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『 ――僕にも、勇気があれば。 』
狼谷・優牙aa0131
 そう思いはするけれど、恐怖を刻み付けらた身体は竦み上がって言う事を聞かない。

「や、やめてくださいぃ……」

 か細い声が、西日射す校舎裏に空しく響く。
 イジメっ子たちはさも愉快げに僕の前に立ちはだかって、怯える僕に靴を履くように強要した。

「どうしたんだよ、ゆうが。靴はもう返してやったろ? 早くはけよ」
「もうかえらないと、先生に怒られちゃうじゃねえか」
「今日、生活の時間に言ってたよな? お前の名前、やさしくてつよくて、カッコいい男になるように付けてもらったって」
「ひ、ぁ……でも、」

 自分の名前の由来を知ろうという授業があったのだが、そこで僕が口走った事の一体なにがそんなに気に食わなかったのだろう。
 ――否、実際は理由など何でも構わないのだ。ただ、子供らしい征服欲の捌け口を求めているだけ。これは、誰かを言いなりにしたい、自らの覇権を誇示したいという、どうしようもなく悪辣で無邪気な欲求が齎す現象だ。

「何ウジウジしてんだよ。こいつ、やっぱりメスなんじゃねーの?」
「あと五秒ではかなかったら、お前は明日から女あつかいだからな! ホラ、ごーお、」

 無論小学生の僕はそんな風に思い及ばないし、これを打破する方法は一つしか考え付かなかった。
 大喜びでカウントダウンを始めるイジメっ子の顔も見れず、自分の運動靴を凝視する。――履けるわけがない。強烈な夕日が作り出す濃い影の中に、尖端を此方に向けた画鋲が光っていた。

「履けよ、ゆうが!」
「……うああ、」
「さーん、」

 間延びした声がふざけて読み上げる数字は、死の宣告にも思えた。
 どうすればいい? どうすれば、この苦痛から逃れられる?

(声をあげるしかない。この子たちより大きな声で……でも、)

 口を開いただけで、ともすれば奥歯が打ち鳴らされそうになる。喉の奥に空気が絡み、ヒュ、と息を呑む音が聞こえた。
 ……何もできない。自分が酷く情けなくて、目頭がツンと熱くなった。

「ぜーろ! あーあー、ゆうが、女の子けってーい!」
「何だよ、泣いてんじゃねぇよ! おれらがもっと良い名前を考えてやるからさあ」
「……あ、それ……」

 イジメっ子の一人が、ランドセルから教科書を取り出した。今日なくなってしまった、僕の保健の教科書だ。
 彼はにやにやと自分の筆箱からマジックペンを取り出すと、それを裏返して『狼谷・優牙』と書かれた名前の欄をぐちゃぐちゃに塗りつぶした。

「あああ……やめてぇ」
「どんな名前がいい? ゆうかちゃん? ゆうこちゃん?」
「あー、またゆうがくんいじめられてるー」

 突然聞こえた女の子の声に、僕の身体がビクリとはねた。
 現れたのはクラスの女子たちで、イジメっ子たちはその子らに自分の偉さを見せ付けようと、余計に躍起になる。

「いーけないんだー」
「なんだよ、じゃますんなよ。こいつは今から女なんだぜ」
「ち、ちが……」
「でも、ゆうがくんホントに女の子みたいだよねー」
「だよなぁ、やっぱり女なんだよ」

 確かに、僕はしょっちゅう女の子に間違われるような、中性的な顔をしている。
 女子が同調するので、イジメっ子たちはますます嬉しそうだ。

「ちがいます……僕は、男の子です……」
「じゃあ、証明してみせろよ!」
「男には、コレが付いてるんだぜ?」

 イジメっ子が手にした保健の教科書の、あるページを開く。
 そこにははだかの男女の絵が書いてあって、僕たちにはとても恥ずかしく感じられた。目を逸らす僕に、イジメっ子が畳みかける。

「あ、う……そ、それは、」
「いいから、脱げよ! 前も脱いだんだから、いいだろ!」
「ああっ、嫌、いやです……!」
「大人しくしねぇと、明日は教室で脱がすぞ!」
「やめなよーかわいそうー」

 女の子たちも口ではそう言うものの、誰も助けようとはしない。この時間の校舎裏など、教師もまず来まい。
 ウエストゴムのスボンは、イジメっ子に数人がかりで引き下ろされて簡単に脱がされてしまった。それが足に絡まって身動きできないので、パンツだけは必死に掴んで抵抗した。でも髪の毛を引っ張られたり、靴下の上から靴で踏まれたりするうちに、手が緩んでしまって――

「! やめ……あっ――」
「……うわー、ゆうがはだかだー」
「キャー、ゆうがくんえっちー」
「は、はう!? み、見ないで……」

 火が点いたように、頬がぼぼぼ、と赤くなるのが分かった。頭が真っ白になって、何処を隠していいのかも分からない。大勢の笑い声が反響して聞こえて、身体の芯がめちゃくちゃ揺さぶられたみたいだった。
 前後不覚に陥ってしゃがみ込む僕は、上目に旧友たちの方を見た。
 オレンジ色の光が、あまりに眩しい。

「あははは……」
「きゃはははは……」

 逆光で笑うイジメっ子たちが、僕にはまるで悪魔に見えた。金縛りにあったようにぴくりとも動けなかった。
 ――それを視界に認めたのは、まさにその時で。

「……、……?」

 影の数が、一つ多かった。
 その影は、さらに余りにも空想の中の悪魔の姿に酷似していて。

「じゅう、ま……?」

 負の感情に引き寄せられでもしたのだろうか――現れた従魔は小型で、大きさは大型犬ほどだった。
 一人、また一人と異形の顕現に気付き、笑い声が先細ってゆくのはいっそ滑稽ですらあった。
 息を詰める彼らの視線の先で、従魔が翼を広げる。体躯の二倍を超える羽幅が繰り出したバサリという重音は、幼い子供たちの耳には想像以上に絶望的な響きで。

「うわあああああっ!!!」
「きゃあああああああーーッ!!」

 瞬間、イジメっ子はつんざくような悲鳴をあげて散りぢりに霧散した。

「あっ、う――」

 どたっ。
 その勢いに押され、僕は校舎裏の地面に顔から倒れ伏す。逃げようにもくるぶしに絡まったズボンが邪魔をして、立ち上がる事すら出来ない。
 後年振り返ればそれは推定ミーレス級以下の低位従魔であった。しかし如何に矮小であろうと、ライヴス能力を持たない一般人は異世界の存在に介入出来ず、その邂逅は即時死を意味する。
 ……けれど、僕は異様に冷静だった。

 ――いいじゃないか、ここで死んだって。
 どうせ明日も、明後日も、僕は何も言えやしない。こんな生活が続くなら、もういっそ――

 ……僕は、人生を諦めかけていた。

「――勇気を、出して」

 途端、脳裏に、堂々とした声が聞こえる。
 僕はそこで漸く、時間が異常に長く感じられる事に気付いた。
 襲い掛かる従魔の俊敏な筈の動きが、まるでスローモーションのように見える。

「勇気を出して、この手を取って。諦めないで!」

 誰? 僕に語り掛けてくるのは――

「って、ふぇ!? げ、幻聴でしょうかー?」
「幻聴じゃないよー! いいから、ほら!」

 目を凝らせば、目の前にはいつの間にか活発そうな少年が立っていた。
 いや、恐らくは今、そこに現れたのだ。彼の身体は透けて、この世の存在でない事は明らかだった。

「世界を救おう、なんて言わないよ。この手を取って、戦って! それだけの勇気で、充分だから!」

 戦う? ……僕が?
 けれど不思議と、怖くなかった。その声に導かれるまま、僕は少年の伸ばす手に触れる。
 ――その瞬間、身体の周囲に光の渦が巻き起こった。

「……これが、僕……?」

 伸びた髪は、輝くような赤。
 心なしか身体は軽く、視界に入ってくる景色がものすごく鮮明に見える。
 カラリと手に感触を感じてみれば、そこには見たことも無いような綺麗な宝石と――

「わわっ……ピストル……!」
『ボーっとしない! スライド引いて、狙って、撃って!』
「へ?! ええっと、は、はいっ!」

 獣の唸りが聞こえた。見れば従魔は目前に迫り、今にも襲い掛からんとしている。
 間に合わないと思ったが、僕の身体は驚異的なスピードで動いた。銃を向けて引き金を引いても、従魔がほとんど動く間が無いほどに。
 パスン、パスン、という銃撃の感覚は、本来子供の手に余る衝撃だろう。それが容易に手首で制御出来て、弾丸の軌道すら目で追えた。思い描いた通りの弾道を描き、従魔に攻撃が吸い込まれると、獣染みた悲鳴と共に異形は地面を転がった。
 ……肩で息を繰り返すと、僕の心は素早く平静を取り戻す。
 瞬きをしても、そこは変わらず、見慣れた校舎裏だ。従魔は構築が崩れるように形を失い、暗くなりはじめた夕方の空に溶けてゆく。

「……あなたは、一体……?」

 胸に手を当てると、僕は自分が宝石を握り締めたままだった事に気付く。
 長い髪が元に戻ると、目の前には浮かび上がるように、あの少年が再び姿を現す。
 でも今度は、透けるような霊体ではない。目の覚めるような赤い短髪と、らんらんとした金の瞳を持つ、僕と同じくらいの歳に見える少年は、僕を見て人懐っこい笑みを見せた。

「英雄だよ。君の」
「……僕の……」
「そう。契約も、ちゃんとしたでしょ?」
「ええっ?! いつの間に……」
「君は僕の声に応えて、僕の手を掴む勇気を見せた。
 『勇気を出して行動する』――それが、僕たちの誓約だよ。その幻想蝶が、約束の証!」

 僕は手にした宝石を見下ろした。それは仄光に透け、光を掌に四散する。
 ――ライヴスリンカーとは、霊力を以て異世界の英雄を召喚し、共鳴と呼ばれる憑依合体を経て、異世界の存在に有効打を与えうる力を行使する超能力者だ。
 まさか、僕にそんな素質があっただなんて。

「……でも、僕には……」

 僕はテレビでよく見る、リンカー番組を思い出す。
 気が弱くておどおどしていて、学校で虐められるような僕では、とてもあんな風に戦えない。
 ……言わんとした事を察してか、英雄は一歩近づき、僕の手の上にある幻想蝶に触れた。

「勇気は、少しでもいいんだよ。だから、一緒に戦おう。僕は何時でも此処にいるから……」
「あっ……」

 英雄は光と消え、僕はすっかり暗い校舎裏に一人残された。
 けれど、誓約でライヴスに鋭敏になった僕には分かる。彼が、幻想蝶の中に居る事が。
 ――僕は、独りじゃなくなったんだ。
 帰り道を見ると、その先に待っている明日も、昨日までと少し違っている気がした。……そう思うと、僕の唇は自然と動いていて。

「勇気……少しだけ、少しだけ出して、頑張ってみるのですー」
『うんうん、そのちょーしそのちょーし!』
「うわっ! そ、そこからでもしゃべれるんですね……?」

 ――この日から、僕の新しい人生が始まった。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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・狼谷・優牙(aa0131)
  10歳。イジメられっ子の気が弱い内気な少女……に見える少年。
・???
  とても元気で活発な男の子……に見える女の子の英雄。

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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清水です。英雄との出会いという大きな節目の演出に抜擢頂き大変光栄です。
実はシナリオでのお預かりが無く、密かに好きだったPCさんだったので、とても嬉しかったです。
狼谷くんが英雄との出会いで手にした、新しい人生の幕間――どうか、彼の心のままに謳歌されますよう。
この度は清水澄良にご縁を賜り、誠にありがとうございました。
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2016年06月01日

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