 二人にとっての『新しい日』は、きっともう少し、先のこと。
 道の先を、朝日が照らしている。



【新しい日を、いつか迎えに 了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0318/ 辰川 幸輔 / 男 / 42歳 / 阿修羅】
【ja0046/ 朽木颯哉 / 男 / 32歳 / 阿修羅】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼、ありがとうございました。
物思う大晦日、お届けいたします。いつかの朝陽を待ちながら。
お楽しみいただけましたら幸いです。
初日の出パーティノベル -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2016年02月08日

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