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『一歩ずつ、少しずつ 』
フランベルジェ=カペラ(ib9601)&香(ib9539)


 小さな港町、その近辺で暮らす人々の生活物資を運びこんだり、特産物を外に運んだり、定期的に小さな船が往来するような。
 港町といえばたいてい活気に満ち、夜も眠ることを知らない独特の熱気に包まれているところが多いのだがこの町は大分趣が違った。夜ともなれば海が見えない町の中心部にまで波の音が聞こえてくるような静けさに包まれてしまう。
 故に夜が終わるのも早い。日付が変わる前に酒場はもう店仕舞いだ。
 掃除を始めた給仕の娘を横目に香はいつものように店の隅で本日の売り上げを数える。
 本来ならばこれからが本番、稼ぎ時だろう、と思わなくもないが郷に入りては郷に従え、旅芸人が粋がったところで何の得もない。それよりも地元の住民とは上手い事付き合った方が実入りも良い。
「明日も頼むよ」
 明日の仕込みを始めた店主が香の前に酒の入ったグラスを置く。ほら、こんな風に。「おおきに」笑顔は向けても金を数える手は止めない。
「あら、私には?」
 店の外で客を見送っていたフランベルジェが戻ってきて香の隣に座る。ふわりと揺れる彼女の黒髪から漂う甘い香りに、香の手が止まる。
 「勿論。美人さんにはサービスしないとな」豪快に笑う店主に「嬉しい」とウィンクを送るフランベルジェ――が香へと顔を向け首を傾げた。
 意図せず重なる視線、自分が彼女を見つめていたことに気付いて慌てて「どうしたん?」とだけ返す。
「手元がお留守よ?」
 珍しい、と三日月に目を細めたフランベルジェがカウンターの上散らばっている硬貨を香に向けて指で弾く。見事肘にぶつかり、香は軽く眉を寄せた。それが面白かったのか、二度、三度と楽しそうに繰り返すフランベルジェ。
「金で遊ぶもんやない」
 罰当たりや、と内心はともかく素っ気なく返す。「つれないの」フランベルジェの拗ねたような声が耳を擽るが、知らん顔をして金勘定を再開した。
(なんでや――)
 ひー、ふー……硬貨を重ねながらも考えるのはどうして金勘定を途中で止めてしまったのか、ということ。数えなおしやないか、と。
 彼女が外から戻ってきて自分の隣に座った時、何かこう腹の中ぽっと浮かんだなにか。それが気になって手を止めてしまったのだろうか。
(なんやろ……?)
 分かりそうで分からないのが落ち着かない。でもきっとこの気持ちも彼女とベッドに入るころには落ち着くだろう、とまずは目の前の金を数えることに集中した。

 宿について、間もなくフランベルジェは「喉が渇いたわ」と部屋を出る。そして宿の厨房で水を貰うふりをして裏口から路地へとそっと抜け出した。
 向かったのは客の一人と待ち合わの場所。以前ならば舞台が終わればそのまま客と一緒に消えていたのだが、どうにも香の目の前で消えることが躊躇われてこうして目を盗むように抜け出すことが多くなっていた。
 そのきっかけはすぐに思い当たる。二年前の出来事――だがそれについてあれこれ考えることはしない。
 香のことは好きだ。綺麗な顔はもちろんの事、少し不器用なところも。だがそれは何か形を求めての想いではない。傍にいることができればそれでいい。
 香の顔を見て、声を聞いて、体温を感じて――それだけで満足。彼から何かを欲しいわけではない。
 落ち合った男の腕にしな垂れかかり、
「怖いだけかもね……」
 カフィーヤの下薄く笑う。自由気ままに生きてきた。自分の思うよう、望むままに。いつだって自分の気持ちを最優先にして――そんな生き方をしてきたから、誰か一人に囚われるのが、自分以上に大切な存在ができるのが怖いのかもしれない。
「らしくもない」
 密かに肩を竦めると「どうしたんだい?」などと男が耳に唇を近づけてくる。
「楽しい夜にしま――……」
「姐さん!」
 路地に響く声。角から香が姿を現した。
 上手く抜け出したと思ったのだが気付かれていたらしい。
「明日も舞台やろ。忘れてるん?」
 隣の男が目に入っていないのか、完全にいないものとして香はフランベルジェに大股に歩み寄る。男がフランベルジェを背に庇い立ち塞がった。
「早う宿に――」
 だが男を無視しフランベルジェに手を伸ばす。その手を男が掴んだ。
 そこで初めて男に気付いたとでもいう風に香が視線を向ける。
「なんやの、おまえ?」
 邪魔や、と言外に語る細められた双眸。
「君こそ、彼女の何だ?」
「自分は――……」
「乱暴はよして、彼は私の旅芸人仲間よ」
 流れる一触即発の空気。耐え切れずフランベルジェは割って入った。万が一喧嘩になったとしても志体を持つ香が負けるとは思えないがその綺麗な顔に肌に、いらぬ傷がつくのを見たくはない。
 旅芸人仲間―という言葉に「はっ」と男が鼻で笑う。
「恋人でもないくせに余計な真似は止めるんだな」
「なっ……。 自分は姐さんの――」
「旅芸人仲間なのだろう?」
 重ねて言う男に香が言葉を飲み込む。そして何か言いかけて結局口を噤み俯くと、乱暴に腕を掴む男に手を払った。
「香……」
 フランベルジェに名を呼ばれ顔を上げた香はまるで迷子のような頼りなげな――。
「違うのよ。寂しがりなの……」
 何が違うのか分からなかったが、香の表情に思わずそんな言葉を掛けていた。何か言いたげに香がフランベルジェを見る。だが――
「……香、朝には帰るから……」
 いい子にしててね、まるで姉が弟に語り掛けるように。それから彼の視線を振り払うように「さ、行きましょう」と男の腕を引っ張り歩き出した。
 角を曲がる前、一度だけ振り返る。
 まだ立ち尽くしたままの香がそこにいる。暗がりで表情までは分からなかったが、容易に想像できてじくりと胸の奥が痛みを訴えた。

 寄せて返す波の音。静かで穏やかな。この音に呼吸を合わせればすぐに眠れるのではないかと先程から試しているというのに――。
 香は何度目かになるか分からない寝返りをベッドの上で打った。
「自由に寝返りができるなんて、贅沢やなあ……」
 手も足も伸ばしたい放題や……などと声に乗せてみたところで響きは空しい。空元気すら装えてないのだから。
 香は観念したように仰向けに寝転がると天井に手を伸ばした。フランベルジェに伸ばしそして捕まえることができなかった手だ。
 自然その手を阻んだ男の、嫌味たらしい二枚目面も浮かぶ。

『恋人でもないくせに』

 耳に蘇る男の声。

(恋人やないからなんやねん……)
 苛立ち紛れに伸ばした手で髪をぐしゃりと掻き回した。
 あの時、自分は姐さんの何なんやろ……と頭を過った途端、思考が停止してしまったのだ。旅芸人仲間、確かにそれは一面の真実。
 だけど……。
 香といれば楽しそうと一緒についてきたのはフランベルジェで。そして二年前の――。

『私も、香と一緒にいたいわよ』

 姐さんやってそう言ったやないか。
「一緒に居りたいんは自分だけ……なん?」
 思いのほか心細い声に自分でも嫌になる。閉じた瞼の裏に浮かぶのは男と一緒に消えて行ったフランベルジェの背中。
 どうして他の男と行くん、一緒に居りたくないん……その背中に掛ける声。心の中だけは雄弁で。どうしてあの時言えなかったのだろう、と――思うのは後悔だろうか。
「一緒の居るには……理由がいるん?」
 互いに一緒に居りたいなら好きにすればいいやないか。一々理由を作るなんて面倒なことせんでも、と。
「恋人やったら一緒に居れるん?」
 それが理由になるから?
 あの男が言っていたように。恋人ならば彼女を止められたのだろうか。あの男の腕を振り払うことができたのだろうか。
「恋人――……」
 改めて口にした言葉にまた思考が止まった。
「ほな……恋人って……なんや?」
 沢山の恋人たちに会ってきた。時には恋人同士のために踊ったこともある。だが具体的に恋人とはなにか、と問われるとわからない。
「好き同士な奴等?」
 一般的に言われていること。愛し合っているから、想い合っているから――。そんな二人が互いに想いを告げた結果の恋人なのだろうか。
「好きやから恋人になりたい?」
 互いの想いを確認し合った二人の関係として。
 ただ一緒にいるのと何が違うのだろう。
 自分はフランベルジェと一緒に居たい。だからあの時彼女を止めたかった。二年前から答えは出てること。
 でも――……。
「……どうして一緒に居りたいんやろ……」
 他人なんて関係ないと思っていたはずなのに。関心なんてなかったはずなのに。
(そ、やけど――……)
 腕を横に投げ出しても何にぶつかることなくシーツに沈む。
 今自分は彼女のことばかり考えている。一緒に居たくて、彼女の匂いや体温が近くにないことにこんなにも気を揉んで。
 酒場で金勘定している時に彼女が戻ってきたときだって――。
 あの時、自分がどうして金の勘定を止めたのか分からなかったが今ならわかる気がした。彼女がそのまま誰かと消えず、自分のところに戻ってきたことに安堵したのだ。
 だというのにまたふらりと消えてしまった彼女。
「姐さん……どうして此処に居らんの?」
 この気持ち、なんというのだろう。頭の中、ぐるぐる巡るのは言葉にならない想いたち。
(……恋人やったら一緒に居れて――)
 窓に背を向けるようまた寝返り打つ。
 恋人とは好き同士で。ということは――
(好きやから――  恋人になりとぅて?)
 一緒に居るために。互いの想いを交わして。
 じゃあ、今彼女と一緒に居たいと自身が願うのは――……。
「……あぁ、ほか  」
 何度も寝返りを打って、眠れなくなるほどにこんなにも彼女の事ばかり思うのは――……。
「自分、姐さんの事好きなんか……」
 声に出して初めてすとんと気持ちが納得した。とても単純な事。恋人になる、とかそんなことよりも前に。自分は大切なことを見落としていたのだ。
 彼女と一緒に居るための理由ではなく、一緒に居たい理由。
 それは――分かってしまえば簡単なこと。
 好きだからこんなにも彼女の事を考えて、一緒に居たくて、他の男とどこかに行かないで欲しい。
「あぁ……なんや――」
 そうやったんか――香は聞こえてくる波の音に目を閉じた。

 夜明けにはまだ遠い時間。
 宿に戻ったフランベルジェは静かに部屋の戸を開き、隙間から風が忍び込むように室内に身を滑らせた。
 後ろ手に閉める戸。窓際のベッド、毛布が少し盛り上がって、そこに香がいるのが知れる。もう寝てしまったの、と暫く様子を伺っていると、僅かだが規則正しく毛布が上下しているのが見えた。
 彼が寝ていることに少しだけ安堵する。別れ際の姿がどうしても心の奥に引っかかっているのだ。
「気が削がれちゃった……」
 誰に言うでもなく、約束より早い時間い帰って来た言い訳が口を衝く。
 足音を忍ばせてベッドに近づき、端に手をかけて片膝を乗り上げた。安普請のベッドが少しだけ揺れる。
「ただいま」
 唇の動きだけで告げて寝ている香を覗き込んだ。
 小さく体を丸めて眠っている香。何かを必死に抱きしめるよう毛布の端を抱えて。
「……寂しがり、ね」
 どちらに向けた言葉か。
 彼の顔を隠す髪を手で背に流し、その頬に静かにゆっくりと唇を落とす。
 触れるか触れないか、互いの熱すらもわからないような口付け。
 それから彼を起こさないように隣に潜り込んだ。
 背中に身を寄せる。静かな心臓の音に目を閉じて零す吐息。
 彼の側は心地よい。その体温も――でもなぜか振り向かないで、と思ってしまう。
 自分と彼にとってこれくらいの距離が調度良いのだ。寝ている隙にそっと猫が寄り添うような。
 これ以上、互いの距離か縮まる前に……。
(いつかは離れないと――ね……)
 それはある種の強迫観念のようにフランベルジェの中にある想い。
 だけどその「いつかは」いつも後回しにしてきた。
 欠伸を一つ零して。
(だって眠いんだもの、私……)
 香の温もりが心地よいから。今日もそれを言い訳に彼を背中から抱きしめる。

 もそり、と毛布の下、体を動かす香。
「姐さん……」
 もう寝たん? 小さな問いかけに帰って来るのは規則正しい寝息。
 香は彼女を起こさないように寝返りを打ち、その腕の中に彼女を捕らえた。
「ん……」
 身じろぐ彼女からふわりと漂うのは、彼女自身の香りと――そして知らない匂い。
 その匂いの出所は考えるまでもなく。
「……」
 鼻の頭に皺を寄せる。
 彼女は知っているのだろうか、自分の心の内の想いを。ようやく自覚した、この想いを。

『あらやだ、香ってばヤキモチ?』

 フランベルジェの笑みを含んだ声を思い出す。
(そうや、ヤキモチや……。 わかっとんの?)
 二年前のあの夜と違い今ならばはっきりと言えるだろう。
 ただそう告げたところで何が変わるのだろうか……。
 風の様に自由な彼女。彼女の魅力はその自由さでもあり……。
 でも――他の男にふらふらついて行って欲しくないという気持ちもある。
(あぁ――……)
 前途は杳として知れず。だが今更この想いをなかったことにすることはできない。
「なんて……儘ならんのやろ……」
 フランベルジェに向けるのは途方に暮れた、それでいてある種の決意を込めた複雑な眼差し。
 はぁ、と零した盛大な溜息が彼女の前髪を揺らす。
 まずはこの見知らぬ匂いを上書きしてしまえ、とばかりに香はフランベルジェをしっかりと抱きしめて眠ることにした。
 明日の朝、彼女から香るのは自分と彼女の匂いだけになってしまえばいい――と思いながら。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ib9601/フランベルジェ=カペラ】
【ib9539/香】

■ライターより
この度はご依頼頂きありがとうございます、桐崎です。
あれから二年、お二人がもう一歩ずつ踏み出すきっかけの物語になればと思い執筆させていただきました。
想いを自覚した香さまに対し、フランベルジェ様はどうされるのだろうとお二人の今後が楽しみです。
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
桐崎ふみお クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2016年06月21日

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