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『ヴァンパイア・ハンターの誕生 』
ヴィルヘルム・ハスロ8555)&弥生・ハスロ(8556)


 人が死んだ、などという事を冗談で言うような男ではない。
 だがヴィルヘルム・ハスロは、聞き返さずにはいられなかった。
「死んだ……彼女が? それは……本当、なのですか……」
「……殺された、と言うべきかな。この街じゃ、よくある事さ」
 熊のような巨体に白衣を引っ掛けたロシア人医師が、重く暗い声を発する。
 彼の経営する診療所。ヴィルが、帰国の挨拶に訪れたところである。
「それにしても……半年ぶり、くらいかな。よくまあ生きてこの街に戻って来てくれた」
「まずは貴方に、そして彼女にも御挨拶を、と思ったのですが……」
 半年ぶりの、日本である。
 この半年間、タイで、ラオスで、ミャンマーで、仕事をしていた。
 ゴールデン・トライアングル一帯を血で染め上げる、苛酷な戦闘任務となった。
 様々な軍閥・武装勢力の、戦闘員を、幹部を、支援者を、大いに殺戮した。
 何人殺したかなど、覚えていない。
 そんな自分が日本へ帰って来た途端、たった1人の人間の死に、こうして心打ちのめされている。
 こういうものなのだ、とヴィルは思う。
「彼女が、殺された……一体、誰に?」
「知ってどうする。仇でも、討ってくれるのかな」
 ロシア人の町医者が、厳つい顔で力なく微笑む。
 お前は彼女にとって、何者でもない。仇を討つなど、おこがましい。
 そう言われているのだ、とヴィルは思った。
 確かに彼女とは、何度か会話を交わしただけの間柄である。
 ヴィルとは、取るに足らぬ会話を交わしただけ。そんな女性なら、この街にもう1人いる。
 特に理由はない。だがヴィルは訊いた。
「彼女の……親友とも言える女性が、いたと思うのですが」
「いなくなっちまったよ」
 町医者は答えた。
 熊を思わせる厳つい髭面が、随分とやつれている事にヴィルは今、気付いた。
「死んだわけじゃあない。ただ、いなくなった……姿を、消しただけだ。闇に紛れて何をしようとしてるのか、まあ想像はつく」
 心労の浮かび上がった髭面が、力なく天井を見上げる。屋外であれば、空を見上げているところであろう。
「なあヴィルヘルム・ハスロ氏よ……復讐は何も生まない、復讐に意味はない、ってのは本当だと思うかい?」
「世の全ての人々がそう思えるようになれば、地球上の戦争は少なくとも半分に減るでしょうね」
 ヴィルは微笑んで見せた。
 故郷を奪われた。利権を失った。撃たれた。殴られた。侮辱された。理不尽な目に遭わされた。愛する者を、殺された。
 その憎しみは、第三者がどう綺麗事を謳ったところで消えるものではない。
 だから人は銃を持ち、武装勢力を結成し、憎い相手を殺し尽くすまで戦い続けるのだ。
 あの女性も、そうなのか。
 ヴィルの脳裏に、まぶたの裏に、鮮明に焼き付いている。
 悪魔が翼をはためかせるかの如く、黒いワンピースドレスをはしたなく翻して跳び駆ける、美しく禍々しい魔女の姿。
 彼女が、何も生まぬ復讐の戦いに身を投じたとして、自分に何か出来る事などあるのか。
 綺麗事を言って、復讐を止めるのか。軽々しく図々しく共感し、復讐を手伝うのか。
 ただ1度、会話を交わしただけの他人に、そこまで差し出がましい事をする理由が、資格が、自分のどこにあると言うのか。
 ヴィルは、己を嘲笑った。
(他人のために何かをする……これ以上の、思い上がりはないな)


「お中元……なのかしらね」
 半ば灰になりかけた屍の群れに、弥生は言葉をかけた。
「私が日頃お世話になってる魔界の方々がね、とにかく汚れた魂が大好物なわけ。だからキミたちなんか、うってつけよ? 生け贄としては、ね」
 東京、区内。とあるビルの屋上である。
 このビルで違法な金融業を営んでいた男たちが、屋上のあちこちで倒れ伏し、焦げ臭い煙を発している。
 弥生は反省した。火事を警戒しすぎたせいか、いくらか中途半端な火力になってしまった。
 さらさらと綺麗な遺灰に変えてやる事が出来なかった。無様な焼死体が、残ってしまった。
 中途半端な火葬の有り様を、月明かりが凄惨に照らし出している。
 見回しながら、弥生は佇んでいた。
 降り注ぐ月光の中、艶やかな黒色が微かな夜風を受け、ふわりと舞いはためいている。長い黒髪と、黒のワンピースドレス。
 黒が、好きだった。
 なのに今になって、今日は赤系統の服にしておけば良かった、などと思い始めている自分に弥生は気付いた。
 今日は、黒よりも赤。そんな気分なのだ。
「ふふん、どうかしてるわ。血の色が大好きなんて……まるで、キミたちじゃない。ねえ?」
「っぐ……ッ! ……てっ……てめえ……」
 中途半端に火葬された男の1人が、辛うじて声を発した。
 黒焦げの肉体が、ぼろぼろと崩れ始めている。とても生きていられる状態ではない。人間ならば、だ。
「俺たちが、何者か知って……殴り込んで来やがったってぇのか……」
「一つ、人の世の生き血をすすり……だったかしら?」
 昔、養父に見せられた時代劇を、弥生はふと思い出していた。
「弱い人たちを踏みにじるような商売しながら、リアルな意味でも血を吸ってる……調べはついてるのよ」
 この金融業者に金を借りた人々が、ことごとく行方不明になっている。
 うち何人かを、助け出したところである。このビルの地下に監禁されていたのだ。それも、食料として。
「ねえ……人の生き血って、そんなに美味しい?」
 弥生は訊いたが、別に答えを求めているわけではない。
「あの子の血……そんなに美味しかった?」
「愚かな……人間の分際で、我らに戦いを挑むなど……」
 焼死体、と言うよりもはや遺灰の塊となりかけている、別の男が言った。
「このようなもの……貴様たちにとって、束の間の勝利ですらない……我らの同胞はな、この人間どもの社会に……すでに、根を張り巡らせている……」
「後はな、帝王を! 統率者を! 戴くだけよ!」
 死にかけた吸血鬼たちが口々に、最後の叫びを発している。
「偉大なる、串刺し公の御血筋を受け継ぎし……この世で最も気高く邪悪なる御方が、すでに現臨あそばされて……ッ!」
「その御方をなぁ、俺たちの帝王としてお迎えする……吸血鬼の帝国が、誕生するってぇワケだ……てめえらの、この人間社会ってぇやつの中からなあ」
「人間社会の闇は、我らが潜むのに実に都合が良い……せいぜい気をつけるのだなぁ。貴様らの隣に、背後に、足元に、我々はいる……」
「良き隣人が……いつの間にか、我らとすり替わっている……その恐怖を思い知るがいい……」
 全て、戯言だった。
 帝王、統率者、串刺し公の血筋。それら単語だけを、弥生は心の内にとどめた。
「……親玉がいる、ってわけね。この連中の……」
 上位の吸血鬼には、灰に変えても蘇ってくるような者がいるらしい。
 ここの吸血鬼たちは、しかしそこまでの大物ではなかった。
 こうして黒魔術の炎で1度、焼き殺す。それだけで全ての生命力を失ってしまうような、言ってみれば雑魚ばかりだ。
 言うだけ言って息絶えた吸血鬼たちの、焼死体あるいは遺灰の塊を、弥生はじっと見回した。
 この者たちが帝王・統率者として仰ぐ何者かが、どうやら存在する。
 弥生としては当然、討ち滅ぼすだけだ。
「親玉も、雑魚も、1匹残らず……吸血鬼なんて連中、この世に残しはしない……っ!」
「出来るのかい、お前に」
 声が聞こえた。
 何者なのか、弥生は見回して探したりはしなかった。
 その声は、自分の中から聞こえたからだ。自分にしか、聞こえない声なのだ。
「人間と同じさ。この吸血鬼って連中にも、いろいろいる……自分の在り方に悩んで絶望しながら、それでも人間と共存したい、生きてゆきたい。そんなふうに考えてる奴だって、いるかも知れない。殺せるのかい? それ系の連中を、こいつらと同じように」
「いるわけがない。そんな吸血鬼」
 弥生は即答し、そして問いかけた。
「……キミは誰。私の心に、勝手に住み着かないで欲しいんだけど」
「勝手に住み着いてるわけじゃあない。心の中で僕を育ててきたのは、お前だよ。なのに、よくも今まで……見て見ぬ振りを、してくれた」
 赤い服にすれば良かった。弥生はまた、そんな事を思っていた。
 今は黒ではなく、猛烈に赤が欲しい。思いきり、血の色をまとってみたい。
 弥生はそう思った。否、それは弥生の願望ではなかった。
 弥生の中から話しかけてくる何者かが、怨念の如く燃やしている願望だ。
「僕は……人であれば誰もが必ず心の奥底に飼い繋ぎ、見て見ぬ振りをし続けるもの」
 その言葉は、弥生自身の唇から紡ぎ出されていた。
「お前はそれを、ここまで育て上げてしまった……独学で、黒魔術なんかに手を出すからさ」
 自身に話しかけながら弥生は、己の黒髪をそっと撫でた。
 赤く染めよう。あるいは、真っ赤なウィッグを被ってみるか。
 そんな気分だった。
「そして、この憎しみ……復讐を望む心が、僕を完全に目覚めさせてしまった。もう見て見ぬ振りはさせない。安心しなよ、お前の復讐は僕が引き継いでやる。善い吸血鬼、かわいそうな吸血鬼、まとめて滅ぼしてやる」
 瞳も、赤くしたい。カラーコンタクトでもするしかない、と弥生は思った。
 否、弥生ではない。
「お前の復讐は、僕が成し遂げる……そうして僕は、お前になるのさ」
 弥生であって弥生ではない何者かが今、月光の中に佇んでいた。


 心臓あるいは『第3の目』を、正確に穿つ。
 吸血鬼を倒す、最も手っ取り早い手段である。
 高位の吸血鬼が相手であれば、心臓に打ち込むための武器も、例えば聖なる術式を施された純銀の刃・弾丸でなければならなかったりする。
 幸い、この吸血鬼たちは、そこまでの相手ではない。普通のナイフで充分だった。
「ぐっ……わ……我らを……」
 あの診療院から、それほど遠くはない街角の、路地裏である。
 男が3人、倒れていた。
 全員、左胸に深々とナイフが突き刺さっている。
 鋭い牙を、己の吐血で汚しながら、彼らは死に際の言葉を絞り出した。
「わ……我らを……」
「……導いては……下さらないのですか……」
「偉大なる……串刺し公の、御血筋を受け継ぐ御方よ……我らを、見捨てるのですか……」
 3つの心臓を抉った、その手応えが右手に残っている。
 握り締めながら、ヴィルヘルム・ハスロは言い放った。
「……お前たちは、導かれなければ何も出来ないのか。すでに滅びた者の血統にすがらなければ、己の存在を確かめる事すら出来ないのか?」
「我らには……魔王が、必要……なのですよ……」
 死にゆく吸血鬼たちが、慟哭にも似た声を発する。
「我らは、魔物……化け物……魔王たる御方に、率いていただかなければ……」
「魔王の命令で、何も考えずに殺戮を行い……血を、すする……もはや、その生き方しか出来ないのですよ我らは……」
「あの時……」
 1体が、最後の言葉と同時に干からびて崩れ、さらさらと塵に変わってゆく。
「血を……飲み……さえ、しなければ…………」
 あの時というのが、どの時なのかはわからない。
 吸血鬼となってしまった者たちには、各々『あの時』が存在するのだ。
 いずれ自分にも訪れるのだろうか、とヴィルは思う。2度と人間の側には戻れなくなる『その時』が。
 思いつつ、問いかける。
「私に、お前たちを断罪する資格などないのかも知れない。だが確認はしておく……彼女を殺したのは、お前たちか」
「未来を見通す……あの娘の力が、我らには必要だった……」
 それを、しかしこの者たちは手に入れる事が出来なかった。
 彼女は吸血鬼になる事もなく、人間のまま永遠の眠りについたのだ。
「やはり我々は……未来など、求めては……ならない……のですね……」
「お前たちに必要なのは、未来ではない」
 ヴィルは路面に片膝をつき、死にゆく者たちと目の高さを近付けた。
「安らかな眠りだ。私はお前たちに、それだけを与えてやれる」
 さらさらと崩壊しながら、吸血鬼は微笑んだようである。
 残る1体の吸血鬼も、同じく塵に変わりながら言葉を残した。
「お気をつけください……我ら、吸血鬼を……凄まじい勢いで、狩り殺し続けている者がおります……赤い髪の、女……」
 その声も、聞き取れなくなってゆく。
「最も気高く邪悪なる御方よ……願わくは、せめて救いたまえ……守りたまえ……我らの、同胞……を…………」
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2016年08月17日

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