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『 時を越えた願い 』
彪姫 千代jb0742

●日常から非日常へ

 その日、その瞬間までは、ありふれた日常。
「ん〜迷うよなあ」
 虎噛 千颯は小さな画面の中に、次々と違う画像を表示している。
「また『マチウケ』の変更でござるか」
 白虎丸が千颯の手元を覗きこんだ。
 とはいえそこまで近付くと、大きな着ぐるみの頭がつかえ、千颯と顔をくっつけるような状態になる。
「これはこっち見てる表情が可愛いし? これは横顔がオレちゃんに似て凛々しいし?」
「似ていたら凛々しくはならぬであろうよ……あ、ならぬでござる」
 律義に言いなおす白虎丸。語尾に「ござる」が武士のアイデンティティーだと教えられてから、一生懸命頑張っている天然系の英雄である。
「あーそんなこと言う? じゃあもうオレちゃんの宝物、見せてやらねえぜ!!」
 千颯は空いているほうの拳を、白虎丸の顔にぐりぐりと押しつけながらも画面から目を離さない。
 写っているのは千颯の息子、千代である。
 お日さまのような笑顔は、見ているほうまで思わず笑顔にしてしまう。
 少なくとも、千颯はそう思っている。

「いつ見てもいい顔で笑う、自慢の息子だからな!」
 そう言って画面に見入っていた千颯だったが、不意に眉をしかめた。
「ん? ……なんだこれ?」
「どうかしたでござるか」
 白虎丸も千颯の妙な表情に、身を乗り出す。
「画面が汚れてる……ってわけじゃないんだよな。調子悪いのかなあ?」
 千颯が見せる画面には、笑顔の千代。
 白虎丸も何度も見せられた、明るい少年の笑顔。
 その頬のあたりに、黒い靄のようなものが写り込んでいるのだ。
「前に見たときは、なかったと思うでござるよ」
 とはいえ、デジタル機器の知識が英雄にあるはずもなく。白虎丸は自信なさそうに首を傾げるしかない。
「だよなあ? どこかにぶつけたっけ……うあ!?」
「なんでござるか……な、なに!?」
 突然、画面から白い閃光がほとばしり出たのだ。
 光はふたりを包み込んで大きく膨れ上がり……それが消えたときには、ふたりの姿も部屋から消えていた。


●予想外の邂逅

 気がつくと見慣れない場所にいた。
 おそらくは誰かの家の廊下。
 あたりは見分けられるが仄暗く、空気はどことなく湿っぽい。
 耳を澄ませば雨音。
 とめどなく落ち続ける雨が屋根を、木々の枝葉を叩き続けているようだ。
「どこだここは……」
 掠れたような声を漏らし、千颯は僅かに身構えた。視線を交わした相棒の白虎丸も、何かを感じ取ったようだ。
 無言のまま頷き、何かを示すように顔を僅かに振り向けた。
 それはどこか懐かしい、板ガラスを嵌めた引き戸。
 部屋だろうが、中は廊下よりもっと暗かった。
 だが感じるのだ――人の気配を。

 千颯は膝をつき、内部を窺う。
 しばらく目を凝らすうちに、廊下を満たす仄かな明かりで部屋の中を見分けられるようになった。
 中はさほど広くない部屋だった。
 灯りをつけずにカーテンを閉め切っているため、夜のように暗い。
 少しずつわかる部屋の様子に息を詰めるようにしていた千颯は、突然身を固くする。
(誰かが居る)
 恐らくはベッドの上で、膝を抱えて座っている。
 人形のように。置物のように。
 だが置物からはこのような異様な気配、そして不思議な親近感は覚えないだろう。

 体格からみて、若い男のようだった。
 フードを目深にかぶっているため、表情や髪の様子はわからない。
 ただ全てを拒むようにして身体を縮めて座っている姿は、まるで生まれることを拒む胎児のように見えた。
 不意に、その男が顔を上げる。
 ゆっくりと首だけを回し、その目がこちらを見た。
「……!」
 千颯が息を飲んだ瞬間、だが男はすぐに元のように顔を伏せ、暗闇の中に縮こまる。
「まさか……嘘だよな……?」
 掠れた声が漏れる。
 白虎丸は無言のまま、やはり室内を覗きこんでいた。
「なんで……千代……こんな……」
 言葉と裏腹に、千颯は確信していた。
 若い男は、確かに最愛の息子、千代の成長した姿なのだった。


●偶然かつ必然

 千颯と白虎丸は、千代の部屋から少し離れた場所で並んで腰かけた。
 千颯は混乱した頭を整理したかったのだ。
「あれは……やっぱり千代なんだろうな」
「そうでござるな」
 白虎丸も認めざるを得ない。理由はわからない。だが幼い頃の写真とは似ても似つかない、あの荒んだ若い男は、千代だと確信できた。
 そっと窺うと、いつもは軽薄にすら見える千颯が、顔色を失って考えこんでいる。

「別の世界が続いている、ということか……」
 かつて、千颯は家族と共に災厄に巻き込まれた。
 そこで絶えたかもしれない命を救ってくれたのが、白虎丸だった。
 そのまま契約を果たし、千颯は能力者として生きているのだが。
(ここは、あのとき白虎丸が現れなかった世界……)
 千颯が出した結論だった。

 なにが起きたのかはわからない。
 もしかしたらこちらでは千颯がいないのかもしれない。
 いや、もし「千颯」がいたなら、千代をこんなふうに放っておきはしないだろう。
 仮に「千颯」がいなくても、自分の子供は幸せに育っているはずだ――そう信じ切っていた。
 なにが起きたのかは、千颯たちにはわからない。
 だから自分達が何者かは、決して話せない。
 それでも「この世界の千代」をこのままにしておくことはできなかった。

 千颯は、そっと元の引き戸の前に戻り、顔をつける。
 きっと気付いているのだろう。
 身じろぎもしない千代が、こちらに「気」が向けるのがわかる。
「なあ。そんなところで何やってるんだ?」
 声は僅かに震えていたかもしれない。
 だが千颯の呼びかけに、相手はなにも反応を示さなかった。
「なあ。聞こえてるんだろう? フシンシャがこんなところにいるんだぜ?」
 やはり返事はない。
 千颯は思い切って膝立ちになり、引き戸に手をかけた。
「開けちゃうぞ?」
 ひょっとして鍵がかかっているかも――そう思ったが、引き戸はあっさり開いた。
 湿っぽい匂い。
 淀んだ空気。
 その奥に座る若い男。
 千颯は、いざとなれば相手が逃げ出せるだけの距離を保って、床に座り込んだ。
 白虎丸はしばらく迷っていたが、千颯の後からついてきて隣に座り込む。
 やはりあの明るい少年が、こんな風になる理由が気になるのだ。

 千颯は確信した。
 この邂逅は偶然であり、必然だと。
 この世界の千代は、助けを求めているのだと――。


●終わらない闇

 もうどれぐらい時間が経ったのかわからない。
 優しい時間が失われたのはつい先刻のようでもあり、果てしなく遠い昔のようでもあり。
 わかっているのは、自分の胸には大きな穴が口を開けていて、そこからは見えない血がどくどくと流れ続けていることだけ。
 千代は終わらない闇の中にいる。
 光は遠くに去り、僅かな名残が星のように瞬くが、掴もうと伸ばした指には切り裂くような痛みが奔る。
 自分はまだあの光を求めてる。
 本当に光なんか無くて良いと思えたら。あの光を憎むことができたなら。
 いっそそのほうが楽だろう、とすら思えるほどに。

 もうどれぐらい経っただろう。
 突然、頬に暖かさが感じられた。
 全ての感覚を閉ざし、光から目をそむけてきたのに。
(……誰だ?)
 その在処を確かめようと、視線を移す。
 大きく開いた胸の傷口が、一瞬だけ、ほんの少し軽くなったから。
 だがそこに見えたのは見知らぬ若い男と、大きな虎の顔だった。
 「望み」が、「期待」が、まだ自分の中に残っていたことを思い知らされるようで、再び膝を固く抱き締める。


●切なる願い

 千颯はそっと声をかけ続ける。
「なあ。名前、聞かせてもらえないかな。なんて呼べばいいのかわからないと、話し難いんだぜ?」
 返事はない。
「んー、じゃあ、キミちゃんでいい? なんでこんなところで座り込んでるんだ? 家族とかどうしたんだ?」
 やはり返事はない。
「あ、こいつ気になる? シロちゃんっていう俺の相棒。悪い奴じゃないんだぜ?」
 千颯は白虎丸の肩を、少し大げさに叩いて見せた。

「……うるさい」
 突然、声が迸り出た。
「?」
 千颯が息を詰めて見守る。
「仲良しゴッコなら好きにしてればいいだろう。俺に構うな。見せつけるな」
 低く、鋭い声だった。
 千颯は少し距離を詰める。
 人間が怒るのには、理由がある。ほとんどの場合は、触れられたくないことに触れたときだ。
 つまり千代がこうなった理由のキーワードは「仲良し」だ。
「ごめんごめん。でもさ、キミちゃんがそんな風なの、心配してる人はいると思うんだぜ」
「……心配しているフリはしてるかもな。でもどうせ俺のことなんて簡単に捨てるんだから」
「本当に気にしている人もいると思うでござる」
 白虎丸が突然、ぼそりと漏らした。
 気のいい武人は、本当にそう思ったのだ。いや、願ったのだ。
「それはフリだけだ」
 千颯は、ようやく千代の殻に僅かなヒビを見つけたと思った。
 誰かに捨てられた。少なくともそう感じる出来事があったのだ。
 だが捨てられたことで深く傷ついたのなら、それは捨てられたくなかった相手だ。
 つまり、千代には心を動かす相手がいたということだ。

 千颯は言葉を探す。
 「そんなことはない」という否定の言葉は、千代が閉じこもる殻を厚くするだけだろう。
 そうしなければ柔らかな心を守れなかったのだ。
 本当に捨て鉢な人間は、閉じ籠らずに、破滅に向かってむしろ積極的に走り出て行くだろう。
 柔らかな心も捨てて。自分の本当の望みも穢して。
 千代はきっと叫んでいるのだ。自分を見つけて。ここから出して――。

「オレちゃん思うんだけどさ」
 千颯は自分の胸を親指で示す。
「一度ここに置いたモノは、自分にとって大事なものだから。簡単に捨てちゃダメなんだぜ」
 そして捨てられないからこそ苦しむのだ。
「いきなりだけど真珠って知ってるだろ?」
 今、千代を見ていてふと思い出したのだ。
「あれって綺麗だけどさ、貝にとってはもともと痛くて、嫌な物なんだってな」
 真珠貝に核となる「異物」を入れると、貝は自分の柔らかな身を傷つけないように、幾重にもベールをかぶせて行く。
 それがやがて丸い真珠となって、美しい光を放つようになるのだ。
「それ知ってから、なんか真珠の光って哀しいなって思うんだぜ。でもすごく綺麗だよな」
 千代の胸を傷つけている「核」は、いつかベールを纏い、美しい光を放つようになるだろう。
 心からの悲しみと、時間と、純粋な想い。
 それが幾重にも重なって、きっといつか千代の宝物になる。

 千代は相変わらず動かない。
 けれど、こうしてじっと考えている時間に、千颯の言葉は少しずつ千代の中に染みわたっていくだろうと信じる。
 長い歳月を表す名前を持つ子なのだから。
 ――それは血肉を分けた者としての「傲慢」かもしれないが。
 それでも信じる。
 『オレちゃんの息子』が笑顔を取り戻すことを。
 心の闇を、光(あい)が振り払う日が来ることを――。


 ふと気付くと、千颯のポケットから光が漏れている。
 白虎丸と思わず顔を見合わせ、かすかな笑みを浮かべる。
 どうやら自分たちの役目は終わったらしい。
「悪いけどそろそろ行かなきゃ。……っと、こっちから帰るぜ!」
 千颯は白虎丸を促して、急いで窓に駆け寄る。
 ぴったりとしまったカーテンを開き、窓を開け、ふたりは外へ飛び出した。


 一陣の風が千代の頬を撫でた。
 ふと顔を上げると、カーテンが揺れている。
 その細い隙間から見えた七色の虹は、遥か遠い空へと伸びていた。
 千代はその虹が消え失せるまで、じっと見つめ続けていた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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エリュシオン
【jb0742 / 彪姫 千代 / 男 / 16 / ナイトウォーカー / 閉じた貝】
リンクブレイブ
【aa0123 / 虎噛 千颯 / 男 / 23 / 人間 / 生命適正 / 光を待つ】
【aa0123hero001 / 白虎丸 / 男 / 45 / 英雄 / バトルメディック / 無垢な願い】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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異界に生きる父上からの、心からの願いが届きますように、と思いつつ。
ご依頼のイメージから大きく逸れていないようでしたら幸いです。
この度はご依頼いただきまして、有難うございました。
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エリュシオン
2016年06月28日

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