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『 時刻は夜明け前。 』
アリスjc2226
 空は淡く白み、岩肌に打ち付ける波の音は遠く響く――遺跡は、そんな海辺の崖近くに存在した。

「ううっ……すごい、なにこれ……」

 こつん。ブーツのヒールが地を踏む音は、穴ぐらの湿った壁に大きく反響する。
 ざわざわと壁面が蠢動するのは、大量のフナムシの群れか。

「は、ぁ……」

 普段の私であれば、もっと警戒し、慎重に進む事が出来ていただろう。
 しかし衝動に突き動かされる様に、この時の私は遺跡の最深部へと誘われていた。

「……これ、は……?」

 そこへは、ほんのすぐそこだった様な気もするし、長時間歩き続けて辿り着いた様な気もする。
 気が付けば、私は奇妙な構造物の前に立っていた。渦巻く魔力は中毒を起こしそうな濃さで、飽和して可視化している。漂う金霧にあてられ、眩暈すら覚えた。

「すごい魔力だわ……この気味の悪いオブジェが遺跡の中心と見て、間違いないわね……うぅ、お臍が熱い……」

 臍に挿入した金属は、体内の魔力をぐちゃぐちゃに掻き混ぜる。そしてマフラーが排熱する様に、尖部の先端にそれを集めるのだ。
 目前の構造物は、まるで蜂の巣の様に六角形の穴が無数に空いている。穴の中は膜の様なものが張っている部分もあれば、ぽっかりと口を開け、粘液を滴らせる部分もある――そう、この構造物は、生きているのだ。
 しかし、私の脳はそれを違和として認める事ができない。理性が鳴らすけたたましい早鐘は、只吐息、あるいは嬌声となって唇を震わせるのみ。
 ――と、

「?! ひっ――」

 べちゃあ、と粘質な音をさせて、潮溜まり塗れの床に"それ"は落ちた。見上げれば、元収まっていた穴はどくどくと脈打っている。
 白濁とした粘液をたっぷりと纏ったその女性は、青い髪、豊満な身体、天使の翼を持つ――"私"そのものだった。

「――、」

 "私"はにちゃにちゃという音と共にゆっくりと立ち上がり、粘液の絡んだ口元に妖艶な微笑を湛え、私の方へゆらり、一歩寄る。

「……、……」

 私は動けなかった。恐怖からではない。むしろ意識の表層は悦びに支配され、笑みすら浮かべていたかもしれない。何故なら――

「ン、ぅ……」

 "私"が私の唇を奪う。"私"の手はスーツの胸元を滑り、ファスナをジジ、ジと引き下ろした。臍ほど迄、汗ばんだ肌が露わとなると、押し込められていた金属片の圧迫が失われ、解放感に自然と息が零れる。

「……あ、あっ、」

 熱烈な接吻の間に両足を割られて引き寄せられ、胸と腰同士がぷにゅ、と当たり。
 そして"私"は、熱の集まった金属具のもう一端を、自身の臍へ捻じ込んでゆく。
 ――途端、

「ひぃっ?!」

 ボコォ、と"私"の頬がこけた。
 そこからは一瞬。首が萎び、胸が萎み、末端から中身を絞った様に、"私"は瞬く間にミイラと化して私にしな垂れかかった。

「ああっ?! あっ、あっ、」

 自らの老い朽ちる一部始終を目の前で見たショックからか、私の瞳は一時的に理性の光を取り戻し、干乾びた自分を突き飛ばす。抜け殻の肉塊は恐ろしく軽い音を立てて床に転がった。

「ぐうっ?!」

 同時に息を吸い込んだ私は、その強烈な腐った磯の臭いに吐き気すら催した。今まで気が付かなかったのではない、認識できないでいたのだ。そう、海辺で拾ったこの金属片は、いま私の臍に突き立てられた"これ"は――

「魔具……だったの、……ッ?!」

 おそらく、手にした瞬間に洗脳を受けていたのだろう。無意識に体を清め、魔具を付け、この遺跡へ向かう様に。
 ではこの遺跡は、私をどうするつもりなのか?
 あの"私"は、まるで私に吸い込まれる様に消えたけど――まさか、

「寄生……?! あの"私"は、幼生の擬態……?」

 巣の様相からして、怪物は『虫』なのだろう。生理的嫌悪もさる事ながら、今はそんな場合ではない。

「逃げ……これ、外さな、きゃ」

 私は忌々しい魔具に手を掛け、引き抜こうと力を込めた。しかし金属が身体から浮き上がると同時に、全身を電流の様な凄まじい衝撃が駆け巡る。

「あぇッ?! っうぅ……ッ?! む、むりぃ……は、じゅせな……いぃ」

 瞬間、身体の統制は私の手を離れ、スーツの中で内腿を熱が伝い落ちた。激しい痙攣、膝が笑い、その場に崩れ落ちる。外そうとすれば症状が悪化してしまい、とても外せない。さらに、

「……? なんで、こんなに張って……苦しくて、動けない……」

 胸と腹が、異常に膨張していた。魔具は今や水風船のへたの様にぶらぶらと揺れている――確かめる様にそこへ触れた手を見て、私は言葉を失った。

「……! 、……!!」

 腕の皮膚から、絹を思わせた滑らかさは無残に消え失せている。
 私は、老いているのだ。急速に!
 そして理解した――あの"私"は、紛れも無く、近い未来の私自身の姿である事を。

「い、いやぁぁぁっ!!」

 艶やかな声はおよそ40代女性の其れで。みるみる身体が熟れてゆくのに対し、若さを吸い尽くす様に三つの膨らみは肥大化を続け、かくも身重では満足に歩く事もできない。
 ボディースーツはもはや被服の体をなしておらず、胸と腹を地に引き摺る様に逃げようともがく私の背後で、べちゃ、べちゃ、と身の毛もよだつ音が聞こえた。

「……」

 緩く落ち窪んだ熟女の眼窩は、粘液に光る無数の触手を吐き出す『虫』の巣を正面に捉えた。

「ひ――いやっ! ……う、ぐぅ……ッ」

 わらわらと群がる触手を払いのけるも、一際太い触手が容易く抵抗を封じ、身体はあっという間に触手の群れに呑み込まれて。

「――やぁ、……い、……めッ……〜〜〜〜ッ!! ――……」

 しばらくは途切れとぎれに聞こえた悲鳴も、すぐに知性を持った人間の声では無くなった。
 時折触手達の隙間から見えた腕や脚は、少しずつ樹木の幹の様にミイラ化を遂げ、やがて骨と皮だけに。
 そして――

「……」

 水音だけが、夜明けを迎えた洞窟を照らし出した。潮位の上昇と共に、床という床は波に攫われる。
 と、遺跡の奥から、白い繭の様な物体が流されてきた。

 ――翌朝。
 数人の女性達が、何かに導かれる様に浜辺を目指している。
 どの女も――数日前の変死事件の被害者と同様に――若く、そして美しい。

「……」

 彼女達が辿り着いた先には、奇妙な物体が漂着していた。
 それは一見して昆虫の繭であったが、良く見ればその正体が粘糸に絡まった女であると気付けただろう。また、その大きく膨らんだ胎内が鳴動し、電波の様なものを発する事にも。
 しかし女達は既に脳を支配され、顛末を只見守るばかり。

 最期の刻が近付いている――充分な餌が集まった事を悟ると、繭は一気に羽化の準備を始めた。
 冗談の様に膨れ上がった女の胸と腹は、急速に白く色を変える。
 代わって、用済みの母胎は瞬く間にミイラと化す。

 ――めりり。
 かつて柔らかな肌を誇った腹部が大きく盛り上がり、そして破ける。中からは大量の粘液が溢れ出た。
 ぶぅん、という羽音と共に、濡れ翅が朝日を照り返す。続いて肉塊の縁を掴む、細毛びっしりの黒い前足。露わとなる複眼、しきりに擦り合わせられる口器が、きりきりと音をあげた。
 美しかった女は、この『虫』の宿主として短い一生を終えたのだ。

 成虫はぶぶ、ぶぶぶと翅を慣らし、ゆっくりと浮き上がる。
 油ぎった七色に汚らしく光る眼には、呆けた美女たちの姿。

 この虫は、女性の美を主として食らう。
 ――お話は、最初に戻る。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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・アリス(jc2226)(女性/20歳/トレジャーハンター)

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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清水澄良です、いつもお世話になっております。
平時に比べお待たせしてしまい、申し訳ございません。
願わくは、ご期待に沿える仕上がりである事を。
この度は清水にご縁を賜り、誠にありがとうございました。
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エリュシオン
2016年05月09日

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