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『皐月晴れたる道の先。 』
(ib8931)

 皐月も下旬ともなれば、もうすっかりと冬の気配はなりを潜め、日によっては夏の気配すらうかがわせる陽気になることもある。ただ座っているだけならまだしも、陽射しを遮るもののない道を歩いていればなおさらだ。
 いつの間にか額にうっすら浮かんでいた汗を拭い、ふぅ、と馨(ib8931)は知らず息を吐いた。そろそろ着く頃だと道の先を見遥かし、見えた建物に今度は安堵の息を吐く。
馨がこの、遭都の外れまで足を向けたのはあの建物――馨の実家にいまも住まう侍女から、消息文が届いたからだった。馨が物心ついた幼い頃から実家に仕え、いまもなお本来なら当主として差配せねばならないだろう馨の代わりに、実家の一切を切り盛りしてくれている侍女。
 だから彼女に会いに行こうと思い立ち、こうして遭都の外れの実家まで足を運んだ。変わらず息災にしているだろうか、困っていることはないだろうか、あれこれ案じる気持ちとは別に、久しく会っていない身内に久々に会う時のような、どこか浮き立つ気持ちも抱えながら。
 今はもう失われた、生まれ育った屋敷とはまた違う佇まいの、けれども確かに懐かしさを呼び起こす古びた風合いの家の前に立ち、皐月の陽気の中を歩いてきたおかげでほんの少し上がった息を整える。そうして、玄関脇に下がる板を木槌で叩いて来訪を告げると、すぐに中からぱたぱたと軽い、小さな足音が聞こえてきた。
 どちら様でしょうか、と告げる声は他ならぬ侍女のもので、それがなんとはなしに安堵とくすぐったさを感じさせる。それに応える馨の声が、いつも通り、の中にほんの少しだけいつもよりも幼く響いた気がしたのは、幼い頃からよく知られている相手だからか。
 とはいえそれはやはり、馨の気のせいだったのかもしれない。もっとも、真偽のほどを確かめるより先に、慌てたようにがらりと引かれた扉の向こうに現れた、思い返せば会うのは1年ぶりにもなる侍女の嬉しそうな笑顔にすべてはうやむやになってしまった。
まぁ恭一様、と侍女が嬉しそうに目を細める。それは馨と名乗る遥か前、まだこの侍女と暮らしていた頃の名前だ。
 もうあれからずいぶんと時が経ち、馨は31歳にもなっているし、この侍女だってもう50代にはなっている。だのに幼い頃と同じように、恭一様と彼を呼ぶ侍女は、馨の顔をじっと見つめて、また嬉しそうに微笑んだ。

「お父上に似ていらっしゃいましたね、恭一様」
「‥‥そうかな?」
「えぇ。わたくしの目に、間違いはございません」

 そうして微笑んだまま、そんな風に大きく何度も頷く侍女に、馨はもう1度「そうかな」と呟いた。脳裏に父の姿を思い浮かべてみて、まぁ良いか、と首を振る。
大切なのはこの侍女が、こうして喜んでいることなのだから。



 妻手製の土産を渡すと、まぁまぁ勿体無い、と侍女は嬉しそうに口元を綻ばせた。そうして「旦那様と奥様に差し上げましょうね」と大切そうに包みをおし抱き、仏間へと足を運ぶ。
 その後に続き、足を踏み入れた仏間に置かれた両親の仏壇は丁寧に掃除され、瑞々しい花が供えられていた。その様子にまた侍女への感謝を覚えながら、馨は侍女が手土産を供えるのを見守る。

「旦那様、奥様。恭一様の奥様から頂戴しましたよ」

 侍女は嬉しそうに仏壇へとそう報告すると、すっ、と仏壇の前を開けて馨を振り返った。うん、とそれに頷いて馨も仏壇の前へと進み、侍女がそうした様に両親の仏壇の前で背筋を伸ばすと、そっと瞳を閉じて手を合わせる。
 捧げるべき祈りは、感謝か、それとも安寧か。どちらとも判断のつかぬまま、しばし黙然と合掌してから馨は、侍女に促される様に仏間から居間へと足を向けた。
 居間には僅かに残った両親の写真や、父の形見の羽織姿の馨、そうして美しい花嫁衣装の妻との結婚式の写真などが丁寧に、整然と並べられている。父に似てきたという、侍女の言葉をまた思い出してジッと見比べていた馨の背中に、お座り下さいまし、と侍女が柔らかく声をかけた。

「お疲れになりましたでしょう。とっておきのお茶をお淹れしましたわ」
「ああ、ありがとう。‥‥あぁ、カステラも、懐かしいな」
「恭一様、お好きでいらしたでしょう?」

 幼い頃の事を思い出したのだろう、上品に指先で口元を押さえてくすくす笑みをこぼす侍女に、馨はひょいと肩をすくめる。実際、この侍女がよく作ってくれたカステラは当時の馨にとって、とても美味しくお気に入りだった。
 はむ、と一口かじってみればあの頃と変わらず美味しい、懐かしい味がする。記憶は美化されることが多いと言うが、このカステラの味はどうしてだか、記憶の中のそれよりずっと美味しく感じられた。

「うん。美味しいよ」
「よろしゅうございました。沢山ありますから、たんと召し上がって下さいませね」

 わたくし1人では食べきれませんもの、と嬉しそうに微笑む侍女の前にも、木皿の上に置かれたカステラが2切れ置いてある。そうして馨と侍女の間には、彼女の言葉通りしっとり切られたカステラがおおよそ1本分ほど、お代わりされるのを待っているように大きめの木皿に盛り付けられていた。
 その光景に、くすりと笑みが零れる。それはそのまま、馨の訪れを楽しみにしていたのだろう侍女の気持ちを、代弁しているかのような気がした。
 だから「いただくよ」と告げて、馨はカステラを感謝とともにじっくり味わう。味わいながら、ぽつぽつと侍女に語って聞かせるのは、双子が一歳を迎えた事や、伝え歩きや言葉を言える様になった事といった、他愛のない日常の報告で。
 端から聞けば親バカととられかねないそれらの話を、嬉しそうに聞いてくれる侍女はもしかしたら、端から見れば孫の話を聞く祖母にも見えたかも知れない。だがそれも、彼女と馨の関係を思えば、決して誤った印象ではないのかも知れない。
 何となれば彼女は早くに夫を亡くしたとかで、馨が産まれる前から母付きとして、後に母が精神を病んでからもなお笑顔を絶やさず、最期まで良く尽くしてくれたのだ。当然と言うべきか、生まれた馨のこともたいそう可愛がってくれたから、このカステラのように侍女との間に積もる思い出を数えれば、指が幾つあっても足りはしない。
 そうして今は、事実上は志鷹家の当主である馨が出奔した後も家を守り、これ以上望むべくもないほどしっかりと取り仕切って、両親の仏壇と墓を守ってくれている。そうしてそれに文句どころか不満の1つも溢さず、むしろ恭一様がお幸せにお過ごしでいらっしゃるのならと、こちらは気にせず今の暮らしを守るように奨め、時に諌めてくれさえするのだ。
 だから。両親のように、と言うと嘘になってしまうかも知れないけれども、それでも馨にとってこの侍女は、間違いなく掛け替えのない、大切な存在に相違なく――

(‥‥‥)

 口中に広がる懐かしい味のせいか、ふと両親を思った。母を壊した、引いては馨の人生をも狂わせた、あの出来事を思った。
 馨の覚えている限り、父は温厚な人であったから、その父が一体なぜあの様な形で惨たらしく殺されなければならなかったのかは、今になってもこれと言った心当たりがあるはずもない。もちろん直接の理由だって知るはずもなく、屋敷が取り壊されて家臣もばらばらになった今では、もはや理由はおろか、当時の父の所業を知る術すら残されてはおらず。
 それでも、解せぬという思いはどうしても、馨の中に巣食っている。出来ることなら真実を知りたいと、願う気持ちに根ざす感情は時と共に変わったかも知れないけれど、その願いだけは変わらない。
 ――そんな事を考えていたせいだろう、気付けば馨は居間の上に飾られた父の写真を、じっと真っ直ぐに見上げていた。その様子が果たしてどう映ったものか、不意に侍女が「申し訳ございません」と消え入りそうな声で呟いたのが、耳に届く。

「‥‥え?」
「あの時‥‥わたくしなどを庇って下さったばかりに‥‥」

 突然の言葉に完全に不意を突かれて、きょとんと振り返った馨の目に映ったのは、痛みを堪える様な面持ちでこちらを見つめる侍女の姿。自身の眼差しが彼女のそれとぶつかって、その眼差しがひたむきに注がれる場所を悟って――あぁ、と馨は今なお消えぬ傷跡を思った。
 知らず、見え難い素振りでも見せてしまっていたのか。或いは写真を見上げた拍子に、傷跡が目に入ってしまったのか。
 父を亡くし、母が心を壊したあの頃に、母その人によって刻み込まれたこの目の傷。馨の片目から永遠に光を奪ったこの傷は、彼自身にとってももちろん心に深く刺さる杭のような痛みをもたらすものだけれども、侍女にとってもそれは同じだったのだろう――否、ある意味では馨以上に、この傷を心にかけ続け、自責の念を抱え続けていたのかも知れない。
 その、痛む眼差しに馨はだから、違う、と首を振る。

「この傷も――失明したことも。お前のせいじゃないよ」

 それは決して侍女に気を使った訳ではない、馨の本心だ。だって本当の本当に、馨は今の今まで侍女がこの傷を気に病んでいた事に気付かなかったくらい、彼女のせいだなんてこれっぽっちも考えてはいなかった。
 それよりも侍女に抱くのは、純然たる感謝の念。彼女が居なければ今の馨は居なかった、今の幸いな暮らしは永遠に手に入りはしなかった――それだけが、馨にとっての真実。
 かつて出奔した馨がこの家で侍女に再会した時、同じ様にこの居間で彼女が見せてくれた写真。美しく成長した、今は妻となった幼馴染の少女と侍女が写ったその写真こそが、馨がその後に故郷で見かけた女性を妻だと認識出来た最大の理由。
 そうして心乱れ、悩み苦しむ馨の背を押してくれたのも、他ならぬこの侍女だった。決して無責任にではなく、馨の業を知った上でそれでも、妻との結婚を拒もうとする彼の背を押してくれた――きっと侍女はいつだって、馨の事を心から信じてくれていた。
 ゆえに、自分自身というよりはもしかしたらそんな侍女の事を信じて、馨は妻の手を取って。今の、目眩のするような幸いへと辿り着けた、それは紛れもなくこの侍女のおかげだから。

「お前には、本当に感謝しているよ。今が幸せなのも――子供の頃から、お前が居てくれなければ、どうなっていたか」
「恭一様‥‥」
「だから――いつも本当にありがとう。これからもどうか、元気で居ておくれ」

 侍女の暖かな手をそっと取り、しっかりと目を見て真摯に告げると、くしゃ、と侍女の顔が泣き笑いに崩れた。勿体無い、と首を振る彼女に苦笑する。
 ふと庭へと目をやれば、降り注ぐ陽射しに僅かに朱が混ざり始めていた。腰に下げた、友から貰った懐中時計で刻を確かめて、そろそろ帰るよ、とようやく落ち着いてきた侍女に告げる。

「今度は家族で来るよ。身体を大事に、な」
「はい。楽しみにお待ちしておりますわ」

 そうして馨の言葉にしっかりと頷いた、侍女に見送られて馨は実家を後にした。手に、侍女が持たせてくれたお土産のカステラを下げながら。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職 業 】
 ib8931  /  馨  / 男  / 31  / 陰陽師

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。

息子さんの大切な方と過ごす物語、如何でしたでしょうか。
なんとなく、久しぶりの親子水入らずみたいなイメージで綴らせて頂いてしまいましたが……だ、大丈夫でしたでしょうか(汗
きっと侍女様は侍女様で、色んな想いを抱えて生きて来られたのだろうなぁ、と思います。
もしイメージと違うなどあられましたら、いつでもお気軽にリテイクをお申し付けくださいませ(土下座

息子さんのイメージ通りの、過去のわだかまりを優しく溶かすノベルであれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2016年07月13日

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