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『争乱を運ぶ青い鳥 』
ヴィルヘルム・ハスロ8555)&工藤・弦也(8535)


 店主ヴィルヘルム・ハスロと同じ、エメラルドグリーンの瞳。さほど高級品ではない、黒のスーツ。
 一見すると、休憩中の若いサラリーマンである。
 IO2エージェントをサラリーマンと呼べるかどうかは、よくわからないのだが。
 とにかく馴染みの客である、その緑の瞳の若者が、コーヒーを啜った。
「……うん。申し訳ないけど俺、紅茶の味はよくわかんない。このお店は、アメリカンコーヒーが1番だな。アメリカ暮らしが長いせいかも知れないけど」
「またアメリカにでも行っていたのかと思いましたよ。ずいぶん久しぶりですよね?」
「まあ色々と忙しくてさ……今も、そうだよ。ほら、新聞やニュースでもやってる」
「……例の、見立て殺人?」
 自殺か他殺か判然としない、奇妙な人死にが続出していた。
 犠牲者の大半が、若いサラリーマンと就職活動中の学生で、死因はほぼ全てが失血。手首や首筋から大量の血液を抜き取られた状態で、しかも自宅ではなく屋外で発見される場合がほとんどであるという。
 この世で最もおぞましい生き物たちの所業を思わせる死に様だ。
「うん。吸血鬼を気取ってそういう事件を引き起こす連中、いないわけじゃないんだけど」
 IO2の若者が、いくらか言い澱んでいる。
「そういう奴らの犯行なら当然、IO2じゃなくて警察の領分なんだけど。見立て、じゃない可能性が、ちょっとね」
「……本物の、吸血鬼の仕業であると?」
「ヴィルさんは覚えてるかな。俺たちが久しぶりに会った時、戦った連中」
 吸血鬼を信仰する集団。忘れられる、わけがなかった。
「あいつらの残党だか同類だかが、どうも日本で動き回ってるらしいんだ。それと、この事件が関係あるのかどうかは、まだわかんないけどね」
「関係があるとすれば……あの者たちが、関わっているとすれば。これは私がやらなければならない事、貴方がたIO2に押し付けるわけには」
「気持ちだけ、もらっとくよ。ヴィルさんは、そんな事より、このお店をしっかり守るべきだと思う」
 若いIO2エージェントが、店内を見回した。
「コーヒー豆やお茶っ葉の宅配まで始めたんだって? ますます忙しくなるじゃないか。わけわかんない殺人事件なんかに、関わってる暇はないと思うな」
 空のコーヒーカップを卓上に置いて、彼は立ち上がった。そして千円札を出す。
「ごちそう様。お釣りはいらないよ、とか1度はやってみたいんだけどな」
「駄目ですよ。はい、700円のお返しになります」
 レジを打ちながら、ヴィルは微笑んだ。
「ありがとうございました。そう、もう1つ言っておきましょう……お帰りなさい」


 若い頃、外国を回った事がある。
 いささか治安に問題のある地域ばかりを選んだのは、自分を試すためか。いわゆる、自分探しの旅であったのか。
 ただ単に自分が愚かであったからだ、と工藤弦也は思っている。
 平和な祖国を飛び出し、殺す自由と殺される自由に満ちた、まさしく獣の生活を経験した。
 おかげで嗅覚は鋭くなった。
 ガラス越しに、不穏な臭いを感じ取ってしまう。
 その店の前で、弦也は思わず足を止めてしまった。
 古めかしい感じの、洒落た喫茶店である。
 看板に刻まれた店名は『青い鳥』。
 ここか、と弦也は思った。会社のOLたちが、黄色い声で噂をしている店。
 だが見たところ男性客も多い。この喫茶店が、喫茶店として普通に評価されているという事だろう。
 店主、と思われる人物から、弦也は目を離す事が出来なかった。
 こうしてガラス越しに店内を覗き込んだだけで、弦也の嗅覚に触れてくるものを発している店主。
 欧米人の男性である。整った顔立ちと、無駄なくスリムに鍛え込まれた身体つきは、ハリウッド俳優を思わせる。
 なるほど女子社員が騒ぐわけだ、と弦也は思うが、それ以上にこの店主は尋常ではない。言葉では表現し得ない何かを、その秀麗な容貌の下に隠している。
 人間の皮を被った、何か。
 弦也は思わず、そんな事を思ってしまった。
 もう1つ、思う事がある。
「さて……どこかで、会った……かな?」
 のんびりと思い出している場合ではなかった。
 店主と話し込んでいた1人の男性客が、こちらを向こうとしている。
「おっと……まさか、あいつがいるとは」
 いくらか慌てて、弦也はその場を立ち去った。
 何かが、視界をかすめた。
 店の入り口の脇に取り付けられた、小さなカードラック。
 ショップカードが何枚か入っていて、客や通行人が自由に持って行けるようになっている。
 1枚、弦也は手に取った。
 そうしながら、足早に歩み去る。
 店主と話し込んでいたのは、1人のIO2エージェントであった。
 弦也の知り合い、と言うか甥である。
 自分の昔の職場に、親族がいる。気まずいわけではないが、何となく落ち着かないものだ。
 まるで、あの頃の自分自身を見ているかのように。
 今の工藤弦也は、IO2エージェントではなく、しがないサラリーマンである。
 営業回りの最中だ。
 新規の得意先になってくれるかも知れない会社に、これから向かうところである。
 外資系のIT関連企業、であるらしいが詳しい事はわかっていない。
「さりげなく調べてこい……って事だろうな、きっと」
 苦笑しつつ、弦也は思う。
 今、通り過ぎて来た『青い鳥』の店主。弦也の、嗅覚のみならず記憶にまで触れてくるものがある。
 一瞬、左肩が疼いた。目立たないが、微かな傷跡が残っているのだ。
 獣の徘徊にも似た、あの旅の最中。果たして何年前であったか、とにかくルーマニアで1人の少年兵と出会った。
「……まさか、ね」
 自分の考えを一笑に付しながら、弦也は『青い鳥』のショップカードを見た。
「あいつが、まだ生きてたとしても……まさか日本で、喫茶店のマスターなんて」
 紅茶・コーヒー豆の宅配も承ります。そんな一文がある。
 宅配。何か違法な商品を売買するための暗号か、と弦也は思った。


 閉じ込められた、と弦也は感じた。
 もう遅い。ここは社屋の入り口ではなく、すでに応接室である。
 得体の知れない巨大な怪物に、呑み込まれたようなものだ。消化される前に脱出しなければならない。
 怪物の腹を、切り裂いてだ。
「どうぞ、コーヒーをお飲みになって」
 女性社長が、にこやかに言う。見た目は美しい、白人の女性である。
 曖昧な笑みを返しながら、弦也は言った。
「社長はご存じですか? このところ少しばかり物騒な事件が相次いでおりまして」
「ふふっ、人なら毎日いくらでも死んでおりますわ。それよりコーヒーお飲みになって」
「新人サラリーマンとか、就活中の学生とかがね、何人も死んでいる。血を抜かれてね。全員……説明会とか面接とか、僕みたいに営業の仕事とかで、1度は御社に足を踏み入れています」
「コーヒーをお飲みになって、冷めないうちに」
「前の職場にいた頃からの、良くない癖でね。いろいろ調べちゃうんですよ、そういう事」
「どうぞコーヒーを」
「1つ訊きたい……血って、そんなに美味しいのかな?」
「コーヒーを……大人しく飲んで、眠っていれば! 楽に死ねたものを!」
 女性社長が牙を剥いた。頬が裂け、美しい顔がちぎれ飛び、人間ではないものの本性が現れた。
「意識あるまま引き裂かれ、苦しみながら死ぬのが望みか! よかろう、苦痛と絶望の悲鳴を上げながら、その血を我らに捧げるが良い!」
「……吸血鬼、か」
 溜め息混じりに、弦也は苦笑して見せた。
「漫画とかに出て来る美形の吸血鬼って、なかなか居ないもんだよね」
「ほざけ!」
 この会社の社員たちが、応接室に雪崩れ込んで来た。
 全員、頬を引きちぎって牙を剥き、吸血鬼としての正体を露わにしている。
「さあ、その男を引き裂いて存分に血を啜るが良い! この世で最も気高く邪悪なる御方に、近付くのだ!」
 白人美女の外見を捨てた女吸血鬼の号令を受け、吸血鬼たちが一斉に弦也を襲う。
「……やるしか、ないのか」
 踏み込み、身を捻り、拳を捻じ込みながら。弦也は急速に、あの時の自分に戻りつつあった。
 そうしないと、この力が覚醒してくれないのだ。
「使いたくないんだよ、この力は……嫌な事、思い出すから!」
 全身の捻りを得た右拳が、襲い来る吸血鬼の左胸に突き刺さった。
 拳とは、打つものではなく突き刺すもの。空手の師匠は、そう教えてくれた。
 肋骨をへし折り、心臓を殴り潰す。その手応えを握り締めながら、弦也は後ろ向きに左足を跳ね上げた。
 後方から食い付いて来た吸血鬼の左胸に、その蹴りが叩き込まれる。
 粉砕の感触が、靴の裏から生々しく伝わって来る。
「白木の杭とか、銀の弾丸とかじゃなくてもいいから……とにかく心臓を潰す。もしくはっ」
 3体目の吸血鬼の、額か眉間か判然としない辺りに、弦也は左肘を打ち込んだ。
「第3の目……その部分を、正確に直撃する事」
 吸血鬼3体が、弦也の周囲でザァーッと崩れ落ち、灰のような粉末状の屍に変わってゆく。
「吸血鬼って連中を倒すには、それが一番。前の職場で、教わった事さ」
 4体目以降の吸血鬼たちが、その粉末を蹴散らし、襲いかかって来る。
 弦也は身構えた。構えただけで、まだ何もしていない。
 なのに吸血鬼たちは、砕け散っていた。粉々に、切り刻まれていた。
 室内の空気が、激しく渦を巻きながら刃と化し、吹き荒れたのだ。
「ぐっ……!」
 弦也の全身で安物のスーツが裂け、鮮血が霧状にしぶく。
「私はね……任意の場所に、真空の刃を発生させる事が出来るのさ」
 女吸血鬼が笑いながら、皮膜の翼を揺らめかせる。
 その姿は、言うならば四肢を備えた巨大なコウモリだ。おぞましく微笑む顔面は、猿か狼に近い。
「この世で最も気高く邪悪なる御方より、授かった力……私は、そう解釈しているよ。お前の命、あの御方に捧げてやる! 血は私がもらうけどねえっ!」
 よろよろと壁にもたれながら弦也は、ざっくりと裂けた己の二の腕に舌を這わせた。
「……血なんて、美味しくないぞ」
「ほざけ!」
 女吸血鬼が、皮膜の翼を激しく羽ばたかせる。
 空気の刃が、吹きすさぶ……寸前。
 そうではない、一陣の風が吹いた。風であり、閃光でもある。
 それが、女吸血鬼の顔面に突き刺さった。第3の目、の位置だ。
「満月の夜でもないのに、その力を使える……吸血鬼としての生き方を、受け入れてしまったのだな」
 その男が、いつ応接室に入って来たのか、弦也にはわからない。
 とにかく、投擲の動作を終えた右手を、男はゆっくりと下ろした。
「一口でも血を吸ってしまったら……私も、お前のように」
「ぐっ……が……お、お前は……」
 女吸血鬼の、第3の目に、深々とナイフが突き刺さっている。
「いや……あ、貴方は……何故! 人間どもに与して、我々を見捨てるのですか!」
「眠れ」
 喫茶店『青い鳥』の店主である。
 ハリウッド俳優を思わせる秀麗な顔が、沈痛な翳りを帯びたまま女吸血鬼に向けられている。
「吸血鬼に、最も必要なもの……それは安らかな眠りだ。私はお前たちに、それだけを与えてやれる」
「血を……あの時……血を、吸い……さえしなければ……」
 女吸血鬼の、巨大なコウモリのような異形の肉体が、サラサラと粉末状に崩れてゆく。
「人間で……いられたのに……」
 新しい得意先になってくれたかも知れない会社を、自分は潰してしまったのだろうか。
 そんな事を考えながら弦也は、喫茶店の店主に声をかけた。『青い鳥』のショップカードを、かざしながら。
「……ありがとう。最高の、宅配サービスでしたよ」
「荒仕事を承っている、わけではないのですけどね」
 優雅に苦笑しつつ店主が、包装されたコーヒー豆のパックを差し出してくる。
 弦也が、このビル宛に宅配を依頼しておいたのだ。
「受取人の方は……工藤弦也様、でよろしかったでしょうか? あの時は互いに、名乗りもしませんでしたね」
「君は……」
 弦也は、よろめいた。いささか出血が多い。
「……そうか、やっぱり……君だったか」
「ヴィルヘルム・ハスロと申します。当店の宅配システムをご利用いただき、ありがとうございました」
「……何で、日本で喫茶店なんか」
「あれから色々とありましてね。そんな事よりも、病院に行きましょうか」
 ヴィルヘルム・ハスロが、肩を貸してくれた。
「さあ、しっかりして下さい。この程度の出血、どうという事もないでしょう……貴方は、血の気が多いのですからね」
「……あれから、だいぶ丸くなったよ」
 そんな事を言うのが、弦也は精一杯だった。
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2016年06月06日

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