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『長雨 』
榛名 縁aa1575

 ほんの少し、前の事。
 やがてH.O.P.E.のエージェントとして、騎士として、自ら槍を取る前の。
 誰にも心通わせる事なく、手を取り合う事なく、縁を結ぶ事のない――ある気の好い若者が、まだ、ひとりきりだった頃の。


 注いでは、ぼとぼとと、窓を、胸を重苦しく叩く。
 合間を縫って、しとしとと、棟を伝い静かに流れ落ちる。
「洗濯物、……干せない、や」
 仄暗く、他に誰もいない自室で独りごちて、少し古ぼけた枠の洋窓から外を、眺め。
 その向こうの景色に伸ばすように、泣き濡れた硝子を慰めるように、頬に触れるように、手を添えて。
 榛名縁は息をついた。
 一時間に三十ミリ以上五十ミリ未満――よく“バケツをひっくり返したような”と表現される、事実一歩屋外に踏み出そうものならたちまち濡れ鼠となるほど、激しく。
 五月雨は、いつだって唐突に始まる。
 いつまでも続き、いつもながら物事の見通しを、目を、曇らせて、気を塞ぐ。
 水気とてけぶる。
 必ずしも清かでないそれは、鎖された屋根の下にもあまねく満ち足りる。
 まして数センチ隔てた先に絶えず湛えていれば、たとえそのものに触れずとも。
 けぶれば匂い、匂いは記憶を呼んだ。
 記憶は五感に通じ、望むと望まざると、足りないものを補おうとする。
 たとえば――ここからは、庭を望む事ができた。
 晴れていれば陽だまりとなる草木に恵まれたその場所は、野良猫や小鳥の人気を集めている。
 そして縁にとっては、両親との絆そのもの。
 だが、美しい思い出さえ今はこの窓に阻まれ、夥しい水滴に色は薄まりゆくようで。

 幼き日。
 美しく、けれど屈託なく微笑む母を、泣きながら見上げた。
 うららかな春、花の彩りに気をとられて転んだ自分を、彼女は優しく包み込んだ。
 あの人は日向の匂いがしたような気がしたけれど、うまく思い出せなかった。

 今にして思えば決して広くはない隅々まで、父の頼もしく大きな手に率いられ、大冒険を繰り広げた。
 多くのものを発見し、様々な出来事があり、数多不測の事態に陥っては乗り越え、そのたびに地図に記し、彼に褒められた。
 その事が嬉しくて、沢山の事を学んだ。
 土と、草と、木と、葉と、風と――なんだっただろう。

 わざわざテーブルを出して、三人で昼食に興じた事もある。
 いつもよりずっと美味しく、また楽しい食事だった。
 誰が言い出した?
 献立は?

 長ずれば同級生にからかわれた女性的な名と容姿を、彼らとの接し方を、悩みもした。
 それらを授けた父に、母に、打ち明けて――時にはぶつかって――多くを語らった。
 結局のところ、ある種のコンプレックスは拭い切れなかったが、両親に感謝こそすれ、恨む事などなかった。
 真っ直ぐな愛情を注いでくれていた事が、はっきりと伝わってきたから。
 これからもそうだと、信じられたから。
 縁もまた、彼らを愛していたから。
 夕闇の少し冷えた空気を、胸いっぱい吸い込んだ、ような。

 いずれ、そこに在る自分は、いつも両親と一緒だった。
 明るくて、鮮やかで、希望に満ち溢れていた、大切な光の庭。
 きっと傍目にはごくありふれた、けれど縁にとっては掛け替えのない、幸福の日々。

 なのに――。

 ひとつひとつの情景も、今は窓の向こう側。
 そこには無情にして無数の雫が降り注いでいるせいで、よく見えない。
 二人が唐突にこの世を去った、その厳然たる事実さえ。
 夢にさえ観ないのに、この時期は、こんな午後は、ずっと胸がいっぱいになる。
 苛むでもなく、打ちひしがれるでもなく、ただただ、懐かしく、侘しく。
 飛び出していけばあるいは――時折湧き起こる子供じみた情動も、流れて褪めてしまいそうな気がして。
 大体そんな事をしたら、何もかも分からなくなってしまうに違いない。
 目の前の――雨の中の――自分が、こちらを見ながら苦笑いを浮かべた。
 ひとりになってからと言うもの、縁はひたすら忙しく過ごした。
 受け継いだこの老朽化の進んだアパートを切り盛りし、店子の家賃では維持費のみでやっとという状況を打破すべく、外に働きに出て日々の糧とした。
 思い出の詰まったこの建物を、この景色を守りたかった。
 両親の記憶はいつも自分の視点ではなく、窓から見える景色によみがえったから。
 忘れたくない大切な筈のそれらは、しかし多忙なら正視しなくなる。
 同じ理由で、名に反し、あるいは名が仇となって浅かった他人との縁を一層顧みなくなる。
 突き放しはしないが、歩み寄る事もない。
 その矛盾に。
 孤独に。
 喪くす事への恐怖に。
 縁は気づかない。
 何もかも、それさえも、雨が包み晦ませているのか。
「いつ、止むのかな」
 また声に出して、物思いに耽っていた事だけを、やっと気がついた。
 雨はより激しくなり、世界はますます色を失くして見えづらくなり、消えゆくよう。
 でも、少しでも克明に焼き付けておきたくて、少しも零したくなくて。
 だから、今日も縁は窓辺に留まっている。
 降り続く限り。
 止まない雨はないと謂うけれど。
「……本当か、な」
 疑いも祈りも伴わず、ただ、無為に問うた。

 いつ果てるとも知れない、色褪せた長雨に、ひとり。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 aa1575 / 榛名 縁 / 男 / 20歳 / 水鏡 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 いつもお世話になっております、藤たくみです。
 みそひともじに綴られた想いのような、水面を描く大役のご指名、光栄に思います。
 縁様にとって、ご両親を亡くして以来、雨季の窓辺に見えるものこそが原風景なのでしょう。
 それは物質的に存在しながらもご自身の内面そのものと捉え、どちらが本物かさえ曖昧になのではないかなと思いながら、しっとりと筆を執らせていただきました。
(図らずもMSとして差し上げました“水鏡”と本物のように、と申し上げるべきでしょうか)
 ご指定の素晴らしいイラストに少しでも相応しく仕上がっておりましたら幸いです。
 このたびのご注文、まことにありがとうございました。
 またご縁がありましたら。
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2016年08月17日

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