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『家族 』
弥生・ハスロ8556)&ヴィルヘルム・ハスロ(8555)&龍臣・ロートシルト(8774)


 死なせてくれ、と少年は言った。いや、元少年と言うべきか。
 俺は死刑になりたいんだ、どうして死なせてくれないんだ、と彼は泣き喚いていた。
 世間の人々も、死刑死刑の大合唱である。
 愚か、としか言いようがなかった。
 死にたがっている人間を死刑にする。そこに、いかなる意味があると言うのか。
 刑罰とは、国家が自殺に手を貸す事ではない。
 それを全く理解していない輩が、こうして凶行に及ぶ。
「このクソ弁護士がよぉ! 偽善者がよおおお!」
 私が、事務所の駐車場で車から降りた瞬間。その男は切りかかって来た。
 30代、であろうか。正義感に目を血走らせ、包丁を振り回している。
 私の左腕に、痛みが走った。スーツの袖が裂け、ぐっしょりと赤く汚れてゆく。
 痛みに耐え、私は男を睨み据えた。
「平日の昼間に、こうして駐車場に身を潜めて待ち伏せをしている……君、仕事は?」
「うるせえぞ、俺の事なんざぁどーだっていい! てめえだよテメエ!」
 血染めの包丁を握り締めたまま、男は喚いている。
「クソみてえな殺人鬼がよぉ、税金で一生ぬくぬく暮らせるようになっちまった! てめえのせいだぞ、わかってんのかコラ!」
 君は税金を払っているのかね、などと思いつつも私は別の事を言った。
「……私を殺して、判決が覆るとでも思っているのか」
「涼しい顔してんじゃねえぞ偽善野郎! てめえ、殺された子供がどんだけ苦しい思いしたか考えた事あんのかよ! 遺族の痛みと苦しみはぁああ!」
「遺族の方々とは充分に話し合った。犯人には、生きて苦しんで欲しいそうだ」
 一瞬、気が遠くなった。出血が思ったより多い。
「被害者本人とも御遺族とも無関係な君に、とやかく言われる筋合いはないが」
「黙りやがれクソ外人! てめえらのゴミみてえなやり方をよォ、日本に持ち込んでんじゃねえ!」
 日本の死刑制度に様々な難癖をつける人々と、どうやら同一視されているようだ。
「犯罪者がやりてえ放題の世の中を作ってんのぁテメエらだろうがぁーッ!」
 絶叫を張り上げながら男が包丁を構え、突っ込んで来る。そして転倒した。
 つまずいた、わけではなさそうだ。私が何かしたわけでもない。
「駄目よ。こういう事は、妄想してもいいけど実行しちゃあ駄目……ネットに書き込んで憂さを晴らす、だけにしときなさい」
 若い女が1人、いつの間にかそこにいた。倒れた男の片腕を、たおやかな繊手で捻り上げている。
 捻られた男の手から、包丁が落ちた。
 悲鳴を上げる男を片手で捻り伏せたまま、その女はもう片方の手でスマートフォンを操作している。
「いきなり出て来て、すみません。まず救急車、呼ばせていただきますね」
 眼鏡の似合う、理知的な女性である。きっちりと女性用スーツを着こなし、長い黒髪をポニーテールにしている。
 淀みない口調で救急車の手配を済ませると、彼女は言った。
「失礼いたしました。私、こういう者でして……アポイント無しで、ごめんなさい」
 スマートフォンをしまい込んだその手で、女性が名刺を差し出してくる。
 フリージャーナリスト、であるようだ。名刺が本物ならばだ。
「あの……押しかけ取材を、させていただくわけには参りませんでしょうか」
「……アポイントを取らなかったのは正解ですよ。間違いなく、お断りしていたでしょうから」
 マスコミの取材は基本的に、全て断る事にしている。
 凶悪殺人犯を擁護する偽善者。必ず、そういう方向に持って行かれるからだ。
「それにしても、見事なお手並みでした。お強い女性とは、いるものなのですね」
「ちょっとした護身術です。主人に、教わったものでして」
 既婚者であるようだ。
「取材ですか。あの裁判に関しては、特に申し上げる事はありませんよ。司法とは、私的報復を代行するためのシステムではない。ただそれだけです」
「てめ……自分の子供が殺されても、同じ事言えんのかよ!」
 喚く男の腕を、女性がさらに捻り上げる。
 悲鳴を上げる男に私は、切られるよりはマシだろう、と言ってやりたかった。
「子供が殺される、とか軽々しく言わないように……ね?」
 女性が、微笑んでいる。
 血まみれの腕を押さえながら、私は空を見上げた。
 自分の子供が殺されても、どころではない。
 あの息子を、私は何度、自分の手で殺そうと思った事か。
 我々親子は生涯、もはや和解する事はないであろう。
 息子は私を許さないだろうし、私も息子を受け入れる事は出来ない。
 息子を見ていると、あの男を思い出すからだ。


「それで結局、命の恩人だからって事でね。インタビュー受けてもらったわけよ、事務所じゃなく病院で」
 伊達眼鏡を外し、ポニーテールをほどきながら、弥生は言った。
 夫ヴィルヘルム・ハスロが経営している喫茶店『青い鳥』の店内である。
 忙しい時間帯は過ぎ去り、今は客が1人もいない。
「色々ためになるお話は聞けたけど……息子さんの事については、ちょっとね」
「まあ直接、訊けるような事でもないからな」
 店主ヴィルヘルムが、会話に応じながらティーカップを磨いている。
 喫茶店のマスターが、すっかり板についてしまった。
 この男は、どんな仕事をしても、こんなふうに優雅にこなしてしまうのではないだろうか、と弥生は思う。
「それにしても……あのマスコミ嫌いの弁護士に、押しかけ取材とはね」
 ハリウッド俳優を思わせる秀麗な顔立ちを、ヴィルはにっこりと歪めた。
「本当にフリージャーナリストとしても稼いでいけるんじゃないか? この店が潰れたら、頼むよ」
「……言っとくけどねヴィル、あの人のマスコミ嫌いは筋金入りよ。私が本物のジャーナリストだったら絶対、インタビューなんかさせてくれなかったわ。偽物だから、お話を聞いてくれたのよ」
 混血の敏腕弁護士として、注目を集めている人物である。父親がオーストリア人であるらしい。
 いわゆる人権派弁護士で、ネットでは大いに叩かれている。
「要するにね、私がフリージャーナリストに変装した単なる主婦Aだって事、見抜かれちゃってたわけよ。弁護士先生の眼力って、凄いのねえ」
「弁護士には、詐欺の才能が必要。それが君の持論だったかな」
「セールスマンとホストもね。でも、あの人は別格。詐欺まがいの弁護で犯罪者を守る、その仕事に信念を持っている。信念のある人がね、家族関係こじらせちゃってるから厄介なのよ」
 あの弁護士の子息が今、この『青い鳥』で従業員として働いている。
 彼の血縁関係を調べてくれたのは、とある探偵だ。
 弥生は見回した。
「あの子は?」
「ちょっとした、お使いを頼んである。もうしばらくは戻って来ないと思う」
 聞かせにくい話は、今のうちに済ませてしまえという事だ。
「あの人……息子さんの事、本当に嫌ってるわね」
「おいおい、まさか直接訊いたのではないだろうな」
「ご子息と仲悪いんですかって? ふふっ、そうしてみても良かったかしらね」
 遺族の方々は、犯人の死刑を望んではおられない。だからと言って犯人を許したわけではない。お子さんを殺されて、心の底から憤り悲しんでおられる。そのお気持ちが私にはね、本当にはわからないのですよ。
 あの弁護士は、そんな事を語っていた。
 仮に自分の息子が殺されたとしても、自分は憤りも悲しみもしない。そんな事を言っているように、弥生は感じたのだ。
 彼に包丁で襲いかかった男は、叫んでいた。自分の子供を殺されても同じ事が言えるのか、と。
 弥生は思う。自分の息子、それに夫。この2人の身に何かあったとしたら自分は、少なくとも犯人を死刑にしろなどと声高に叫ぶ事はないだろう。
 司法に裁きを委ねる気が、弥生にはなかった。
 そしてそれは、今はお使いで外出中の、あの若者に関しても同様だ。彼の身を脅かす者がいたら、躊躇なく私刑で裁く。
(このお店の従業員は、家族も同然……なんて、言葉で言う事じゃないけれど)
 押し付けがましい事をしている、という自覚はある。家族も同然などというのは、弥生の一方的な思いに過ぎない。
(ここまで来たらもう、人任せにはしないで徹底的に押し付けがましく行かないとね)
 そう思い、彼の父親のもとへ押しかけた。そして話をした。
 遺族の怒り、を勝手に代弁して襲いに来るような輩もいる。そこに話が及んだ時、あの弁護士は言った。
 仮に私が殺されたとしても、私の父親は何も思わないでしょうね、と。
 さらりとした口調ではあった。その言葉の中に、しかし弥生は感じ取った。
 父親に対する、明らかな憎悪の念を。
 あの弁護士は、自分の息子と父親、その両方を忌み嫌っている。
 オーストリア人であるという父親に関して、もちろん直接、聞き出せるわけはなかった。
 裏付け、と言えるほどのものではない。だが弥生は見たのだ。
 外国語で朗々と未練を歌い上げる1人の女性を、あの若者の背後に。
「あの子のルーツ……やっぱり、外国にあるんじゃないかと思うのよね」
「君の言う『くすしき魔が歌』を歌う誰かは、日本にはいないと?」
「多分ね。日本にいるのは、むしろ……」
 もう1つ、弥生は見た。
 あの若者を、まるで守るかの如く揺らめいていた、茜色の着物。
 見えた、と言うほど、はっきりと認識出来たわけではない。
 だが、あの若者を守る誰かは間違いなく存在しているのだ。
 客が入って来た。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
 ヴィルが、日本人女性ならば一発で骨抜きになってしまうであろう営業スマイルを浮かべる。
 だが入って来たのは男性客だった。
 ヴィルよりも、いくらか年下と思われる若い男。
 黒のスーツに身を包み、店内を油断なく見回している。猟犬を思わせる、鋭い目つきで。
 税務署員か、と弥生は一瞬思った。とりあえず声をかけた。
「あの……見ての通り、お客様もいなくて全然儲かっていないお店でして」
「そういう用事で来たわけじゃあないよ。ええと、経営者ご夫妻?」
 税務署員、ではないらしい男が、席に座りながら訊いてくる。
「クォーターの男の子が1人、働いてると思ったんだけど。やらかして、もうクビになっちゃったかな」
「彼は今、業務外出中ですが。何かお言伝でも?」
 ヴィルが、端正な口元で微笑んだまま、男を見据える。
 敵か味方か、を見極めようとする、傭兵の眼差しだった。
 男性客が、ふっと苦笑する。
「警戒されちまってるようだな。まあ無理もないが、俺は虚無の境界の手先じゃないよ……あいつの同居人で、龍臣ロートシルトという者だ」
 ヴィルの眼光が、ぎらりと鋭さを増した。
「ほう……ロートシルト家の方、ですか」
「知ってるのか? ま、そうだろうな。ヨーロッパ方面で荒っぽい仕事をしていれば、ロートシルト家の名前は嫌でも耳に入って来るはずだ」
 この龍臣ロートシルトという男はどうやら、過去のヴィルヘルム・ハスロを知っている。
 弥生は思わず、席から立ち上がった。
「主人に……もしくは、このお店の従業員に、何か御用でしょうか?」
「そう睨みなさんな。俺はただ、あいつの接客ぶりを見物したかっただけだよ。だけど御主人に用がないわけでもない……ヴィルヘルム・ハスロ。あんたの名前と顔と経歴その他諸々の個人情報、俺たちの業界に出回ってるぜ」
「……でしょうね。私は大勢の人を殺してきた」
「そういう自覚があるくせに、こんな大荷物を背負っちまう。あんまり感心出来る話じゃないな」
 店内を見回し、弥生の方をちらりと見ながら、龍臣は言った。
「奥さんだけじゃない、子供までいるって話じゃないか。守りきれるのか?」
「……あの子には本当、申し訳ないと思ってるわ」
 ヴィルではなく、弥生が応えた。
「過去に色々やらかして大勢の人に恨まれてるのは、私も同じ……こんな両親を持っちゃったんだから災難よね。だけど守ってみせる。貴方に心配してもらう必要はないから」
「……ま、過去に色々あるのは俺も同じだがな」
 龍臣は笑った。
 顔立ちは東洋人のそれだが、瞳は青い。
 何にせよ客である事は間違いない男に、ヴィルが声をかける。
「……ご注文は?」
「コーヒー。何でもいいから適当に淹れてもらおう。その間、奥さんと話しててもいいか?」
「私の妻は容赦がありません。どんな酷い事を言うか、わかりませんよ」
 微笑と言葉を残し、ヴィルは豆を選び始めた。
「……あんた方ご夫婦の事は、あいつから聞いている。良くしてもらってるようで助かるよ」
「私も、あの子から聞いてるわ。面倒見のいい、優しいお兄さんと一緒に暮らしてるって」
「……どっちかと言うと、俺が面倒見られてる方でな」
 龍臣が、頭を掻いた。
「ヨーロッパじゃ仕事上、規則正しい生活をしてたんだが……こっちへ来てから、だらけた。今じゃ、あいつの方が規則正しい。家事とかも、あいつに頼りっぱなしでな」
「主人も言ってたわ。彼、始業の30分前には出勤してるって」
 自分たちの知らないところでも、動いている人々がいる。弥生は、そう思った。
 あの若者を中心として、何かが動き始めている。
「貴方は、あの子の小さい頃とかも知ってるの? もしかして」
「引っ込み思案なんだか、人懐っこいんだか、よくわからんガキだったよ。今もそうかな」
 いささか心配そうに、龍臣は言った。
「いらっしゃいませ、とか言えてるのかな。あいつ、ちゃんと」
「なかなかのものよ、彼。貴方が接客やるより全然ましだと思うわ」
「……客への応対その他諸々、叩き込まれた事はあるよ。親父が、ある人の執事でな」
「で、貴方も執事? ふうん……執事の皮を被った殺し屋、って感じだけど」
「まさしく、それだ。俺の同業者が何人も、あんたの旦那に殺されてるよ。仇を討とうなんて気はないけどな」
「それは助かります。さあ、どうぞ」
 ヴィルが、コーヒーを運んで来た。
 受け取り、一口すすってから、龍臣は評した。
「……驚いたぜ。こんな気取った店で、こんな安っぽいアメリカンコーヒーが飲めるなんて」
「紅茶の方も、いかがですか?」
「日本にいる間は、紅茶から解放されたいんでな」
 熱いコーヒーを、ほぼ一息で飲み干してから、龍臣は言った。
「まずは……あいつを雇ってくれた事、感謝する。あの人にも、いい報告が出来るよ。あいつは、ちゃんとした所で働かせてもらってるってな」
「あの人……とは?」
「あいつの、まあ……祖父に当たる人でな」
 弥生は一瞬、耳を疑った。
「近々、来日予定だ。出来れば、この店にお連れしたいと思うんだが」 
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2016年04月26日

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