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『夜闇には朝日を、夜明けに希望を 』
和紗・S・ルフトハイトjb6970

***

 夢を見た。
 床に伏してばかりの幼き日々を。

 ふすまの向こう。床から眺める外の景色は、四季によって彩りを変えていけども、大元は同じ景色だということに変わりがない。
 本でいくら知識を得ようと、この景色から向こうを想像することしかできず、自分の足で見に行くことすら叶わない脆弱な体が怨めしかった。
 こんな自分に何ができるのか。迷惑をかけることなく生きることができるのか。
 本当に自分はここに居ていいのだろうか。この世界で生きる価値はあるのだろうか。そもそも生きていてよかったのか。誰かの役に立てる時は来るのだろうか。
 手の届く範囲、思考できる範囲で必死に努力しても答えは見つからない。
 確証が持てない、地に足が着いていないふわふわとした感覚。自分の居場所はここでいいのかという不安と、劣等感。

 役に立たないと捨てられてしまう日が来ることが――絶望するほどに怖かった。
 
 ふと目が覚めたのは、夏の空が白み始める少し前。蝉の声すら寝静まっている世界は耳鳴りさえ起こしそうな静寂が広がっていく。
 星々が消えて月が沈む一瞬。一日の中で一番暗い時刻。
 どこかひんやりと冷めた空気が、樒 和紗(jb6970)を夢の淵から現実へと引き戻した。
 おもむろに持ち上げられた瞼の下からのぞくのは、夕闇と夜闇の境をした紫の双眸。どこか虚ろな瞳は、最初に窓の外の景色を見て、時計をみる。
 ここは何処だろうかと一瞬考えて混乱したのは、直前に見た夢のせいだ。
 窓枠の向こうの景色が、幼い頃に自分を囲っていたふすまと重なる。
 ただただ暗い外の世界は、幼き日々に見慣れてしまった庭の景色のようにも思えた。
 不安が怖気ととなって肌を逆なでし、居心地が悪くなって床から上半身を起こす。布団から抜け出た肌がひんやりとしたのは、寝汗のせい。
 藍色染める夜空を閉じこめた、長く癖のない髪が白いシーツを流れるように這い、前髪が瞳を隠すように揺れた。
 和紗の視線は窓を向いて止まる。
 夜明け前の吸い込まれそうな無音の世界。一日の終わり、明日へ切り替わる時間帯。カチカチ響く時計の針だけが、時間が動いていることを知らせている。

 光のない外の世界は先の見えない未来のようで怖かった。
 果たして、自分に明日はあるのだろうか。そう悩んだ幼き日々を思い出すから。
 深く息を吸い込み、吐き出す。体の不調はないけれど、淀んだ空気と不安で満たされてしまった肺を空っぽにする術はない。
 何度か深呼吸和しても不安に苛まれた心は和らぐことなく。
 自分の呼吸の息づかいと、なお時を刻み続ける時計だけが部屋の空気をふるわせた。

「まだ、だめですね……」

 つぶいて床から出ようと立ち上がる。
 暖められていた熱が、床の冷たさに奪われる感覚が心地いい。
 窓に歩み寄り、鍵をはずして窓を開くと、熱気を奪われた風が部屋に吹き込んで頬と髪を撫でていく。
 まとわりつくような空気が払拭されて、少しだけ気分が軽くなった気がした。
 窓枠に少しだけ体重を預けて外の景色を眺める。目が闇に慣れてくれば、おぼろげにだが景色がわかった。
 今の自分には見えている景色の先へ歩いていけるし、自分の目で見てそれを絵として書き起こすことができる。そんな安心感をほんの少し取り戻せたような気がした。

 暗闇の空の端が白んでくる。朝日が昇ってくる合図だ。
 移り変わる時間のその流れに、自分はいつまでついていけるのか。
 すぐそばにあった死の恐怖。何の役にも立てぬまま終わってしまうのではないかという不安に呑まれそうだった。

 跡取りとして産まれた和紗は、女であるにも関わらず長男として育てられてきた。しかし、その運命に反して体が弱く、床に伏してばかり。
 両親に迷惑をかけたという罪悪感から、せめて体が弱くても出来る事をと勉学と読書に励んだ。体力はなくとも、知識は役立てることが出来ると信じて床で本ばかりを開いていた。
 しかし、そんな努力も弟が産まれて無に帰した。
 跡取りは当然、本当の男である弟になる。
 今まで男として生きてきた和紗は、はじめて女である事実を突きつけられた。
 乳のみ子である弟を抱えた両親に告げられたときは、「用済み」という宣告を受けたような心地さえしたのだ。
 望まれた男ですらない自分は、いったい何のためにここにいるのか。そう落胆したあの時の絶望感は、昨日のことのように思い出せる。
 跡取りにもなれなくなった自分にどのような価値があるだろうか。
 弟や家族を恨むことはなかったが、恨めたらまだ楽だったかもしれない。
 弟を愛し、可愛がる気持ちの傍ら、生きて笑ってくれるのが嬉しいと思えば思うほど、和紗自身に対しての価値が見えなくなっていく。
 後ろ向きの考えは毒のように心を侵して、その苦しみから逃れるためにますます勉学にののめり込み、体面だけは恥じぬようにと礼節を心に刻み込んだ。
 がむしゃらにあがいた先で、自分の存在価値を見いだせる期待をしていたのかもしれない。

 希望が見えたのは、高校一年の頃。
 和紗にアウルが発現した。それが人生の分岐点。
 けれど希望が見える反面、自分が撃退士となって役立てる自信はまるでなかった。
 自己評価の低さは自覚していたが、また現実に打ちのめされてしまうのが怖かったのだ。
 だからこそ、撃退士として踏み出す決意をするのには時間がかかった。
 今度こそ、と願ってやっと踏み出せた一歩を、家族はそっと送り出してくれた。
 その優しさは追い風となってくれたのか――。
 外を知り、人と関わりを持ち、様々な関係や価値観を知って、今の和紗がある。
 それは大事なもので、かけがえのない絆だ。しかし、それでも自分に自信を持つことは難しかった。

 白んでいた空が、物思いに耽っている間に蒼く色付いていく。朝日だ。
 遠くから車の過ぎ去る音がする。雀が何処かで鳴いている。
 無音の夜。死さえ予感させる夜が、音で色づいていく生の朝へ。
 また一日が始まる。
 今日も、こんな自分が誰かの役に立てるだろうか。
 抱えきれない不安に頭をふる。ふと、隣の部屋の窓が目に入った。
 隣はバイト仲間の部屋だ。
 住み込みバーテンダーとして働く自分の先輩にあたる青年が住んでいる。彼はまだ寝ているだろうか?

「――俺如きじゃ、ない」

 彼からもらった言葉を反復した。
 自分がこぼした言葉の否定。けれど存在の肯定。一緒にもらったぬくもりを思い出して、自然と不安が和らいだ気がする。 
 そっと窓から離れて、彼の部屋と自分の部屋を隔てる壁に身を預けた。
 直接会いに行くにはまだ時間は早い。そっと両手を壁に当てて耳を寄せる。

「……ありがとう、ございます」

 感謝の言葉は寝ている彼に届かないけれど、こうしていればあの夜と同じ心音が聞こえてくる気さえした。

 不安を払拭するおまじない。
 家族に向けた言の葉。
 少しだけ高鳴る自分の心音の意味を、夜闇を纏う少女はまだ知らない。
 
 その感情はまだ蕾のまま。
 いつ花を咲かせるか、どんな花になるのかもわからないだろう。
 淡い色の蕾が花開いたとき、それがどんな形にしろ――少女はまた自分の価値を一つ、見い出すのかもしれない。 



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb6970 / 樒 和紗 / 女 / 19 / 扶桑の枝】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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夜闇色を纏う少女に、朝日の祝福を。

 水無瀬紫織
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エリュシオン
2016年08月10日

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