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『● 』
雨音に微睡む玻璃草ka4538
 境界は脆く、儚いものだ。

 ただそれと気づかないだけで。

 まるで黄昏に溶ける人影のように、おだやかに。
 まるで陽炎の彼方の孤影のように、さびしげに。

 世界はいつだって、簡単に歪み、滲んでいくものだ。

 ――ただそれと、気づかないだけで。

 “彼女”は今日も、境界で踊る。
 儚い世界のまんなかで、微笑み謳う。

 “彼女”は世界の脆さも、儚さも知らないままに。




 しとしとと、雨が降り続いていた。
 風はぬるく、徐々に瑞々しさを取り戻してきた木々の隙間を這い出しては彼女の頬を撫でる。髪を揺らす彼女は、髪の色のように薄くやわらかな微笑みを浮かべて雨滴に身を晒していた。
 彼女が見上げるのは隙間だらけの緑葉と、そこから覗く視界の果てまで広がる曇天。
 お世辞にも心地好い陽気とはいえぬ中で、彼女はぶんぶんと傘を振り回しながら、実に機嫌よく、彼女はこう言った。
「お話してくれるのね」
 応じる声はなくても、少女の言葉は雨粒に打たれて溶けるように消えていく。残響を味わい微笑む彼女に応じるように、彼女の周囲の風が揺らいだ。
「でも、約束があるの」
 服までずぶ濡れの彼女はふわりと傘を回し、肩にかける。
 はたはたと弾ける大粒の雨音に耳を澄ませていると、細い顎先から大粒のしずくが一つ、足元に落ちた。
「行かなくちゃ」


 曇り雲を、幾条もの光の束が貫いていた。いつしか雨は止み、大気の重さだけが壁のように横たわっている。雨も降らぬ中、傘をさしたままの少女は軽い足取りで歩んでいく。ぬかるんだ足元を気にも止めない彼女は、不安定な旋律で歌っていた。

 ♪私は木に登って 針鼠とくすくす笑うの

 ♪貴方の祈りは 火吹きカラスが連れて行ったわ

 調子外れの歌声に陽気な仕草。街中であればさぞ目を引いた事だろうが、幸い、彼女は森のなかを歩いていた。
 物語のような、悪い狼の気配はない。ただ、雨上がりの沈鬱が漂うなか、少女は悠然と足を進め――いつしか森を抜け、荒野に出た。

「……♪」
 彼女はその光景を知っていた。違うのはそこが、かつてと違い雨の雫で覆われていることくらい、だろうか。何れにしても、かつて見た破滅的な光景とさして変わりはない。

 ――茨こそありはしないが、見るも無残に散らされたパルシア村。その、跡地であった。

 ぬかるみをあえて踏み、泥水を弾けさせながら、少女はひょいひょいと飛び跳ね進む。時折足を止めては、微笑みながら何かに耳を澄ませたりもした。それは極めて不規則で、ばらばらに解離し破綻しかけている歯車仕掛けの人形を思わせる不自然なものであったが――ただ、少女はとても楽しそうだった。
 なるほど。どこまでも孤独な風景なのに、彼女自身はそれを厭うてはいない。その事実が、この幽玄の如き少女を、実在する少女たらしめているようですらあった。

「……♪」

 少女は進み、かと思いきや、ふとした拍子にその脚が止まる。そこに在るのは、彼女自身の記憶をくすぐる光景だ。それは、打ち壊された家屋の跡であったり、彼女自身が遺したと思しき足跡であったり――あるいは、何処かへと刻まれた血の跡、であったりした。
 紅い雫が散った軌跡をたどるように指でなぞると、砂土に汚れ、乾ききったそれがぱらぱらと刮げ落ち、少女の指を汚した。
 どれだけこすっても、こびりついたそれは薄く伸びるばかり。透き通るほどの白い肌にはふさわしくない、薄汚れた残滓だけが残った。
 その時はじめて、少女の表情が曇った。讃えられていた微笑みに、波紋が広がったように。

「……この夢物語はもう」

 退廃の香りが残るその表情の色は、不思議と少女にはよく似合った。この少女が、このような表情を見せることは至極珍しいことなのに。
 ――当然のことかもしれない。雨を纏い、雨と共に歩く少女だ。
 ある種の《予感》を孕む曇天は、彼女に親しいものに相違あるまい。

「終わっちゃったのかしら」



 少女はしとしとと歩く。うつむきがちな表情は伺い知ることはできないが、時折、荒野と化した大地を荒び流れる風が、少女の頬と髪を撫でた。巻き上げられた砂が髪に絡むが、気にも止めない。肩にかけた雨傘がふるふると首を振るように回されると、落ちた砂が軽妙な音をたてる。
 風に砂。それに、今度は規則正しい足音をささやかな伴奏にして。
「……♪」
 ゆら、ゆらと、掠れた声で、か細い旋律を紡ぎ、歩く。

 ――《それ》は、突然、訪れた。


 さあ…………、と。

 不意に、音が湧いた。はたはたと、音が散る。少女の回りに、散りばめられる。これまでの、さびしげな伴奏とは、違っていた。あまりにも唐突に湧いた音は、雨音に似ていた。
 だが、『違う』。
 少女の天上には灰色の雲が横たわっているが、一雫たりとも降り注いではいない。
 それでも。

 ひたひたと。
  はたはたと。

 『雨音』は、少女の耳朶を、撫でていたのだ。
「あ……」
 ――いつしか、少女の頬は淡く、濡れていた。

 その時。ひときわ強い風が、少女の髪を揺らした。その髪も、淡く濡れそぼっているかのよう。風に抗うように少女の蒼い髪が重く揺らぐ中、頬に張り付いた数本の髪を、少女は細い指でつまみ上げると、耳にかけた。
 あるいは、耳を澄ますように。
 少女の顔が上がる。少女の眼前には、仄暗い、大きな口が空いていた。そこは、かつて聖女と呼ばれた茨の亡霊が膝を抱き、堕ちた洞窟であった。フォーリ・イノサンティが死に果てた場所でもある。
 そこで――少女はたしかに、微笑みを浮かべていた。
 その小さな身体を、静謐なマテリアルが満たしている。かつてそこで起こった惨劇から、少女の体を護るように、雨音が鳴り続ける。

「……ねえ、おじさん」
 少女は、かつてと同じように、そう紡いだ。

 『そこ』で見た、様々な事を慈しむように。
 『そこ』で起こった何かを、見通すように。

 ――『そこ』で『生まれた』物語を、歓迎するように。


 そして。



 ねえ。

 雨音を聞かせて?





登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka4538/雨音に微睡む玻璃草/女性/14歳/清澄にして、無惨なる雨音を求めて】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 いつもお世話になっております、ムジカ・トラスです。
 発注文に好きに書いていいよ! って! 書いてたから!
 好きに、書いちゃいました……!
 ああ待ってください、怒らないで、石を投げないで赦して!

 僕の短いマスター人生の中でも、そしてファナティックブラッド世界の中でも屈指の不思議ちゃん(注:褒め言葉です)のフィリアさんですが、その行動にはひとつの芯が通っているように見えています。
 フィリアさんが本当に希求しているものではないかもしれませんが、代償としてでも求めている『何か』が少しでも描けていれたらいいなぁ、と思いながら、筆をおいてみます。

 お楽しみいただけましたら、幸いです。それではまた、御縁がありましたら!
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ファナティックブラッド
2016年04月22日

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