『別れの夜 』

葛井　千桂（aa1076）

　葛井　千桂はとある戦いで重体になってしまい、しばらくの間、勤めているレストランに出勤することができなかった。
　怪我が完治したので久し振りにレストランに顔を出すと、仕事仲間達は心配しながらもあたたかく迎え入れてくれる。
　しかし今後のことについて悩んでいることを上司に見破られて、閉店後、仕事仲間達が帰った後の一時間だけレストランを千桂一人に貸し切ると言ってくれた。
「気をつかわれましたかねぇ」
　千桂は少しだけ苦しそうに笑いながら、窓際の席に座る。
　そして復帰祝いとして貰ったワインを開けて、ワイングラスに注ぐ。
「ある意味、とても贅沢な時間かもしれません。こんなにゆっくり過ごすことなんて、最近はあまりありませんでしたからね」
　ワイングラスを持つと、千桂はゆっくりと回す。
　閉店後のレストランは最低限の明かりしかついておらず、そのせいかワインの色が血の色に見えてしまう。
　千桂は重いため息を吐くと、ワイングラスをテーブルに置く。
「……いつの間に、こんなに弱くなってしまったんでしょうかね。歳のせいとは思いたくありませんけど」
　クスッと笑いながら、千桂は窓の外に視線を向ける。
　

　――千桂は勤め先のレストランに来る前に、既に全ての手続きを終えてきた。
　千桂にとっては最後の戦いとなったあの一件で、重体になってしまったことが切っ掛けになる。　
　病院で治療を受けている間、千桂は自分の中の何かが折れてしまっていることに気付く。
　それは戦いへ向ける勇気――。
　どんなに厳しく辛い戦いでも立ち向かおうとする勇気が、自分の中から消えてしまったことに気付いたのだ。
　それはすなわち、心が折れてしまったということ。
　戦う勇気無き者が戦場に立つことは、決してあってはならない。
　千桂自身だけではなく、大切な仲間達をも危険に巻き込んでしまうからだ。
　戦う勇気が消え去ったのならば決断することはただ一つ――、引退しかない。


「所属していたチームとH.O.P.E．にも引退届は出してきましたし、何だか寂しいようなスッキリしてしまったような、複雑な気分です」
　そしてこれからは戦いに参加しなくてもよくなった自分自身に、どこかホッとしている。
　チームの仲間達は惜しんでくれたものの、千桂の気持ちを察してか、下手に引き留めることはなかった。
　H.O.P.E.の人達は事務的に、手続きをしてくれた。引退する者達の対応に慣れているからだろうか、感情的ではないその態度が今の千桂にはありがたかったのだ。
「これまでチームのお役に立てたかどうかは分かりませんけど、とりあえずけじめはつけられましたね。エージェントとしての引退は、まあこれで良いんでしょうけど……」
　千桂の頭の中に、自分のパートナーの英雄の姿が浮かぶ。
　彼女が失った名前・力・記憶を取り戻すことを目標としていることを知りながらも、その手段を大幅に失ってしまうことをしてしまった。
　組織に属していれば、様々な人達と出会うことがあるし、情報も手に入れることができる。
　彼女のことを思えば、組織にずっと所属していた方が良いことは明らかだったのだが……。
「『それでも命あっての物種ですよ』――と、彼女は言ってくれましたっけ」
　エージェントとして、他にもやり遂げたかったことは数多くある。
　しかし一度折れてしまった心は、現場へ復帰する勇気を与えてはくれない。
「……もう考えるのはよしましょう。全ては終えてしまったことですし、別に縁まで終わったわけではありませんから」
　同じ世界に暮らしているので、時々は元仲間達とも会うことがあるだろう。
　例え生きる道が違っても、生きる世界は同じである。
　千桂は再びワイングラスを持つと、夜空に浮かぶ月と星々へ視線を向けた。
「みなさんのご活躍を願って」
　少しだけ寂しそうに微笑みながら、千桂はワインを飲む。
　これから千桂は一般人として、穏やかに生きていくつもりだ。その中で、新たな生きる目標や夢が見つかるだろう。
　もうエージェントではなくなったとしても、人々の笑顔を守ることはできる。
　今はまだエージェントを引退した寂しさが胸を締め付けるけれど、時が経てばいつか輝かしい思い出として誰かに語ることができるだろう。
　それまでは痛む心を抱きながらも、前へ進もうと千桂は思った。

【終わり】　


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa1076／葛井　千桂／女性／２４歳／人間】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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　このたびはご指名してくださり、ありがとうございました（ぺこり）。
　楽しんで読んでいただければ、幸いです。

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2016年08月08日