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『最初の1歩 』
呉 琳aa3404)&aa3404hero001

 記憶のないその少年の眉間には、深い皺が刻まれていた。
 ベッドサイドの椅子にいる濤 (aa3404hero001)は本を開いて読んでおり、その表情を窺い知ることは出来ない。
(こいつは、何者なんだ……)
 彼は異世界から来たと言った。
 医師が言うには、濤は英雄であり、自分と誓約をして実体を得たということ。
 濤は医師から色々本を貰っており、こうして読んでいる。
 それが、少年にとっては不気味でならない。
 自分が誰かも解らない。何故この病院でこうして横たわっているかも解らない。
 濤との出会いから数日、あの日よりも傷は癒えているが、完治している訳ではなく、万全とは言い難い。
(こいつは何なんだ、エイユウ? そもそも何だそれって感じだし……)
 少年は、濤が英雄で誓約を交わしたという意味合いがよく解らない。
 今の少年には濤へ好意的な感情などひとつもなく、濤の何もかも嫌でならない。
「どうした」
 濤に声をかけられ、少年は濤を見ていたことに気づく。
 見ていたこともそうだが、濤本人から指摘されるまで気づかなかったことも、少年は苛立った。
 こいつの顔、見たくない。
 どうすれば──
「喉、渇いたと思って。ジュース飲みたい」
「飲める程回復しているのか?」
「飲みたい」
 少年は濤へ要望を重ねると、濤は本に栞を挟み、立ち上がった。
「少し待っていろ」
 仕方ないと言わんばかりの態度であったが、濤は病室を出て行った。
 想像以上のあっけなさに少年はぽかんとしていたが、すぐに我に返る。
「今の内に」
 少年は歩行補助の杖を手にベッドを降りる。
 あいつの顔は見たくない。
 どっか行けと言われても、あいつは聞かない。
 その場凌ぎじゃなく、俺があいつの前からいなくなればいいんだ。
 傷はまだ治ってないけど、歩けない程じゃないし。
 大丈夫、思い出せなくても何とかなる。
 もしかしたら、歩いている内に思い出すかもしれないし──
 少年は歩行訓練とすれ違う医師や看護師に誤魔化しつつ、非常口から外へと踏み出した。

 一方、濤はここ数日で学んだ通りに自動販売機で炭酸の入っていないジュースを購入していた。
(私を一時的に遠ざける方策だろうな)
 彼の警戒具合を見れば、少しでも一緒にいない時間を作ろうとしているのは解る。
 だから、濤は少年の作戦に乗ったのだ。
 自分の名前すら思い出せず、しかも怪我人として入院している……周囲、しかも異世界から来た自分を特に警戒するのは当たり前のことである。自らを守る本能のようなものと濤は思っている。
(手間取った風を装い、少し時間を潰してから戻るか)
 濤は遠回りすべく歩いていく。
 彼を気遣う気持ちからの行動だが、今回は裏目に出た。
 ゆっくり歩いていると、彼の掛かりつけの医師に呼び止められ、彼の歩行訓練のサポートを頼まれ、濤は全てを理解する。
 彼は、少しでも遠ざける為に自分へ用事を頼んだのではない。
 自分から離れる為の時間稼ぎ。
 つまり──病院を抜け出してどこかに逃げる作戦だ。
 濤が慌てて病室へ戻った時には病室はもぬけの殻。
「手間のかかる……」
 濤は呟き、病院を追うように飛び出した。

 名前も思い出せないお前が怪我の身で病院を抜け出すのがどれ程危険なことか解らないか。
 お前の『事情』を考えれば、お前に牙を剥く者がいるかもしれない。
 戻れ。
 私の為ではなく、お前自身の為に。

 濤に気づかれていることを知らない少年は杖をついて街を歩いていた。
 少しでも遠くに逃げなければ追って来る──その程度のことは解る。
「って言っても、どこに逃げればいいんだろ……」
 名前も思い出せない今、自分の家がどこなのか解らない。
 家族に連絡すればと思っても家族の連絡先はおろか顔すら思い出せない。
 今ここですれ違っても家族とすれ違ったとことすら気づけないだろう。
 そうした意味においては、不気味ではあるが濤が自分にとって存在を認識させる唯一の存在であると気づく。
 誰であるかを知っている濤しか頼れる者が──
(そんなことあるか! しっかりしろ、俺は思い出せないから、1人で頑張らないといけないんだ)
 頭を勢い良く振り、少年は歩き出そうとする。
 その行く手を、背の高い少年達が遮った。
「……?」
 見覚えが、ない。
「いなくなったと思って、寂しかったぜ?」
「! 俺を知ってるのか?」
 自分を知ってるのかと少年が尋ねてみる。
 記憶がない事情を話すと、少年達は顔を見合わせた。
「ああ、知ってる。ついてくれば、思い出せるかもしれないぜ」
「ホントか!」
 顔を輝かせた少年は少年達についていく。
 彼らの笑う意味を知ることなく。

 病院を出た濤は彼がどこへ行ったか聞き込みを始めた。
 特別なことを聞く必要はない、病院を抜け出したような格好の少年が歩いていなかったか、それだけ聞けば十分だった。
 そうして彼を追跡していた濤は、その途中で知り合いらしい少年達と一緒に歩いているのを見たという情報の追加を知る。
(まさか……)
 濤は、医師達の会話を聞いている。
 彼にとって友好的ではない者の可能性が高い。
 大怪我の経緯を考えれば、彼の記憶喪失には自己防衛的な意味もある……自己防衛をしなければならないような事情がある。
 ならば、その少年達は──
 濤は情報を基に走った。
(不思議なものだ)
 走りながら、濤は苦く笑う。
 あの世界では考えられないことだった。
 恐らくあの世界では死んだであろう自分は、誰からも必要とされていなかった。
 今、彼から必要とされているかと聞かれれば、違うと答えるしかない状態。
 けれど、自分を突き動かすものがあるとすれば、彼は自分のようになってほしくないという思いであり、この行動は彼の為であると同時にそれを願う自分自身の為だ。

「琳!」

 濤が彼を見つけた時、彼は池の中にいた。
 少年達が琳が使用していた歩行補助の杖で彼をつつき、水を飲んだとか吐いたとかゲラゲラ笑っていたが、濤の登場に一瞬時間を停める。
「何だよ、今楽しんでるんだから邪魔するなよ」
「そうそう、玩具で遊──」
 彼らはそこで凍りついた。
 彼の少年を引き上げた濤の目が全く笑っていないことに気づいたからだ。
 それだけであれば少年達も濤までも池に突き落とそうとしただろう。
 だが、濤の空気はそれを許さなかった。
「本来子供の喧嘩には口を出す主義ではないが……」
 濤は、威圧するように彼らを見る。
「これを楽しい遊び、人を玩具と思うような子供を許す程私も寛大ではない。次があるならば、私が同じ方法でそちらと遊ぶことになるが」
 言葉を最後まで聞くことなく、少年達は逃げ出した。
 油断は出来ないが、暫くは近づいてこないだろう。
 濤は息をふっと吐き出し、彼を見る。
「記憶と学習能力は別であると思うんだがな」
「……」
 少年は答えない。
 嫌味を言われていると解るが、濤が駆けつけてくれなかったら、どうなっていたか解らないこと位は判別がつく。
(俺のこと、知ってるって言ったのに)
 ここが思い出深い場所と連れて来られた。
 でも思い出せなくて、聞こうとしたら池に突き落とされ──
(何で、あんなことされなきゃなんなかったんだ。俺は誰なんだ)
 彼らが、怖かった。
 助けてと言う自分を笑って、嗤った。
 自分を知っている、教える……そう言われて嬉しかったのに、踏まれた。悲しい。悔しい。何で信じてしまったんだろう。

「呉 琳(aa3404)」

 濤の声が響き、彼は顔を上げる。
「お前の名だ。覚えておけ」
 濤から助け起こされ、歩行補助の杖を手渡される。
 琳は、濤が最も知りたいことに気づいていたのだと気づく。
(でも、何で今まで……)
 教えてくれなかったのか、という理由はすぐに解った。
 自分の怪我の状態、それだけではない。
 信用されていないことに気づいていた。
 口にして警戒を強めるかもしれないことに気づいていた。
 気遣ってくれていたのだ。
(だからって、言えないけど)
 完全に気を許した訳ではない。
 でも、今は濤が自分を気遣い、必要と判断して名前を教えてくれたことが素直に嬉しい。

 病室に戻った琳は、濤への労いを含め、歩行訓練と称してジュースを買いにいくと告げた。
 もう無断で出て行くとは思わないのだろう、濤は財布からお金を取り出し、お茶を所望してくる。
(あいつらは、追っかけてきてないよな)
 濤が追い払ったとは言え、1人になるのを待っているかもしれない。
 琳の中に芽生えた恐怖は、すれ違う人すらあの少年達と繋がっているのではという疑念に繋がる。
「やっぱ、やめ──」
 琳は呟き、身を翻した所で、誰かとぶつかって尻餅をついた。
「あ、大丈夫ですか?」
 見上げると、琳とぶつかったと思われる青年がそこにいる。
 見覚えがない青年……、琳は少年達のことを頭に過ぎらせ、恐怖に震えた。
「驚かせてしまってすみません。今度からは気をつけますね」
 硬直している間に助け起こしてくれた青年は優しく笑って去っていく。
 今は、怖くなかった。
 琳は震えが止まっていることに気づく。
 何故震えが止まったかまでは、上手く言えなかったけど。

 まだ少年は自身の真実は解らず。
 今はただ、かたる言葉に耳を傾け、歩いていくしかない。

 これは、その第1歩の話。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【濤 (aa3404hero001)/男/27/かたる男】
【呉 琳(aa3404)/男/16/霧を歩く少年】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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真名木です。
この度はご指名ありがとうございます。
お2人にとって最初の1歩になりうる話でしたので、前へ進んでいけるよう描写いたしました。
琳さんが真実を知っても揺らがない自分へ成長できるよう願っております。
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2016年06月27日

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