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『―秘密だらけの外交官・2― 』
水嶋・琴美8036

「失礼します、この先は現在、封鎖されております。特に許可を受けた車両・および人物以外は通行できません」
 僅かに開いた運転席側の窓から、黒服の男の姿が覗いている。
 夜間にも拘らずサングラス着用、恐らく特殊偏光レンズを用いたものであろう。男はそれによって素顔を隠し、且つ視野角や可視範囲を向上させていると見て間違いない……臨検にあたった自衛官は直感でそう睨んだ。
「許可証なら、ある……」
「拝見します」
 掠れるように小さな声で自衛官にそう告げると、男は懐に手を入れた。と、次の瞬間。自衛官の体は外的な力によりその姿勢を低くされていた。
 窓の隙間から見える黒い物体の先端から、薄い白煙が立ち上る。ツンと鼻を突く、独特の匂い。銃器を扱う者であればもはやお馴染みの、その匂い……そう、硝煙である。
 間一髪のところで頭部を吹き飛ばされずに済んだ隊員は、目を見開いたまま仰向けに倒れ、硬直していた。
「変わった許可証ですね?」
「……」
 代わって顔を出した琴美の笑顔に対し、男は無言のままブレーキから足を離しアクセルを開いた。タイヤはその場でホイールスピンし、アスファルトに黒い痕跡を残して前進を開始する。当然、前を固める検問を無視して、である。
「総員退避!」
 一曹の号令により、簡易ゲート前に立ち塞がっていた隊員たちは一斉に左右に散った。刹那、軽合金製のゲートはバンパーに当たって倒れ、タイヤに踏まれて激しく変形した。しかし車の外観には傷一つ付いていない。明らかに特殊加工された改造車である事が、その時点で判明した。そして……
「随分と、丈夫な車ですね。このような防御が、何故必要なのでしょう? 安全の為ですか?」
「答える義務は……無い!」
 屋根に貼り付くような姿勢で車の上に飛び乗った琴美が、続けざまに放たれた銃弾を躱し、代わりに吹き矢を窓の隙間に捻じ込ませ、毒針を男に見舞う。その間、1秒あったかどうかと云うところか。彼女ならではの早業であった。
 操縦者を失った車は当然、制御をも喪失して真っ直ぐに前進を続けた。男がアクセルを踏んだままで、動きを止めてしまった所為である。
「タイヤを!」
 琴美が叫ぶ。それは短い指示であったが、隊員たちにはそれが何を意味するか即座に理解できた。頑丈な装甲車であっても、タイヤにまでは防御を施せない。その材質が特殊加工された硬化ゴムであったとしても、徹甲弾の威力には敵わない。そして、駆動輪を破壊すれば車は動く事が出来なくなる。実に簡単な理屈だった。
 タイヤを撃ち抜かれた車は、残されたホイールのみで辛うじて前進を続ける。しかし、その速度は人間の走る速度にも劣る。自走で追いついた隊員の手によって運転席の男は排除され、助手席側に倒れこんだ。それに依り、アクセルに掛かっていた足も外れて、車は完全に動きを止めた。
「観念して頂けますか? 失礼ですが私、このように特殊な車で移動なさるお方に良い印象は持っておりません。悪しからず」
 笑顔ではあるが、目が笑っていない。氷の微笑と云う奴だ。
 そしてその瞳で見詰められ、平静を保てる者は嘗て居なかった。そう、一人たりとも。
「やれやれ、美しい外見にすっかり騙されてしまったね。大方、サイレンの魔女と云ったところかな?」
「あら、私はそのような者ではありませんわ。多少、戦うための術を身につけてはおりますけど」
 既に周囲を包囲され、逃げる事も出来ぬ状態となった後席の男……先刻琴美がリストに挙げた、次期特命全権大使の座を狙う某国屈指の貿易商は、両手を上げて薄笑いを浮かべながらも車から出て来ようとはしない。往生際が悪い、と云う奴だろうか。
「そのままでいらっしゃっても、益々お立場が悪くなるだけですよ?」
「そう、だねぇ……しかしだ、得てして悪役と云う奴は、そういうモノと相場が決まているのだよ!」
 男が手元の端末を操作すると、間もなく周囲は黒塗りの車によって包囲された。その全てに、国際ナンバーが付与されている。
「……本当に……」
「往生際が悪いのですね……」
 一曹をはじめとする隊員たちも、琴美でさえも……その様を見て開いた口が塞がらなかったという。
 集まった車がこのカメ状態となった車と同じ性能だったとして、物量作戦で果たして勝機があるのかどうか……いや、その数が街を覆い尽くす程であれば、或いは可能かも知れない。しかし、高々数十台の増援を呼んだとて、事態が好転する筈もなく。
 案の定、ものの数分で全ての増援車両とエージェントたちは沈黙した。

***

 その夜から、10日が過ぎた。
 某国大使館の最高責任者は、以前と変わらずそこに居た。
 力を以てその座を奪おうと画策した貿易商は、その悪事を全て暴露されて日本内閣からの承認も喪失し、単なる犯罪者として身柄を確保され、母国へと強制送還された後、逮捕された。
 警護対象の位の高さと反比例した、実に呆気ない幕切れであったと後に琴美は懐述する事になったと云う。
「大使館の直近まで戦域が拡大したのに、気付かれず無事に解決できたのはまさに奇跡でしたね」
「いや、大使は全容をご存じだそうだ。しかし公にする事は無いと仰られたそうだよ」
 司令官の回答を聞き、珍しく琴美が驚嘆の表情を作った。然もありなん、完全に、極秘裏に事を処理した筈だったのだ。
 事後の証拠隠滅は勿論、目撃者の洗い出しとその口封じも完璧であった。なのに何故? と。
「想定の範囲内だった……私はそうとしか聞いておらん。他の誰も、同じように答えるだろう。大使に関わった人間ならね」
「では、大使は御自分の立場を狙う男の正体も、その目的も全て……」
 ご存じであったそうだ、と司令官は付け加えた。それを聞いて琴美は『頑張ったのですよ?』と少々悲しそうな顔になった。
「そう落胆する事はあるまい。君が大使をお守りした事に変わりは無いのだから」
「しかし、折角の配慮が無駄に……出来るだけ、穏便に済ませようと頑張ったのに……」
「一人の犠牲者も、負傷者すらも出さずに事を収めたのだ、充分に穏便な措置だったと思うがね」
 それでも、完璧に意図した通りとならなかった事が不満なのだろう。琴美は不満を隠せずにいた。
 ――が、彼女が介入する以前から予測は付いていたと云う証言が加えられた事で、幾分か救われた気持ちになったのだろう。琴美は辛うじて自信を喪失せずに済んだという事であった。

***

「――美? 琴美?」
「あ、ごめんなさい。何かあって?」
「何か、じゃないよ。ボーっとして、心ここに在らずって感じだよ」
 休暇を取り直し、旧友との再会を実現させた彼女ではあったが、何故か気分は晴れなかった。
 プライベートも大切にしたい、友人との交流も大事にしたい。しかし琴美は、自分にとって一番大事なのは職務であると、薄々ではあるが勘づいていたのだ。
 与えられた休暇に不満がある訳では無い。しかし心底から楽しめないと云うのも事実であったようだ。実際、こうしてオフとなっても落ち着かず、身の置き所が無いと内心で思っていたのだから。
(ワーカーホリック……? ううん、そうじゃない。まだまだ自分の力に満足していないから、そう思うだけなのよ。これからも精進し続けないといけないわね)
 その脇で、自分の名を呼び続ける友人の声にも気付かず、琴美は空を睨んで決意を新たにするのだった。

<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
県 裕樹 クリエイターズルームへ
東京怪談
2016年03月14日

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