▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『“価値”というもの 』
ファーフナーjb7826

 油断した。

 天気予報では降水確率は20%。家を出た時は薄い曇りで、それどころか雲間から青空も垣間見えていて。
 そう、だから、ファーフナー(jb7826)はこう思ったのだ。今日は雨は降らないだろう、と。
 だがそれは慢心だった……20%という確率論に、彼は敗北したのである。

「……はぁ」

 濡れたヘルメットを脱ぎ、ファーフナーは小さく息を吐く。
 仰いだ空は濃灰色、一面のそこからはバラバラと雨が勢い良く降り注ぎ続けている。土砂降りではないものの。小雨ではなく、止む気配も当分なさそうで。
(こんなことならば家で武器の手入れでもしておけばよかったかな……)
 などと思う。

 ここ最近、ファーフナーは『余暇』を人並みに過ごすようになっていた。
 以前の彼は余暇というものを恐れていた――空白の時間はファーフナーに『余計なこと』を考えさせる。何もしない、ということは酷く焦燥感を掻き立てる。
 何もしていない自分に価値が見出せない、価値がないと居場所がない、存在理由がない。存在理由と居場所がないと、とても、酷く、不安だった。そんな深層心理もあったのだろう。
 そしてその思いは、ファーフナーにこう結論付けさせていた。ならば働いて社会に居場所を作ろう、と。
 結果的にファーフナーはワーカーホリックとなっていた。時間さえあれば依頼を受け、撃退士としてあちらこちらへ忙しなく。彼にとって休日もそうでない日も同じで、祝日と平日も平等なものだった。

 けれどそれはもう、過去のこと。

 少しずつ。
 そう、少しずつ、だけれども。
 学園に来て、様々な人々(中には『人ではない』天使や悪魔もいるが)と触れ合って。
 ファーフナーは少しずつ、人らしくなり始めていた。過去ではなく、未来を――前を、向けるようになり始めていた。
 後ろめたい過去。黒い過去。それは鎖となってファーフナーを縛りつけ、前を向くこと、前に進むことを許さなかったけれど。幸せであることを罪だと。そんな呪いをかけていたけれど。
 彼の周りにいる人々が、その手を引いてくれた。前を指し示してくれた。呪いを、解いてくれた。全てではないけれど……そう。『そうなっている』真っ只中なのだ。

 余暇を余暇として豊かに過ごす、それはその何よりの兆候。とある男のささやかな前進。
 過去と向き合ったり。調理器具を揃えてみたり。

 そして――今日のように、久遠ヶ原島を出て、バイクで県外を走ってみたり。

 ファーフナーは二度目の溜息と共にスマートホンをしまった。最新の天気予報によれば、一時間は降るそうだ。
 さて。彼がバイクを止めたのは道端にあった小さな喫茶店の駐車場だった。わざと予定も立てずに地図も持たずに自分の気が向いた道を走り続けていたのだが、すぐに雨宿りが出来そうな場所を見つけられて良かった。それだけは不幸中の幸い。今は喫茶店のささやかな屋根の下、アスファルトに跳ね返る雨粒が彼の靴を濡らしている。
 雨季、梅雨と呼ばれる日本の季節――ファーフナーは狭い駐車場を見渡した。停まっている車は一つだけ。おそらく店員のものだろう。窓際に観葉植物を置きすぎた店内の様子はガラガラだ。だが営業中のようである。色あせた看板が店の名前を示している。そこそこ古い店のようだ。
(コーヒーでも飲むか……)
 それから、雑誌か新聞でも置いてあればそれを読んで、それでも雨が止まなければ何か追加注文をして、スマホでネットニュースでも読んで……。
 などと思いながらファーフナーは足を喫茶店のドアへと向けた。
 その時。

 にゃー。

 どこからか聞こえた、声。
 にゃー。猫。それは紛うことなく猫のものだ。
「……?」
 ほとんど無意識的に、ファーフナーは足を止めて周囲を見渡した。
 にゃあー。雨音に掻き消されつつ、けれど確かにその声は聞こえた。
 どこから……? ファーフナーが音の方を注視すれば。いた。駐車場の隅、薄青い花を咲かせているアジサイの茂みの中。

 子猫だ。

 にゃあ……。弱々しい声。雨にすっかりずぶ濡れて衰弱している。寒いのだろうか、震えていた。繰り返される小さな声は助けを呼んでいるかのようで。
「……、」
 ファーフナーはその子猫から目が離せなかった。必死に生きようと、助けを求めているその存在に。

 過去のファーフナーであったら――あの命には運がなかっただけだ。そう断じて、特に感想も抱かずにすぐ踵を返していただろう。なにより動物を連れて帰ったとしても仕事ばかりで家にはほとんどいないのだから、世話など出来ない、と。

 けれど、今のファーフナーは。
 迷っていた。
 雨雫を被った色味の薄いアジサイが揺れている。
 迷っているのだ。この命に、手を差し伸べるかどうかを。
 逡巡――されどそれはすぐに終わる。

 ばしゃ。

 水溜りを踏みしめて。ファーフナーはアジサイのもとへと。見下ろした。小さい目が彼を見上げ、にゃあにゃあと鳴いている。逃げる素振りはない。逃げる元気もない、が正しいのかもしれない。
「……」
 少し離れた位置にしゃがみこんで、おずおずとファーフナーは手を伸ばす。子猫に怯えるような様子はなかった。

 今までは――
 自分が生きることに精一杯で。他の命を引き受ける余裕なんてなかった。

 何かを愛することが怖かった。
 ――喪ったり、裏切られたりすることばかりで。

 幸せにする自信がなかった。
 ――与えられる幸せなんて持ち合わせていなかった。
 ――幸せになる自信がなかった。
 ――己は幸せになってはいけない存在なのだと自らを罰していた。

 でも、今なら。
 このか弱い命を幸せにすることができるのではないか。

「……大丈夫か?」

 怖がらせないように優しい声を努めて出して、ファーフナーはそっと子猫を抱き上げる。
 想像以上に軽くて、そして、温かかった。柔らかい。

 ……生きている、命。

 にゃあ。返事のように子猫が鳴いた。暴れることもなく、ファーフナーの手の中に収まっていた。
「俺と……、来るか?」
 猫に話しかけるなんて酔狂だ。そう思いながらも、問わずにはいられなかった。
 にゃー。返事がくる。その鳴き声は人間の言葉など理解していない、それは、分かっているのに。
「俺は撃退士で……半分悪魔で、……普通の人間よりはお前に構ってやれないかもしれないが」
 にゃあ。
「それでも、出来うる限りお前の世話をしようと思う。お前が老いて、最期を迎える時になっても。可能な限り傍にいると、約束する」
 にゃぁー。
「そう、か」
 律儀に返事をくれる子猫に、ファーフナーはふっと笑みが漏れた。
 寒そうにしている猫をジャケットの懐に入れて、服越しに撫でてやりながら。

「これから、よろしくな」
 うにゃあー。

 名前は……コーヒーでも飲みながら考えるか。そんなことを思いながら。
 ファーフナーは喫茶店のドアへと向かった。そうだ、コーヒーの前に、まず店主にタオルを貸してもらえないか頼んでみよう。この子猫を拭いてやらなくては。それから、温かいミルクも。
(一時間があっという間に過ぎそうだな)
 ドアを開ける。カラコロカラ、ドアベルが鳴る――アジサイが、その背中を見送った。



『了』



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
ファーフナー(jb7826)/男/52歳/アカシックレコーダー:タイプA
白銀のパーティノベル -
ガンマ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2016年06月28日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.