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『Living hell 』
ニノマエ・−8848)&伊武木・リョウ(8411)
「武器庫でサボって寝てたんだって?」
 緊急治療用ポッドの上蓋を開けながら、伊武木・リョウがやさしい笑顔をのぞかせた。「……だったらなんだってんだよ」
 ニノマエは生白い体を起き上がらせ、急いでポッドから這い出した。
 このポッドはホムンクルスの体を短時間で癒やしてくれる優れものだが、残念なことに蓋を内側から開けられない。おかげでこうして見たくもない笑顔を突きつけられることになる。
「親切な同僚が通りかかってくれてよかったねえ。そうでなければ貧血で死んでたよ。あ、そうそう。新しい制服が届いてるからどうぞ」
 ニノマエはしかめっ面で貧弱な体にまとわりつくジェルをタオルでこすり落とし……さらに体をこすり続けた。体中が異様に痒い。
「君の体では今、俺が新しく打ち込んだ強化細胞が細胞分裂中だ。古い細胞を新しい細胞が喰い尽くし、取って換わりつつあるってことだね。完全に置き換わるまでの間は、うん。かなり痒いよ」
「……治してくれるだけでいいんだけどよ」
 乾布摩擦のようにして背中をタオルで掻くニノマエ。これなら普通のタオルじゃなく、ナイロンタオルを用意しておいてほしかった。
「ニノマエ君の古い細胞はね、もう限界だったんだ。染色体の端にあるテロメア――細胞の分裂回数を決める遺伝子のカウンターがゼロになってたんだよ。つまり次に自己修復すれば、その体はドロドロに崩れてた。総取り替えする以外になかったのさ」
 ニノマエに返す言葉はない。
 本来であれば自己修復能力は切り札だ。問題のすべては、それを前提に戦わなければならない彼自身の弱さにある。
「血も全部入れ替えておいたよ。別のホムンクルスの血が混じったせいで、血栓がいくつもできてたからねえ。生き汚いのは君の個性だけど、あまり無茶はしないでほしいなあ」
 押し黙ったまま体をこすり続けるニノマエから目線を外し、リョウは手元の資料を確かめた。
「それにしても武器庫は被害甚大だったねえ。収納されてた武器は全滅。最新鋭の近接航空支援型強化外骨格も持ち逃げされちゃったし」
 よく噛まずに言えるものだと半ば感心しながらニノマエが返す。
「最新鋭ったって試作品だろ。使いもんになんねぇよ」
 武器庫で物を見た複合金属の全身鎧。確かに見栄えはよかったが、装着者の安全を確保できないレベルの高出力発電機が剥き出しになっている兵器など、実戦で使えるものか。早々に撃ち落とされ、自分の背中から漏れ出した電撃で自爆するのがオチだ。
「ああ。持ち逃げした犯人は見事に丸焦げ。事情聴取はできなかったそうだよ」
 もうオチてたのかよ……。ニノマエがげんなりと眉間の皺を深くしたとき。
「君がこんなにひどい怪我を負うのも久々だね。あのとき以来か」

 今回のような事件は、さまざまな外敵に狙われるこの研究所にとってめずらしいものではない。が、中には所史に残る規模のものがいくつかあり、そのひとつにニノマエも投入されたことがある。
 まったくひどい戦いだった。それだけでなく、今のニノマエが考えてもニノマエの戦いぶりは拙かった。結果としてニノマエは重傷を負い――廃棄処分されかけた。それを救ったのが「アニキ」と彼が慕うホムンクルスであり、このリョウだったのだ。
『死ぬよりも痛くて辛い目に合うだろうけど、それでも生きてみるかい?』
 異能ホムンクルス培養チームの研究員だという彼は、今と変わらない笑顔でそう訊いてきたものだ。
『俺はもう負けねぇ! 安らかに死んでるヒマなんかねぇんだよ!』
 ニノマエの返事に笑みを深め、リョウはうなずいた。
『ならば共に行こう。地獄よりも深く、赤い――生き地獄へね』
 リョウはニノマエを緊急治療ポッドに押し込んで癒やし、さらなる能力を埋め込んだ。ニノマエが生き地獄でのたうちまわれるだけの力を。研究室になだれ込んできた敵と、その知恵だけで渡り合いながら。
 かくして生き長らえたニノマエは、毎週月曜日に「緊急治療ポッドの上蓋を内側から開けられるよう改造しろ」と申請し続けている。

「……あのときよりマシだ」
 不機嫌な手で首筋を掻き、ニノマエがつぶやいた。
「まあ、ここまで敵はたどり着けなかったしねえ」
 リョウが遠くを見透かすようにすがめた両目を天井へ向け、ため息をついた。
「脱走しようとしていた子たちは、この研究室のことを襲撃してきた連中に言わなかったのかな」
 異能ホムンクルス培養プラントの実用化、その実績を買われて研究室長の位を与えられたこの男が棲まう研究室。ここが潰されれば、研究所はホムンクルスという兵器のすべてを失うことになる。
 そしてこの、酔狂にもホムンクルスへの遺伝子提供を積極的に行っている室長を殺しさえすれば、多くのホムンクルスは強化と再生のための材料および手段を失うことになるのだ。
「知らねぇけどよ」
 続く言葉を、ニノマエは喉の奥で吐き捨てる。
 ――あいつらは言ってねぇよ。その気だったら、告げ口する前に殺してんだろ。
 脱走を目論み、襲撃者を研究所の内へ引き込んだあげく武器庫の研究所員を皆殺しにした2体のホムンクルスは、リョウの遺伝子情報を与えられた個体だ。
 設計と育成を他の所員が担当したことから、結果として偏った能力と心体を持つに至った2体。リョウのメンテナンスとケアがなければ、彼らは早々に処分されていただろう。
 ニノマエに2体の心情などわかるはずがないのだが。
 彼らはリョウを親のように慕っていたのだろうと思う。ニノマエが「アニキ」を慕うのと同じほどに――いや、おそらくはそれ以上に強く、純粋にだ。
 リョウを置いて逃げようとした彼らだが、親を裏切ったわけじゃない。
 知っていたのだ。リョウの笑顔の裏側に在る人外の狂貌を。リョウという男がこの研究所の奥底でしか笑えない、生き地獄のどん底で這いずる以外に生きる術を知らぬ鬼だということを。
「……殺すほど憎くなかったんじゃねぇのか? あいつらの世話、してたんだろ」
 ニノマエがやっと音にした言葉に、リョウはさらりと答えてみせた。
「俺は俺が関わった子の面倒を最後まで見る主義だからねえ」
 リョウにはホムンクルスへの情がある。おそろしく歪み、ねじれたその情が、ホムンクルスの弱い心を縛りつけて離さない。
「だから君の面倒も最後まで見るさ。俺に最期が来るまでね」
 ――俺らホムンクルスは、鬼に言われて石を積む。石が崩れてもう1回。誰かが壊れてもう1回。崩れるたび、壊れるたび、笑顔の鬼に送り出されて、何度だって積みなおす。
 ニノマエは大きく頭を振り、自分の心に忍び寄るリョウの笑みを払い退けた。
「生んでもらった覚えはねぇよ」
 この笑顔にすがったらおしまいだ。俺が俺でなくなっちまったら、俺は……。
「残念ながらもう遅いねえ――と、戯れ言はこのくらいにしておこうか。来たまえよ、君の神経が体細胞にどれくらいなじんでるかチェックするから」
 ニノマエは渋々立ち上がり、診察ベッドの上に身を投げた。何度経験しても、細長い電気針を大量に打ちこまれる感触には慣れないものだ。想像するだけで眉間の皺が――
「皺が深くなってる。子どもじゃないんだからさ、いいかげん顔に出すのはやめなさい」
「うるせぇよ!」
 ……。
 ……。
 ……。
「痛ぇんだけど!?」
 電気刺激に神経をまさぐられる不愉快な痛みに苛まれ、ニノマエがたまらず声をあげた。
「かゆいよりいいだろう? 斬られるより折られるより痛くもない」
 それはそうかもしれないが……ニノマエはいらいらと言葉を重ねた。
「ホムンクルスが痛ぇとか感じる必要、あるのか? いらねぇだろ、痛覚なんてよ」
 痛みのせいで足が止まる。痛みのせいで伸ばした手が落ちる。痛みのせいで肚をくくることを迷う……痛みさえ感じなければ、ニノマエだってもう少しうまく殺せるはずだ。
「難しいね。感覚というものが全部そろって初めて五感は機能するんだ。痛みが消えればほかの感覚だけじゃなく、五感そのものに影響が出る可能性が高い」
 電圧を上げてニノマエの口を引きつらせておきながら、リョウは悠然と言い終えた。
「ホ、ムンクルスは――人形、だろ」
 まるで人間を扱うように言うリョウの笑顔がたまらなく腹立たしくて、ニノマエは思わず吐き出した。
 対するリョウは笑みをかすかに陰らせ、静かに。
「人形使いが入り用ならよそへ行くといい。あっさり使い捨てられて死ねるだろう。それが君の本望ならね」
 ニノマエは思い知る。
 ホムンクルスは人形だ。人間の都合で命のようなものを吹き込まれ、異形の力を注入されて使い捨てられる。ただそれだけの存在だ。しかし。
「俺はホムンクルスを生み出し続けて、面倒を見続ける。死んだら生き地獄の底から地獄の底へ住処を変えて、今度は死んでいった子たちの恨みに苛まれるだけさ」
 神が己の創りし人へと限りない愛をそそぐように、この男は己が造りしホムンクルスへ限りない愛をそそごうと狂った覚悟を決めている。
 だとすれば、造られしホムンクルスが造りし人に返すものは……。
「そんな簡単に死なせてやんねぇよ。地獄よか生き地獄のほうが赤くて深いんだろ」
 それはあのときリョウが口にしたフレーズ。
 リョウは笑みを歪め――大きくかぶりを振った。
「正しくは、地獄よりも深く赤い生き地獄。だね」
 どこだっていいさ。なんだっていい。
 おまえがホムンクルスにおまえの全部をくれるってなら、ホムンクルスの俺はそいつをもらって生き延びるだけだ。だから、おまえが俺を生かしてくれる間は俺がおまえを守る。たったそれだけの、簡単な話だ。

 すべての検査を終えたニノマエが、新しい制服を着込んで立ち上がる。
「これを持っていけ」
 リョウが放ってきたのは例の万歩計だった。
「こんなのいらねぇよ――って、カウントがゼロになってんじゃねぇか! 俺の4万歩はどこ行ったんだよ!?」
 怒るニノマエに、リョウはかわらぬ笑みを投げ。
「生まれ変わった君の新しい一歩を刻んでくれたまえ、って親心さ」
 ニノマエは眉間の皺を深め、舌打ち。足早に研究室を後にする。
 腰につけなおした万歩計のカウントがその間にも進んでいき……その分だけ自分が新しい未来とやらへ向かっている気がして、ニノマエは苦い息を吐き出すのだった。
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東京怪談
2016年07月25日

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