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『雨ノ花詞 』
御子神 藍jb8679


 彼が私に笑いかけてくれる。

「おいで」

 彼が私に手を差し伸べてくれる。

「藍君」

 彼が私の名を呼ぶ度に、この心がぐらりと揺れるから――。




 青と、
 蒼と、
 ――碧。

 染め地は空。

「……あ、潮の香り!」

 反射は海。

「わあ! 先生、見えてきましたよ! ほら! 海面があんなにキラキラしてて……まるで、」
「――ん?」
「琥珀糖みたい!」
「こは、――なに?」
「琥珀糖です! 夏にぴったりの和菓子って言われてるんですよ!」

 激しい音符はエンジンの声音。

 薫る風を切って。
 艶な髪を靡かせて。
 彼の背に温もりを重ねて――。

「シアンにミントグリーン、コバルトブルーにエメラルドグリーン! うーん、美味しそう!」
「ふふ。藍君らしいが、まさか海から琥珀糖を作るとか言わないでおくれよ? お腹壊しても先生は知らないからね?」
「Σい、言いませんよ。――って、少しは私のお腹のことも心配して下さい! もう!」

 彼――藤宮 流架(jz0111)の両の肩は、愉快そうにくつくつと笑っていた。

 だが、おかげで現実感が湧いた。
 緊張がするりと解ける。
 彼の温もりも、海の香りも、此処は同じ空の下。瞼を閉ざして耳を傾ける、心を傾ける――大丈夫、夢じゃない。

「(流架先生のバイク、かっこいいなぁ。今は後ろに乗せてもらうことしか出来ないけど、いつか一緒に並んでツーリングしてみたいし……やっぱヒーローにはバイク! これ絶対欠かせない!)」

 だから免許とろう!

「(でも、勉強は流架先生に教えてもらおう)」

 そう決意した彼女――木嶋 藍(jb8679)は、にんまり、その頬を流架の背中に押し付けたのであった。




 ドドドッ、ドドドッ。
 停車中の三連符が、ふっ、と沈んだ。
 エンジンの振動が、藍の身体に余韻を残す。

 ……ほぅ。

 彼の身体から伝わる熱に――腕、するり、と解いて。藍の表情は何処か名残惜しげであったが、さっと心の持ち方を変える。だって、“今日”はこれからなのだ。

 しゅたっ!

 藍は凸凹な土の駐車場へ\背筋ぴーーーん/と、降り立ち、ヘルメットを外した。
 深呼吸、ひとつ。
 ――。
 鼻腔に、肌に、髪に、心の内に、“慣れた”海風が藍の全身を駆けてゆく。

「私やっぱり、海の近くに住んでないとダメかもです」
「ふふ、海は君の故郷だものね」
「えへへ、魚捌くのとか懐かしい。なんて」
「マイ出刃包丁?」
「勿論です!」

 外したヘルメットで乱れた前髪を無造作に掻き上げながら、流架がくすりと笑った。

 藍は、
 ――あ、と。

「(なんて色気のない話……)」

 こんな話をする為に、今日のデートを日に日に待ち望んでいたわけではないのだが。
 私服も、水着も、待ち合わせの時間ぎりぎりまで考えて“一番”を選んだ――つもりだ。精一杯のお洒落を彼に見せたかったし、

「(見てほしい、から)」

 ふぃ、と、視線を自らに落として、意識をし直す。

 クルーネックTシャツと花柄なカットワークのレースキャミソールは白で合わせ、下は空色のスキニーパンツをチョイス――“一番”の中にも、動きやすさもきちんと取り入れた。その夏らしい爽やかなスタイルに添えて、アプリコットの輝きを放つドロップピアスと、四つ葉のクローバーをモチーフにしたアンティーク風のネックレスで彩る。

「(……ほんのちょっとでも、釣り合えばいいな)」

 今も、これからも、





 ――貴方に。





 輝くお天道様。
 青い海。
 白い砂浜。
 それだけで、夏は息吹く。

 夏のレジャーの定番と云えば、やはり海水浴。
 今年のビーチも大勢の人で賑わっているが、夏と海はこうでないと始まらない。

 二人は水着に着替えると、レンタルした紫陽花色のパラソル=拠点を設置した。

「えへへー、拠点っていい響き!
 ――さ、先生、取り敢えず泳ぎましょ。どっこらしょって座ってないで。もー、お爺ちゃんじゃないんだから!」
「え? あー、はいはい。藍君は若いね」
「先生、永遠の26歳じゃなかったんでした?」
「……永遠の26歳だが、何か? ――ん」
「ん? 腕伸ばしてどうかしました?」
「立たせておくれ」
「もー!」

 藍は、大きなコサージュが華やかなビーチサンダルを、ぽぽぃ、と脱いで、流架に託された右腕を両手で引っ張り上げる。そのままの勢いで「(えぃ!)」――彼の引き締まった腕に両腕を絡めると、眩しい海面目がけて駆けた。

 ――だって、ひそひそと聞こえたから。

「(ビーチで待ち合わせした時も、先生がパラソル借りに行ってくれてる間も、私達の拠点を立ててる時だって……私の、――んん、流架先生は、私よりもずっと綺麗な女の人達の目を惹いてた。先生は美人だからしょうがない、うん。でも、んー? なんだろ、胸が……なんだか)」





 もやぁ。





 それは、藍の心の底に沈んでいたものだったのかもしれない。
 無意識という名の巻貝の奥底で、目覚めを待っている“オト”なのやも。いや、もしかしたら、もう既に――……?

 ――。

 だけれど、何時の間にかそんな“もやぁ”も何処へやら。

 足の指間を抜ける白砂が擽ったい。
 だが、青白い海際に細い足を遊ばせてみると――ゆらり、寄せては返す波の感触に吸い込まれそうで。

 にまにま。

 藍の口許がどうしようもなく緩んでいた。
 まるで、大好きな玩具を何日も我慢していたが漸く与えられたかのような――そんな幼子の面。流架は吹き出しそうになる唇を何とか引き結んで、彼女を見つめたまま頬を傾けた。

「お願いしてもいいかい?」
「え?」
「海の中のエスコート」
「わ、嬉しい……! 先生、行こっ!」

 ざぶん。

 潜水し、青の濃淡に包容される。

 海の声。
 海の温もり。

 視界が、世界が、無限になったかのような澄んだ景色。
 時間の流れが不定に感じられる不思議さは、故に、自由であるような気がした。

「(気持ち良い……!)」

 両脚ひらひら。
 藍の身体が瞬きに揺蕩う。
 彼女のプロポーションはすらりとしていて、水中のその様は、まるで人魚のようであった。

 ――。

「(ん?)」

 一瞬、髪を撫でられたような覚えがして振り返る。
 が、其処には誰の姿も無く。色鮮やかな小魚が一匹、藍の視界を呑気に泳いでいった。――しかし、ふと。

「(あれ? 流架先生?)」

 誰もいなかったということは当然、彼も。
 きょろきょろり。
 長い髪を左右に揺らしながら辺りを見渡していると、頭上から差し込む光が不意に影る。藍が顔を上げると、膝丈のサーフパンツ――黒地に白と青の小花で彩った水着を履いた脚が、ゆらゆらり、のんびりと漂っていた。
 流架だ。
 恐らく、息継ぎの為に海面へ上がったのだろう。

「(……)」

 にま。
 藍の心の中に、好奇心という名の悪戯心が鎌首を擡げる。

 すいぃぃぃ〜〜〜。

 藍は浮上する構えで海面へ接近した。だが、その身体は流架の傍ら――水中に浸かっている彼の斜め下方でぴたりと停止。両手わきわきスタンバイ!

「(こしょこしょこしょー!)」

 藍の細い指が、流架の脇腹を擽った。

「(いつもやられっぱなしなんだもん。くらえー)」

 ――威勢は良かった。
 覚悟も良かった。
 だが、それだけでは到底、

「(Σ!?)」

 甘かった。

 藍の手首が、がしっと強い力で掴まれ、その体勢のまま流架の身体が反転する。流架の身体が沈み、代わりに藍の身体が一度、軽く海面から姿を覗かせるが、ぐい――彼の力から逃げられるはずもなく。

 二人はゆっくりと下降してゆく。ぼこぼこぼこ、と、水中を白い泡が浮き立った。
 流架の黒髪が艶に揺れ、細んだ双眸が藍の瞳を捉えている。声、ではなく、藍は音を呑んだ。彼をじっと見て、流架も藍を見つめ返す。互いに引き寄せ合って、二人はほぼ同時に微笑んだ。

 水中で追いかけ合う。

 彼の髪に触れた。
 掌で頬を包まれた。
 心臓が鳴った。
 だから、一瞬――彼の胸元へも手を添えた。





「(どうしてだろう、不思議。海の中でなら私……)」





 大胆な自分に少し、どきりとした。




 人の目知れずに一頻り遊んだところで、お腹もぐぅぐぅ。
 二人は海の家を巡った。

 藍は腹の虫に命令されるがまま、目の色きらきら、焼きそばぱくぱく、焼きとうもろこしをまっふまっふと頬張って――流架に笑われた。しかし、気恥かしさよりも食欲が勝ったのは、「美味しそうにご飯を食べる子は好きだよ」という、流架の一言の所為? それとも、おかげ?



 太陽は、さんさん。



 粗方、腹も膨れたが、夏の海と云えばやはり――かき氷。
 買ってくるから良い子に待っていなさいね、と言われ、ぷーと膨れっ面になった藍であったが、そんな交わしはいつものこと。
 紫陽花の拠点にぺたんと座り、藍は手櫛で髪を整えながら何となしに流架の方を見やった。

「あ――」

 どきり。
 瞳がぶつかる。

 藍がわけもなく慌てて手を振ると、流架は何処か弱ったふうな笑みで此方を見ながら手を振り返した。





「――お待たせ。はい、藍君の」
「わ、ありがとうございます。美味しそう」

 並んで、しゃくしゃく。
 氷が甘く奏でる時間。
 のんびり、まったり、過ぎてゆく。

「あ、先生のはなんの味? なんだか透明ですけど」
「うん? 俺のはスイだよ」
「す、い?」
「ん。只の砂糖水」
「わあ、先生って渋い――じゃなくて、大人ですね!」
「ふふ、大人だからね。藍君はイチゴミルクが似合うおこちゃまでかわいいかわいい」
「な、なんでそういうこと言うかな!? 私のイチゴミルクあげませんよ!?」
「じゃあ俺のもあげない」
「……」
「……」

 しゃくしゃく。

「藍君」
「はい?」
「今日の君、とても愛らしいよ。私服姿でも、今の姿でも……ね」

 彼の評価に、彼の言葉に、藍は瞳を丸くする。

「え?」

 少なくとも藍は、どちらが先に折れるかと腹の探り合いをしていたから。だから、こんなのは、
 ――不意打ちだ。

「あ、あれ? 私の耳、可笑しくなったのかな。あの、私の目を見て、も、もう一度、言ってくれませんか?」

 上半身を屈める。照れることも忘れて、彼の顔を覗き込んでいた。
 何だか妙に現実離れしている感覚――胸の内であったから。しかし、流架の反応は、今が確かに現であることを物語っていた。





「……言えるわけないだろう。そ、そんなに寄って、――ッ、……先生だって、男なのだよ」





 流架は怒ったような表情に強い声を重ねて、ふぃ、とそっぽを向いてしまった。目元が僅かに朱で染まっていたような気がする。たぶん。だが、藍の面はそれを軽く上回るほど、

 ぼっ!!!

 火がついたように真っ赤になった。

 藍が自覚などしているはずがなかった。
 白レース地のホルターネックのビキニを形の良い胸に纏い、下にはフリルがついたスカートタイプで装う彼女。
 出るところは出て、締まるところは締まっているメリハリな身体を持っているにも関わらず――多少の色気はある……はず、と、僅かな自信にも疑心を抱いているのだから。

「(わ、わ、わ……!)」

 藍の心臓が、ばっくばっくとジャンピングしていた。
 手にするかき氷の器から、中の氷がどんどん溶ける動きが伝わってくる。彼に訊きたいことは色々あった。だが、伏せた目線が上がらない。

 ――が、“助け舟”を出したのも彼であった。

「藍君」
「Σはっ。な、なんですか!?」

 藍が視線を泳がせながら流架の方へ向くと、――しゅっ、途端に。渇ききった口の中へ、ひんやりとした冷と甘さが広がっていた。甘味は、砂糖水。

「美味しいかい?」

 藍の表情はびっくりのまま、つい、彼の瞳を見てしまった。彼は平素と変わらず、藍に微笑みかけている。まだまだ余裕があるのか、それとも、隠すのが上手であるのか。定かではないけれど、

「(もう、かなわないなぁ……)」

 藍は唯、少女らしくはにかんだのだった。










 だから、藍は知らない。
 流架と瞳がぶつかったあの時、彼の胸の内にどんな“感情”があったのかを。




 火照った心身は海が優しく撫でてくれた。

 浮き輪でぷかぷか。
 波打ち際でぱしゃぱしゃ。
 楽しい時間は風に捲られたページのように進んで――藍が、ふと。

「あ、雨の匂いがする……先生、雨が降る!」

 すん、と藍が鼻を鳴らした。
 ぽつぽつ。
 小雨であった。だが、藍は急を要するように流架の手を引いて近くの木の下へ駆け込む。と、同時に、大人しかった雨足が表情を変え、スコールの如く降り注いできた。

「……雨の匂い、か。すごいね。雨の訪れを当てられるなんて」
「ふふふ、これ田舎の子の特技なんですよ」

 藍は小首を傾けながら後ろ手に、柔らかく笑んだ。

 ――。

 風や雷はない。
 だが、その音は、その雨糸は、誰かの嘆きを表しているかのようであった。怖くはない、不安もない。只――、

「すごい……なんか不思議……」

 視界は雨。一寸先の状況がまるで窺えない。
 藍は、周囲を隔絶されたかのような錯覚に陥る。

「(私、今……先生と二人なんだ……)」

 そう意識すると、とくん、鼓動が小さく心を揺らした。
 あたたかくて、光っていて。
 きっと彼は、

「(私が甘えたら、先生はずっと傍にいてくれるんだろうな……先生は優しいから)」

 言葉を聞きたい。
 想いを感じたい。

 だけれど、





「俺は、迷惑なんかじゃないよ」





「……っ、」





 ――その囁きに、心から甘えられる日がくるのだろうか。





 心の雲と同様に、暗い雲にも何時か光は射す。
 海の表情は穏やかさを取り戻し始め、太陽の光に雨の粒が微笑みの虹を架けた。

 まるで、消えない想い出を祝福するように。

「雨上がりの空は綺麗だね」
「はい。虹、一緒に見れてよかった」
「ん、俺も」

 空の虹に合わせていた視線が、ふっ、と、お互いの顔へ移る。

「次は、先生の行きたいところ、行きましょう」
「俺の?」
「はい」
「分かった。次、か。……楽しみが増えたな。また明日から頑張れるよ、ふふ」
「えへへ、嬉しい。それに……私も一緒、ですよ」
「ん?」
「いーえ、なんでもありません!」

 たたっ。
 光の反射へ、藍は駆けていった。




 海での時は終わりを告げる。

 だが、今日の出発点まではまだまだ時間をかけよう。
 帰路はのんびり。





「――帰り、少し遠回りしませんか?」





 心ゆったり。
 寂しさ忘れて、貴方の温もりに身を委ねよう。















 きょうのしあわせも、きっと、たからもの。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb8679 / 木嶋 藍 / 女 / 18 / 翠雨ノ由】
【jz0111 / 藤宮 流架 / 男 / 26 / 花時雨ノ秘】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お世話になっております。
愁水です。

とてもご丁寧にイメージが練られた発注文でしたので、ぽぽぽぽ、とシーンの描写が浮かびました。
イメージ曲も添えて下さり、とても嬉しかったです!
頂戴した場面に当方なりのアレンジも加えさせて頂きましたが、如何でしたでしょうか?
声のない戯れ、互いの心面、雨のひと時、お気に召して頂けましたら幸いです。

此度も素敵なご発注、誠にありがとうございました。
またのご縁を心よりお待ちしております。
colorパーティノベル -
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エリュシオン
2016年07月20日

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