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『海を渡れぬ者、海を渡る 』
ヴィルヘルム・ハスロ8555)&藤堂・裕也(8580)


 その男はヴィルヘルム・ハスロにとって、上官であると同時に兄貴分であった。
 右も左もわからぬ新兵であった自分に、いろいろと良くしてくれた。
 とある村を、前大統領派の武装勢力から解放した時の事である。村の酒場で、ちょっとした祝勝会が開かれた。
 その男が、ヴィルを含む部下全員に、酒を振舞ってくれたのだ。
 全員、村人たちと一緒に楽しく酔っ払った。
 宴もたけなわという時、その男は立ち上がって小銃を乱射し、部下も村人も差別なく撃ち殺し始めた。
 楽しそうに、笑いながらだ。
 いや、本当は泣いていたのかも知れない。今となってヴィルは、そう思う。
 とにかく、射殺するしかなかった。
 ヴィルが拳銃の引き金を引き、その男は倒れた。穏やかに、微笑みながら。
 まるで何かから解放されたかのように。
 あれほど気の良い男を、狂わせる。心を病ませ、壊してしまう。それが戦争なのだ。
 あの穏やかな最期の笑顔が、脳裏に蘇ってくる。酒を飲むと、いつもそうだ。
「酒の飲み方が全然なってねえなあ」
 店主が、そんな言葉をかけてくる。
 小麦色の顔が、にやりと歪んで不敵な皺を作った。
 若く見える老人か、年老いて見える壮年の男。初めてこの店主を見た時、ヴィルはそんな事を思った。
「お前さん、美味い酒と縁のある生き方してねえだろう。いいさ、何もかんも飲み干しちまえ。飲み方にケチつけたりして悪かったな」
「人は、どういう時に……お酒を美味しいと感じるのでしょう」
 空になったグラスをカウンターに置きながら、ヴィルは呟き、苦笑した。
「……人に教えてもらう事ではありませんよね。私自身で、考えなければ」
「考えてわかる事でもねえんだなあ、これが」
 店主が言った。
「ま、いつかはわかるこった。生きてりゃな……生き急いだり死に急いだりするような仕事、やってんだろ?」
「ええ……まあ」
 ルーマニア軍は辞める事になったが、戦争という仕事から足を洗ったわけではない。
 現在は、とある民間軍事会社で勤務をしている。
 海外に本部を置く会社であるが、今ヴィルが住んでいるのは、この日本という国である。
 軍人が、軍を辞めて外国に居住する。亡命に近い行為である。しかも自分は、前大統領に重用されていた人物の血縁者だ。
 ルーマニアから出国するのは容易な事ではあるまい、とヴィルは覚悟を決めていたのだが、拍子抜けするほどすんなりと手続きが済んでしまった。
「まさか父の知り合いに、日本人の方がおられたとは思いませんでしたよ。あまり過去の話をしてくれない父親でしたからね」
「倅に自慢出来るような思い出じゃあなかったんだろうさ」
 言いつつ店主が、磨いたグラスをかざし、光の反射や色艶を確かめている。
 この店の名は『回帰線』、店主の名は藤堂裕也。
 父の、学生時代の親友……であるらしい。その程度の不確かな情報しか、ヴィルは持っていない。
 そんな人物を相手に、幾度か手紙のやり取りをした。
 直接、会いたい。会わなければならない。そう思った事に、確たる理由はない。
 自分はやはり、父の事を知りたいのだろうか。
 この日本という異国で学生時代を過ごしていた父の、息子が知らぬ姿を、自分は知りたがっているのだろうか。
 それよりもまず、確認しなければならない事がある。
「私がこの国に来たのは、父が見たであろう景色を見てみたい、と思ったからです。もちろん容易くルーマニアを出られるとは思っていませんでした、が……実に容易く、この国に来る事が出来ました。陰で尽力してくれた人がいるのではないか、と私は思っていますよ」
 緑色の瞳を、ヴィルは店主に向けた。
「……藤堂さん、貴方が?」
「俺ぁ何にもしてねえよ。陰でいろいろやってたのは、俺じゃあねえ……あいつさ」
 藤堂が誰の事を言っているのかは、すぐにわかった。
 ヴィルを新たな職場へと誘った、あの日本人傭兵。
「彼は、貴方の……部下、のようなものですか?」
「本人から聞いたか知らねえが、あいつ昔ちょいとやらかしてな。そん時にまあ、世話みたいな事はしてやった」
 日本に居られなくなった、と本人は言っていた。
 藤堂の言う「世話」とは要するに、ビザやパスポート関連の手続きや、逃亡者の身柄を運んだり現地で受け入れたりしてくれる業者の手配、といった類の事であろう。
 あの男にとって、この藤堂裕也という人物は、言わば恩人なのだ。
 恩人ならば自分にもいる、とヴィルは思った。
 少年兵の頃に出会った、1人の日本人旅行者。
 血の味が、抱擁の感触が、蘇ってくる。
 己の血と生命を投げ出して、彼はヴィルヘルム・ハスロを、おぞましい吸血衝動から救い出してくれたのだ。
「……この日本という国に、私は何か縁のようなものを感じてしまいます」
 ヴィルは言った。
「借りのある日本人の方が、私には少なくとも3人いるのですよ。藤堂さん、貴方も含めてね」
「だから俺は何にもしてねえよ。言っとくが、俺ぁおめえさんを助けてなんてやれねえからな」
 グラスを磨きながら藤堂が、ちらりと視線を返してくる。
「俺ごときに出来るような助けなんぞ、必要としちゃいねえだろう。あんた」
「どう、なのでしょうね」
 ヴィルは、曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
「見りゃわかる。あんたは、自分の事ぁ自分で出来る男だよ。親父さんと違ってな」
「父は、何も出来ない人間でしたか?」
「勉強は良く出来た。同じ大学生でもな、あいつぁ優秀な留学生、俺ぁ落第寸前の穀潰しよ」
 懐かしそうに、藤堂が語る。
「けどまあ学業以外となるとな……とにかく危なっかしくて目が離せねえ奴だったよ。ろくにメシも食わねえで難しい本ばっか読んでやがるもんだから、白人さんが余計に生っ白くなっちまってな。俺がおせっかい焼いてメシ作りに行ってやった事もある。行ったら、これがまたゴミだらけの部屋でなあ。ゴキブリがカサカサ言ってる中で1人こつこつと勉強してやがるのよ。俺なんかより、だから根性はあったと思う」
「確かに父は、家事の類は全く駄目でした」
 前政権が倒れてからは職を失い、博士の肩書きは残ったものの、家にただ居るだけの父親になってしまった。それまでに貯えてくれていたものがあったので、生活は出来たのだが。
 家事を手伝おうとして、母の仕事を増やしてしまう事もしばしばあった。
 お願いだから、大人しくしていてちょうだい旦那様。
 母が、父に向かってそんな事を言いながらニコニコと笑い、ピキピキと血管を浮かべていたものだった。
「生っ白くて、日本人よりヒョロヒョロしてやがるくせに、正義感は強くてなあ。ゴロツキみてえな連中に、突っかかっちゃあブチのめされて俺が助けに入る。いつもそんな調子よ」
 この藤堂裕也という男が、かなりの手練れである事は、見ればわかる。
 体格は大柄ではないもののガッシリと力強く、ただグラスを磨いているだけの動きからは全く隙を見出せない。仮に今ヴィルが攻撃を仕掛けたとしても、あっさりと対応されてしまうだろう。かわされる、だけでなく手痛い反撃を喰らう事になる。
 少なくとも街の喧嘩で、この男に勝てる者が、そうそういるとは思えない。
 そんな藤堂裕也が、言った。
「けどな、俺ぁ思うんだが……あの野郎、猫かぶってやがったんじゃねえのかなあ」
「猫をかぶる……父が、ですか?」
「ああ。腕っ節は全然駄目で喧嘩が出来ねえ優等生……の、ふりをしてやがったんじゃねえのかな。俺ぁいつも思ってたよ。こいつが本気で怒り出したら、俺なんざぁひとたまりもねえってな。いや根拠はねえんだが」
 村人のほとんど全員が、ひとたまりもなく皆殺しにされた。
 ヴィルの知る限り、父が本気で怒り狂ったのは、あの時が最初で最後だ。
「……ご存じとは思いますが、父はずっと前に亡くなりました。どのような死に方であったのか、藤堂さんは」
「知らねえな。知りてえとも思わねえ」
 磨いたグラスを、藤堂はかざした。
「そいつは……そいつばかりはな、酒飲んで忘れられる事でもあるめえ。お前さんが一生、心に抱えて付き合ってかなきゃなんねえもんだと思う」
「……そう、なのでしょうね」
「まったく迷惑な話だよなあ。死んでく奴ってのは大抵そうだ。生きてる奴らに難儀なもん押し付けて、自分はとっとと消えちまう……まあ俺もな、そう先の話でもねえ。くたばる時ゃあ、娘と倅にせいぜい厄介なもん押し付けてやるさ」
 娘と息子がいる。何度かやり取りをした手紙に、確かにそんな事が書いてあった。
 ヴィルは、さりげなく店内を見回した。
 この店にいる、わけではないようだ。
 亡き父の旧友、とは言え会ったばかりの男である。息女や子息に関して、馴れ馴れしく訊いてみるものでもないだろう。
 ヴィルは、話題を変えてみた。
「ずいぶんと念入りに、グラスを磨いておられますね」
「そりゃ、お客様にお出しするもんだからな……と言いてえところだが、まあ水垢を落とすだけなら、こんなに磨く必要はねえ。言ってみりゃ、俺の自己満足よ」
 グラスをかざし、照明の反射をうっとりと確認しながら、藤堂は語る。
「この光と色艶はな、酒を注いだ瞬間に消えちまう……それがな、たまんねえのよ。気障すぎる、なんて娘にも倅にも言われちまうんだが」
「そうですね、私も……気障すぎる、と思いますよ? 藤堂さん」
「やれやれ。正直なとこは、親父にそっくりだなあ」
 藤堂が、懐かしげに苦笑した。
「正直な外人さんに1つ訊きてえ。あんた、この国を好きになれそうかい? 俺は、まあ普通に暮らすにゃいい国だと思ってる。反吐が出そうなとこも、ねえわけじゃねえが」
「この国は……平和すぎて時々、落ち着かなくなります」
 悪い事ではない、はずであった。武装勢力が跳梁跋扈している状態が、国として正常な姿であるわけがないのだ。
「と言っても、この国でもう暮らし始めてしまったのですがね。いずれ落ち着いてくる、とは思います」
「そう言やお前さん、今どこに住んでる?」
 ある地名を、ヴィルは口にした。
 藤堂の表情が、微妙に動いた。
「よりにもよって、そこかい……いや俺の娘がな、同じとこに住んでやがるのよ」
「ほう」
「あんたより土地勘はあると思う。うっかり会っちまったら、まあ仲良くしてやってくれ。何しろ飲ん兵衛な娘でな……あんまり酒が強そうじゃねえあんたとは、釣り合うんじゃねえかと思うぜ」
 娘は、父親に似るという。
 この藤堂裕也という人物に、似た感じの女性。
 ヴィルは、上手く想像する事が出来なかった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2016年06月09日

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