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『逃げ雪 』
狒村 緋十郎aa3678

 反芻する。
 五感に覚えた最後の記憶を。
 突然背中を押され、同時に足元をすくわれた。
 北半球の夏季にして、冬の匂いを伴った巨大な質量が、覆い被さって来た。
 水のように柔らかく、砂のように硬く、冷たくて、容赦のない固形物の本流は自分もろとも針葉樹を蹂躙しながら山肌を滑り落ち、転げ落ち――どこへ果てたのだろう。


 そうしてやっと、狒村緋十郎は目を閉じている自分に思い至った。
「うっ……」
 体が思うように動かない。
 冷気を伴う激痛と麻痺したような無力感が溶け合い、僅かな身動ぎさえ渋る。
 だが、いくら能力者が常人より頑丈と言っても、非共鳴状態で雪崩に巻き込まれ、死を免れたのは奇跡的とすら言えるだろう。
目を開けると、その場所は、ただ仄暗い。
 日が落ちているのか、雪崩に埋もれているのか。
 ――と、不意にべちょりと気色悪いものが顔を這った。
「…………?」
 たとえるなら保冷剤で撫で付けられたような。
 否、これは――そうだ、犬に舐められた時の、アレだ。
「なっ!?」
「お、生きてた」
 次いで楽しげな、涼やかなさえずり声。
 聞き覚えがあると思うのとほぼ同時に、恐らく横たわっている自分の頭上へふわりと、乳白色の髪が軽やかに舞い。
 それはオーロラのような虹彩を大きく見開いて、緋十郎をしげしげと覗き込んでいた。
「ヴァ――ヴァルヴァラ!」
 跳ね起きた。
 凍傷寸前と思しき凝り固まった筈の身体が、嘘のように軽い。
 当然だ。かつて狂おしいほど恋焦がれた残虐な少女が、目の前にいるのだから。
「あ、会いたかったぞ……!!」
「相変わらずうるさいなあ。口が閉じたら唇だけキンキンに凍らせて二度と開かないようにしてやろうかしら。ね、ルドルフ」
 実に面倒臭そうに息をつく少女――ヴァルヴァラに応じ、緋十郎の背後で何者かが呻いた。
 振り向くまでもなく、肩越しに大きすぎる顎門をぬっと寄越され、全てを理解する。
 先ほど緋十郎を舐めたのも、この従魔の仕業に違いない。
 が、そんな事はどうでもいい。
 彼女が居合わせた理由だとか、どうやらこの場所はどこかの洞穴らしい事だとか、そも、自分がとある任務を終えて帰投する最中に雪崩に巻き込まれて伴侶たる英雄とも他の仲間達ともはぐれた事だとか、そういった一切の状況はまったく問題ではない。
 それよりも。
「もっとだ、もっと俺を蔑んでくれ!」
「うるせえ殺すぞ」
「いい……!」
 本来であれば、酷く偏った欲求を満たしているような状況ではない。
 年端もゆかぬ少女の姿とは言え、目の前の存在は紛れもない愚神で、おまけに従魔まで引き連れている。
 片や緋十郎は英雄不在の身。
 害意を向けられようものなら、抗うすべはない。
 ……のだが、喜び――失礼、悦びに打ち震える彼の心の中において、危険を忌避するような意識など粉雪の一粒たりとも存在しなかった。
 ただ、この少女についてもっと知りたかった。
「そういえば」
 はたとして、緋十郎はおもむろに自身の幻想蝶の所在を求めた。
 幸い紛失はしておらず、心当たりの位置にある事を確かめると、そこから簡易式のコンロとボルシチの缶詰を取り出す。
「なにやってるの?」
 ルドルフが怪訝げに呻き、ヴァルヴァラもしげしげと見つめる中、緋十郎は開けた缶詰を火にかけ始めた。
「温かいものが好きだと言っていたな。その……」
 ふつふつと煮え立つ深紅のスープが洞穴を香りで満たす。
「一緒に……食べないか? 話もしたい」
「?」
 ヴァルヴァラは氷点下の瞳を瞬いてから、くるんと缶詰へ視線を向けた。

「それにしても意外だ、てっきり冷たい物が好きなのかと」
 器に選り分けたボルシチをヴァルヴァラに手渡し、緋十郎は火に炙っていたパンプーシュカを口に運ぶ。
 熱源を摂ると激しい悪寒に見舞われ、かじかんでいた指先を刺すような痛みが襲った。
 しかし、妙だ。
 ある程度囲われた空間なら少しの火で暖が取れるとの事だが、にしては内壁も足元も後から後から音をたてて凍てついているような。
「って」
 少女の手中にあるスープは。シャーベットと化し凍気を放っていた。
「ん? なにが?」
「……いや、いい」
 きょと、と小首を傾げるヴァルヴァラに少し狼狽しつつもやり過ごし、緋十郎は「そうだ」と次の話題を思いついた。
「好みと言えば、好きな人はいるのか? ……こ、恋人は……?」
「よく知りもしないレディ相手にいきなりそんな質問するなんて、やらしー」
 子供じみた冷ややかな視線が心地好い。
 ではなく。いや、とても好いがそれはともかく。
「重要な事だ」
 緋十郎にとっては。
「だったらなおさら、そんな事あんたなんかに教えると思う? 大体――」
「――俺はっ」
 なんらかの暴言を遮った事を内心で惜しみながら、緋十郎は重々しく語り始めた。
「……つい先日、結婚した」
「あら、おめでとう。でも、もう決まった相手が居るのに私の事そんな目で見るのね」
「どう言われても構わない」
 確かに不実だ。
 返す言葉もないし、むしろもっと扱き下ろして欲しい。
 だが、どうしても伝えたい事があった。
「バイカル湖で出会ったあの日、俺はお前の側につきたいとさえ思った。だが、H.O.P.E.のエージェントとして、他の女に愛を誓った男として、最早それは叶わん」
「……――」
「それでも――ヴァルヴァラ。俺は今でも、お前を殺すのは……嫌だ」
 緋十郎は心の底から言った。
 苦味を堪えるように眉根を寄せて、蝋人形のように生っ白い顔を真っ直ぐに見て。
 応えは、ない。
 静かだ。
 いつしか、コンロの火は尽きて、風の音さえ遥か遠く、夢の中の出来事のようで。
「――ふふ」
 やがて雪娘が口角を吊り上げ、白くもならない息を漏らした。
「可笑しいか……? 確かに、H.O.P.E.(俺達)と愚神(お前達)は敵同士だが、できる事なら共存の道を俺は、」
「困ったなあ」
 今度は緋十郎の主張をヴァルヴァラが遮った。
「ねえ、どうしようルドルフ。なにか取り返しのつかない勘違いしてるみたいよ、こいつ」
 咥えるように口元へ人差し指を添えて、まるでいたいけな少女のように。
 問われた巨獣は、先ほどからひたすらぐるると呻き続けている。
 緋十郎のすぐ後ろで。
「図体と顎ヒゲしか取り柄がないマゾでしかもロリコンっていう変態オブ変態のくせに」
 小気味良い罵声は緋十郎に苦痛を齎した。
 次いでつま先から、耳たぶから、鼻頭から、節々から、徐々に熱と感覚が失われていく――寒い。
 立ち上がろうにも、力の入れ方すら判然としない。
「殺すのは嫌? 選ぶ権利があるとでも? そんなに寝言が言いたい? じゃあ今すぐ永眠する!?」
 朗らかで愛らしい疑問符は次第に怒気をはらみ、一言放つ毎に少女は詰め寄って――ついには至近距離から無慈悲な眼差しを緋十郎へと向けた。
「ま、だ……」
「しつこい」
「うがっ!?」
 刹那、四肢が氷漬けとなった。
 更に、どこからか激しいブリザードが吹きつけ、緋十郎の身をみるみる霜まみれにしていく。
「行こ、ルドルフ」
 ヴァルヴァラが踵を返し、その後ろ髪にルドルフが追従した。
「待、て…………ど、うしてあの時……潜水艦を、沈、めなかっ、た……?」
「言ったでしょ」

 ――ばかは嫌いだって。

 苦し紛れの問いに振り向きもせず、最低の返事をぞんざいに風へと放り出し。
 雪娘はそのふたつ名に違わず、雪の中へ消えた。
「ヴァ、ル……――――」
 緋十郎は、追い縋ろうと無理やり立ち上がろうとして。
 そこで意識が途切れた。


 次に気がついた時、緋十郎は本部の医務室にある、雪のように真っ白なベッドに横たわっていた。
 嫁には泣いて怒られ、仲間からは呆れられ、医者に叱られ、オペレーターにまで小言を言われたりはしたが、幸いにして大きな怪我もなく、すぐに復帰できるとの事だった。

 なお、彼が発見された時、他の者が居た痕跡は認められなかったという。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa3678 / 狒村 緋十郎 / 男性 / 29歳 / 決して独りにせぬと誓う】
【NPC / ヴァルヴァラ / 女性 / 10歳 / 雪娘】
【NPC / ルドルフ / ? / ? / 従魔】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 その節よりお世話になっております、藤たくみです。
 夢か現か、その解釈は緋十郎様に委ねる事といたしまして。
 終始ヴァルヴァラらしくご対応させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
 価値観の違う者同士の対話とは多く、噛み合わないものですが、それはそれでやはり「伝わっている」のではないかな……と、藤は思います。
 少しでもお気に召すものとなっておりましたら幸いです。
 このたびのご発注、まことにありがとうございました。
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2016年08月23日

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