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『【泡沫の断片、胡蝶たちの夢】 』
蒲牢aa0290hero001)&贔屓aa0179hero001


●螺旋の一片


 目の前の風景から、突然に色が失せた。

 広がるのは、一面の真紅。
 鼻をつくのは、錆びた鉄の如き匂い。

 ――なによ、これは。

 呼吸が乱れる。
 まともに、息が出来ない。
 頭が、状況を、理解できていない。
 感情は、嵐のように吹き荒れ、身体という枠を、突き破ろうと。

 何が、起きた?
 ダレが、起こした?

 答えは、ない。
 声が、聞こえない。

 遠く、とぉく、愛おしげな嘲笑のみが、耳を打ち。


「――――、――――――――ッ!!」


 叫びは言葉にすら、ならず。
 ただ、魂が、咆哮した。


   ○


 その世界は、常に麻のように乱れていた。
 長い戦乱の中で数多の英傑が覇を競い、争いの末にいずれかが天下を手中に治める。
 しかし、ようやく訪れた平穏は泡沫の夢に等しく。
 時をおかず再び世界は戦いの荒波に晒され、群雄割拠の世へ転がり落ちた。
 永劫とも思える覇権争いと、束の間の天下泰平。
 それを世界は、人々は飽きることなく連綿と繰り返す。

 そんな世に、世界の行方を左右する不変の存在があった。
 龍生九子と呼ばれる、常人ならざる者たち。
 かの者たちは戦いにおいて、直接その力を振るうことはない。
 しかし龍生九子と契約した者は、強大な力を得た……契約の際、誓約を結ぶ事を条件に。
 架せられる誓約は、様々だ。
 例えば、何者も殺してはならない。
 例えば、何者も愛してはならない……等々。
 龍生九子と契約した者が背負ったその誓約を、人々は畏怖を込めて『業』と呼ぶ。

 そしてまた一人、英傑の頂点を目指そうと志す若者が、龍生九子の前で頭を垂れた。

 ひざまずいた若者に興味を示したのは、天の龍の子、龍生九子の三番目。
 名を、蒲牢(aa0290hero001)という。
 都で評判高い美女であろうと、裸足で逃げ出すであろう見目の麗しさ。
「そうねェ……どうしようかしら?」
 緩やかに扇を揺らし、男とも女ともつかぬ美しい笑みをたたえた蒲牢は思案し、示す――力を欲した若者が背負うことになる誓約を。
 その身に架せられる業を彼は受け入れ、蒲牢の契約者となった。


   ○


 力を得た契約者の働きは、見事だった。
 戦に出れば敵をことごとく打ち破り、いくつもの武勲を立てる。
 目覚しい活躍ながら、世にはまだ列強の英傑が多く存在する……それが蒲牢の気がかりだった。
 そんな折り。
「見事な手腕だね……今度の、君の契約者は」
 蒲牢と契約者の元を訪れたのは、贔屓(aa0179hero001)。
 天の龍の子、龍生九子の長兄――つまり蒲牢にとって、兄にあたる存在だ。
 思わぬ来訪者に側近たちが一斉に頭を垂れ、契約者自らも礼を尽くす。
 ただ一人、己の契約者の傍らで蒲牢は薄い笑みを浮かべた。
「本意はどうであれ、直々のお褒めの言葉、ありがたく受け取るわ。そういえば贔屓、あなたまだ契約者を持っていないの?」
 単身で現れた兄に、半ば呆れたような言葉。
 しかし贔屓は気にする様子もなく。
「ああ、だからこそ君に協力したいと思ってね」
「……はァ?」
 思わぬ申し出に蒲牢は赤い瞳を瞬かせ、我が耳を疑う。
 理由もなく人に力を貸すような、善意に満ちた人物とはとても言えない兄が。

 ……いったい、何のつもりなの?

 訝しむ蒲牢の胸中を察してか、贔屓が肩を竦めた。
「どうやら、君の契約者には抜きん出た『才』があるみたいだね。いずれは天下を掌握する日がくると、僕も思うよ。でも未だ屈していない者たちもいるし、中には誰かの契約者もいるだろう。運悪く、立ち塞がった誰かに討たれるかもしれない」
 幾度となく繰り返される戦乱の世、そんな『悲劇』は数え切れない。
 今の彼の契約者も「そうならない」とは言い切れず、無言で蒲牢は渋い表情を返す。
「けれど。もし契約者一人につく龍生九子が、二人だったら?」
「本気で……言ってるの?」
「信じられないかもしれないけどね。君の契約者の働きを見て、思ったんだよ……共に彼を天下へ、と」
 本人の言うとおり、にわかには信じがたい話だ。
 だが贔屓の申し出が本当なら、百万の味方を得たも同然。
 蒲牢の契約者が覇者となる日は、ぐっと近くなる。
「ねェ。あなたはどう思う?」
 前例のない話に、さすがの蒲牢も小声で契約者へ問うた。
 それ程、傍らの契約者は蒲牢にとって『お気に入り』だったのもある。
「我が主公、蒲牢様が是とするなら、異論はございません。龍生九子のうち二人もの御力添えをいただけるなら、天下掌握への道は揺ぎ無きものと成りましょう」
「そう、ね」
 言葉を濁させるのは、微かな胸騒ぎ。
 しかしそれ以上に、契約者が天下を手中に収めることを彼は望んだ。
「いいわ。その話、受けましょう……でも覚えておいて、贔屓。協力するからといって、あなたの契約者にもなる訳ではないわよ?」
「もちろん。君の契約者は君のものだよ、蒲牢」
 未だ不信感を拭えない弟へ、にこやかに兄は返した。


   ○


 贔屓の協力も得た蒲牢の契約者の躍進は、まさに雲蒸龍変、他の英雄豪傑に一切の追従を許さなかった。
 自分の前で頭を下げた青臭い若者が、今では相応の風格をまとい、立派な将として立っている。
 往く道の先に、障害は何もなく。
 蒲牢は彼の契約者が天下を手中にすると疑わず、近付く日を心待ちにしていた。

 その夜、気が高ぶっていたのか、それとも何か気がかりでもあったのか。
 契約者は夜が更けても、寝屋へ戻らなかった。
 気遣って蒲牢が声をかけるも、少し考え事をしたいという願いに折れる。
 既に、二人の前に敵はない……彼を玉座に残し、自室への回廊を歩く。
 その途中、蒲牢は彼の中でふっつりと何かが切れるような感覚を覚えた。
「……まさか?」
 結んだ誓約、架した業が薄れていく感覚に、急ぎ契約者の元へ取って返す。
 失われていく契約の絆が、嘘であるよう祈りながら。

「天下を成す日も、目前でございますな」
 ガランとした広間を歩き、一人で物思う契約者へ話しかけてきた男は、側近の一人だった。
 ただ、ほとんど顔に覚えはない。
 彼には多数の側近が使えている上、身に着けた冠服からすると位も低く。見た目も印象の薄い、あまりに目立たない人物だ。
「これも、ひとえに蒲牢様や贔屓様の助力があってこそ。もちろん側近の皆にも感謝している。汝らの働きなくては、成しえなかった」
「ありがたきお言葉……天下を手にされた暁には、よき統治者となられたでしょう。貴君がそれを成就できないことが、とても残念です」
「何!?」
 次の瞬間、脇腹に鋭い痛みが奔った。
 とっさに左手で男を突き飛ばし、空いた手で帯びた柳葉刀を抜き払う。
 斬りつける刀を、しかし相手は隠し持っていた匕首で難なく打ち流した。
 ……契約者の、一刀を。
 否、刃はわずかに衣を裂き、だらりと長い袖が垂れる。
 むき出しの腕にあったのは、蛇の刺青。
「貴様、贔屓様の……!」
 動揺した一瞬の隙を相手は見逃さず。
 主君の心臓へ、七首を突き立てた。
(我が主公……お許し、下さい。貴方と共に、天下を……手にしたかっ……)
 頑強な身体が傾ぎ、どぅと重い音を立てて石床に倒れる。
 側近は息を整えながら、カッと目を見開いたまま絶命した、かつての主君を見下ろした。
「……よく、出来たねぇ」
 急いで七首を仕舞い、褒める声へ側近は礼を正して跪く――彼が契約を結んだ、龍生九子に。
「『表舞台に出るな』との誓約、守れましたでしょうか」
「ああ、もう行っていいよ」
 闇へ一礼して、側近だった男は足早にその場を去る。
 主君殺しの反逆者は、じきに衆目の前へ引きずり出され、首を刎ねられるだろう。
 あるいは目立たぬように隠れ続け、上手く追っ手から逃げおおせたとしても、存在自体は表に出る。
 本人が、いかに『表舞台』から隠れようとしても。
 いずれにせよ時は満ち、彼の役目は終わった。

 そして。

「……嘘、でしょう……?」
 契約の失せた蒲牢が、かすれた声で呟いた。
 おぼつかぬ足取りで契約者の亡骸へ歩み寄り、糸の切れた人形のようにがくりと膝をつく。
 血が衣を汚すことも、気にせずに。
 手を伸ばし、震える指で生死を確かめようとするが、触れれば本当に全てが終わりそうで。
 床一面に広がった、紅い血の海。
 その真ん中で、刀を握ったまま無造作に崩れ落ちた身体。
 何かを訴えるように見開いた濁った瞳と、血の気のない口唇。

 ほんの数刻前まで、天下は彼らの目前だった。
 しかし、今となっては叶わぬ夢。
 彼の天下は、永劫に成らない。

 ……悲劇と絶望の結末。

 思わず顔を覆う。
 それでも堪えきれず、指の間から零れ落ちる。
 止まらない、笑いが――!

 哄笑に、蒲牢が虚ろな顔を上げた。
 さらりと、青い髪が肩から滑り落ちる。
 見上げる紅玉の赤い瞳が、収縮した。
「贔屓……あなた……」
 近付く冷たい靴音に、震える声でやっと蒲牢が言葉を紡いだ。
「理解できない、と言いたいのかな? でも君と君の契約者に協力を申し出たのは、本心からだったんだよ」
 弟の傍らに膝をつき、おとがいに指をかけ。
 悲嘆に打ちひしがれてもなお、綺麗な顔を覗き込む。
 その、翡翠のような緑の瞳で。
「僕は兄弟を愛しているよ、心から。
 だからこそ、見たくて見たくて仕方なかった!
 君の! その表情(かお)をねェ!!」
「…………ッ」
 兄を掴もうとするが動きは鈍く、手が空を切る。
 難なく避けた贔屓は青い髪にさらりと指を滑らせ、笑いながら離れた。
 あまりの悲しみの深さに自失した蒲牢は、遠ざかる嘲笑を追うことすら出来ず。
 何も掴むことの叶わなかった手で、己の胸をかきむしる。
 贔屓への憎しみと、怒りと、なにより自分への情けなさがつのり。

 冷たい静寂の夜、残された蒲牢は独り、声にならぬ咆哮を天に響かせた。


   ○


 戻った意識が捉えたのは、安っぽくうるさい店の宣伝音楽。
 聞き取れない雑多な人々の会話に、行き交う車の音。
 そう。ここは彼らがいた場所とは、全く別の世界。
 思念体のみで到達した世界で彼は『能力者』と共鳴し、誓約を結び、『英雄』と成った。
 それ以前、本来の世界でのことは覚えていない……ほとんど、何も。
 ああ、でも。
 わずかに、残っているモノはある。
 彼を目にするたび、何故か胸の内から湧き上がってくる感情。

「やぁ、蒲牢。元気そうだね……君の契約者も含めて」
 柔らかな口調の贔屓が、蒲牢と彼の契約者に微笑を向ける。
 その端麗な姿も、言葉も微笑みも、何故か無性に蒲牢をイラッとさせた。
「あなたも元気そうで、残念だわ」
 理由のつけられない感情を蒲牢は訝しく思いながら、極上の笑みで付け加える。
「さっさと滅んでくれない? 目障りだから」
「酷いね。一番困るのは君なのに……ねぇ?」
 悲嘆に暮れた口振りに反し、面白がる視線を贔屓は自身の契約者へ投げた。
 贔屓もまた、この世界にくる以前のことは記憶にない。
 けれど殆どを失ってなお残ったのは、『三番目の君が一番お気に入りだ』という感情だけ。

 そう、たとえ記憶をなくしても。
 想う『彼』の姿は、目を捉えて放さず――。



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【aa0179hero001/贔屓/男/28歳/ドレッドノート】
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2016年05月23日

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