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『累ねの約束 』
永久(ib9783)&華魄 熾火(ib7959)


 戦いは終わった。平穏がやってきた。かつて大きな合戦が起こるたびに仲間たちと集った屋敷に、今は永久ひとり。
 主である華魄 熾火が旅に出ると聞いて、留守を預かると申し出たのだ。

 一人で暮らすには広い屋敷で、過ごし始めてしばらくの間は各部屋の整理整頓に追われた。
 古い家屋で、嵐の後には修繕作業が待っている。
 折りを見て年老いた両親を訪ねたり、相棒である忍犬と縁側でのんびり空を見上げたり。
 旅に出たあの人は、今頃どこを歩いているだろう。思いを馳せることはあっても、不思議と心配はしていなかった。
 約束は、違わず果たす。
 守られるだけのひとではない。
 そう、知っているからか。
(心配はないが……)
 ――あれから、五年の歳月が経っていた。
 熾火を待つ永久の心持ちに変化はないが、月日の流れだけは確実に刻まれている。
 両親は穏やかに天寿を全うし、忍犬もまた然り。永久の黒髪にも、白いものが混じり始めていた。
「ひとりに慣れてしまいそうだよ」
 心にもない冗談を呟くも、聞く人はいない。
 新しい年を迎えて都は賑わっているが、彼には遠い喧噪だ。


 明かりを灯し、雨戸を閉める。
 今日という一日も平穏無事に終わるかと思っていたところへ、門を叩く音がした。
(こんな時間に?)
 散り散りになった仲間の一人でも、酒を持ってきただろうか。
 そんなことを考えながら、永久は上着を引っ掛け外へ出る。
 果たして。

「久しいな、少し……老いたかのう?」
「……参ったな。…………おかえり」

 門前に立つ屋敷の主に永久は驚き、動きを一瞬止めてから、『老いた』と評される頭を掻いて彼女を出迎えた。
「戻ったぞ」
 熾火はくつりと小さく微笑んで、その一言に感謝の意を乗せた。 




 囲炉裏を囲み酒を酌み交わせば、たちまちのうちに時間は巻き戻る。
 懐かしいあの頃のような気分で、それでいてぽっかりと空いた五年間の空白を互いに話す。
「あの時ばかりは肝が冷えたわ」
「光景が目に浮かぶよ」
 旅路に襲い掛かるのは、武力でどうこうできるものとは限らない。
 物怖じしない性分の熾火にそこまで言わせる不慮の事故とは如何ほどか。
 過ぎた今だからこそ、永久も笑うことができた。なまじ文でも送られていたら、どうしていただろう。
 永久こそわかりやすく年を重ねたが、女性というのは不思議なものだ。
 艶やかな黒髪も深い色の瞳も、抜けるような肌の色も。熾火は記憶の中の姿とほとんど変わりない。
 旅を終え、力強さが増したくらいだろうか? そう告げたなら、彼女は笑うだろうか、怒るだろうか。
「それにしても、ほんに世界の広いことよ……。まだまだ歩き足りぬな」
「ひとの足では、限りがあるからね」
「それじゃ。……時に、永久。そなたの話も聞かせよ。何もなかったではあるまい」
 永久。
 彼女が名を口にするたび、彼の心が微かに揺れることを知っているだろうか。
 他者については、名で呼ぶことのない熾火。
 自分だけが特別なのだと、たった二音の響きが気持ちを揺らす。
 小さな感情の波を穏やかな状態へ戻す術も、心得ているけれど。
 それでも……五年ぶりに近くで聞く声は、威力が大きい。
「……そうだな。初めは、屋敷内の掃除に忙しかったけどね。片付いたら、それはそれで落ち着かない」
 落ち着かない。それは本当。
「ほんに、見違えたぞ。もとより、手を入れれば長く持つとは思っていたが」
「庭の花も増やしてみたりね。春になると野鳥が増える」
「縁側でくつろぐには良いであろうなあ」
 他愛ない話題から始めて、それからポツリポツリと別れがあったことも伝えた。
 熾火は、「そうか」と一言だけこぼした。

 離れて過ごし、それぞれにそれぞれの、かけがえのない体験があった。
 出会うまでの過去があり、出会ってから共有した月日があり、そしてまた『今』を迎えている。
「川を浮き沈みする木の葉の様だの」
 土産に持ってきた珍しい酒を唇に付けながら、熾火は言う。二人の間に爆ぜる囲炉裏の炎を眺める。
 声なく永久は頷いて、その光景を思い浮かべた。
 川面に浮かぶ二枚の木の葉は、浮いて沈んで着いて離れて。
(川の流れが海へ注ぐその時まで、そうやって続くのだろうか)
 想像できるような気がする。
 永久は、熾火へ抱く思慕の情を伝えている。熾火は、それを受け止められないと答えている。
 交わることのない川面の木の葉。不安定で、けれど同じ方向へ進み続ける。
 けれど、やがていつか――海へ、通じてしまったら?
 終わりは、来るのだろうか。
(……この想いに?)
 比喩は、あくまで比喩だ。永久にもわかっている。
 熾火が大切にしていること、相手――命を落とした婚約者――のことは、わかっている。自分の感情が、それで諦めの付く程度ではないことも。
「……熾火」
 ふと、不安になった。
 思わず名を呼べば、それまで押し殺していた感情も一緒に浮き上がってきた。
 ひとりのときは、へいきだったのに。
 熾火が――暖かな存在が、凍てつかせていた心を融かしてしまう。
 寂しさ。悲しさ。安堵。喜び。ないまぜになり、熱を帯びる。
「うん?」
「……熾火……一つ、我儘を言ってもいいかい?」
「珍しいの。言うてみい」
 永久の表情は、今までと変わらず穏やかだ。……いや、微かにぎこちなさがあるだろうか。
 違和感を覚え、彼の真意を探るべく熾火は床に手を突き、下から顔を覗き込んだ。
「少しの間で良い、……抱き締めさせてくれないかな」
「…………そんなこと」
 もちろん、唐突に抱き締められたら熾火とて吃驚するし跳ね除けかねないが。
 我儘、と前置きするには……
「何。……私で構わぬなら好きにせよ」
 熾火を大切にする永久だから、この『我儘』にも勇気が要ったか。
 永久とは種類こそ違うが、熾火とて彼を大切に思っている。抱擁の一つや二つ、どうということでもない。
 そっと抱き寄せられ、熾火は目を伏せた。彼女の肩口で、永久は静かに泣いているようだった。
(孤独にさせてしまったの)
 留守の預かりは永久の意思だったとはいえ、甘えたのは熾火だ。
「…………」
 熾火は掛けるべき言葉を探し、見つけられず、そっと彼の髪を撫でた。




 懐かしい匂い。なじみ深い天井。
 五年ぶりに戻った自室で迎えた朝は、清々しいものだった。
 身なりを整え熾火が部屋を出ると、朝食の支度を終えたと永久が呼びに来るところで。
「おはよう。昨夜は、よく眠れたかい?」
「お陰でな。懐かしい夢も見た。この屋敷が賑やかだった頃のな」
「それはよかった」
 ついぞ永久は泣き顔を熾火へ見せることなく、体を離した時には普段と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。
 男女の関係が崩れるような、何かがあったわけではない。
 永久が、そこへ踏み込むことは決してなかった。
(……甘えてしまっておるの)
 熾火にも自覚はある。しかし、だからといって何ができるでもなかった。


「これからは、ここで過ごすのかい?」
「……そのことじゃがの」
 朝食を終え、茶を飲みながらのこと。
 再び、旅に出ようと思う。そう熾火は言った。
「ゆうべも話したが、世界は広い。もっともっと知りとうなった。留守を預かり続けてくれた永久には悪いが……」
 次に出たなら、戻らないかもしれない。屋敷は、誰かの手に譲るかしようと思う。
 彼女の決意を、永久はじっと聞いていた。
「そなたは、これからどうしたい?」
 束縛するつもりはない。
 解放する機会だとも思っている。
 いずれにしても、熾火には『願う』権利はないと……そう感じながらの問いかけだった。
 彼女の気持ちを受け止めた上で、永久は静かに笑みを浮かべる。
「……許されるなら、熾火と共に居たい……かな」
「物好きめ」
 予感はしていた返答に、熾火は深く深く嘆息した。
 永久が寄せてくれる想いへ、熾火は応じることができない。
 それどころか、今回は五年もの間を束縛し、大切なものと離別をひとりで迎えさせてしまった。
「永久は、この都に思い出も深かろう。もう戻らぬかもしれぬのだぞ。本当にいいのか」
「熾火次第だ」
「〜〜〜。私の傍などおらずに、早う他に嫁を娶ればよかろうに」
「そうだね。それでも、俺の気持ちは変わらない」
 他でもない永久が、此度の熾火の決断を予想してたのかもしれなかった。彼の返答は揺るがない。
「やれやれ……」
 湯呑を置いて、熾火は呆れと悲しみが入り混じった笑みを浮かべる。
「幸せには、なれぬぞ?」
 自分は、永久を幸せにしてやれない。答えてやれない以上、そういうことだ。
 他の誰より親愛を寄せてはいるものの、彼にしてみれば残酷でしかないと思えば強くも出られない。
「……心配しなくとも、自分の幸せは自分で決めるさ」
 言外の思いを汲み取って、彼は静かに笑みを返す。
 永久の心は、既に定まっている。五年――あるいは、それより前から。
「俺は、俺の幸せの為に。……熾火と共に在りたい。それではだめかな」
 我儘だろうか。
 そう告げられて、熾火は大きく首を横に振った。そうでもしないと、涙が落ちそうだった。
 胸が締め付けられる理由はわからない。
 申し訳なさか、あるいは喜びなのか。
 もしもこの先、彼女の感情が意味を変えたとしても――それは墓場まで持って行くと決めている。
 決して交わることのない、川面の木の葉は海に流れるだけだと知っている。
 涙を振り切り、熾火は笑顔を選んだ。

「物好きじゃな。永久も…… 私も」 




 数日後。
 真新しい雪に足跡を付けながら旅立つ二人の姿があった。
「晴れて良かった」
「今は、の。長い道中には嵐も多くあるじゃろ。老体には厳しかろうぞ」
「そうだね、いつか厳しくなるかもね」
 からかう熾火を、永久はさらりとかわし微笑する。
 『いつか』が来るまで……来たとしても、旅を続けよう。共に居よう。


 寄り添うでなく、それぞれの足で歩き出す。
 見上げる空は青くたかく、果てしなく。




【累ねの約束 了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ib9783/  永久 / 男 /あれから五年/ 武僧】
【ib7959/ 華魄 熾火 / 女 /旅からの帰還/サムライ】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼、ありがとうございました。
新しい旅立ちの物語、お届けいたします。二人の道行く先が暖かいものでありますよう。
お楽しみいただけましたら幸いです。
初日の出パーティノベル -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2016年02月09日

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