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『幸せの在り処 』
彪姫 千代jb0742

 夕暮れが近づいている。

 公園でボールを追いかけ回していた少年たちは、まず小さなボールが視界に捉えにくくなったことを感じ、それから今の時間に気がついた。
「やべ、こんな時間か」
「帰らないと母ちゃんに怒られるな」

「おー、皆帰るのか?」
 千代(ちよ)は、赤みを増した太陽光を浴びて金色に輝くバットを手に、二度三度と素振りをした。まだ遊びたさそうな様子を見せたが、友人たちを無理に引き留めることはしない。
「しょーがないな! そんじゃー‥‥」
 そこまで口に出してから、はたと思い当たる。友人の一人が「また明日な」と言った。
「おー‥‥ダメだぞ俺、明日は遊べないんだぞ!」
 千代は眉根を寄せ、ごめんな、という表情を作った。だがそれは一瞬のことで、すぐにもとの快活な笑顔に戻る。
「明日は──」
 抱えきれない喜びを零すようにして、ウシシ、と笑った。
「明日は、父さんとデートなんだぞ!」


 放課後いっぱい遊んでも、まだ有り余る元気を両足に乗せて、千代は町並みを駆けてゆく。夕焼けが空の裾野にかすかに残る頃、『虎噛』と表札の出された一軒家の門の手前で急停止した。

「ただいまー!」

 家中に響く声量で帰宅を告げると、奥の方から「おかえり」の返事とともにいい匂いが漂ってきた。千代の腹の虫がぐうううぅ、と盛大に主張して、遊んでいる最中は忘れていたものを思い起こさせた。
「うー‥‥お腹すいたんだぞ!」

 先にお風呂で一日の汗を流し、食卓について待望の晩ご飯をかき込んでいると、玄関の方から「ただいま」と聞き慣れた声が聞こえてきた。
「んぐ‥‥ぉかえりー!」
 千代は口の中のご飯を慌てて飲み込むと、大きな声で返事をする。
 やがてダイニングへと姿を見せたのが、千代の父、千颯である。
「‥‥あいつ、何で俺の顔見ると逃げるんだろうな」
 ぼやきながら入ってきた千颯は千代を見ると、柔和に相好を緩めた。
「よお、千代。今日も元気にしてたか?」
「おー! 俺、元気にしてたぞ!」
 千代はたまらず、お茶碗とお箸を両手に持ったまま立ち上がった。「あんなあんな! 今日なー!」
「わかったわかった、後でちゃんと聞いてやるから、飯食ってるときに立つな」
 放っておいたらそのまま今日の出来事を一から十まで語りだしそうな千代を、千颯は苦笑いしながら座らせるのだった。

   *

 食事も終わり、くつろぎのひととき。千颯はリビングのソファに体を沈め、大きなあくびをひとつ。
「ぅあふ」「父さん父さん!」「ぐぇっ」
 そこへ千代が飛び込んできた。高校生息子の全体重をのせたダイビング・アタックはけっこうバカにならない衝撃である。
「げっ、げふっ‥‥なんだ、千代どうした」
 咳込みをなんとか咳払い風に誤魔化して、千颯は千代の頭に手を置いた。千代はそれだけで、ニーッと無邪気に口元を広げる。
「あんなあんなー‥‥明日、晴れるといいな!」
 明日は、二人で外出だ。予定を決めてからずっと千代は楽しみにしていて、何かにつけては気にしていた。
「心配すんな。明日は快晴、雲ひとつない青空ってやつだ。父さんイチ押しのお天気お姉さんが言ってたんだから間違いない」
「ホントか! ウシシ! 楽しみだな!」
「そうだな、父さんも──」
 楽しみだ、と無条件に同意しようとした千颯は、キッチンの向こうで洗い物をしているはずの妻が鋭い視線を向けていることに気がついた。いやいや、アマヤカシテナンカイマセンヨ?
「──ところで千代、そんな風に言うってことは、学校の課題は終わってるんだよな?」
 千代の目が泳いだ。
「も、もちろん終わってるんだぞ! 本当だぞ!」
「よし、それじゃあ俺がチェックしてやろう。ちょっと持ってきなさい、千代」
「う、うー‥‥」
 しぶしぶ、千代は持ってきた。問題集を受け取った千颯がページをめくるにつれ、表情はどうしても苦笑混じりになっていく。
「俺、ちゃんとがんばったぞ‥‥?」
 千代は肩をすくめて小さくなっている。課題の出来が悪いから、明日のお出かけを取り消されるとでも思っているのだろうか。
 もちろん、千颯にそんなつもりはない。千代は勉強が苦手だ。でもそれは彼の個性のひとつでしかない。その分、体を動かすことならそんじょそこらの高校生に負けることはない。これは父親の贔屓目抜きの評価である。
「努力の跡はうかがえるな」
 だから、千颯は優しく言ってやる。
「でも、これじゃ先生には怒られるかも知れんから‥‥せめて空欄は全部埋めておくか。俺も手伝ってやるから」
「ホントか!?」
 千代の背筋がぴんと伸びて、ぱっと顔が輝いた。
「父さんが手伝ってくれるなら、俺もっとがんばれるんだぞ!」

 ──やっぱりちょっと、甘やかしてるかもなあ‥‥。

 飛びついてくる千代を受け止めながら、千颯は自分の頬がゆるむのを自覚していた。



「父さん、早く早く! こっちなんだぞ!」

 背中のリュックサックを合図のように揺らしながら、千代は千颯に呼びかけた。
「おーーう‥‥」
 父親の声はゆっくりと届く。視界に米粒ほどにしか映らなくなりかけていたその姿が近づいてくるのを確認すると、千代はまた少し先へと進んだ。
 舗装もない、でこぼこの山道だが、千代はまるで平地を駆けるかのように軽やかに歩いた。ハイキング、とはいってもほとんどピクニックの延長のような難易度の低い道とはいえ、結構な距離を歩いているのに、まったく疲れた様子も見せない。
「元気だなあ、千代」
「ウシシ! 父さんとお出かけ、楽しいんだぞ!」
 ようやく追いついてきた千颯を、また引き離す勢いで少し走る。
 本当は横に並んで歩きたいけれど、どうしても気持ちが抑えられずに先へ引っ張られてしまうのだ。
(でも、父さんも楽しそうなんだぞ)
 今日、千代へと向けられる千颯の顔はずっと、彼の大好きな「父さんの笑顔」そのものであった。

 繁った木々の緑が適度に日光を遮って、山道は涼やかだった。千代は草木の薫る風を吸い、鳥のさえずりを聞きながら、父を先導するように歩きゆく。
「気持ちいいなー‥‥」
「天気予報、当たったろ?」
「おー! お天気お姉さんってすげーんだな! どのお姉さんがすげーんだ?」
 そう聞くと、千颯は顔を近づけて、
「‥‥母さんには内緒だぞ?」
 と言った。何故だろう?

   *

 やがて森が切れ、草原が広がる場所に出た。山中とは違う少々強めの風がぴゅっと二人に吹き付ける。
「川だぞ、父さん!」
 土手の向こうに広く浅い川が流れているのを見て、千代はまた駆けだした。
「危ないぞー」
 千颯はその後をゆっくりついて行こうとしたが‥‥ちょうど土手に差し掛かる辺りで、千代が足を滑らせた。
「千代!」
 土手の下に落ちた息子を見て、千颯は駆けだした。土手の高さは大したことはないのだが、千代が起きあがってこない。
 足でもくじいたのか、と千颯は土手の下を不安げにのぞき込む。
 すると──。

「ぶ、ぶわっ! なんだ!?」

 千颯の顔面に唐突に水が浴びせられた。
 ‥‥もちろん、やったのは千代である。
「ウシシ! 命中なんだぞ!」
 立ち上がった千代は、ぴんぴんしている──そのことを確認すると、前髪からぽたぽた水を滴らせた千颯は、頬をひきつらせて背中の荷物を外した。

「──ぃやったなぁ、千代!」
 素早く川へ入り反撃の水を千代に浴びせた。
「うわっ! 父さん、負けないんだぞ!」
 千代も負けじと水を掛ける。派手な水しぶきが幾度も上がり、太陽の光をはじいて時に七色の輝きを放ったが、夢中になってはしゃぐ二人の目には入らなかった。


「あー‥‥」
 やがて我に返った千颯は、自身と千代を交互に見返した。
「びしょびしょだな」
「びしょびしょだなー‥‥」
 ちょっと夢中になりすぎた。反省。
「っきし」
 千代がくしゃみをした。千颯の体もだいぶ冷えている。
「風邪引いちまうな。‥‥もう少し行った先に、いい場所があるんだ。そこまで行こう」
 土手の荷物を拾い上げながら千颯が言い、千代はぱちくりと目を瞬かせた。

   *

「おー、すげー! すげー風呂だな!」
 千颯が千代を連れてきたのは、公共の温泉施設であった。素っ裸になって浴室に飛び込んだ千代は、その広さに感嘆の声をあげる。
 声が室内にわんわんと反響したが、幸いにして他の利用客は少ないようだった。
「冷えたからな。まずはゆっくり暖まるか。ちゃんと掛け湯しろよ」
「おー、俺掛け湯するぞ!」
 体の埃と汗を流して、浅いが広々とした湯船に、二人並んでしっかりつかる。
「ぅあ〜〜」
「あ〜〜〜〜」
 おんなじような声が出た。顔を見合わせて二人、笑う。
 千颯が湯船の中の自分の体をさすり、「すこし腹が出てきたかな」と言った。
「大丈夫だぞ! 父さんはカッコいいぞ!」
 千代が言うと、千颯は嬉しそうに笑って、「こいつめ!」と千代の頭をくしゃくしゃ撫でた。千代は笑った。

 足をめいっぱい伸ばすと体がお湯の中で少し浮き、暖かい海にたゆたっているような心地になる。千代は顔だけをお湯の上に出して、独り言のように、言った。
「父さん‥‥俺、今すごい幸せだぞ‥‥」
 千颯の返事には、噛みしめるような間があった。
「ああ‥‥俺もだ」
 湯船の中で座り、半身をお湯から出している千颯は、千代を慈しむような眼差しで見下ろしている。
「俺の幸せは、ここにある」
 千代の頭に手を置いて、言った。
「じゃあ‥‥父さんは俺が側にいなくなったら、幸せじゃなくなるのか‥‥?」
 ふとした不安を感じて、千代は問うた。だが、千颯は首を振った。
「そうじゃない。お前が無事で、元気にしてさえいれば‥‥俺はずっと幸せなんだ」
 その言葉の本当の意味を、千代は理解できなかったが、それ以上何か尋ねようとは思わなかった。
 父さんが自分のことを愛してくれている──その事実だけで、彼の胸はいっぱいに満たされていたからだ。

   *

「湯船で寝るな、千代。背中を流してやるぞ」
 千颯は隣ですっかりまどろんでいる千代を起こして、洗い場へと連れて行った。
 背中向きに座らせる。
「こうして見ると‥‥お前、でかくなったなあ」
 千代の肉体はまだまだ成長途上ではあるが、肩にも背中にも筋肉がつき、しっかりとした体つきになっている。千颯が改めてそのことに感心すると、千代は「ウシシ」とくすぐったそうに笑った。
「もう高校生だもんな。──彼女とか、まだなのか?」
 思わず気になっていたことを聞いてしまう。
「そ、そんなの──まだ全然なんだぞ!」
「そうなのか? 気になってる娘とかは? 一人くらいいるだろ。父さんにこっそり──」
「いない! いないんだぞ!」
 千代は真っ赤になって照れている。その反応がおもしろくて、ついからかってしまう千颯である。
「なんだよ、千代はけちだなあ。教えてくれないとくすぐるぞ」
「うひゃ! わ、脇はヒキョーなんだぞ!」

 どうやら、本当にいないらしい。
 実際に恋人が出来たら出来たで、今までみたいに甘えてくることはなくなるんだろうなあ‥‥と思うと、なんだかホッとしてしまう。
 父さんゴコロは複雑なのであった。



 その日の夜、千代と千颯は、同じ布団で一緒に眠りに就いた。
 大好きなひとの存在を感じながら、二人は幸福な夢を見た。


 翌日。

「お、もう出るのか?」
「おー、今日は俺、日直なんだぞ!」
 千代は千颯より先に準備を整え、玄関に向かった。

「行ってくるんだぞ!」





 幸せは、きっと続いていく。──君がそこにある限り。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb0742 / 虎噛 千代(彪姫 千代) / 男 / 16 / 父さん大好き】
【aa0123 / 虎噛 千颯 / 男 / 39 / 息子大好き】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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幸せな家族の一幕、いかがだったでしょうか。
かなり広い裁量をいただけたので、思う限りの「幸せ感」にて書かせていただきました。
お父さんがゲームの設定からは結構年を経ているので、違和感が無いとよいのですが‥‥。
お楽しみいただけましたら、幸いでございます。
■イベントシチュエーションノベル■ -
嶋本圭太郎 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2016年07月13日

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