▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『 名無しのシレーナ 』
イアル・ミラール7523)&SHIZUKU(NPCA004)


 タクシーを降りると、空気にはすっかり潮の香りが混ざりこんでいた。それだけ海の近くに来たのだと実感して、大きく深呼吸をする。
 帽子を目深に被った少女――SHIZUKUは、手にしたスマートフォンの画面を覗き込んだ。そこには彼女がここに来るきっかけとなった書き込みが表示されている。

 ――人魚を見ました! 本当なんです! 場所は――
 ――人魚は一匹じゃなく、たくさんいるみたいでした。とっさのことでスマホのカメラを起動できなくて……でも本当に見たんです!

 SHIZUKUがいくつか巡回している掲示板のうちの一つにそんな書き込みがあったのだ。証拠写真もないのだからとガセネタ扱いする者が多い中、SHIZUKUはそれなら自分で行って確かめてこよう! という気になったのである。
 とあれば善は急げ。書き込みにあった場所を地図で検索してタクシーに乗った。
「まさかこんなところに人魚が?」
 その場所は、都内近郊の海岸だった――ただし、どこかのお金持ち所有のプライベートビーチだという。人魚目撃情報の投稿者がどういう経緯でプライベトビーチの中を見たのかはわからない。
(うーん、どこかに入れる所があればいいんだけど)
 浜辺に至る以前のアスファルトに、敷地部分とこちらを遮るように金網が塀のように立っている。ご丁寧に『この先私有地。立ち入り禁止』という看板が等間隔につけられていた。SHIZUKUは人目を気にしながらも、金網沿いに歩いてみる。駐車場らしき部分に通じる金網は扉のように開閉するようだったが、流石に鍵がかかっている。ここがプライベートビーチだとわかっていたから、正攻法では入れないだろうことは予想の範疇だった。
「んー、登れないこともないかなぁ。ちょっと目立っちゃうかもしれないけど」
 扉部分から金網沿いにもう少し歩き、なるべく人目から隠れられそうな場所を探す。金網越しではビーチの様子はよくわからなかったので、やはり中に入ってみるしかないというのがSHIZUKUの判断。
(警備員さんとか、いないよね……?)
 お金持ちの私有地なのだから、巡回の警備員くらい雇ってる可能性もある。けれども今は、不思議なくらい周囲にひと気を感じない。
 警戒心の強いものならば、これを不自然だと判じるだろう。だがSHIZUKUにとってみれば、絶好のチャンスにほかならない。
(なるべく音を立てないように……よっ、と)
 金網の穴の部分につま先を入れ、身体を持ち上げる。手を伸ばして上の方の金網に指を入れる。つま先を上の穴に入れて身体を持ち上げて――その繰り返しだ。金網の最上部を跨いで、反対側へ降りるために体勢を整える。この、金網の上の方に到達した時点で目立ってしまうことは確実で、SHIZUKUは内心ヒヤヒヤしていた。だがその心配とは裏腹に、金網を降り終わるまで彼女は誰にも咎められることはなかった。
(ふぅー……)
 安堵の息をつく。だがのんびりしている暇はなかった。いつ見つかってつまみ出されないとも限らないのだ。SHIZUKUは様子をうかがいつつ、浜辺へと降りた。
「えっ……」
 そこで目にした光景に、思わず声が出る。
 最初は誰かが泳いでる、やばい追い出されると思ったのだった。けれどもその人物が、イルカがするように海面から飛び上がり、頭から再び海へと戻ったものだから、SHIZUKUは目を疑った。

 ――海面から飛び出して再び潜った女性の脚の部分は、たしかに魚のそれだったからだ。

「え、あっ……」
 海面が不自然に揺れている。彼女が何処かへ向かって泳いでいるのだ。SHIZUKUは見つかって追い出される危険など忘れ、夢中で砂浜を駆ける。海の中の彼女を追いかけるように並走しているつもりだが、時折砂に足を取られるSHIZUKUよりもあちらのほうが断然早い。せめて見失わないようにと思いながら走って行くと、視線の先は岩場になっていた。
 先に泳ぎ着いた女性が岩場へと上る。顕になった下半身は確かに魚のそれだ。
(人魚は本当にいたんだね!)
 SHIZUKUの心の内には興奮しかなかった。もう、目の前の人魚のことしか考えられなかった。
「すいません!」
 言葉が通じるかわからない。けれどもSHIZUKU特有の悪意を感じさせない天真爛漫な笑顔で声をかけると、女性はビクッと大きく身体を震わせた。警戒されるのは当然だろう。
「あ、ごめんね。あたし、あなたを傷つけたりするつもりはないんだ。ただ、少し話を聞かせて欲しいのと、できたら写真を……」
「どうしたの?」
「お客様なんて珍しい」
「わっ!?」
 視線を女性に向けたまま、手探りで鞄の中のカメラを探していたSHIZUKUは、思わず声を上げた。岩場の向こうから、もう数人、人魚が姿を現したからである。
「えっ、こんなに、こんなに!? あなた達は、本物の人魚なのかな?」
 興奮と狼狽の入り混じった質問に、人魚たちは「おかしなことを聞くのね」とばかりに揃って顔を見合わせる。
「当然よ。わたし達は生まれた時から人魚なのよ」
 その答えに更にSHIZUKUのテンションは上がる。
「どうしてこんなところにいるのかな? 人に見つかったら騒ぎになっちゃうよ?」


「それは、あなたをおびき寄せるためよ」


 聞こえた声は正面の人魚たちのものではなく、背後からのものだった。憎悪と怨嗟のこもった、冷たい声。SHIZUKUは服と背中の間に氷を入れられたかのように、びくりと飛び上がる。だが、振り返ることはできなかった。
「あなたはたくさんの同胞たちを殺した。だからこうして餌を撒いたの――ああ、心配しないで。あなたもすぐに彼女たちのように、存在を書き換えてあげるから」
 声からわかるのは女性であるということ。何故だかSHIZUKUの身体が動かないのは、きっとその女性が何かをしたであろうこと。
(同胞を殺したって……あたしには、そんな覚えは――)
 SHIZUKUに覚えがないのは当然だ。SHIZUKUが巻き込まれた魔女絡みの事件で魔女たちを屠ったのは、イアル・ミラールなのだから。だが魔女たちは、SHIZUKUが同胞たちを殺したと思っているようだった。
「きゃっ!」
 ぐい、と後ろ髪を引っ張られ、やや上を向かされる。そして口に無理矢理瓶を押しこまれた。茶褐色の瓶から口内に流れてくるのは、どろりとした液体。反射的に飲み込んでしまったそれは、SHIZUKUの細胞を無理やり書き換えようとしているようだった。身体が、熱い。
「苦しまないようにしてあげる、今は、ね。大丈夫、あなたは別の存在として生まれ変わるだけ。『SHIZUKU』はここで消えるのよ」
 身体が熱くて、頭に靄がかかって、女性が言っていることの半分も理解できなかった。
 ただ、早く意識を手放したいと思った。
 じきに、その願いは叶えにられた――。



「あなたの名前は?」
「名前はないよ」
「いつから人魚なの?」
「変なこと聞くんだね。あたしは生まれた時から人魚だよ」
 女性の問いに答えるSHIZUKUは、いつもの彼女の笑顔であるのに自身がSHIZUKUであることを覚えていない。魔女の呪いによって『SHIZUKU』という存在を消されたのだった。
「あなたを悪い人間たちから保護してあげているのは誰?」
「それは、魔女さまだよ!」
 魔女と呼ばれた女性は、毎日同じことを問う。自分の術の効き具合を確かめているのだ。
「いい子ね。じゃあ今日も、私のお願い聞いてくれるわね?」
「う……お薬飲むと辛くなるけど、魔女さまのお願いなら、頑張るよ!」
 こうして魔女は自分の作り上げた秘薬や新しい魔法、時にはモンスターの実験台としてSHIZUKUを使用することで、同胞の復讐を果たしているのである。
 毎日、毎日、毎日――。



(SHIZUKU、どこに行ってしまったの――)
 SHIZUKUが失踪してから数日が経っていた。最後にSHIZUKUが見ていた掲示板の書き込みから割り出した場所が魔女結社の持つプライベートビーチであることを知ったイアルは、SHIZUKUが魔女たちに狙われたのであると把握していた。
(あの魔女結社は確か――)
 ネットに巧妙に隠されたヒントから、少しでも多くの情報を集めようとイアルは躍起になっていた。魔女結社は魔女狩りから逃れるために表舞台から姿を消したが、この情報化社会の中でインターネットを使うことを考えないとは思いがたい。巧妙に姿を隠しつつ、隠語を使いつつ、何らかの行動を行っているはずだ。
 とはいえネットで得られる情報にも限界はある。イアルは数度に渡り怪しげだと当たりをつけた場所へと足を運んでいた。その甲斐あって入手出来た情報に、魔女結社が金持ちや好事家を集めて行うオークションの情報があった。
 会場は、イアルが魔女結社が関わっているのではないかと疑っていたホテルだ。招待客の中に名も顔も知っている有名人がいたので、その人物の名前を出して縁者だと名乗る。受付がその人物に確認しに行っている間にこっそりと会場に入り込んだ。人混みに紛れ込んで顔を晒さぬようにし、後方端の席につく。

「次は本日のメイン、氷漬けの人魚像です! 本物の人魚を凍りづけにしたもので、なかなか出回るものではありませんよ!」

 司会の言葉に会場が熱を帯びる。台車に乗せられて運ばれてきたその像を見て、イアルの心が凍りつく思いだった。
(SHIZUKU!!)
 そう、氷漬けの人魚像として出品されたそれは、SHIZUKUによく似ていて。だが真贋を確かめるいとまもなく、入札は始まってしまった。
「5千万!」
「8千万!」
「1億!!」
 一億の声に会場から歓声が上がる。
「まだまだ他にはいませんか? またとない一品ですよ?」
 司会者が煽ると3億、5億と段々と値段が釣り上げられていく。
(このままでは、落札されてしまうわ)
 じっくり考えている時間はなかった。


「50億!!」


 隣りに座っていた金持ちのぼんぼんらしき若者の札を奪い、金額を叫びながら上げた。
「50億出ました! これ以上出す方はいらっしゃいませんか?」
 会場内が騒然とする。イアルを振り返る者や悔しそうに歯噛みする者、だがそれ以上の値をつける者は現れなかった。

「それではあちらのお嬢さん、50億で氷漬けの人魚像、落札です! おめでとうございます!」

 拍手に包まれる会場内。
 だがイアルは落札出来たことにほっとするものの、この後のことを考えるとただ喜んではいられなかった――。





              【了】




■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【7523/イアル・ミラール様/女性/20歳/裸足の王女】



■         ライター通信          ■

 またのご依頼ありがとうございました。
 とても嬉しく思います。
 この次のお話も任せていただけるとのことで、どきどきしながら導入とも言えるこのお話を書かせていただきました。
 少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
 この度は書かせていただき、ありがとうございました。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
みゆ クリエイターズルームへ
東京怪談
2016年08月19日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.