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『ムシケラの幸福論 』
アルゴスaa1741hero001

 それが『恐怖』と呼ばれる感情だったのだと、ムシケラは、この時初めて知った。



 間近に迫る巨大な影。
 必死に羽を動かしているのに、遅々として進まない躰。
 硬いものがこすれる鈍い音と共に開かれた顎。
 身の毛のよだつような耳障りな声。
 そうして、ゆっくりと身を割って侵入してくる硬いナニカ……。

 齎される明確な死のイメージに、『ムシケラ』は思わず、音にならない『悲鳴を上げて飛び起きた』。
 ばくり、ばくりと『心臓が荒々しく血液を送り出している』のを自覚する。
 だのに手足の先は氷のように冷たくて、ぞっとするほど感覚が希薄だ。確かめるようにして『ゆっくりと5本の指を開閉する』。
 そこでやっと、『ムシケラ』は今の自分を『思い出した』。

「…………」

 知らず、大きく息を吐く。
 連動して大きく収縮する肺に合わせて、くっと丸くなる背中。
 喉元に手をやれば、不快なほどにべたりと湿っていて、『ムシケラ』だった者は無表情に少しばかりの不快さを滲ませた。

 ふと、視線を巡らせて薄暗い部屋を見渡す。
 カーテンは閉じられていたが、窓は開いたままだ。風を孕んだ重たい布地が、まるで呼吸をするようにゆったりと波打っている。分厚い布の隙間から漏れるのは、蜂蜜色の日差し。視界の端に映った時計は、夕方には届かない、真昼の盛りを少し過ぎた時間を表示していた。

 静かだ。
 網戸の向こう側から聞こえてくる街の喧騒を聞きながら、思う。
 耳を澄ませても、部屋からはなんの物音もしない。ただ、ヒトの気配だけはするので、もしかしたら昼寝でもしているのかもしれない。

 すん、と鼻を鳴らせば、バターのほのかな甘い香りが鼻腔をくすぐる。小麦粉の香りもするので、もしかしたらおやつに何か食べたのかもしれない。

 一声かけてくれればいいのに、とは、思わない。
 自分たちの間に、そんな気遣いは無用だ。少しの打算と多少の会話があればそれで事足りるのだ。

 ……静かだ。
 じわりと滲んだ嫌な汗が乾いた頃、もう一度ごろりと身体を横たえる。
 とろとろとしたまどろみがゆったりとにじり寄ってくるのを自覚しながら、視線は風を孕んで翻るカーテンの向こう側を追いかけていた。



 それが『幸福』と呼ばれる感情であったのだと、ムシケラは『此の身』になって初めて知った。

 望むままに眠り、思うままに食べ、心赴くままに大空を羽ばたく。
 揺蕩う風は甘く薫り、萌える緑は深く澄んで、降り注ぐ日差しは珊々と鳴り響く。

 そこはまさに、此の世の楽園であった。

 当時、単なるムシケラであったその身に、明確な思考など持ち得なかったが、それでも、思い返せば日々を謳歌していたのだと、思う。
 口にする蜜は甘く、己の力で得た獲物は極上にとろけ、翔ける空はどこまでも広かった。
 思考と言葉を得た今ならば、あれは世を知らぬ愚か者が世界を勘違いしただけの「箱庭の幸福」だったのだと知れたが、ただ本能の赴くままに生きたムシケラには判りようもない。

 ……覚えていることは、そう、多くない。
 ただ、どこまでも続いているかのような空を翔ける心地よさだけは、どうしてか鮮明に覚えていて。
 叶うのなら、もう一度、飛びたいと。無意識に、そう思っていたのか。

 気が付けば、萌える緑を見下ろしていた。
 甘い風が躰を撫でる。耳朶を打つのは空気を押し退ける鈍い音。それが己の背から発せられているものだと知って、『ムシケラ』は歓喜に喉を震わせた。

 滑るように空を翔ける。
 風と遊び、甘い蜜をすすり、行く宛てのない空をひたすらに進む。

 此の身を支配するのは、とてつもない自由。多幸感に弾む心にわずかな違和感を抱きながらも、カラッポにした頭は疑問を忘却の彼方に押しやった。

 そう。
 自分は忘れていたのだ。

 此の時、己は『狩られる側の存在』だったことを。

 ふつと、己の背に降り注いでいた光が途絶える。
 疑問に思って視線を巡らせれば……とてつもなく巨大な、影が見えた。
 ばさり、ばさりと強大な翼が空気を穿つ。
 太陽光を鈍く照り返す、見るからに硬そうな嘴と爪。感情の見えないガラス玉のような瞳にひたと見据えられれば、矮小な此の身はぎしりと音を立てて固まった。

 それが、『恐怖』と呼ばれる感情だったのだと、『ムシケラ』はこの時初めて知った。

 どうやったって敵わない存在というものを、自分は、嫌という程知ってる。
 ただ逃げるしかない屈辱を、嫌という程、知っている。

 意識が途切れる間際、自分は確かに、『死にたくない』と、強く願った。
 そしてそれ以上に、『負けたくない』と、思ったのだ。



 けたたましいアラームの音に、まどろみにあった意識は半ば強制的に覚醒する。
 此の音は知っている。『仕事』の合図だ。

「おい虫、起きろ」

 まだ意識のハッキリしない己に対し、遠慮の欠片もない様子で薄暗い部屋の中に踏み込んできた同居人は、躊躇いなく此の身を足蹴にする。

 ギチ、と、半ば無意識に、硬い有機物同士を擦り付けたような音を立てた己に、面白くなさそうに鼻を鳴らすだけの同居人。花のかんばせは獰猛な色を湛えてただただ凶暴に歪んでいる。

「仕事だ仕事。んだよそのやる気の欠片もネェ顔は」

 ガン、と苛立たしげに己を蹴りつけて、隠すことなく舌打ちをひとつ。
 どうやら今日の同居人は幾分か機嫌がいいらしい。となれば、わざに機嫌を損ねるのも得策ではないか。

 寝起きで気だるい躰をのっそりと起こせば、同居人は特に何も言わず踵を返す。
 無駄口は要らない。ただ利用し、利用される、それだけのシンプルな関係。それが案外と嫌ではないことに気がついたのは、いつだったか。

「さァて、愉しませてもらうとするか」

 わらう同居人の背後に並び立つ。

 さあ、狩りを始めよう。
 己の生死は己の手で掴みとる。そんな至上の幸福に満ちた此の世界で。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa1741hero001/アルゴス/性別不詳/30歳/英雄/ジャックポット】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 どうもでっす!
 この度はご指名ありがとうございました! 楽しんでいただければ幸いです。
 言葉を話さないキャラクターの描写に、いささか苦心した次第。見るのは好きなのですが、いざ描写するとなると難しいものですね……。
 ところで、無口キャラって独特な色気があると思いません? え? 今その話してない?
 それではまた、いつかの機会に。
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2016年07月04日

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