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『『メメント・モリ』 』
クローディオ・シャールka0030


 母について、私が覚えていることはそう多くはない。
 覚えているのは、彼女が身につけていた種々の品だ。

 指輪や、髪飾りといった、手元に残ったものだけだ。
 それ以外――彼女の香りや声、その暖かさはいずれもくすみ、煤け、薄れていってしまった。

 慌ただしい日々だったのだ。




『これからお前は、我がシャール家の長子となる』

 《父》はそう言って、幼い彼を見下ろした。天涯孤独の少年を掬い上げたのはシャール家の当主であった。当主の傍らには、子を産めなかった《母》が、その細い身を自ら掻き抱くようにして立っている。

『クローディオ・シャール。それがお前の名だ』
『……はい、お父様』

 新しい父の言葉に、幼いクローディオは頷いた。そうして、何度目かの視線を新たな母に向ける。
 喪失の痛みは、たしかに少年を蝕んでいたのだろう。そこには、縋るような色があった。
『よろしくお願いします、お母様』
『……ええ』
 しかし。視線が合うことは終ぞ無かった。



 そこには何でも揃っていた。けれど、幼い彼が望んでいたものなど、その気配ひとつも見当たらなかった。
 自由など、いらなかった。籠の中の鳥。なるほど、そうであるのならば、どれだけよかっただろう。鑑賞に耐えうるのならば、徒に刺されはすまい。

『不貞の子』

 それが、彼に焼き付けられた烙印であった。


 ――俺は、どうしたらいい。
 積み上がる分厚い書籍に、覚えるべき貴族のしきたり。その何れも、幼い彼には過大に過ぎた。
 降り注ぎ、重なり続ける落胆と無関心、揶揄の言葉に煩悶する日々が続く。

 此処では、与えられない。

 幼い彼の心は、ただただ乾いていた。
 干上がった喉を潤すには、彼自身が流す涙など何の救いにもなりはしない。
 彼が希求し、望むものは、与えられなくては得られないもの。
 引き裂かれそうな痛みを覚えながら、自らの裡に、答えを探す。
 道は、ただ一つしか、残っていなかった。
「俺は……」

 ――アイサレタイ。

 手を伸ばした。
 かつては握り返されていた手。
 今はもう、握ってくれるものなどいない、小さな手を。


 彼が択んだ道行の名を敢えて告げるのならば、こうなるだろう。
 約束された悲劇、と。



 少年はランプの明かりを友とし、書籍を捲り、ペンを走らせる。
 日夜を問わず文字を追い、知識を得た。貴族の何たるを識り、新たな父と母のため、クローディオ・シャールの名に恥じぬ自分で在ろうと努力を重ねた。

 必死、だったのだ。結果も出ようものである。

『自覚が芽生えたようだな』
 そういう父の手が少年の背を叩いた時には、身が震えるほどの喜びを覚えた。
 不貞の子、と罵る者も見かけなくなった。母は、相変わらず目も合わさず、言葉も交わすこともないが、確かに、居場所は生まれていたのだ。ほかならぬ、彼自身の力によって。
 ――いつか、母だって『私』を見てくれるだろう。私が、もっと努力さえすれば。
「はい、お父様」
 感激に弾けんばかりの心を自制して、少年は頭を垂れた。
「私は……シャール家の長子ですから」
 心の彼方で薄れゆくものに目を留めることなく、この時の彼はそう思っていたのだ。



 体調を悪くした母が静養のために屋敷を出て行った後も、彼の努力は衰える所を知らなかった。
 奮起すればするだけ、居場所ができる。父も――母だって、きっと喜んでくれる。

 当時七歳の彼は、そう信じていたのに。

 ―・―

 こんなはずじゃなかった。
 《俺》は遠景に、母を見た。豪奢な馬車から、確かな足取りで歩み降りる母を。
 ありとあらゆる使用人が母を迎え、歓迎の声と――祝いの言葉を、惜しみなく告げている。

 母は、これまで俺が見たこともない満面の笑みを浮かべている。その細腕に抱かれているやわらかな何かを父に見せると、父も心からの笑みを浮かべた。両の手を広げ、母ごと《それ》を抱きとめる。抱きしめる。固く、愛おしげに。壊さないように加減をしながらも、離すまいと誓う、強い抱擁だった。母に愛のことばを囁く。母は頷いた。何度も、何度も。使用人たちの祝福の声が高まる。感極まった父が大きく頷きながら、感謝の言葉を告げた。

 俺は、それを、屋敷の中から眺めていた。

 弟との出会いの日だった。
 これまでの日々が、徒労に消えた日だった。

 どこからか、声が聞こえた。
「もうクローディオ様は必要ないな」

 ――最悪の一日だった。



 弟はエクラの導きの中、幸福と共に長じた。
 俺と同じ時間を過ごし、同じ日々を過ごし、愛と幸福に包まれながら大きくなる弟。
 俺はこれまで以上に足掻いた。努力した。出来ることはなんだってした。
 それでも、身を縛る恐怖から解き放たれることはなかった。

 時折、夢を見た。父と母。使用人たち。血の繋がりのない縁戚。全てが俺に背を向けている。
 呼びかけても振り返ることなく、歩を進め手を伸ばしても距離は縮まることはない。
 走る。走る。狂奔する。焦り、叫び、血を吐くように声を荒げても、俺に気づくことはない。

 絶望に膝が折れた時、決まって俺はこう言うのだ。

 ――愛してくれ。

 嗄れた声でそう言うと、両親が、使用人が、縁戚が振り返ってくれた。
 奇跡的な光景。希求していた皆の姿に、夢の中の俺は狂喜する。顔を上げ、澎湃と涙しながら、両親の名を呼ぼうとしたとき――決まって、それに気づくのだ。

 彼らが、俺の後方を見つめていることに。

 俺は振り返った。煌々と輝く光に晒され、目が眩む。それでも、その向こうに在るなにかを見通そうと、目を細める。夢の中の俺は予感を抱いている。見てはいけないと、理解もしている。それでも見ないではいられなかった。

 聞こえたのは、俺を呼ぶ声だった。

 俺を、兄と呼ぶ声が、聞こえた。



 望むものを得られないままに、兄となった幼い少年は着実に歪んでいった。
 強迫の中で成した努力は着実に彼を成長させる。
 それと同じ分だけ、彼は自ら望むものから乖離していくことを、そしてその望みが叶えられないことをつきつけられ続けた。

 ――いつしか彼は、機械になった。

 父が期するところを叶え、母が望むところを叶え、弟が求めるところを叶える機械になった。
 胸の裡では絶叫しながらも、それをすることで喪われることを恐れ、ひたすらに足掻く機械になった。

 彼の望みはいつしか変容していた。 
 それを、端的に言葉に表せば、このようになるのだろう。

『《私》を、必要としてくれ』

 以上が、悲劇と呼ぶに足る、変容の物語。
 クローディオ・シャールがどのようにして成ったのかを記す、その始まりの顛末である。




登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka0030/クローディオ・シャール/男性/27歳/メメント・モリ】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 いつもお世話になっております、ムジカ・トラスです。

 彼の根本の物語を、がつっとお任せいただいてありがとうございます。
 現在のクローディオさんに繋がるモノとして、ちゃんと描けていればいいのですが!
 こういった絶望と人格形成はムジカは大好物ではあるのですが、彼が幸せな結末に向かっていけるか少しだけ、心配しなくもないです……ね。

 さて――お楽しみいただけましたら、幸いです。それではまた、御縁がありましたら!
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ファナティックブラッド
2016年06月27日

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