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『そうして始まる愛しき日々に。 』
ルシフェル=アルトロ(ib6763)&宮鷺 カヅキ(ib4230)

 春、うららかな季節。陽射しも暖かに柔らかくなり、新たな緑が萌え出でて、そこかしこで生命の喜びに満ち溢れる頃。
 その『嵐』はまったく前触れもなく、突然に訪れた。

「‥‥‥‥‥え?」

 にわかに告げられた言葉が信じられず、思わず問い返したルシフェル=アルトロ(ib6763)を見て、けれども問い返された宮鷺 カヅキ(ib4230)は平静だ。むしろ平静過ぎるとも言える。
 そんな平静な妻は、夫の内心の動揺を気づいていない様子で――或いは気付かないふりをして、たった今告げた言葉を当たり前に繰り返した。

「だから。師匠に荷物届けてきますので、その間ルーさんがこの子を見ててくださいね」

 この子、と言いながらカヅキが見たのはまだ生後間もない、幼い女の赤子である。縁側から吹き込んでくる春の穏やかな風に、白金色の髪を気持ち良くそよがせている赤子は今は、すやすやと寝息を立てていて銀の双眸は隠れたまま。
 それはこの春、弥生の始めに生まれたばかりの、ルシフェルとカヅキの娘だった。産院から自宅へと戻ったのはまだ数日ほど前の事だが、幸いにして今のところは大きな問題もない。
 ただ1つ――カヅキの言葉に見るからに冷や汗をかいている、ルシフェルの態度を除いては。

(荒療治、かも知れませんけれども‥‥)

 そんなルシフェルを見つめながらカヅキは、ほぅ、と小さな小さな溜息を吐いた。ルシフェルのこの、ほとんど娘と関わろうとしない態度――むしろ、何かにつけて娘を避けようとする態度は、今や一児の母となったカヅキにとって、当たり前ながら心配の種だった。
 と言って、カヅキが注意するなり怒るなりしたところで、そもそも根本的な解決になるとも思えない。少なくともルシフェルは、娘の事が嫌いで避けて回っている訳ではないのだろうし――ならば一計として、半日ほど2人きりにしてみてはどうだろうか、と考えたのだ。
 カヅキが居なければ、子供の面倒を見るのはどうしてもルシフェルになる。そうすれば嫌でも我が子と関わり合いにならずには居られないだろうし、自然と父娘の距離も縮まるのではないか。
 そう、考えたからこその『荒療治』。きっとそうなるだろうと、カヅキが想像した通りの反応を見せる夫にだから彼女は、一切の容赦をすることなく、あくまで当たり前の口調で「よろしくお願いしますね、ルーさん」と告げてさっさと外出の身支度を始めた。
 そんな妻の背中に、果たしてなんと告げればこの事態を回避できるのか、ルシフェルは必死に考える。だが考えている間にも彼女はてきぱきと身支度を済ませていて、もはや玄関に向かう所だ。
 これを逃してはいけないと、ルシフェルは慌てて妻の後を追いかけた。

「ちょ‥‥ま、カヅキ‥‥ッ」
「おむつやミルクはいつもの場所に用意してありますから。‥‥‥ああそういえば、名前も決めてあげないとですね‥‥」

 だが無情にも、カヅキは留守中に必要な事だけ言い伝えると、あとはそんな言葉を独り呟きながら、さっさと玄関を出てしまう。扉を閉める間際、再度「よろしくお願いしますね」と言い置く声が聞こえたが、それが果たして、これからルシフェルが過ごす時間の何の役に立つだろう。
 たん、と鼻先で閉められた扉を見つめたまま、ルシフェルはしばし立ち尽くしながらそう考えた。考え、ここで立っていてもカヅキが戻ってくるわけではないと諦めて部屋に戻り――そこに残されている、まだすやすやと寝息を立てている娘を見て、大きな、大きなため息を吐く。

「‥‥どうしろって‥‥‥」

 口から洩れた言葉は掛け値のない本音。そして、弱音。
 一体カヅキが帰ってくるまで、この赤子とどう過ごせばいいのだろう、本気でそう思った。それはルシフェルが赤子を厭っているからではないし、父親であるという自覚が薄いからでもない。
 ――彼は、父親という物を知らない。父親という生き物が、家族という存在の中でどう振る舞い、我が子にどう接し、どのような言動や態度を取るものなのか、知らない。
 だから生まれた娘の存在はルシフェルにとって、どう扱うのが『正解』なのかよくわからない、厄介なものだった。ゆえに『母親』であるカヅキが居るのを幸いに、これまで出来るだけ距離をってきたのだけれど――

「‥‥‥ッ!?」

 ふいに赤子がもぞりと動いて、ルシフェルは文字通り飛び上がらんばかりに驚き、ずさ、と後ずさった。そのまま怯えたような表情でじっと観察し、それ以上の動きがない事がようやく解ったところで、ほぅぅぅぅぅぅ、と安堵のため息を吐き。
 はた、とそんな自分に気付いて、今度は忌々しげな表情になった。そのまま苦々しく赤子を見つめ、うぅ、と低い呻きを漏らす。

「‥‥‥参ったな」

 吐き捨てた言葉はけれども、弱々しい響きを宿していた。そのまま、とにかく赤子から少しでも距離を取ろうと――だが頼まれた以上まったく見えない場所に居る訳にも行かないしと、居場所を探して苦悩し始める。
 そんな様子を、実は出かけたふりだけして天井裏に潜り込み、シノビらしく気配を殺して下の様子を覗いていたカヅキがしっかり目撃していた事など、もちろん、ルシフェルは知る由もなかった。





 赤子の世話、というのは大変なものである。
 そもそも自分自身では動けもしないし、意思の疎通をはかる事も満足に出来はしない。していることと言えば泣いているか寝ているか、あとはせいぜい時折身動ぎするとか、よくわからない声を発しているとか、細かくは違いがあるだろうにせよ、おおむねその程度だろう。
 ゆえに最初にルシフェルが直面した最初の問題はといえば、いったいこの赤子はなぜ泣いているのか? という事だった。

――‥‥ホェ‥‥フギャァァ‥‥フギャァ‥‥
「‥‥‥ッ!?」

 泣き声が聞こえるたびに、ルシフェルは飛び上がらんばかりに驚いて大きく息を飲む。ただでさえ、赤子が喃語を発したり、機嫌良く――たぶん機嫌が良いのだろう、たぶん――手を動かしたりするだけでもビクビクしてしまうのだから、泣かれたりしたら驚きを通り越して軽く混乱するのは否めない。
 わたわたと慌てて赤子の元に駆けつけて、とにかくまずは産衣を脱がしにかかる。理由はいたって簡単で、ルシフェルの技量ではそうしなければ産衣を汚さずおむつ替えは出来ないと、最初の挑戦でわかったからだ。
 産衣を脱がしにかかる、と言えば簡単だがこれもまたルシフェルにとっては非常に神経と、不要な労力を使う作業だ。泣いている赤子はこちらの意図などお構いなしで手足を動かし、脱がせようとしても大人しくなどしてはいない。

「こ、の‥‥ッ、ちょっと、動くなって‥‥‥ッ」

 半ばは懇願のように言いながら、下手に力を入れれば簡単にぽっきり折れてしまいそうな柔らかくて頼りない手足を相手に、悪戦苦闘してなんとか産衣を脱がした頃には、ルシフェルの気力はかなり削られている。だがここからが本番だと、今度は『本丸』おむつ替えに取り掛かり。
 天井裏から見守るカヅキは、違うぅぅぅぅ、と頭を抱えて天井板に突っ伏す。

(おむつが裏、裏! そっちだと縫い目が肌に当たって‥‥あぁぁぁぁぁ‥‥‥)

 それでも見よう見まねどころか、殆んど寄り付きもしなかったおかげでおむつの替え方などろくに見もせず知りもしなかったルシフェルが、何とかおむつ替えという偉業を達成していることは褒めねばならない事実だ、とカヅキも理解していた。例えそれが、赤子の下半身におむつを何枚もぐるぐる巻きにしただけ、という荒削りなものであったとしても、だ。
 さて、そうして一仕事を何とかやりおおせたルシフェルだったが、それでも赤子は泣き止まない。泣き止まない事で、改めて替えたばかりのおむつに向き直ってみれば、どうにも少しも汚れていない。
 という事は。

「お腹が空いた、のか‥‥?」

 残る可能性を考えて、呟いた言葉が絶望の響きを帯びていた事に、ルシフェルはもちろんカヅキもまた気付かずにはいられなかった。がば、と慌てて天井板から身を起こし、息を飲んでルシフェルを観察しようとしてはた、と気づく。
 ミルクは用意してあると告げたのだから、今はパニックに陥っているであろうルシフェルが、それを思い起こすまでそう時間はかかるまい。だが、ミルクを温めなければならないとか、温めるとしてどの位にすればいいのかまでは、おそらく思い出せないに違いない。
 ならばこの隙に先回りして温めておいた方が良いだろうと、カヅキは天井裏を音もなく最速で移動して、厨へとたどり着く。そうして居間のルシフェルの動きに神経を集中させながら、手早くミルクを温め、人肌にまで冷まし始めた。
 もっとも幸いにしてと言うべきか、泣き続けている赤子を前にルシフェルはまだ、いったいどうしたら、という思考停止の只中に居る。脳裏を過ぎる光景はと言えば、極力近寄らないよう遠くから眩しく見つめた、カヅキが赤子に乳を含ませてやっている姿。
 そのカヅキはそもそも居ないし、同じことがルシフェルに出来るはずもない。赤子はよほどお腹が空いているのか、ますます泣くばかりでカヅキが帰ってくるまで待つことは出来なさそうだし、そもそもカヅキがいったいいつ帰ってくるのかもわからない。

「何か食べさせた方が‥‥赤ん坊だと牛乳とか‥‥あ、ミルク!」
(ルーさんが来る‥‥ッ)

 ようやくカヅキの出掛け際の言葉を思い出し、とたんに赤子を置いて厨へとダッシュして来るルシフェルの気配に、カヅキは素早く天井裏へと飛び上がった。ミルクの準備は間一髪、万端に整っている。
 それを不審に思う余裕もないルシフェルは、温かなミルクを見つけると天の救いとばかりに引っ掴み、そのままの勢いで赤子の元へとって返した。そうして匙で慎重に、少しずつ赤子の口元にミルクを運び始める。
 最初のひと匙はやはり多かったのか、ルシフェルの匙運びがうまくなかったのか――もしかしたらその両方で、飲んでくれたミルクよりも零した方がずっと多かったのだけれども。それでも確かに飲んでくれた、その事に安堵してルシフェルは、何度も何度もその動作を繰り返す。
 それを見守るカヅキもまた、大きな安堵を覚えずにはいられなかった。娘がミルクを飲んでくれた事はもちろんだけれども、それ以上に、ルシフェルが娘に必死に匙で授乳している、その姿に。

「頑張って‥‥ッ! ルーさん、頑張って‥‥ッ!」

 ぐっと強く両手を握り、小声で必死に応援する。その声が聞こえているはずはないけれど、カヅキが見守る間にも確かに、ルシフェルの動きは慣れた、滑らかなものになっていく。
 ――そんなことを、何度繰り返しただろうか。ふと声が聞こえなくなった事に気がついて、娘が眠っているのだろうかと、カヅキは天井の下を覗き込んだ。
 この頃合いの赤子といえば、寝ているか泣いているかのどちらかだと言っても過言ではない。娘が眠ったのならルシフェルも一息つけるだろうと、思いながら見下ろした光景に、あら、とカヅキは目を丸くする。

(‥‥一緒に寝てしまいましたか)

 慣れない赤子の世話に心身ともに疲れてしまったのだろう、ルシフェルもまた娘と一緒にすっかり眠り込んでいた。しかも娘が眠っているのは、縁側で眠るルシフェルの腹の上だ。
 そののどかな光景に、カヅキは思わず微笑んだ。2人を起こさないようそっと縁側に降り、眠る顔を覗き込んで見ればさすがは父娘、まったく同じ寝顔をしている。
 それにまた、そっと微笑んだ。そうして2人を起こさぬよう、静かにその場を離れようとしたカヅキの身体が、不意に力強く引き寄せられる。
 わ、と驚いて出そうになった声を危うく飲み込んだら、どうやら気配で起きてしまったらしい、だがまだ少し眠たそうなルシフェルの顔が間近にあった。ますます驚くカヅキをぎゅっと強く抱きしめて、やっと安堵したようにルシフェルが息を吐く。
 そうしてカヅキの耳元で囁いたのは、掛け値のない本音。

「すっげぇ疲れた‥‥カヅキ偉いよ、ほんと‥‥」

 今日1日、と言うにはあまりに短い時間だったにせよ、娘と二人きりで過ごして。娘が泣くたびに今度は何だろう、オムツか、はたまたお腹が空いたのかとオロオロして、試行錯誤して。
 もちろん、ルシフェルが今まで娘を避けて回っていたぶんも世話に慣れていない、という事実はあっただろう。それでも、これと同じ事を――否、もっと多くの事をカヅキは普段1人でやっているのだと、思えば素直な尊敬の念が湧いた。
 今まで、侮っていた訳ではないけれど。ただ素直にカヅキは偉いと、凄いと思う。
 でも、だから。

「‥‥うん‥‥‥良いもの、だよね」

 今日の奮闘を振り返り、心地良い疲労と満足感に目を細めたルシフェルは、そうだ、とカヅキの顔を覗き込んだ。腕の中、至近距離に見える夫の顔は、どこか嬉しそうだ。
 何だろうと、目を瞬かせたカヅキの耳に、とっておきの宝物のように彼が囁く。

「ファラーシャ、とか‥‥どう、かな?」

 名前、と言いながら未だすやすや寝息を立てる娘の頭を、ルシフェルがそっと撫でた。その言葉と動作に、名前、とカヅキは娘の寝顔へと眼差しを移しながら再び瞬く。
 そろそろ決めなければと、彼女が言った。娘の名前を考えてもらう事で、ある程度の責任(?)というか、娘に対する新たな感情が生まれるのではないかと思ったから。
 その――名前。

「ファラーシャ‥‥」

 唇に乗せてみれば思いのほか、それは馴染みよく感じられた。アル=カマル出身のルシフェルに似て、まだ赤子ながらもアル=カマル風の容貌を持つと感じる娘にも、相応しい響きだと感じられる。
 その音を幾度か口の中で転がして、カヅキはほっと安堵したように微笑んだ。そうしてルシフェルと同じように、娘の頭をそっと撫で始めたのだった。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /    PC名     / 性別 / 年齢 / 職 業 】
 ib6763  / ルシフェル=アルトロ / 男  / 23  / 砂迅騎
 ib4230  /   宮鷺 カヅキ   / 女  / 21  / シノビ

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、または初めまして、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
大変お待たせしてしまい、本当に申し訳ございません。

ご家族のそれぞれの大変な日の物語、如何でしたでしょうか。
お任せ頂いてしまいました結果、非常にやりすぎた気がしないでもありませんが、気のせいだといいなと思う今日この頃です(目を逸らす
もしイメージと違うなどあられましたら、いつでもお気軽にリテイクをお申し付けくださいませ(土下座

ご家族のイメージ通りの、新たな始まりへの希望に満ちたノベルであれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2016年08月22日

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