▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『幸せな夢の中へ 』
弥生・ハスロ8556)&ヴィルヘルム・ハスロ(8555)&世河・晶(8850)


「1つ……いい事、教えてあげる」
 別に知りたくはない、などと言う暇を、彼女は与えてくれなかった。
「私ね、お金を盗む奴って大っ嫌いなの。お金は、働いてしか手に入れちゃいけないものだと思うから」
 どこかハロウィンめいた黒いワンピースドレスが、邪悪なほど似合う女性。女の子、と言っても良い年齢であろう。
 占い師か、サイコセラピストか、あるいは娼婦か。一見しただけでは正体の掴めない彼女が、なおも言う。
「人が働いて手に入れたお金を、何の苦労もしないで盗む。これってある意味、人殺しよりも罪が重いと私なんか考えちゃうけどキミはどう? 外人さん。日本語、話せる?」
「……そうですね。全く、貴女のおっしゃる通りだと思います」
 答えつつヴィルヘルム・ハスロは、軽く両手を上げていた。拳銃を突き付けられた、かのようにだ。
 この女性の、鋭い眼光。怒りを漲らせた美貌。
 拳銃よりも恐ろしいものを自分は今、突き付けられている。
 そんな事を思いながら、ヴィルは言った。
「ですから私は、そのような事はしませんよ。そのキャッシュボックスの中身を持ち去った男は、あちらの方に逃げて行きましたが……よろしければ、捕えるお手伝いを」
「他人に罪をなすりつける奴は、もっと許せない……!」
「落ち着いて、弥生」
 もう1人の若い娘が、なだめに入ってくれた。
 医療白衣に身を包んだ、金髪の娘。欧米人にも東洋人にも見えてしまう。
 この街の、とある開業医の下で働いている見習いナース。名は確か、世河晶。
「私もね、この人の事よく知っているわけじゃないけど……違うと思うわ。お金を盗むような人なら、うちの先生があんなに親身になって話し込むはずないもの」
「……さっき晶が言ってた、喧嘩の強い外人さん?」
 どうやら弥生という名前らしい、占い師か娼婦か判然としない女性が、じっとヴィルを見据えてくる。
「……そう。あの先生にぶちのめされずに済んでる人なら、悪くてもコソ泥の類じゃあないわね。疑ったりして、ごめんなさい」
「良いのですか? 信じてしまって」
 ヴィルは微笑んで見せた。
「貴女のお金、実は私の懐に入っているかも知れないのですよ」
 金は、盗んだ。奪った。窃盗も強盗も大いにやった。
 働いて収入を得るようになったのは、軍に入ってからだ。
 ブカレストの裏通りでは、人を殺して金を奪った。
 軍では、人を殺す仕事で金を稼いできた。
 どこがどう違うのか、と問われれば、ヴィルとしては返答に窮するしかない。
「何でかしらね……根拠はないんだけど、思っちゃうのよね」
 そんな過去を見透かすような眼差しを、弥生がじっと向けてくる。
「キミは、こそ泥なんかじゃない……もっと大変な事やらかして、お国に居られなくなって日本へ逃げて来た口じゃないの?」
「もうやめなさい。初対面の男の人に、そんな根掘り葉掘り過去を訊くものじゃないわ」
 晶が微笑んだ。
「いい男の、ミステリアスな過去……教えてもらえるような関係に、なってみたら?」
「……今はね、男よりお金」
 ワンピースドレスを黒髪もろともフワリと翻して、弥生はヴィルに背を向けた。
「コソ泥は、私が自力で捕まえる。手伝ってくれなくていいから」
 言い残し、歩み去って行く弥生を、晶はすぐには追わなかった。ヴィルの方を向き、微笑む。
「ハスロさん……でしたよね。ごめんなさい。弥生ったら、お金が絡むとシビアになりすぎちゃうんですよ」
「お金は大事ですからね」
「あの子ね、高校出てからしばらく就職も進学もしないで親御さんの脛かじってたみたいなんです。負い目があるんでしょうね。働いてお金稼ぐって事、必要以上に意識しちゃってて」
 親の脛をかじって生きる。それが可能な環境にいるのなら別に良いのではないか、とヴィルは思う。
 人を殺して金を奪う、人殺しで金を稼ぐ。そんな自立より、遥かにましだ。
「ふうん……なるほど」
 晶が、いくらか上目遣いにヴィルを観察している。
「ハスロさんは……誰の脛もかじらず、獣みたいに自力で生きてきた人みたいですね」
「……獣と言うか、野良犬ですよ」
「ちょっと失礼」
 晶が軽く、ヴィルの腕に触れてくる。
 まるで静電気を喰らったかの如く、彼女は即座に手を引っ込めた。
「っと……ご、ごめんなさい。こんなにたくさん未来が見える人、初めてで」
「ほう。私の未来を」
 何かが「視える」女性なのではないか、とはヴィルも最初から思っていた。
「興味深いですね。私に……未来などというものが、本当にあるのですか?」
「何通りもありますよ。こんなに分岐点の多い人、初めて見ます」
 そんな事を言いながら晶が、じっと眼差しを向けてくる。
 観察されている、とヴィルは感じた。自分の姿形や服装や外見的特徴、ではない何かを。
「幸せな未来から、破滅の未来まで……よりどりみどり、という感じですね。全てハスロさんの選択次第です。中でも極め付けに不幸な未来が1つ……これは、ひどいですね。死体がたくさん、転がっています」
 死体なら確かに、いくらでも作り上げてきた。
「大勢の人が、貴方に殺されて……そんな有り様の中でハスロさんは1人、佇んでいます。そして……」
 晶が言い淀む。
 ヴィルは微笑み、促した。
「そして?」
「貴方は……御自分の心臓を、掴み出して、握り潰して……」
 愛する者を失った時、お前は同じ光景を作り出すだろう。
 父の最後の言葉が、ヴィルの脳裏に、胸の内に、甦ってくる。
「……これは本当に、最悪の未来ですから。よっぽど選択を間違えない限り、こうはなりません」
 晶は言った。
「もっと、ましな分岐……幸せな未来は、いくらでもあります。これは、まあ言わないでおきましょう。ヴィルさん御自身で、探してみて下さい。何か偉そうな言い方になっちゃいますが」
 言いつつ晶は、ぺこりと頭を下げた。
「それじゃ私、仕事に戻ります。いろいろ変な事言って、すみませんでした」
「いえ……」
 診療所の方へと歩み去って行く晶の後ろ姿を、ヴィルはじっと見送った。
 この街に住み、あのロシア人医師とも親交を保つとなれば、世河晶とも今後、顔を合わせ続ける事になるだろう。
 もしかすると、あの弥生という娘とも。
 戦場よりは平和な街だ、とヴィルは思っていた。
 だが、ある意味、戦場よりも慌ただしい暮らしをする事になるかも知れない。
 ヴィルが思った、その時。ポケットの中で携帯電話が震えた。
『よう、元気にやってるかい?』
「君か」
 ヴィルは苦笑した。いくらか懐かしい相手、ではある。
「あの人には会ったよ。君の事を心配していたぞ? また何か、やらかしているんじゃないか、とね」
『日本でやった程度のやらかしなら、中東でもアフリカでもやってるけどな』
 この男が、日本にいられなくなるほどの一体何をやらかしたのか、ヴィルは知らない。電話で訊いてみる事でもない。
「それより……君が、わざわざ電話をくれたという事は」
『そう、仕事だ。ちょっとバンコクまで来てもらう事になる』
 ゴールデントライアングル近辺での仕事、であろうか。
『日本へ帰れるのは、まあ早くて半年後……もちろん、生きていられたらの話だけどな』


 街の広場に、死体が1つ吊るされた。
 弥生は見ていない。身元どころか年齢・性別すら判然としない状態であったらしい、とは聞いている。
 この街では、大して珍しい事でもない。
 だが弥生は気になった。悪い予感がした。
 そして、それは的中した。
「……何のつもり?」
 弥生は、思わず睨みつけてしまった。
 若者が、札束を差し出してきたのだ。
「お前の金だろ? ま、いくらか利子は付いてる。このくらいで勘弁してやってくれ」
「広場に吊るされた死体って……」
「けじめってやつ、つけなきゃいけねえんでな」
「……血まみれのお金、ってわけね」
「血まみれでもクソまみれでも、お前の金だ」
 若者が、じっと弥生を見つめてくる。真摯な眼差し。何も、変わってはいない。
 真摯な目をしながら彼はしかし、どんな血生臭い事でも出来るようになってしまった。
「受け取れよ弥生……金に、罪はねえ」
「……いくら何でも、利子つけすぎ」
 差し出された札束から、弥生は半分だけ紙幣を引き抜いた。
「残りのお金で、キミの弟分の子たちに……お酒でも飲ませてあげればいいわ。取り返してくれて、ありがとうね」
「お前のために、やったわけじゃねえさ」
 ありきたりな事しか言わない若者に、弥生は背を向けた。
 彼と顔を合わせて話す事など、もう何もないという気がする。
 この若者は、今や立派な大悪党だ。この街の、顔役の1人だ。
 弥生の存在など、もはや必要ない。
 若者の、声だけが追いかけて来た。
「おかしな連中が、街をうろついてやがる。気をつけろよ」
 歩きながら弥生は、振り向かず、ただ片手を上げた。


 街外れ、に近い場所に、廃屋のような一軒家が建っている。そこに、3人家族が住んでいる。
 若い夫婦と、幼い息子だ。
 5歳の男の子で、今は病気で寝込んでいる。
 あのロシア人医師の言いつけで薬を届けた、その帰り道。
 世河晶は、取り囲まれていた。
 影のような黒装束に身を包んだ、男か女か判然としない一団。
 全員がフードを目深に被っており、陰影の中で真紅の眼光を禍々しく灯している。
 うち1人が言った。
「偉大なる串刺し公の末裔……ヴィルヘルム・ハスロ様が、この街におられると聞いた。知らぬか、娘よ」
「……知らないわ」
 晶は答えた。本当の事だ。
 ヴィルヘルム・ハスロの、いくつもの未来を見たのは、もう半年近く前である。その半年間、彼とは1度も会っていない。どうも、街を出てしまった気配がある。
「お役に立てなくて、ごめんなさい。じゃ私はこれで」
「待て、お前にも用がある」
 黒装束の1人が、晶の眼前に回り込んだ。
「世河晶……未来を視る力を持つ娘よ。我々には、その力が必要なのだ」
「我らと共に来い。その力……串刺し公の、末裔たる御方のために」
「ハスロさん嫌がるわよ、そんな呼び方されたら」
 晶は言った。
「貴方たちなんかに、付きまとわれたり、かしずかれたりしたら」
 半年前に見た、彼のいくつもの未来。その中には、確かにあった。
 この黒装束たちに祭り上げられ、魔王として振る舞うヴィルヘルム・ハスロの姿が。
「あの人はね、貴方たちとは縁のない未来を選ぶはずだから」
「わかっておらぬようだな世河晶よ。お前は、我らに逆らう事は出来ぬ」
 黒装束の1人が、背後に立っている。
 それに気付いた瞬間、晶は首筋のあたりに妙なものを感じた。
 何やら温かいものが、激しく噴出している。
 鮮血だった。
 フード内部の陰影の中で口が開き、牙が現れ、晶のたおやかな首筋に背後から突き刺さったところである。
「お前を、我らの同志に加えてやろう」
「未来を視る事の出来る吸血鬼……世河晶よ、お前は最強の存在となるのだ」
 黒装束たちの言葉を聞きながら晶は、致死量を超える血液が凄まじい勢いで吸い取られてゆくのを感じていた。
(私……死ぬ……)
 呆然と、晶は思った。
 自分は死に、そして蘇る。この黒装束たちの仲間、いや奴隷として。
 未来を視る力を、この者たちの思い通りに使われる。このままでは、そうなる。
「させない……!」
 晶は叫び、そして唱えた。
 この地球上から、すでに失われてしまった言語を。
 生涯に1度、死の間際においてのみ発動する力が、晶の中で覚醒し、迸った。
 生命そのものを、消耗し尽くす力。
 それを振るったところで、しかしこの黒装束たちを倒せるわけではない。
 この状況で、自分が助かるわけではないのだ。
(私……ふふっ。自分の未来は、まるで視えていなかったわね……)
 幸せだった。幸せが、もう少し続いてくれても良かった、とは思う。
「……贅沢は、言えないわね。弥生……貴女に、会えたんだもの……」
 呟いた、つもりだが、声が出たのかどうかは、もはやわからない。
(弥生……貴女は、幸せに……)
 あの時、晶は確かに見た。
 ヴィルヘルム・ハスロの、未来の1つ。そこに弥生がいた。
 2人とも、本当に幸せだった。
「なれるわよ……弥生は、絶対……幸せに……私が、視たんだもの……」
 その言葉が弥生に届く事は、もはやない。


 眠っている。
 弥生は、そう思った。思いたかった。
 診療所のベッドの上で、晶は眠っているだけだ。いずれ目を覚ます。
 そう思えてしまうほど、綺麗な屍である。
 幸せな夢でも見ているかのように、晶は穏やかに目を閉ざしている。
「致死量を遥かに超える血液が、抜き取られている」
 ロシア人医師が、重く暗い声を発した。
「私の責任だ……1人で薬を届けになど、行かせるべきではなかった」
「誰が……」
 弥生は呻いた。
 誰が、こんな事をしたのか。それを知って、自分はどうしようと言うのか。
 晶の細い首筋には、おぞましい牙の跡が穿たれている。
「見立て殺人の類ではい。本物の……吸血鬼の、仕業だ」
 ロシア人医師が言った。
「吸血鬼に咬まれながら、しかし吸血鬼になる事もなく、晶は……普通に、死んだ。死の間際に、何かをしたのだろう。自分の力を、吸血鬼に利用させないために」
「吸血鬼……」
 1人の男を、弥生は思い出していた。
 復讐は何も生まない、などというのは綺麗事。車椅子に乗ったその男は、そう言っていた。
 何も生まない復讐という行為に、人生を費やしてしまう。
 そうならないように、何があっても守り抜く。
 弥生はそう心に誓った。そのつもりだったのだ。
 だが、守れなかった。
 ならば、するべき事はもはや1つしかない。
「滅ぼしてやる……」
 涙は、出なかった。
 涙が干上がってしまうほどの怒りが、憎悪が、弥生の中で燃え盛っている。
「吸血鬼なんて連中……この世に、1匹も残さない……! 殺し尽くしてやるッ!」
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2016年07月22日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.