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『Sacrifice 』
八朔 カゲリaa0098)&ナラカaa0098hero001
「今日は朝からずっと曇ってる。明日は晴れてくれるといいんだけどな」
 消毒薬のにおいが染みついた白い病室の片隅、丸椅子に浅く腰かけた影俐が語りかける。
 彼の目線の先にあるものはベッド。
 そこには彼の妹が横たわっていて――ただ眠り続けていた。

『この病院に搬送された際、妹さんにはいかなる損傷も見受けられませんでした。目の前でご両親を亡くしたショックで意識を失ったんだと思っていたんです。あなたがそうだったように』
 昏睡し続ける妹を前に、担当医師は眉根をしかめ、人のよさそうな丸顔に深い皺を刻む。
『じゃあ、どうして妹は……』
『体ではなく心に深い傷を負ったから、なんでしょう。このような事例は意外に多いものです。目覚めてしまえば現実を突きつけられることになるから、目覚めたくない。その恐れが意識の覚醒を妨げる』
 影俐は奥歯を噛み締めた。
 影俐がそばにいてやれたなら――妹の痛みを分かち合ってやれたなら、妹は自分の奥底へ閉じこもらずにすんだかもしれないのに。
 いや。
 いっそ、両親と共に死んでやれていたなら。
『手を、伸べてあげてください』
 ぽつり。悔恨に沈んでいこうとした影俐を、医師の言葉が引き留めた。
『待っていてくれる人がいて、呼びかけてくれる。それがわかるとね、昏睡している人は気づくんですよ。自分に伸べられる手があるんだって。そしたらね、戻ってきてくれることがあるんです』
 医者なのに、最後にすがるのが医学でも科学でもなくて申し訳ないですが。医師はそう言って、無理矢理に笑んだ。

「……落ち着かなくてすまない。そろそろ行くよ」
 艶を失くした妹の髪を指先で梳いてやる影俐。
 どうしても、妹の手を取ることはできなかった。手を取って、眠りの国から引き上げる。それはよすがのない荒野へ叩き出すことと同じだ。その場に居合わせず、戦うことも死ぬこともできなかった自分にそれを強いる権利があろうはずもない。
 それに、妹が自らの意志で眠っているのであれば、それを受け入れるのが筋というものなのではないかとも思うから。
 影俐は妹を揺り動かすことなく立ち上がり。
 ふと。
 病室を見渡した。
 なにもいない。なにもいないはずなのに、なにかが香った。けしてイヤなにおいではないのだが……見えない以上はどうにもできなくて、影俐は幾度か振り返りつつ、病室を後にした。

                   *

 繁華街の裏側にある薄汚い飲み屋街。
 その中の一軒――ショットバーと称する安酒場に影俐はいた。
「情報は入ってないか?」
「昨日とおんなじ。ねーもんはねーわよー」
 心は女が売り文句の自称ママがカウンターごしに返事をした。
 彼もとい彼女は団体に登録していない野良のライヴスリンカーで、主に愚神関連の情報を取り扱っている特化型の情報屋だ。
「坊やのお家で起きた事件、目撃者ってのがひとりもいねーの。不自然なくらいね。で、唯一の目撃者ってのは――」
 影俐の妹というわけだ。
 つまりは探しようがない。思わず表情を固くする影俐に、ママはタンクトップから突きだした肩をすくめてみせて。
「まー、中学生がウチを見つけたのは執念だわーって思うからさ」
 これはアタシのオゴリ。そう言いながらママはトニックウォーターをそそいだグラスをカウンターへ押し出した。
「いちお、ハナシだけはばらまいといたわよー。坊やが親のカタキの愚神、探し回ってるって」
 無言でグラスに口をつける影俐にママはさらに言葉を重ね。
「アタシが見たとこ、坊やにはリンカーの才能があるわ。そーゆー子は愚神に狙われやすいから、わざわざ目立つことさせたくねーんだけどねー」
 ひと息にグラスを干した影俐が小さく頭を下げ、視線をママから外して口を開いた。
「ありがとう」
「へ?」
「俺を子どもだからと切り捨てないでくれて」
 ママは一瞬、泣き笑いのような表情を作り、あわててそれを打ち消した。
「次逢うときは愚神になってて殺し合い、ってのだけはカンベンしてよねー」
 と。ママの後ろに、また香りが立つ。
 あいかわらず見えはしないから、とりあえず無視。
 ママへうなずいておいて、影俐は街へと踏み出した。

 夜の前を影俐が行く。
 繁華街にそぐわない彼を見とがめ、寄ってくる人々へ、自分の家を襲った愚神を探している。そう告げて回った。
 少しでも遠くへ――あの愚神まで自分の話が届くように。
 ママの協力も得て、幾夜それを繰り返したことだろう。
 まき続けた種は思わぬ形で実った。

 雨が降っていた。
 剥き出しの髪を濡れるがままに放って、影俐は夜のただ中を歩く。
 おかしな夜だった。繁華街から一本外れただけの路地なのに、誰とも行き会わず、気配すらも感じられなくて。
 だからこそ気づいた。路地の隅から這い出してきたものに。
『ラ、ライヴ、ライヴス、く、くれ、くれよ』
 粘液を片栗粉かなにかでさらに固めたかのような、形すらも定まらない醜悪な姿。影俐の胸にすら届かない程の大きさでありながら……影俐を一秒で殺せるだろう、圧倒的な力の臭気を放つ、異形。
 ああ。
 これが、愚神か。
 沸き上がる本能的な恐怖を理性でねじ伏せながら、影俐は腹に差し込んでいた魔導銃――ママが護身用にとくれたものだ――のグリップを握りしめた。
『ラララ、ライヴヴヴスス、くくれくれくくれれよ』
「好きなだけ喰えばいい」
 たまらなく恐ろしいはずなのに、震えることもおののくことも、ためらうことすらもなかった。ただ、射撃に自信がなかったから、影俐は粘液の塊が自分の足元まで這い寄ってくるのを待ち、狙いを定めて引き金を引き。マガジン一本分のライヴス弾を撃ち込んで殺した。
「こいつはちがう」
 八朔家を襲った愚神がこの程度のものであるはずがない。最初からわかっていた。それでも……。
「坊や」
 呼びかけられ、顔を上げた影俐の前にいたのはママ。
 彼女は一歩踏み出しかけた影俐を張り詰めた顔で押しとどめ。
「アタシみたいなのが死ぬのはしょうがない。そーゆー商売だってわかっててやめらんなかったんだから。でもね、アンタみたいにまだなんにもしてない若い子が死んじゃダメ。みっともなくていい。笑われたっていい。だから逃げ」
 爆ぜた。
 影俐は雨に濡れた夜気を吸い込み、吐き出した。大丈夫、頭は痺れていない。
 ママが殺された。まちがいなく、影俐のために。
 でも、それを嘆き、悲しむ資格は影俐にはない。ママが最期に見せてくれた覚悟を、自分のようななにもできていない坊やが穢すわけにいかないから。
 だから見ろ。ママを殺した奴を、この目で。
「狂うことなく探るか。飛び回るだけの羽虫かと思いきや、存外肝はすわっているようだ」
 演出をしてみたこと、無駄ではなかったようだ。
 雨と血煙をくぐって現われた少女が首を傾げてつぶやいた。
 あの粘液の塊に比べても、その体はずいぶんと小さい。しかし立ちのぼる臭いは比べようもないほどに濃く、邪であった。
「おまえか」
 影俐の唇が紡ぐ。
「来てやったぞ」
 少女は薄く笑み、答えた。
 ただそれだけで、影俐は相手が誰かを知った。
 ただそれだけで、少女は自分の目的が半ば以上果たされたことを確かめた。
 そして。
「どうしてあいつを殺さなかった?」
 影俐の青ざめた問いに、少女は陶然と両目を細め。
「小娘の声が聞きたい。二親が裂かれる様にあげたあの慟哭を聞きながら、その魂を喰らいたい。正気を失くした魂は味気ないからな」
 少女――愚神は、妹の叫び声を聞きたいがために両親を殺した。両親の死を目の当たりにして心を閉ざした妹を喰らうのがつまらないから、見逃した。ただそれだけのために、影俐は八朔家を失くすことになった。
 わかっている。この世界には愚神によって人生を壊される人が大勢いて、それでも前を向き、生きていくのだと。その中のひとりに過ぎない自分もまた、愚神探しなどせずに悲しみと苦しみを受け入れ、妹の目覚めを待ちながら進んでいくべきだったのだと。
 すべてのことは、そうしたもの。
 しかし。ただひとつだけ、是とすることのできない、受け入れることもできない、ゆるすわけにいかないものがある。
「おまえの右往左往する様をながめやりつつ娘が起きるまで待とうかと思うたが、気が変わった。おまえを喰らう。おまえなら喰らわれてなお正気を失くすことはあるまい。そのあがきがこの餓えをしばし満たしてくれよう。そしてまた餓えたなら」
 愚神が一歩、影俐へと迫った。
「おまえの首を携えて、今一度訪れよう。腐り果てた兄の首を抱かせてやれば、さすがに眠りこけてはおれまいよ」
「俺は妹を守る――俺を全部かけて、妹が妹でいられる世界を取り返す」
 是とできないのは、あのとき八朔家という地獄にいることのできなかった影俐だ。
 受け入れることができないのは、妹を闇の内に置き去りにしたままここにいる影俐だ。
 ゆるせないのは、それすらもそうしたものだと受け入れ、是としてしまいそうになる影俐だ。
 影俐は影俐を是としない。影俐は影俐を受け入れない。影俐は影俐をゆるさない。
 だから。
 この世界にあるべき価値のない身を贄に、自身にとって唯一価値のあるものへ“購う”。
「腕でも脚でも体でもくれてやる。代わりにおまえの命をもらう」
 影俐が愚神にしがみついた。
「この命を? ただの人間に、術はあるのか?」
 影俐の突進を小揺るぎもせずに受け止め、愚神が訊いた。
「とっておきがな!」
 影俐は語り終えようとした愚神の胸に魔導銃を突き立て、引き金を引き絞った。
 ただ一発残してあった弾丸が愚神を貫き。そして。
「千発も喰わせられればどうか知れぬが、ただの一発では」
 愚神は何事もなかったかのように笑み。
「おまえの決意はこの身に届かず、おまえの決死はこの身を揺らせず、おまえはただ喰らわれる」
 愚神の指がそっと影俐の胸にあてがわれ、ゆっくり、沈み込んだ。
「っ、ぁ!」
「さあ、指がもうすぐ心の臓へ届く。やさしく握ってやろう。隅々にまで血を行き渡らせ、その味を肉に染ませてやるがため」
 影俐は「痛み」というよりない痛みの内で霞む目をこらした。
「とっておきを、お見舞い、するって、言った、ろう?」
 袖の内より、バネの力で弾き出されてきたもう一丁の魔導銃。この隠し銃こそ影俐にママがくれた「とっておき」だ。
 影俐は銃口を愚神の左眼に叩きつけた。
 警戒を解いてもらうために見せ弾を撃ち込んだ。油断してもらうために傷ついた。あとはそう、残された命が最後にまたたく数だけ引き金を引くだけだ。
 ママのライヴスが愚神の眼球を貫き、脳をかきまわす。
 頭部を半ば削り落とされ、大きくのけぞる愚神。
 それを見送りながら影俐は思う。手向けにもならないけど。ママの弾でけりをつけられた――
「人の形はしていても、人ではないゆえ、無意味」
 のけぞった顔がゆっくりと戻ってくる。笑みを称えたその顔は、すでに再生し、修復されていた。
「さあ、お返しだ。声を聞かせておくれ。哀れな妹を揺り起こすほどに高い声を」
 愚神の指があらためて影俐の胸へ潜り込み、心臓をつかんだ。
 白く焼ける視界の中、影俐の思いが乱れ散る。
 これで終わるのか?
 ああ、終わるな。
 俺は、死ぬわけにいかないのに。
 もうじき死ぬ。
 置き去りにしてきた妹を独りで死なせるわけにいかないのに。
 結局は死なせることになったな。
 俺はまだ、購ってない。
 道半ばで死ぬ者は多いぞ。
 俺はもう、置き去りにしない。
 死ぬ間際に思うても遅かろう。
「それでも俺は――妹を残して死ねないんだよ!」
 血とともに吐き出した咆哮。
 それは死にゆく自分をこの世界へ縛りつけようとする影俐の、あまりにも無力なあがきだった。
 そのはず、だった。
『己を胸中の煉獄にて苛みし者よ。死にすがることなく、生の内で己のすべてを贄と捧げ、購い続けることを願う者よ。その意志の輝き、魅せてもらったぞ』
 彼の独白に応えてきた声なき声が声音を成した。
『誓うがよい。汝がその心に決めた覚悟を言の葉にして』
 声音が焔と化して燃え上がる。
 焔の金が、黒に塗り潰されようとしていた世界に彩をつける。
「俺はけして、俺自身を違えない――!」
 全力を尽くすなどとは言わない。尽くすのは影俐だ。影俐のすべてを尽くして、影俐が影俐であることを貫いてみせる。
『聞き遂げたぞ。誓いはかくて約と成った』
 焔が影俐に重なった。
 その灼熱が、愚神に穢された血を浄化する。
 その灼熱が、死の清冽に侵された肉を解く。
 その灼熱が、愚神の指を焼き払い、枯れかけた心臓に新たな命を点火する。
 焔にあおられて立ちのぼる香りに、影俐は刹那、想いを馳せた。
 俺は、この香りを知っている。
『我――いや、すでに鷲ならぬ私は汝を見ていたよ。惹かれるままにずいぶんと長い間ながめやってきたが、そのわけがどうしても知れなんだ……しかし今、それが知れた』
 叩きつける雨のただ中で金色に燃え立つ影俐が、腕を失くして後じさる愚神へ踏み出した。
『すべてを是とする心に穿たれし不屈の意志。其は劫火となりてあまねく敵を焼き滅ぼし、業火となりて己が心身を焼き苛む。矛盾する心に燃え立つ矛盾の焔。その妙なる輝きが私を惹きつけたのだな』
 焔の奔流が、影俐の成熟からは程遠い体の内、出口を求めて激しくうねる。それを影俐は己の存在すべてを込めた意志と、贄という生き様すべてを込めた覚悟とでねじ伏せ、“力”に変える。
「そんな大層なものじゃない。俺はただの影だ」
 と。

『私は見つけたぞ』

 影であろうと決め、影になろうと務めてきた影俐。その、光にも闇にも紛れて見えないはずの“八朔影俐”を、真っ向から見定める目。
 なぜだろう。それを感じたとき、影俐の心になにかが灯った。
「……俺は、ここにいるか」
 手の内に生じた灼熱を、影俐は強く握りしめ、剣を成した。
『ああ。私もまた共にある』
 その刃にはしる浄化の焔が雨を焼きながら闇を裂き。
 果たして。
 愚神はなにを残すこともなく、ただ消滅した。

                   *

「すべてをゆるし、なにものをもゆるさず。それを負うことすら是とし、生き抜かんとする者よ」
 影俐の横に並び立つ銀髪赤眼の少女が静かに言の葉を紡ぐ。
 そして大きく一歩前へ。影俐を顧みた。
「なによりも危うく確かな歩みを魅せてくれ。私が汝の行く道を照らそう。迷うことなく、惑うことなく、汝が汝を違えることなく進めるように」
 影俐は目線を返し、答えた。
「見たいなら見ていればいい。魅せられるかは保証できないけどな」
 また一歩前へ進み、少女が笑む。
「我が名はそう、ナラカ・アヴァターラ。燼滅の王……覚者よ」
 少女――ナラカの手が影俐に伸べられて。
「まずは一歩、その歩みを我に示せ」


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【八朔 カゲリ(aa0098) / 男性 / 16歳 / エージェント】
【ナラカ・アヴァターラ(aa0098hero001) / 女性 / 12歳 / 神々の王を滅ぼす者】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 かくて鷲は王にまみえ、共連れて物語を紡ぐ。
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2016年08月23日

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